10話 心の病 〜美咲視点〜
──時間は聖王国の使者が訪れる2時間ほど前に遡る。
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~美咲視点~
奥本美咲は運び込まれた医務室で目を覚ましていた。
しかし、あまりの脱力感により、目が覚めてもベッドから起き上がれずボーッと天井を見詰めている。
昨日たっくんの正体が孝志だと気付いた後、美咲はショックで気を失い、結局今朝まで目を覚さなかった。
加えて寝起きの脳が徐々に覚醒すると、孝志にこれまでしてきた仕打ちを鮮明に思い出し、美咲は激しい後悔に苛まれていた。
確かに、一つ一つは大した事ではなかったのかも知れない。
だが、勝手に勘違いして恩人を毛嫌いしていた美咲は顔を合わせると決まって嫌味を言い続けてきた。
孝志は割と外面を気にするので向こうの世界だと言い返さず無視を続けてきたが、その積み重ねには嫌気をさしており、彼は随分前から美咲という人間を見限り心底嫌っている。
トドメとなったのは昨日の恩知らずな態度だが、それが無くても孝志が一番嫌悪感を抱く女性は圧倒的に美咲。
そもそも孝志は向こうでも割と周囲から好かれており、あからさまに彼を嫌う者は男女問わず美咲くらいしか居なかった。だから孝志からすると余計に目立つのだろう。
……美咲も嫌われてる事には気付いていた。
ただ、分かってるからこそ、美咲はひたすら気落ちしているのだ。
「………消えてしまいたい……どうしてあんな勘違いを……」
──合わせる顔がないよ。
どうして雄星をたっくんと勘違いしたのか……いま考えても意味が分からない。明らかに違うじゃん、あんなヤツ。なのに私はどうして?間抜け過ぎるわよ。
「あそこで雄星に出逢わなかったら、こんな事にはならなかったのに……でも──」
その考えは違うか。彼は何度も否定していたんだもの。私が勝手に照れ隠しだと思い続けただけ……昔と変わらない弱い自分は彼をたっくんと信じ続けたんだ。
馬鹿だな私ってば……ほんとあの時に戻りたい。戻ってやり直したいよ……だって……もう……
──美咲は体を震わせる。
もう取り返しのつかない所まで、孝志との関係が悪化してると気が付いているから絶望に震える。
今すぐに孝志の元へ駆け付けて心から謝罪したいと思っている……しかし、行動に移せないのは拒絶されると知っているからだ。目の前でそういう態度を取られるのを美咲は心の底から恐れているのだ。
「……会って今までの事を謝りたい。でも、顔を見せない方が良いのかも──私なんかがたっくんの人生に関わらない方が…………いいよねきっと……うぅ……これからどうしよう……ほんとごべんなさい、たっぐん……」
自らに言い聞かせながら涙を流す美咲。
そんなとき医務室の扉を開け、とある人物が美咲の前に現れた。美咲は涙を拭って顔を上げる。
「目を覚ましたようだな」
「……え?あ、あなたは……ア、アリアン……!」
美咲の目の前に現れたのは──剣聖アリアン・ルクレツィア……なんとあの狂人だったのだ。
美咲が最後に見掛けたのは雄星がボコボコにされた時だ。あの狂気を目の前で見せ付けられたので、美咲がアリアンへ抱いてる印象はかなり悪い。
「……な、何をしに来たの…!!」
「敬語も使えないとは……まぁいい。病人に手を出すつもりは無いからな」
礼節に厳しいアリアンだが、この時のアリアンは案外優しかった。いつものアリアンなら暴力を振るっていた事だろう。
「病人?病人って何?」
「うむ……精神的なモノだが……いわゆる鬱病ってところか?魔法医師からも注意観察を言い渡されている……ほれ」
アリアンは一枚の書類を美咲に差し出した。
もちろん日本語で記載され美咲にも読める。
ただ、内容はアリアンの言った通りの事が書かれており、それが美咲には到底受け入れ難いモノであった。
「せ、精神病って何!?そんなの私知らないわよ!?嘘つかないでよ!!」
「うむ。みんなそう言うんだよ。精神的な病は認めたくないらしい。騎士というのは命懸けの職務からな……鬱病は多いぞ?」
「ふざけないで!!もう出て行ってよ!!」
「……そうか」
アリアンは頭を悩ませる。
ラクスール王国の回復技術は素晴らしい。どんな大怪我でも身体の欠損さえ無ければ元通り治せ、病気に至っても強力な呪いでもなければ完治させる事が可能だ。
しかし、精神的な病は別だ。人間の感情面の負荷だけは魔法で治療するのはどうしても難しいのである。
実際に王妃レオノーラも、精神面でおかしくなったのが大まかな死因だった。
美咲の場合はそこまで酷くないが、環境の変化や人間関係のもつれが原因で追い込まれている。
また、アリアンも敬愛するレオノーラの一件で、そういった症状の人物には優しい。だからタメ口で話されても怒らなかったのだ。
「……倒れる前に孝志と何やら話していたと聞いているが?」
「………!……彼は関係ない」
