第十五話 援軍来たる
十月三日。
ウィルはロードの本陣にいたが、最近は元気が無い。
ウィルは敵の謀によって毒の混ぜられていた食料を摂し、健康被害を受けていたが、それもだいぶ良くなってきている。
しかし、現在のウィルはそんなことよりも心の傷の方が大きかった。
それは自分が絶対に守ると宣言したレヴィッタが敵の手に攫われてしまった事である。
「大人しくエクリセンに居ればいいのに」と言う意見も彼の同僚からは聞こえてきたが、そんな事などウィルには関係ない。
ウィルが守ると宣言すれば、そこに例外など存在しないのだ。
その約束が果たせず、悔しさは増すばかり。
ウィルは過去に自分の弟のアクトが、当時許嫁であったステイシア・リドールを失った時、廃人のように成ってしまった事を思い出す。
あの時も奇跡など起きず、帰らぬ人となってしまったステイシア。
それと同じ事が、現在の自分にも起きようとしていると思うと、心が張り裂けそうである。
自分の努力だけではどうすることもできないこの現状に、ウィルの苛立ちは増すばかり。
そのレヴィッタ・ロイズが攫われてから既に十日が経過している。
ウィルにとってこの十日間は自らを責める時間が続いていた。
そんな精神状態の優れない中で、ようやくウィルにも頼れる援軍がやってきた。
「よう、ウィル。浮かない顔しているな」
夜半に天幕を開けられて、直ぐに発せられた来客者からの言葉。
本来ならばウィルに対して失礼な物言いだが、それでもウィルはこの男性の声に覚えがあった。
「アーガス副団長! それに特別決死隊の皆さん!」
入ってきた存在に気付き、カバっとベッドから飛び起きるウィル。
それはウィルにとって半ば反射的な行動。
彼らはウィルにとって戦友以上の戦友であったからだ。
特別決死隊――それはクリステ解放の時に結成された中央第二騎士団の精鋭中の精鋭。
アーガス・プロト、マーガレット・メシア、ロック・ゴーゴン、マゾール・ジャーマン、そして、ウィル・ブレッタの五人である。
「皆さんが到着したという事は!」
「そう、俺達エストリア帝国の義勇兵が揃ってやって来たって事だ」
特別決死隊を代表してアーガス・プロトがウィルにそう応える。
「私達以外にも凄い人達が来ているわ。アナタのお父様のレクトラ・ブレッタ様に、リリアリア大魔導士様、氷の女王セイシル様。他にもラフレスタ解放で活躍した・・・えーーっと何だったかしら?」
天才的な魔術師なのに人の顔だけは覚えの悪いマーガレット・メシア。
彼女の言葉を引き継いだのはマゾール・ジャーマンである。
「それはフィーロ・アラガテとローリアン・アラガテ夫妻だぬし。強力な幻術魔法が得意だぬし。それとセリウス・アイデントと儂と同じ格闘魔術師のクラリス女史もいるぬし」
「うぉっほ。他にも中央騎士の第一、第二、第三の猛者達も来てくれた。全部で三万の大軍だな。うおっほ」
マゾールに続くのはロック・ゴーゴン。
彼はいつも嬉しそうである。
個性的な面々の彼らだが、その姿にウィルは懐かしいものを感じた。
中央第二騎士団の彼らと別れて数箇月しか経っていないのに・・・再び会えて、とてもありがたいと思う。
「そうか!」
エストリア帝国からの義勇兵が三万人。
これは当初の予想を超える多さであり、帝国のエクセリア国に対する支援の本気度が伺える。
帝国としても、もしここでエクセリア国が陥落してしまえば、次は自分達が戦争の矢面に立たされるのだ。
地理的にも山岳地帯の終端となっているラゼット砦でボルトロール王国を抑えておきたい。
「役者は揃った。明日からはラゼット砦の攻城戦になるだろう」
特別決死隊のリーダーであるアーガス・プロトはそう言う。
ウィルもここで勇気が得られた。
そのラゼット砦には自分の最愛の彼女であるレヴィッタが捕らえられていると思われているのだから・・・
「助けに行くぞ!」
ウィルの想いは強くなっていく。
一方、その頃、ラゼット砦の地下に幽閉されているレヴィッタはと言うと・・・
「ほ~ら、ほら、ほら」
チュウ、チュウ
レヴィッタは牢屋に迷いこんできた鼠と戯れていた。
