5話 孝志と弘子
──松本孝志、17歳。
現在、彼は青春を謳歌している。
その青春とは、ひたすらに剣の素振りをやるというトレーニングだ。
今まで運動部に所属経験の無かった孝志だったが、この世界へ来てからはアリアンのお陰で、こうして物事に一生懸命取り組む機会を大いに与えられている。
まさに学生らしい充実した時間となっている事だろう。
そして素振りをしながら、孝志はこんな事を考えていた。
『──しんどいだけの練習を繰り返すって……騎士とか運動部の連中は馬鹿なんじゃないの?』……と。
……実に失礼極まりない男だ。
もちろん、こんなことを思うのだから、孝志は自分の意思で素振りを行なっている訳では無い。
アリアンに命じられ、仕方なくやっているに過ぎないのだ。
「……はぁ……はぁ……ゔぇ……吐きそう」
腕の筋肉は既に限界に達している。
それでも孝志は素振りを決して止めようとはしなかった。
その理由はただ一つ。
ひと休みしている現場をアリアンに見られたら殺されてしまうと考えたからだ。
だが当然、サボりでは無く休憩しているだけならアリアンは怒ったりしない。孝志が勘違いしているだけだ。
ただ、この勘違いから生まれる孝志の必死な努力が結果を伴い、成長に繋がっているのだが、そんなこと本人は知る由もなかった。
因みにアリアンが居ない理由は、彼女は彼女でフェイルノートの敗戦を引きずっており、孝志に素振りを命じた後に自身のトレーニングを行って居るから不在なのだ。
彼女の修行内容は孝志と比べられない程にハードで、内容はこの森周辺に存在する魔物の討伐。
この古城周辺には高レベルな魔物が数多く出現するらしく、アリアンの修行には打ってつけの様だ。
──因みに、孝志が古城到着までに魔物と出会わなかったのは、先回りしてテレサが駆除して居たからである。
───────────
孝志が素振りを始めてから既に1時間程経過している。
孝志はアリアンからの言いつけを守り、いまだ無心に剣を振り続けていた。
──すると、訓練場の大きな扉を開け、アッシュが孝志の前に姿を現した。
額に大粒の汗を流しながら剣を振る勇者の姿を観て、感心しながら側まで近付いて行く。
「──はは、やってんな。俺は努力する奴は嫌いじゃねーぞ?やっぱお前って根性すわってんな!」
馴れ馴れしく孝志の背中を叩きながら軽口を叩くアッシュ。
手にしている剣でぶった斬ろうと思ったが、模造剣である事を思い出し辞めた。
「邪魔……はぁ……しないで……くれる……はぁ…はぁ……」
「すげぇはぁはぁ言ってんな!どれ位振ってんだ?」
「それが……なんと……い、1時間……はぁ……うぷっ」
言葉を発した所為で腹に力が入り、吐き気を催す孝志。
だが、そんな孝志を見てアッシュは不思議そうな表情を浮かべて居た。
「おいおい……ほんの1時間程度の素振りでそんなになる訳がねぇだろうが。それは3日間寝ずに修行して居たレベルの疲れ方だぞ?お前そこまで雑魚じゃないだろ流石によぉ」
「………………んだとぉ?こっちがおいおいだよ…………はぁはぁ……」
「まぁ良いや。訓練の邪魔しちゃあ悪いしよぉ……俺は大人しくその辺をぶらぶらする事にするぜ」
そう言うと、アッシュは踵を返して訓練場から立ち去ろうとした。
そんな薄情なアッシュにイラッとした孝志は、急いで呼び止める。
「ちょ、ちょっと待てや!負け越しヤンキー!」
「……んだぁ、そのあだ名はッ!?舐めてんのか!?ああぁぁん!!?」
痛いところを突かれブチ切れたアッシュは、勢いよく振り返った。
──昨日のアッシュの戦績は4戦4敗。
彼の中では孝志との戦いも敗戦扱いなので、一日で4連敗した事になる。
なので、この件には触れて欲しく無かったのだ。
そして孝志はアッシュのそんな思いは百も承知。
なのでアッシュの圧力には一切動じず話を続けた。
「はぁはぁ……見捨て……る……ゲホゲホッ……のか……?仲間の俺を……?」
「……!!??」
『仲間を見捨てる』……この単語に派手な反応を示すアッシュ。
孝志はアリアンが居ないか警戒しながら素振りを辞め、アッシュの側へと近付いて行く。
「どうしたってんだ?俺は仲間は見捨てないぜぇ!」
アッシュは拳を握り締めながら力強く宣言する。
──やっぱりヤンキーは扱い易いな。
何処の世界でも同じだ。やっぱり普段イキってる奴は単純な奴らばっかりだぜ。
……あと、素振りを止めた今の俺……なんて自由なんだ。
そうだよ、この体は指の先から足の爪先まで俺のモノなんだ!誰の言いなりにもならない!
