第九話 疑われた後方支援
「・・・とりあえず、その後、敵の夜襲は例のアストロの彼女のお陰で持ちこたえた。最悪の壊滅を避ける事はできた」
「なるほど、それは不幸中の幸いです。そちらの状況はだいだい解りました。急いで増援部隊と追加物資を送りましょう」
「ああ、頼むぞ、ライオネル殿。それではな」
こうして、ロードとエクリセンとの緊急魔法通信が切られた。
それと同時に通信魔道具の横にいる魔術師が、がくりと膝をつく。
急激な魔力消費で魔力切れの症状を起こしていた。
顔面蒼白となり、痙攣が始まっている。
通信があと数分長引けば、この魔術師は気絶していただろう。
それでも彼はエクセリア国の宮廷魔術師に所属しており、相当な実力を持つ。
こうなってしまった理由は旧式の魔道具を強引に使用した事による代償だ。
彼にこんな苦労を強いる結果となり、国王は礼を述べる。
「申し訳ないですね。緊急でしたので」
「い、いいえ・・・」
国王からの労い言葉に応えた彼は、今回が緊急事態だったので仕方ないと思う。
そんな疲弊した魔術師は同僚に抱えられて医務室へ消えて行った。
そして、この応接室に残されたのは国王ライオネルと王妃エレイナ、そして、この国の重鎮ばかり。
ここで国王は皆に意見を求める。
「今のサルマン君からの報告にあったように、最前線で大きな被害が出てしまいました。この先の事について協議したいです」
国王の問いに真っ先に答えたのはスパッシュ・ラッドリア。
彼は元クリステの高級文官であり、現在はエクセリア国の民主主義の国法を定めるのに奔走している人物でもある。
このスパッシュは頭脳明晰もあり、ライオネル国王の有能な知恵袋として期待される人物だ。
「憂いでいる点としては、これまで沈黙していた敵の戦略級魔法が発動したこと。そして、毒物による影響ですね」
「そう。特に兵糧に毒物が混ざった事は拙いです。これは早く対処したいですね。死者こそ出なかったものの、士気が低下して大きな影響が出てしまいますから」
「この毒でロッテル司令や英雄ウィルさんも被害を受けたようですね・・・解りました。これは私の方で対処しましょう」
それだけを簡潔に応えたスパッシュは席を立つ。
即応力のある彼らしい行動だ。
「スパッシュさん、よろしく頼みましたよ」
ライオネルはそう述べて、毒物の件はスパッシュにすべて任せる事にした。
国王より命を受けたスパッシュがまず向かったのは、兵糧などの運搬を担う役所のいち部署である。
その部署に行き、担当者へ訳を言って記録を確認する。
ここで理由などをいちいち説明せずとも、スパッシュの権限で検閲命令すれば楽なのだが、相手側にいちいち協力を求めるのがスパッシュらしいやり方である。
このときの相手の反応を見る事で、当初の目的以上の情報が得られる場合もあるからだ。
それが彼による調査の常とう手段でもある。
そして、今回は兵糧に毒物を混ぜるという大事件。
味方の裏切りやスパイの介入も疑っていた。
しかし、この部署の人間の対応と資料を見る限り、疑わしい部分は見られない。
次に、記録を詳細に確認してみる。
今回の最前線の現場では夕食のパンに毒物が混ぜられており、それを食べた者が身体に異常をきたす結果となっていた。
比較的軽い毒であり、また、症状もすぐに出た為、全員に被害が及ぶ前に毒物の混入が解ったのは不幸中の幸いである。
「問題はこの兵糧か・・・」
毒物が混ぜられたと思わしきパンの記録を確認してみると、そこには奇妙な共通点があった。
「ここと、これと、これ・・・全てが魔術師協会に委託したものだ」
戦争になると、平時では必要のない新たな仕事が数多く発生する。
前戦に物資を補充する後方支援も、その最たるひとつだ。
膨大な事務処理の一部を外部に委託するもの当たり前であり、その請け先のひとつが魔術師協会。
魔術師協会はエストリア帝国で横断的な民間組織であったが、この国がエクセリアとして独立した際、ここの魔術師協会もエクセリア国の独立した組織として分離独立していた。
それでも事務処理能力が高い人間が集まっているため、国家の準公的組織として機能している。
今回も国家組織で賄いきれない業務を委託しており、細かく煩雑な業務ほど魔術師協会に任せているので、そちらの方が忙しい現状でもあったりする。
スパッシュは魔術師協会が今回の毒物事件に関与しているのかと考えてみた。
「偶然なのか? それとも・・・」
スパッシュはより慎重にその事実を確認してみる。