洋服の解れた糸を千切り、その先端にパン屑を結び付けて、鼠の注意を引く遊びをしている。
鼠が餌のパンにありつこうとしてパッと飛びかかる。
「させるか! 甘いよ、チュウちゃん」
鼠が餌に迫るギリギリ限界で糸を引くレヴィッタ。
それにより餌が横へと素早く動き、鼠に取られるのを阻止した。
そんな遊びをしているレヴィッタだが、こんな遊びの姿を見ていた同房人の三人は呆れるばかり。
特に女性二人からは冷たい視線と遠慮無い言葉が飛んできた。
「レヴィッタさん。鼠相手にどんな遊びをしているんですか。汚らわしい!」
「そうですよ、先輩。こんなところに住んでいる鼠。どんな病気を持つか・・・」
アリスとリーザの言葉であるが、当のレヴィッタはそんな忠言など気にしない。
「だって、暇やもーん。遊び相手が欲しいやん」
遠慮ないユレイニ弁を全開で返してくるレヴィッタ。
これは彼女がある意味でリラックスしている証拠である。
レヴィッタがこうなるには確かな状況変化が起こっていた。
それは『待遇改善』である。
一週間ほど前にギース達から強姦未遂を受けた彼女達であったが、それを止めたのが勇者リズウィ。
「総司令に忠言しておく」的な言葉を残して去った勇者であったが、果たして彼の言うとおりになった。
その後に、ピシッとした軍の制服姿が似合う美人秘書女性が現れて、待遇改善を約束してくれた。
初めは疑わしいと思うレヴィッタ達であったが、その効果は直ぐに現れたのだ。
先ずは、食事が一日一回から三回になったのだ。
しかもその献立は普通に食べられる――いや、貴族として平均的な献立に変わっていた。
温かい食事に飲み物にはワイン、食後の甘味の一品まで付く始末。
ワインは駄目だとリーザが言い、アリスにはアルコールを含まない飲料にして貰ったのは蛇足である。
衣服についても清潔なものが支給されている。
今までのリーザは薄い下着一枚の姿を晒していたが、それも解消された。
時折、厭らしい視線で覗く看守の姿もめっきり来なくなった。
ある日、例の美人秘書女性と看守男性が言い合いになり、その後に鞭でバチバチと叩かれる音が聞こえてから、看守男は静かになったものだ。
恐らく、美人秘書女性が看守男を折檻していたと思われるのだが、直接その様子をリーザ達も確認していないので、状況を想像するしかない。
こうして待遇は改善されて安全が確信できると、レヴィッタの順応は早かった。
緊張が無くなり、彼女の本来の性格どおりの饒舌な態度に戻る。
重要な事やそうではない事を遠慮せずに全く関係なく良く喋るレヴィッタの姿にアリスは面食った。
レヴィッタ・ロイズが本性を曝け出しただけであるが・・・
この中で自分が一番年上であるのも、レヴィッタが調子に乗っている理由のひとつでもある。
ロンとアリスの身の上話を聞き出した時も、「もう付き合っちゃえばええやん。だって、幼馴染が恋仲に発展するなんてユレイニじゃよく聞く話しやからなぁ~」とはレヴィッタの弁である。
それにアリスは「止めてください」と緩い拒否をしたが、当のロンは顔が真っ赤になっていた。
満更じゃない、と思ってしまったのはレヴィッタだけでなく、リーザもである。
「それにしてリーザさんが、本当に大貴族だったなんて驚いています」
まだ鼠相手にふざけているレヴィッタを放り、ここでアリスはリーザに真面目な話をしてくる。
「ええそうね。エクセリア国ではこのまま秘密にしておきたかったのだけど・・・」
もう何度もしているこの会話。
初めはギースの注意を逸らすために彼女が嘘をついていると思ったアリスだが、レヴィッタがリーザの正体を肯定した。
学年は違うが、同じアストロ魔法女学院に在籍していたため、このふたりには面識があったのである。
リーザ――エリザベスは優秀な一年生の生徒として入学当初から有名であったし、レヴィッタは四年生のある種ムードメーカ的な存在であり、女子の間で人気は高かった。
こうして、リーザの正体がアリスにもバレてしまった。
アリスは貴族として上位者を敬う気持ちは強い。