俺は心に深く誓うのだった。
「──で?呼び止めて何のようだ?」
「…………いや……なんか立ち去り方がムカついたから思わず呼び止めたけど、特に用は無かったわ。悪かったな呼び止めて……もう行って良いぞ」
「…………はぁあぁああぁぁんんんッッッ!!!???」
アッシュはブチ切れた。
明らかに馬鹿にされているからだ。
しかも、アッシュにはここで挑発される意味がまるで解らなかった……いや、分かり用が無いのだ。
なんせ相変わらずしょうもない理由だからだ。
『1時間程度の素振りでそんなになる訳がねぇだろうが。それは3日間寝ずに修行して居たレベルの疲れ方だぞ?お前そこまで雑魚じゃないだろ流石によぉ』
軽く流した様に見えたが、アッシュから言われたこの言葉を根に持っているだけに過ぎない。
「あっ!やっぱ用事あったわ」
「んだよぉ!」
「ジュース持って来て」
「パシろうとするんじゃねーよ!!!」
──よし!だいぶ溜飲下がったし、もうちょっと素振り頑張るとするか!
アッシュに八つ当たりして気分が良くなった孝志。
彼は激昂するアッシュを上手いこと宥めながら修行へ戻ろうとするが、そんな失礼極まりない男に天罰が降った。
「おい、孝志」
「ひぃッッ!!?」
急に背後から声を掛けて来たのは、テレサとは違ったジャンルでの孝志キラー……剣聖アリアン。
弟子の様子を観に一旦帰って来たアリアンは、茶目っ気から孝志をビックリさせようと、こっそりと背後へ忍び込んで居た。
アリアンにこれをやられてしまうなんて……孝志にとってコレ以上に恐怖な出来事などない。
しかし、アリアンにはイタズラ心は有っても悪気は微塵も無いのだ。
そんなアリアンは、孝志を観てある事に気がつく。
「剣を振っていない様だが……休憩していたな?」
「い、いえ!!剣を落としただけです!!今すぐ修練に取り掛かります!!」
そう言うと孝志は地面に置いてあった模造剣を掴み取り、素振りを再開するのであった。
アリアンの恐怖心から、模造剣を拾い上げて構えるまでの動きに、一切の淀みはない。
その一連の動きは練成されていて、実にしなやかな動きだった。
そして、大慌てで素振りを再開した孝志を、アリアンは寂しそうに見つめている。
「(……私はただ、休憩していたのか?と聞いただけ何だが…………う~ん……また怖がらせてしまったな)」
実はアリアンもアリアンで、孝志が自身を猛烈に怖がってる事には気が付いている。
なのでどうにか距離を縮めようと、ベッドに潜り込んだり、穂花の話をしたりと立ち回ってはいるのだが、今のところは全て逆効果に終わっている。
なので、自分を怖がっている孝志の萎縮した反応を観る度、アリアンは落ち込んでいたりする。
──────────
「……はぁはぁ……うぐぅ……はぁ……げほっ」
疲れ過ぎて思わず咳き込んだ。
だがそれでも素振りは辞めない……何故ならアリアンさんがすぐ側でこちらの様子を伺って居るからだ。
俺には解る。
素振りを止めたら殺されてしまうと言う事を。
いつもの【なんとなく】は発動していないが、そんなモノが無くても俺にはハッキリと解る。
うん、絶対そう。腕を止めたら殺される。絶対。
「──孝志」
「は、はい!」
「さっきから死にそうな顔をしているな?……もう限界なのか?」
「いえ!まだやれます!」
「話をしている最中は素振りを止めろ!」
「はいッッ!!」
指示に従い、俺は取り憑かれた様に行っていた素振りを止める。
なんか少し怒っているから怖い……もしかして素振ってた感じが気に入らなかったのだろうか?