役人に更に詳しい資料を探させて、そして、出荷待ち状態の兵糧のうち、疑わしき物をすべて調べた。
そうすると・・・
「スパッシュ様、大変です。この兵糧にも毒が混ざっています」
そんな役人の報告を得て、スパッシュの中でバラバラだった情報がひとつにつながる。
こうして、ひとつの結論へ到達した。
「すべての毒物混入に共通の人物が関与している。その人物は物資の変更までしていた」
偽装と思わしきその行為は彼の中で完全に『黒』であった。
「警備隊を呼べ! どうやら魔術師協会にスパイが入り込んでいるようだ」
この時のスパッシュの声には怒りが混ざっていた。
「はぁ~、まだ終わらない」
レヴィッタは最近癖になっている溜息を吐きながら、書類の束と格闘している。
各部署からの書類をひとつの表にまとめる単純作業なのだが、それでもその数は毎日膨大。
それを書き写して、チェック、チェック、チェック。
彼女なりの三重チェックでミスは一切なかった。
彼女の元に来る書類も、時々ある間違いはすべてルーニャが訂正してくれたので、完ぺきである。
少なくともレヴィッタは『完ぺき』だと思っていた。
これまでは・・・
「お邪魔しますよ」
ここで、恰幅の良い男性が魔術師協会の事務室へ入ってくる。
その様子が異常だったのは、この男性と共に多く警備隊が入たからだ。
ゾロ、ゾロ、ゾロ
数十人の完全武装の警備隊は素人でも解るほどの威圧を出している。
尋常じゃないこの事態に、職員の仕事は止まった。
「な、何用でしょうか?」
入口付近の女性職員が立ち上がり、突然入ってきた男性に恐る恐る問いかける。
そのエクセリア国の高級文官の服を纏う男――スパッシュ・ラッドリアはニコニコとした笑顔でこう答える。
「皆さんはお仕事を続けて下さい。私の用事は直ぐに済ませますから・・・おおいた。そこの女性だ」
スパッシュは部屋の隅に座っているレヴィッタ・ロイズを指す。
それに呼応して、警備隊の男達が小走りに進んで、スパッシュの示した女性を取り囲んだ。
これにレヴィッタは焦る。
彼女は本能的に逃げようとしたが、それをスパッシュは赦さない。
彼は彼女の目の前に立ち塞がり、そして、こう述べる。
「レヴィッタ・ロイズ。アナタを国家反逆罪の疑いで逮捕します」
「ええっ!」
レヴィッタは驚いて、反射的に逃げようとしたが、退路はすべて警備隊によって絶たれている。
彼女を取り囲むのは完全武装の屈強な警備隊員・・・そして、もう逃げ道は無い。
「ど、どうして? 訳が解らない」
レヴィッタは本気でそう言う。
美人が本気で恐れる姿は同情を誘うものがある。
しかし、ここで同情するスパッシュや警備隊ではない。
「そんなフリをしても我々には通じませんよ。よくも我々を騙してくれましたね!」
そう言い、スパッシュが差し出したのは過去に物資を送った配送記録。
その所々に『毒』と書き加えられており、その送り元の欄に『レヴィッタ・ロイズ』と記載された名前に赤い丸が示されている。
「これは?」
「これを見せてもまた知らぬフリを続けますか!」
「わ、解りません。私がどうして・・・」
「煩いです! これはアナタの作った配送記録です。毒入り兵糧のね」
「えっ? 毒? どうして??」
まだキョトンとしているレヴィッタを観て、スパッシュは「この女は本当に演技が上手い」と思う。
「まだ認めないのであらば、言ってやりましょう。貴様が意図的に変更した訳の分からぬ配送元からの兵糧。これにはすべて毒が混ざってしまいた。その兵糧がロードに配送されてしまい、大被害が出たのです」
「ええーーっ!」
「そうやって知らぬ態度を続けているようですが、我々には通じんぞっ!」
それまで人の良さような笑顔を作っていたスパッシュだったが、ここで怒りの表情へ変貌し、大きな声で怒鳴る。
その言葉が起因となり、事の成り行きを注目していた周りの職員もハッとする。
スパッシュが示さんとする怒りが彼らにも伝染した。
「どういう事だ。前戦の軍隊に毒入りの食糧を送っただと!?」
「まさか、あの娘。スパイ!?」
「そうに違いないわ。だって、あの使えない娘、今まで私達の邪魔ばっかりしていたのよ!」
レヴィッタに集まる視線が一気に厳しくなる。
これにレヴィッタは・・・
「違う! 私は何もやっていないわ。何も知らないの!」
必死に我が身の潔白を訴えるが、周りの視線は厳しくなるばかり。
スパッシュも彼女が犯人だと指摘する。
「煩い! この毒に関わる物資には必ずアナタの名前があるのです。これをどう説明してくれますか?」