つまり、帝国中枢の貴族令嬢であるリーザを上位者として扱おうしたが、それにはリーザ本人から断られる。
「エクセリア国では自分の事を只の流れ者『リーザ』として扱って欲しい」とはリーザの弁であり、長い問答の末に結局アリスはそれを受け入れる事にした。
それはリーザがケルト家からの柵を忘れたいと願ったからでもある。
ラフレスタの乱以降、敵の意のままに操られていた自分が原因で、家族から痴れ者に触るような扱いを受けている事実。
その家族でさえ、派閥内の競争で煮え湯を飲まされている事をアリスに打ち明ける。
アリスはリーザの境遇を大いに同情し、「希望を捨てないように」と言う。
しかし、これに首を横に振るリーザ。
「希望なんて幻想よ。そんなあやふやな物に期待してはいけないわ・・・」
自らの経験でそう言い切るリーザ。
しかし、ここだけはアリスは譲らなかった。
「それは違いますよ、リーザさん。今の私達だってこうして生きていますし、貞操も守られています」
先日のギースより受けた強姦未遂事件の事を言うアリス。
運良く現れたリズウィによって乱暴されるのを回避できた事である。
「神様はいつも私達を見ています。今もきっとウィル様が私達を救おうと懸命に動いてくれています」
「止めてよ! この前は本当に幸運が重なっただけよ」
そんなことを言うリーザは空になった細長いガラスの瓶を知らず知らずのうちに握りしめていた。
これはリズウィから貰った『サラスリム』と呼ばれる傷薬の入った瓶の空である。
これを傷口に塗ると、たちまちに効果が現れて、次の日にはリーザの顔の傷が完全に癒えていた。
余ったものをロンにも使ってみたが、こちらも効果が現れている。
本来のサラスリムはこれほどのスピードで癒える傷薬ではないのだが、何らかの魔法的な添加物が入っているのだろうとリーザは思っている。
リズウィが「高純度の最高級品」と言っていたのも嘘ではないだろう。
しかし、ここで自分の思考が少し別の方に脱線していたのに気付いた。
リーザは少しだけ慌てて、思わず持ってしまったガラス瓶を脇へ置き、思考を元に戻す。
「この前は本当に幸運だった・・・だけど、今までの私には幸運など来なかった・・・希望なんて、そんなものを信じては駄目。運命は自分の手で切り開かないと」
希望をただ信じるのではなく、自らの力で進もうとするリーザ。
それはある側面で正しい考え方なのを認めるアリスであったが、それでも反論したい。
アリスが何かを言い返そうとしたところで、レヴィッタが奇声を挙げた。
「わわっ! あっちゃーーーっ 餌、取られちゃったよー ネズちゃん、やるなぁー」
レヴィッタの方を見てみると、糸の先端に結んだパン屑を鼠に取られており、悔しそうにしていた。
その余りにもバカバカしい姿に、アリスとリーザの毒気が抜かれた。
ロンも肩をヒクヒクさせて笑いを堪えているようだ。
「まったく・・・レヴィッタ先輩は」
呆れるリーザとアリス。
それにはレヴィッタが反論した。
「アリスさーーん。それにエリたん。そんなに呆れんといてよー。くっそーー、パン取られたよーっ」
悔しがるレヴィッタにリーザは別の意味で止めてくれと言う。
「レヴィッタ先輩が何をしようと私は止めませんが、それでも私の事を『エリたん』と呼ぶのだけは止めて欲しいです」
「何を言うんやぁ! 『エリたん』は『エリたん』や。私が折角つけてあげた渾名なのにぃーー」
レヴィッタはエリザベスがアストロに入学当時に、レヴィッタが付けた渾名を思い出して、彼女の事をそう呼ぼうとする。
しかし、それは当時、全然流行らなかったが・・・
後輩達の低反応に「笑いのセンスが違う」と悔しさを滲ませるレヴィッタ。
それでも気を取り直して、レヴィッタは鼠との第二戦とばかりに、食べ残したパン辺を再び糸に結び付けた。
そんなレヴィッタの姿を見て、アリスはこう評する。
「レヴィッタさんは『希望』とか『運命』とかに捉われない生き方をしていますね・・・」
一応、小声でリーザにしか聞こえないよう話をしている。
それを聞くリーザも、アリスのこの意見には同意だ。
