第十話 御前会議
帝都ザルツの中央部には帝皇一族の居住区がある。
広大なその敷地の内にはエストリア帝国の栄華を象徴する帝皇の居城をはじめとして様々な建造物と広大な庭園があった。
かつてはエストリア帝国の政治の大半がこの敷地内を舞台として行われていたらしいが、現在はその多くがこの帝皇の居住区西側に隣接している『ザルツ中央行政地区』へ委譲されていた。
所謂、『中央政府』と呼ばれる行政組織がそこにあって、そこには多くの高級役人や限定的な政治的判断のできる高位の貴族が詰めており、日夜、エストリア帝国の行政事案を回している。
しかし、帝皇制においては全ての事案に最終には帝皇による判断が必要であり、そんな帝皇は多忙を極めるとともに、時には高度な政治的判断を要求されるものだ。
そんな多忙な帝皇にはその知恵袋として専属の諮問機関が複数存在している。
その諮問機関のひとつ・・・公にできない機関による会議がこの帝皇の私的な居住区内の建物の一室で行われていた。
担当官が光魔法の映像投影を用い説明を行っている最中だが、それを黙って聞く宮廷魔術師長ジルジオ・レイクランドがうつらうつらと舟を漕いでいる。
それを見た帝皇デュラン・ファデリン・エストリアは、無理もない、と思ってしまう。
現在は諸外国の情勢に関する分析結果の報告なのだが、それはいささか面白みの欠ける内容であり、刺激の少ないプレゼンテーションであった。
この若い分析官の技量にもよるがここはひとつ小休止を入れるべきだとも思ってしまう。
「ジルジオよ、眠そうだな」
デュランの一言でジルジオはハッとする。
「あ、申し訳ありません。つい・・・」
「まあ良い。小休止をしよう」
デュランはジルジオを特に責めず、会議の中断を申し出る。
若い担当官には「結論は大体解った」と労い、彼を下らせた。
担当官が恭しく礼をして会議室を出ると同時に複数のメイドが入れ替わり、三人数分のお茶を用意した。
ジルジオはお茶を受け取り、自ら冷却の魔法でそれを冷やすと、一気に飲んだ。
「ふう。目が覚める」
覚醒を自覚して、そう呟くジルジオ。
それを隣に座るかつての上司からお叱りの一言が発せられた。
「まったく、鍛錬が足らんのじゃ。お前は」
「リリアリア様、そう言わんで下さい。あなたの娘さんが全然手加減をしてくれないので・・・」
ジルジオは堪らずにそんな言い訳を吐く。
「ははは、そうだな。連日で夜中の仕事をさせておるからな」
デュランは笑いジルジオを赦した。
「して、どうだ? 例の民主主義というのは? 手応えありそうか?」
「ええそれは。知れば知る程にハル殿の世界にある『民主主義』と呼ばれる思想と、その政治体制は完成度の高い統治システムだと痛感しております」
ジルジオは素直に現在進めている勉強会の所感を述べた。
「ロンドは「これは革新的な法律だ」と早くも感銘を受けている様子でしたね。現在の帝国の法律体系を否定してしまわないか、心配しているほどです」
ジルジオと同じ勉強会に出席している帝都大学法律研究学科長ロンド・トリスティを引き合いに出して、そう評した。
このロンドという人物は法律家として権威のある人物だが、保守派としても有名な人である。
そんなロンドでさえ『認める』というは早くもこの『民主主義』という思想が魅力的なのシステムなのだろう。
「なるほどな。もし、ロンドがやりたいというのであれば、この先に建国する『エクセリア』で働かせてやっても良いぞ」
「デュラン様、そんなことを御認めになれば、このエストリア帝国から出奔する人が増えますよ。あのロンドもそれなりに人望があります故に・・・」
多少呆れ気味にジルジオはそんな指摘をする。
勿論、これはデュランの冗談であり、本当にロンドからそんな要望があったのであれば、それ相応の対応をしなくてはならないが、実際にはそんなことはならないとデュランは考えている。
「まあ、そうなるにも、まずは『エクセリア』を建国せねば、何も始まるまいがな。ハハハ」
「まったくデュラン様は・・・それに例のエクセリア建国の件は方々から様々な苦情が来ております。『どうしてそんな事をお認めるのか?』とか、『ラフレスタ貴族の残党の分際に過分な権力を与えるな』とか、面倒くさくて本当に大変なのですから」
「ハハハ、そうだろうな。他の連中から見れば『不公平』と言いたくなるのも解る。だが、そんな愚痴の封じ込めはジルジオの方で頼むぞ」
デュランはそう言って宮廷魔術師長に面倒臭い政治的な調整を全て丸投げした。
本来、こういった仕事は事務方である宰相の領分なのだが、この宮廷魔術師長にはそう言った政治的な仕事を熟す能力が非常に高かったりする。
デュランはそんなジルジオの力量をかっており、難しい案件ほどジルジオに依頼する傾向にある。
「今回、特にこのタイミングで、ここに『エクセリア』という国を建国する事。それが重要なのだ。ボルトロールの事を考えるとな・・・リリアリアもそう思うであろう?」
「確かに・・・」
リリアリアも不承不承で頷くしかなかった。
「拡大を広げるボルトロール王国・・・彼奴らはいずれこのエストリア帝国にも挑んでくる。今回のラフレスタやクリステの件だってそうだったからな」
デュランの指摘は確かだった。
