第8話 ロス・サリヴァン
「私の紹介も済んだし、それじゃみんなの自己紹介でも始めますか」
女性教師のマイア・ロードベルにより再び自己紹介が始まる。
入学式前に出会ったセリカ・アウルシェル。
教室前でナンパしてきたフィン・レギノール。
フィンが再び想いを寄せているリタ・ブルーローズ。
コルヌ平原から来た男、レオン・ヴェントス。
大人しそうな少女、サナ・メンシス。
窓から飛び込んできたユースティア流のジャンヌ・ユースティア。
そして、現在女装中のルル・ラナンクルス。
今、AAクラスにいるのはこの7人だった。
「うん、色々問題が起こりそうなクラスで先生安心したわ。そうでなくっちゃ、私が担当する意味もないしね」
マイア先生が総括する。問題児担当の教師なのだろうか。それとも問題児が好きなのだろうか。どちらにしろ、少し変わった先生なのは確からしい。
「さぁて、自己紹介も終わったし、AAクラスのリーダーと副リーダーを決めたいと思います」
どうやら学園の方針でクラスをまとめる役を決めるらしい。マイア先生は一呼吸おいて、ルルたちを一通り見つめた。
「とはいえ、みんな知り合ったばかりでお互いの事をよく分かっていないと思うので先生が決めます。リーダーはルル・ラナンクルス君、君に決定!」
マイア先生はビシッとチョークをルルのほうにむける。
「ええ! どうしてですか」
流れるように指名されて、ルルは戸惑った。学校生活の経験すらないのにリーダーなど務まるのだろうか。
「パッと見、君が一番問題児だからよ」
しかもとんでもない理由だった。
「入学早々、女子制服着てくるなんて大した変……いえ、問題児っぷりだわ。そういう問題児は、やはりまとめる立場になってどれだけ教師が苦労するかを知っておくべきなのよ!」
「いや、それならジャンヌさんの方が……」
問題児なのでは、と言いかけて口をつぐむ。小一時間の説教は避けたい。
「ふむ、まとめる立場といえば、このユースティア流の私がふさわしいということだな、ルル!」
ジャンヌはルルの言葉を勝手に解釈し、何故か立ち上がる。
「はい、ジャンヌさん、座って。確かにユースティア家もいたわね、う~ん」
事情を察したようで、マイア先生は額に手を当て、悩む。
「じゃあ、こうしましょう。リーダーはルル・ラナンクルス君で、副リーダーはジャンヌ・ユースティアさん、ということで!」
「ええ!」
クラスをまとめるより副リーダーの手綱を握ることの方が難しそうである。
「何事も経験よ、ルル君。さっ、今日のホームルームはこれで終わり。みんな寮生活になると思うから、色々荷物をまとめる必要があるでしょ。ちょっと早いけどこれで解散にしましょうか。AAクラスのカリキュラムについては明日詳しく説明するわ」
いうだけ言うとマイア先生は素早くホームルームを終わらせようとする。
隣に座っていたフィンが横目でお気の毒に、と合掌した。ジャンヌは若干リーダーでなく、副リーダーだったことが不満そうだったが、『よろしく頼む』と、ルルに告げる。
ジャンヌも悪い人ではないので、うまくやっていこうと前向きに考える。
その時、教室の後ろのドアが開いた。
一人の男子生徒が入ってくる。整った顔立ちだが、まるで狼のような鋭い目つきをしている。
「やっと来たわね、最後の問題児」
マイア先生は彼の事情を知っているかのような口ぶりだ。
「フン……」
男子生徒はクラスを一瞥すると、一つ空いていた窓際の後ろの席へ座る。
「なんだ、あいつ」
フィンが顔をしかめる。
「はい、君、自己紹介して」
マイア先生が促すと、男子生徒は席に座ったまま口を開く。
「……ロス・サリヴァン」
ロスは一言いい、そのまま押し黙る。
「おいおい、それだけかよ」
フィンがあまりにも淡白な返事に文句を言う。ロスはフィンを見ると呆れたようにため息をついた。
「はい、みんな仲良くね。ロス・サリヴァン君、やっと来てくれたところ悪いんだけど、ホームルームはこれで終わりよ。みんなとの自己紹介は個別に……ってあら?」
ロスは持ってきたカバンを取り、すぐさま帰ろうとする。教室に来てからまだ一分もたっていない。
「おい、何帰ろうとしてんだよ」