事前に聴いていた情報で探りを入れたつもりだったが、孝志という言葉に反応したのをアリアンは見逃さなかった。
「……よりによって原因は孝志か。やり難いなまったく」
「だから彼は関係ないってば!」
「……そうだったな」
アリアンは美咲の側まで近付いて行き、彼女に向かって手を伸ばした。
「な、なに!?」
手を伸ばされた美咲は、いよいよもって此処で殺されると考えた。また、これに関しては恐らく孝志も同じことを考える筈だ。
美咲は思わず被っていた布団を握り締める。
……だが、実際には想像と違っていた。
アリアンは伸ばした手を美咲の頭の上に乗せると、その手で優しく撫でた。
「……な、なによ」
「いや済まない。我々が無理に君達を呼び出したせいで、奥本美咲を追い詰めてしまったようだな。失念していたよ……皆が孝志や穂花のように強い精神を持ち合わせている訳ではないのにな……」
「ゔぅ……う、うるさい……そんな風に油断させて、ほんとは殺すつもりなんでしょ!」
「そんな事しないさ。私が相手を殺すときは、いつだって正面からだ」
「……こ、怖いんだけど……?」
「私は怖くないぞ?──まぁそれは良い。孝志と何があったか聞かせてくれないか?」
「……だから彼は関係ないって」
「孝志と何があったのかは知らんが、相談すれば解決する事もあるぞ?」
「だから違うって………」
美咲はどうするべきか本気で悩んだ。
悩んだ挙句、自分の咎を誰かに打ち明けたい気持ちが勝り、全てをアリアンに打ち明ける事に決めた。
「………話し聞いてくれる?」
「ああ、もちろんだとも」
美咲の覚悟が決まったところでアリアンは彼女の頭に乗せていた手を離す。
「……も、もう少し、撫でてくれても……良いんだけど……?」
「……はいはい」
アリアンは再び美咲の頭を撫で始めた。
──────────
アリアンは相槌を打ちながら美咲の話に耳を傾ける。
聞けば聞くほど取るに足らない話の内容だったが、それでも貶す事なく最後まで聞いた。
「──なるほど……要はいじめっ子だと勘違いして孝志に酷いことを言っていたと?」
「うん。でもそれだけじゃなくって、私を見捨てたヤツを好きになってたの……もうほんと死にたいよ」
「橘雄星のことか……それは死にたくもなるな」
「そうでしょ?ねぇアリアンどうしたら良いと思う?」
「………まぁそうだな」
──10歳近くも歳が離れているのに、随分と気安いものだ。しかしまぁ深刻そうな表情がだいぶ柔らいで良かった……後は依存され過ぎないように気を付けないとな。
「私ならば詫びとして利き腕を斬り落として差し出す」
「え?そんなの私には出来ないよ……」
「はは、冗談だよ」
──いかん……ついつい本音が出てしまった。
気を付けないと、奥本美咲と私とでは考え方が根本的に違うのだから。
「もうアリアンってば、怖い冗談言わないでよ!……あ、でも橘を攻撃してるときのアリアンなら有り得るかも……」
「アレは仕方ない、ヤツが私の手の甲に口付けしたのだから。勇者でなければ惨殺してるぞ」
「……たっく……孝志くんにはどうなの?アリアンが稽古してるって聴いたけど?お願いだから酷いことしないで?今更こんな心配するなって思うかも知れないけど」
「いや、大丈夫だ。孝志は真面目で人間性もしっかりしてるから誰よりも可愛がってる」
「あ、あまり可愛がり過ぎるのもダメだよ」
「ふふ……今度は嫉妬か?」
「……うん」
だいぶ顔色も良くなって来た……本来ならもう少しケアしたい所なのだが──
アリアンは部屋に取り付けてあった時計を確認する。
気が付くと長い時間話し込んでたらしく、聖王国の使者が訪れるまでの時間があまり残されてなかった。
これからアリアンは使者を出迎える準備をしなくてはならないのだ。
「……すまんが、これから用事がある。ではこれで失礼するぞ奥本美咲」
「あ、待って!後でまた会いに来てくれるんでしょ?」
「……え?……まぁ用事が済んだら会いに来るが…?」
「絶対だからね!!」
「……もちろんだ」
………ん?なんか依存されてないか私?
──────────
アリアンが部屋を出て行き、美咲は病室に一人取り残された。病室なのに人が居ないのは魔族の襲撃で怪我人が多発したのが原因だ。
今のラクスール城は美咲のケアに手が回らない状況に陥っていた。アリアンがケアにやって来たのはその為で、またそういった精神のケアはアリアンの得意分野でもある。
「アリアンは大人しくしろって言ってたけど……たっくんはどうしてるか気になる。少し様子を見に行こうかな?」
話が出来なくても良い。ただ、遠目で良いからたっくんを見たい。今はそれだけで十分だから。
「でも部屋も解らないんだよね……何処に行けば逢えるのかな?」
──美咲は身支度を整え病室を後にする。
行くあてなどないが、昼食の時間なので美咲は取り敢えず食堂へ向かう事にした。
次回は孝志と美咲が会う話です。
日曜日22:00に投稿します。