「とりあえずこれを飲め」
アリアンさんはガラスの瓶を手渡して来た。
中には青色の液体が入っている。体力を回復するポーションだ。
割とふらふらだった俺は、受け取ったポーションを直ぐに飲み干した。
──すると、体力は満タンまで回復し、あれほど乱れていた呼吸も安定する。
外傷を負っている場合は、飲んだ後で回復までに時間が掛かるらしいが、疲労程度は一瞬で治るらしい。
いや、らしいと言うか、アリアンさんの訓練で何度も身を持って効果を体験しているな。
いつか同じ目に合わせてやるから覚悟しろよ、アリアンさんめ!
「…………おまえ……体力が限界だったんだろう?何故正直に言わなかった?」
「え?い、いえ、全然まだまだ余裕でしたよ?」
「嘘だッッ!!!」
「…………ひぇ……」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「本当のところはどうなんだ?」
「……限界でした」
「何故、正直に言わないんだ?……いつも言ってるよな?嘘をつかれるのは嫌いだって」
「……ごめんなさい」
途中でマジの説教をされている事に気付く。
確かにポーションがあること前提だったとはいえ、無理をし過ぎたかも知れない。
アリアンさんの表情を観ても、怒っていると言うより、少し寂しそうにしている。
幾らなんでも怖がり過ぎたかも知れないかな……?
俺は反省する事にした。
その後は10分程の休憩を挟み、修行を再開する。
今度は限界だと思ったら正直に言おう。
~2分後~
「アリアンさん!もう限界です!」
「流石にまだ早すぎるだろーーがッ!!」
「ええぇぇ!!??」
──話が違うじゃねーか。
アリアンさんに騙された俺は、しぶしぶ素振りを続けるのだった。
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──このような孝志とアリアンのやり取りを、訓練場の入り口にある扉の隙間から、一人の女性が覗き見ていた。
その女性は黒の長髪で、見た目こそ若いが年齢は軽く400歳を超えている長寿の女性。
彼女は訓練に勤しむ孝志の姿を、微笑みながら……しかし、目からは大粒の涙を流しながらただジッと眺めていた。
「──ぁぁ……本当に、あの人の若い頃にそっくりだわ。本当に、京子の子供なんだ……私の孫なんだ……ひっぐ……まさか、まさかまさか、本当に孫の顔が観られるなんて……うぅ……こんなに嬉しい事はないわ……うぅ……」
咽び泣き上手く喋れないが、孝志の姿を観て弘子は泣いている。
孝志の事はアレクセイから全部聞いていた。
なので、孝志が自分の孫である事も教えて貰って居たが、自分の目で確認し、孫がこの世界に来たんだと改めて確信した。
そして弘子は、自身が何度夢見たか分からない、家族との出会いに嬉し涙を流していたのだ。
もちろん、孝志と直接面識がある訳では無いが、若かりし頃の旦那によく似ていて、自分自身とも何処と無く似ているところがある。
それも本当に嬉しくて仕方無かった。
──実のところ弘子は、随分前から此処で孝志の様子を伺ってたりする。
何だったら、アリアンが城の外に狩りへ出向いた時に挨拶を交わして居たくらいだ。
もう何時間も此処で孫の顔を眺めている。
『──今すぐ会いたい……力強く抱きしめたい』
そう強く思っては居るが、最初の一歩が中々踏み出せないようだ。
そして、この躊躇には様々な想いが入り混じって居るのだが、やはり弘子にとって一番の気掛かりは、孫に拒絶されたしまった場合のこと。
アレクセイや、先程まで再会を喜び合っていたアルマスは、絶対に大丈夫だと太鼓判を押したが、家族を置いてこの世界へ来てしまった事は事実である。
やはり、何処かで恨まれてしまっている可能性を、弘子はどうしても捨てきれないのだ。
──ここから更に数十分の時間が経過する。
時刻は昼時となり、昼食の時間となった。
いま孝志はアリアンと一緒に荒れた地面の片付けに取り掛かっていた。
非常に話しかけ易いタイミング……それでも弘子は動き出す事が出来無かった──
「──はぁ~……」
そんな彼女の姿を、此処へ到着したばかりのアルマスが、大きく溜息を吐きながら呆れ顔で観ていた。