「そうですわね。あの人は何処か何が特別ですわ。一応、臆病で危険からは逃げ回る能力は高い女性のようにも見えますけど、それでも一度、自分が安全だと解るとその順応は早い」
「・・・ハッ! もしかして、それがレヴィッタさんの強み。ウィル様の好いた理由?!」
『ウィル』と言う単語にレヴィッタの耳だけが反応する。
「レヴィッタさんの緊張感が無く、人をいつでも笑いに変えてしまうような性格にウィルさんが惹かれたのでは?」
「そんなぁ~。私、いつも真面目やでぇ」
レヴィッタからはそんな抗議の声を出すが、それは見事に無視された。
ちなみに、この瞬間も、鼠に餌を取られていたが、レヴィッタがそれに気付くのは後になってからである。
「ありえますわね。私はウィル・ブレッタ様とは面識がありませんが、それでも話を聞くとアクト様よりも真面目な方。レヴィッタ先輩のひょうきんな性格に癒されたのかも知れません」
「エリたんまでそんな事を。ムキーーーッ」
「何を言っているのですか、先輩。私は褒めているのですよ」
「そうですよ、レヴィッタさん・・・ くっそう、笑いかぁ~。私にはそのセンスが・・・」
悔しそうにするアリスに、その姿を笑うロン。
そんな囚人達の井戸端会議に邪魔が入った。
カチャッ!
鍵の外れる音と共に鉄のドアが開けられた。
入って来たのは美人秘書女性のほかに六名の女性兵士。
そして、その代表格である美人秘書女性が口を開く。
「歓談中、申し訳ないけど、改めて自己紹介をさせてもらいます。私は情報部のカロリーナ・メイリール。そして、彼女達は部下達です」
全員が腰に鞭を装備し、只ならぬ雰囲気を出していた。
レヴィッタを初めとした虜囚達に一瞬緊張が走る。
それを察したカロリーナは慈愛の籠った優しい笑みを浮かべた。
「それほど緊張しなくてもいいわ。アナタ達には少しだけ協力をして貰いたいだけだから」
「協力?」
この房の囚人リーダーとして自覚しているアリスが代表して応える。
「そう。簡単なことよ。これまでの我々ボルトロール軍は虜囚に対して余り良い待遇をしてこなかったの。だけど、今回からそれを改めようと考えていてね・・・」
「・・・」
「だから待遇改善の前後の映像をこの魔道具に記録させて貰いたい訳ね」
カロリーナが視線で示した先には部下に持たせる水晶玉がひとつあった。
そが記録の魔道具であるのを直ぐに理解するアリス達。
「待遇改善前と改善後を比較映像として記録するのに協力して欲しいだけよ。酷い事をするかも知れないけど、それはすべて演技。痛みも無いわ。魔法で誤魔化してあげるからね」
「そんな協力、私達がする訳・・・」
とても協力できないとアリスが答えようとするが、ここでカロリーナの目から笑みが消えた。
「協力して貰えないなら。それは仕方が無いわね・・・待遇は前の状態へ戻す。もうそろそろ季節は寒くなってくる時期よねぇ。薄い衣服と不潔な食事では大変な事になるわよねぇ~」
「・・・」
「しかし、協力してくれれば、生活環境は現在より良くしてあげる。清潔な場所で、自由があって、温かいベッドで寝られるわ」
「ハイッ、私やります!」
レヴィッタがいち早く陥落した。
「ち、ちょっと。レヴィッタさん!」
アリスが簡単に降伏してまった事に友軍からは非難が殺到したが、それでもこの先、カロリーナからの飴と鞭作戦が彼女達全員に襲い掛かった。
結局、食後の甘味を二品追加する事で手を打つ虜囚達。
後日、カロリーナの安易な罠に落ちた事を後悔する羽目になるアリス達であったが、カロリーナが人を煽てるのが天才的な女性であったのでこれは仕方のない事だったりする。
「それでは、撮影を始めましょう。うん、良いわねぇ。最高よ、アナタ達。もっともっと声を出して。良い悲鳴だわ。本当にキレイに撮れている。迫真の演技ね。アナタ達ならば女優としてもやっていけるわよ。さあ、次のシーンに・・・」
どこの監督だか解らないカロリーナの上手い言葉に乗せられて、次々とボルトロールの映像撮影に協力させられてしまうアリス、レヴィッタ、リーザ、ロンであった・・・