「そ、それは・・・」
咄嗟に言い訳を考えるレヴィッタ。
突然にそのような容疑を掛けられても、彼女とて一日に膨大な物資を処理しているのだ。
ひとつひとつ覚えている訳では無い。
彼女が言い及んでいると、スパッシュは勝ち誇ったようにこう付け加えた。
「それに残念でしたな。この毒での死者はゼロ。身体を壊した者はいますが、殺せるまでは至っていない」
「そ、それじゃ? ウィルさんは?」
「ふふ、死んではおらぬ」
さぞ残念がるだろうと思いスパッシュはそう言ってやったが、対するレヴィッタの反応は「そう。よかった」と言い、少し緊張が解けた様子。
その予想外の反応にスパッシュは「あれ?」と思いつつも、彼は心を鬼にした。
「ふん。女は嘘が上手いと言いますから・・・アナタの言い分は警備隊の詰所で聞いてやりましょう。さあ、レヴィッタ・ロイズを逮捕しろ」
スパッシュはそう言い、彼女の拘束を命じた。
その命令に従い、警備隊が縄で彼女の両手首を縛ろうとしたとき・・・邪魔する声が響いた。
「待ちなさい。スパッシュ!」
その声の主はアリス。
彼女は事務所の入口に仁王立ちしていた。
決して大きな声では無かったが、良く通るその声はスパッシュや警備隊の動きを止めるのに十分な役目を果たす。
「アリスお嬢様!」
スパッシュはかつての名家であるアリス・マイヤーを良く知るひとり。
今回のレヴィッタ・ロイズの拘束には、アリスが否定的である事も、ここで解ってしまう。
「何をと言われましても・・・我が国に入り込んだスパイを拘束します」
スパッシュは態度からして、自分は何も悪い事をしていない認識。
しかし、アリスはその事に怒った。
「それは、兵糧に毒が混ぜられていた事件ですか?」
「そうです」
「配送リストを見て、その全て魔術師協会が関わっていたから?」
「ええ」
「そして、その担当者がレヴィッタ・ロイズさんだったから?」
「左様です。そこまで解っていて・・・」
「莫迦なこと言わないでっ!!」
「へっ?」
声を荒げるアリスに、驚くスパッシュ。
スパッシュはアリスが怒る姿を初めて見た。
「レヴィッタさんが態々に毒を混ぜる真似なんてしないわっ!」
「しかし、このリストから照合すると・・・」
「煩いわ! そのリスト記名欄は最終処理した者が記名する事になっているのよ。複数のリストには毒のある兵糧もあれば、毒がない兵糧もある。だから、スパッシュの理屈で言えば、毒を混ぜたのはレヴィッタさん、毒を混ぜなかったのもレヴィッタさん・・・この魔術師協会で請けた全ての兵糧配送をレヴィッタさんひとりの責任になってしまうじゃない。そんなの絶対にオカシイ!!」
そんなアリスの指摘にスパッシュは驚いた。
何故なら兵糧配送の書類すべてをひとりが担当している事など、国の役人の中では考えられない仕事のやり方である。
そうすると、犯人の絞り込みはこのやり方で確定できない。
「し、しかし、書類の記名がそんなルールに基づいているなど、私は聞いてないですが・・・」
段々と声が小さくなっていくスパッシュ。
彼の知るこの手の書類の書き方からすると、配送リストの担当者欄に書く名前とは、その配送を決めた責任者を示すものであったが、事実はそうではないらしい。
いつからルールが変わったのだと問い詰めたくなる。
「ルールなんて臨機応変で変えます。我々はこの人数であれだけの仕事を熟しているのですよ。変な官僚ルールを持ち込まないで頂けるかしら!」
そう言い吐いて捨てるアリス。
この意見に「よく言ってくれた」と思う人間と、「そんな自由に仕事されては」と思う人間は半々である。
レヴィッタもどちらかと言えば後者なのだが、それでもここで自分の汚名を晴らすには前者の意見を立てなくてはならない・・・
複雑な心境である。
「だから、これではレヴィッタさんだけが犯人だと特定できないわ。それに彼女はウィル様の恋人なのです。どうしてレヴィッタさんがウィル様を傷付けるような真似できるのですか!」
「・・・」
「レヴィッタさんも、黙ってないで!」
「あ、はひっ。私、絶対こんな事をしません!」
呆けていたレヴィッタだが、アリスから促されてそんな否定の意見を告げる。
ちょっと言葉が変だったが、アリスは意図的にそれを無視した。
「ほら、彼女もそう言っています」
「いや、しかし・・・」
「スパッシュさん! こんな時ぐらい、他人を信じられなくてどうするのですか! レヴィッタさんはあのウィル様が愛する女性なのですよ!!」