一向に動く気配の無い弘子を観て、このままではラチが開かないと、アルマスは行動を開始する。
「弘子、行きますよ」
「え?あ、ちょっと──!!」
アルマスは問答無用で弘子の手を引き、孝志が居る訓練場の扉を勢いよく開け放った。
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~孝志視点~
「アイラブユー!!マイエンジェル!!マスター!!愛しのハニー、アルマスが復活しましたよ!」
「……ぬぁん?」
孝志は勢いよく入って来たアルマスを睨み付けた。
テンションが物凄くウザかったようだ。
──アイツなんであんなにハイテンション何だよ。
……てか具合良くなったんだな。
アルマスが元気になった事に孝志は安堵する。
だが、此方へと駆け寄って来る行動に対してはウザいのであしらう事にした。
「──帰れ」
「えぇ~辛辣~…………昨日オデコにう○この絵描いたクセに」
「おっとぉ、ごめんごめん。つい出来心でう○こ描いちゃった……でも、もう描かないよ!許してヒヤシンス」
「良いわよ。でもあのう○この絵、消さずに残しているのよ?孝志が絵を描いてくれたのが嬉しくて……ほら」
アルマスは前髪を掻き上げて、う○こを見せびらかす。
「いや、消せよそのう○こ」
「嫌だっ!一生消さないのっ!このう○こは、マスターが私の為に描いてくれたんだから!」
「おまえ馬鹿じゃねーの?」
孝志は呆れた様に首を振った。
「──孝志、さっきから黙って話を聴いてたが、おまえ、女性のオデコにう○この絵を描いたのか……?」
「え!?どうしてアリアンさんが!?」
予想外の人に口を挟まれ、思わずたじろぐ孝志。
ただ、アリアンがアルマス側に付いた以上、敗北は必然なので、う○この話はこれ以上広げない事にした。
「(──この子たち……さっきから、う○この話しかしてないんだけど……?)」
アルマスの背後に隠れながら会話を聴いていた弘子は、う○この話を散々聴かされ続け、何とも言えない気分になるのであった。
「──あっ!挨拶が遅れましたね、アリアンさん。私はアルマスと申します。訳あって孝志の保護者の役割をしています。いつも孝志がお世話になっています」
アルマスは普段と違い、礼儀正しい挨拶をアリアンへ対して行った。
アルマスはやたらアリアンを高く買っている。
孝志を強制召喚した経緯もそうだが、弘子への仕打ちも含めて王国への不信感は未だ拭えていない。
だがアリアンに対しては、その真面目な人柄と、孝志を救ってくれた恩もあるので凄く好印象の様だ。
因みに、オーティスにも憎まれ口こそ叩いたが、彼も孝志の恩人なので案外信用していたりする。
──アルマスから深々と礼をされたアリアンもまた姿勢を正し、誠実さをもって礼を返す。
「いや此方こそ……というより、貴女はあの時の女性だな……孝志の関係者だと気が付いて居たが……そうか、あの時からずっと孝志を護って居たんだな?」
「はい。心から愛してますから」
「だってさ!良かったな!孝志!」
パンパンと背中をアリアンに叩かれる孝志。
あまりの衝撃に血反吐を吐きそうになったが、グッと堪えて愛想笑いを浮かべる。
「……ははは」
(アルマス!!仲良くなってんじゃないよ!!)
アルマスとアリアンに板挟みにされて苦しむ未来を想像し、孝志は顔を青くした。
「……?後ろの女性は?」
ここでアルマスの背後に隠れて居た弘子の存在に気付いたアリアンが、アルマスに彼女について尋ねる。
弘子は自身が話題に上がった事で一瞬ビクッと震えたが、それでもまだ前へ出る気は無いようだ。
「アリアンさん……ちょっと、離れた所で話がしたいのですが……良いですか?」
「む?……わざわざ離れずとも今ここで…………いや、そうだな、少し向こうで話をするか」
「察しが良くて助かりました……では此方へ」
アルマスはアリアンを連れてこの場を離れた。
去り際、孝志からは見えない様に、弘子へ頑張れの意味を込めたウインクをエールとして送る。
──この場所には孝志と弘子の二人だけが残されるのであった。
次回の前半は、この話の続きです。
宜しくお願いします。