あまり公になっていないが、今回のラフレスタとクリステの乱を分析した報告書の中にはいずれもボルトロール王国からの関与が疑われる事が書いてあった。
「彼の国は王を除く貴族制を廃止しておりますじゃ。すべての国民を一度ゼロから再構成して、功績のあった者に恩賞を与える形で体制を造って国家運営しておるようですじゃ。戦争の功績を求めて様々な者が暗躍しているとも聞きます。今回も間諜組織の『獅子の尾傭兵団』を操る機関がボルトロール王国内にあるようですじゃ」
「ふむ。例の『研究所』とか『イドアルカ』と呼ばれる組織であろう? それは其方の娘が引き出してくれた情報なのだからな」
「デュラン陛下、それはまだまだ未確認の情報ですじゃ。憶測の域を出ないですし、もう少し調査してみんと解らん」
「まぁ、そうだろうな」
デュランはそう言うものの、ハルが白魔女になった状況で相手から搾取できた情報はかなりの精度であると予感していた。
今回の事件、規模は大きいものの、それを主導した人間の数はそれほど多くない。
信じがたい事だが、獅子の尾傭兵団の幹部数名が主犯であり、それ以外はほぼ操られた人間だったのだ。
尤も、彼らの支配が進んでいたクリステには大量にボルトロールから派遣された人間が混ざっていたらしいが・・・
「例のクリステの乱で虜囚した者はその後どうなっている?」
デュランの問いにリリアリアが答えた。
「拘束して尋問を行っておりますのじゃが、中々に口を割らんのう。ボルトロール王国側からは『不当に拘束した我が国の国民を返せ』と抗議が何回も来ておりますじゃ。盗人猛々しいとはこの事じゃ」
「なるほどな。しかし、彼らとてそれさえも戦略のひとつ。準備が整えば・・・」
「次は戦争じゃろうな」
リリアリアはデュランからの予想引き継ぎ、そんな不穏な発言をする。
彼女が自信を持ってそう言えるのは、これまでリリアリアがボルトロール王国の事を徹底的に調査しているからだ。
彼女が帝皇デュランに呼び戻されたのもそれが大きな理由であった。
「ボルトロール王国は、現在、南方国家との戦に注力しておりますじゃ。しかし、これも時間の問題。そこの戦争が終われば、次は・・・」
「そう。彼らの牙は我らエストリア帝国、もしくは、神聖ノマージュ公国のどちらかであろうな・・・まったく、人間の欲を利用して国民を統制するなど忌々しい限りだ」
デュランはボルトロール王国の国王セロⅢ世の姿を想像して、忌々しい奴だと思った。
「来るならば受けて立つが・・・それは今ではない。少なくとも儂の代では平和なうちに終わらせたいものだ」
デュランがそう言うのも無理はない。
彼の齢は今年もう五十八歳を迎える。
本来ならば、もうそろそろ代替わりを考える年齢であり、実際、彼の息子達に権力移譲が進んでいる最中なのだ。
そんな時期に世の中が混乱してしまう戦争など、デュランはやりたくなかった。
「それだから、エクセリア国を立ち上げるのですね」
ジルジオは冷たくそう言う。
「そうだ・・・しかし、無碍にはせんよ。エクセリアを立ち上げた直後、エクセリアがボルトロールと戦争になってしまう可能性もあるが、彼の国はエストリアとしての代理戦争となる。我らに協力は惜しまん。戦場が帝国とは違う国になるだけ。ただ、それだけじゃ」
デュランは本音をそう漏らした。
非公式であるが、デュランの本当の思いが彼の口より出たのはこのときが初めてとなる。
ジルジオもリリアリアも、だからか、と、ある意味これで納得した。
それは非公式であるが、次のような情報をデュランが意図的に各方面へ漏らしていたからだ。
・クリステ一帯の領地を独立させて、新たにエクセリア国として建国する
・民主主義を国法に掲げて、人民の自由を約束する国家となる
・帝国からエクセリアに転籍を希望する人間は、犯罪例がある/なしに関わらず、特に止める事はしない
そんな噂を聞きつけて、自由を求めて、反帝国的な組織がエクセリアに移る事が方々で計画されているらしい。
この情報を掴んだジルジオとリリアリアはデュランの意図がなんとなく読めてきたのだ。
「帝皇陛下は今回のこれを利用して、一石二鳥、いや、三鳥、四鳥になる事をお考えのようですね」
「ふふ。先程の発言は儂の独り言だがジルジオも独り言よな?」
不敵に笑う帝皇の姿に参ったと思うジルジオ。
これで、デュランの考えたシナリオが黒であると解った瞬間であった。
ボルトロール王国との主戦場になる可能性のある土地に、反帝国の勢力を集める事で、互いに弱体化を図る。
これによって帝国内部からも反帝国勢力を減らす事ができるのだ。
主戦場がエクセリア国となるため、エストリア帝国の戦後の損耗は最小限抑える事ができる。
代わりにクリステ一帯を手放す事になるが、それでもプラスかマイナスかと言えば、プラスの方が大きいとジルジオは思わざるを得ない。
やはり、このデュランなる人物は帝皇の器足る人物であるとジルジオは再認識する。
そんなデュランは、こうも独り言を続ける。
「しかし、な、エクセリア国の新たな指導者はラフレスタとクリステを見事に解放へと導いた幸運な英雄が治める国となるのだぞ。そうなれば、万が一、戦にも勝つ可能性がある・・・そうしたのならば、彼らを認めてやろうではないか」
少しだけ嬉しそうにそんな事を言ってしまうデュランはまるで彼らが成功するのを願っているようにも見えた。