大声でそんな主張をするアリス。
それは全員の心に響く。
これは彼女のウィルに対する大きな信頼。
見方によってそれは一途で、盲目で、無碍な主張であるが・・・
それでもこの時のアリスの主張に邪悪なものは混ざっておらず、ここで全員を納得させる何かがあった。
そして、それを発したアリスの顔は真っ赤で今にも泣きだしそう・・・
何かに耐えている。
それが何なのか・・・レヴィッタは解ったような気がした。
(アリスさんはウィルさんを信じている。愛している。しかし、ウィルさんが愛すると明言しているのは私・・・それをアリスさんも解っていて・・・)
「アリスさん、アナタって・・・」
「嫌っ! レヴィッタさん・・・それ以上言わないで!」
ここで互いに何かを言う事はなかったが、それでもアリスはレヴィッタの口から出されようとしていた言葉を察して止めた。
「・・・」
「・・・」
しばらく沈黙が続く。
そして、少し冷静になったアリスがここでスパッシュに告げた。
「レヴィッタさんがスパイでないことは私が責任持ちます。もし、そうだった場合、私が毒を飲んで自害します」
「な、何もそこまで・・・」
「ですが、スパイは必ず捕まえます!」
スパッシュの言葉を無視して、アリスはここの魔術師協会の職員をぐるっと見渡した。
そのアリスからの厳しい視線を逸らす者が数名。
その顔をアリスは密かに記憶にした。
(今は証拠が無いからね・・・)
そして、アリスが後世において有能であると評価された点は、次に成すべきことを理解していて、この時点で既にそれを終えていたからである。
「そして、これが追加の兵糧のリストです。信頼できる商会から手配済みです」
そう言い、レヴィッタにその資料を手渡した。
レヴィッタが確認してみると、完ぺきな配送リストがそこにまとまっていた。
「凄い。これならもうあとは配送するだけ」
「そうです。これを私自らロードに持っていきます。魔術師協会に塗られた泥を払しょくする必要がありますから」
それを聞き、レヴィッタは素晴らしいと思う。
同じ貴族で自分より三歳年下のアリスが、ここで、ずっと、ずっと、自分よりも年上に見えてしまう。
彼女が信頼できると思ってしまう。
レヴィッタのそんな感心と信頼の視線はアリスにすぐ看破されてしまう。
「レヴィッタさん、何を感心しているのですか! アナタも行くのですよ」
「へっ?」
「へ、じゃありません。アナタには自覚が無いかも知れませんが、アナタのサインした毒入り兵糧が前戦でウィル様の口に入り、迷惑を掛けているのです。直接赴いて謝罪するのが礼儀ではありませんかっ!」
「それはそう・・・んん? 無茶ですよ! 私は非戦闘の魔術師で・・・」
「言い訳は認めません! さあ、早く準備してください。夜中にすべての兵糧を集めて、明日の朝には出発しますからね!」
有無を言わせないアリスの言動。
そんなレヴィッタは先程まで自分に犯人の容疑が掛かっていた危機など忘れて、現状を嘆いてしまう。
「熱い、この人、熱すぎるわぁー! 絶対アカン人やでぇ~」
思わず出た泣き言に方言まで出てしまう始末。
エクセリアの魔術師協会では、今まで相当緊張して働いていたので、レヴィッタとは言葉数少なく澄ました美人だとして通してきたが、ここで化けの皮が剥がれてしまった。
レヴィッタの素であるユレイニ地方の独特の訛りと、少しボタンの掛け違えたようなひょうきんな言葉。
それを見た何人かが思わずクスリと笑ってしまう。
美人の崩れる姿は、残念な部分もあるが、その人の素を見る事ができて安心できたりもするのだ。
そんな笑いを浮かべた人の中には、今まで怒っていたスパッシュも含まれていたから不思議だ。
しかし、熱くなったアリスはそのスパッシュにも遠慮しない。
「スパッシュさん、何を笑っているのですか!! 元はと言えば貴殿が早とちりして、警備隊を連れてくるからこんな騒ぎになったのですよ!」
「え・・・いや・・・」
一瞬でタジタジになるスパッシュ。
そこにアリスから斬り込まれた。
「スパッシュさんも、そこの警備隊の方々も同罪です。一緒に現場へ来てもらいますからね」
「ええ!? どうして? 我々は他の仕事もありますし・・・」
「何を言うのですか! アナタ達はレヴィッタさんと魔術師協会を疑っていたのでしょう? ならば、最後まで我々が潔白であるのを見遂げて貰います!」
そんなアリスの宣言により、こうして『特別物資輸送部隊』が強制的に編成されてしまうのであった。