フィンが帰ろうとするロスの道を塞いだ。
どうやらフィンは直情的に行動するタイプなのだとルルは感じた。
「煩い奴だな。ホームルームは終わったんだろ?」
ロスは鬱陶しそうな声を出し、手でフィンを横にどける。
「だから待てって」
ぞんざいなやり取りに腹を立てたのか、肩に手を当て、ロスを制止しようとするフィン。
そんなフィンに対してロスは手をかざし――
「あっ……!」
「むっ……!」
ルルとジャンヌは一瞬で気づく。ロスの手に魔力が宿っていることを。
「邪魔だっつってんだよ」
ロスはフィンの身体を吹っ飛ばした。
普通の人間には軽い裏拳にしか見えなかっただろう。だが、そこには教室の端から端まで大の大人を吹き飛ばす威力がある。
ルルはすぐさま魔闘術を発動した。吹っ飛んでいくフィンの身体の着地点まで跳躍し、勢い良く飛んでくるフィンの身体を抱き止める。そのまま倒れるようにして、床へ衝撃を逃がし、フィンへのダメージを最小限にする。
「がはっ、ごほっ」
フィンは体中の空気を出すように咳き込む。幸い吐血はしておらず、内臓が傷ついたということはなさそうだ。
サナとセリカが少し遅れて悲鳴を上げた。
「フン」
そんなルルたちを入ってきたときのように一瞥すると、ロスは再び去ろうとする。
「待て、ロス・サリヴァン!」
教室に鋭い声が走る。見るとジャンヌがロスを睨んでいた。
「その力は簡単に他人に対してふるっていい力ではない。もしお前がクラスメイトをくだらない理由で傷つけるのならば、ユースティア流としてお前を許さない」
「誰が許そうが許すまいが知ったことか」
ロスは冷めた目でそう告げるとそのまま教室を出ていく。ジャンヌはその背中をじっと睨みつけていた。
「大丈夫ですか、フィンさん!」
「フィン君、ゆっくり呼吸して」
倒れこむフィンにリタとマイア先生が駆け寄る。マイア先生は殴られたフィンの溝内あたりを触り、傷の具合を確かめる。
「内蔵と骨も……異常なさそうね。大丈夫、これならすぐに痛みも引くわ。念のため、冷やしておきましょう」
「ど、どうも……」
フィンは少し苦しげに笑顔を作る。
「ルル君もありがとう。本来なら私が助けるべきだったのだけど、流石、宰相の……いえ、とにかく助かったわ。君も痛いところはない?」
「僕は大丈夫です」
マイア先生はほっとしたようにため息をつくと、
「しかし、まさか初日から問題を起こすとはね。こういう時のための私なんだけど、クビになる日も近いかしら」
何やら小声で呟やいた。
「私は氷を貰ってくるから、フィン君は残って。他のみんなは、各自解散してちょうだい」
マイア先生はそういうと早足で教室を出ていく。
「本当に大丈夫ですか、フィンさん」
リタはフィンを心配そうに覗き込む。
「ありがとう、リタちゃん。びっくりしたが、ルルのお陰で助かったぜ。しかし、何なんだ、あれ。身体が急にぶっ飛んで……」
「魔闘術だな」
じっと成り行きを見ていたレオンが口を開く。その言葉にセリカがルルの方を見た。
「人体に流れる魔力を利用して身体能力を高める技だ。すでに廃れた技術だと聞いていたが、まさか同じクラスに3人も使い手がいるとは思わなかったよ」
「ひょっとしてレオン、君も?」
「ああ、自然の多いコルヌの地ではまだ現役の技術なんだ」
自然な流れで手に魔力を集める。レオンも相当修行を積んでいるとルルは感じた。
一通り、フィンが無事であることを確認するとジャンヌがルルの前に立つ。
「フフフ、まさかレオンも魔闘術を使えるとはな……どうやら稽古相手には困らなそうだな。特にルル、君とは一度本気で手合わせしたい」
ジャンヌが不適にルルを見た。
「いや、僕は大したことないから、稽古ならレオンと……」
「謙遜するな。フィンを助けたときの動き、並みの使い手でないことは一目瞭然だ。何せ、この私が対応し損ねたのだからな」
「そうは言っても僕は修行みたいなことをするつもりはないよ……」
この三年間は普通に学園生活を送りたいのだ。稽古だといっても手合わせしていく内に暗殺技術を見せることになる。できる限り、過去の事は忘れたかった。
「だが魔闘術を使えるだけでなく、私以上の反応速度を持つとなると、手合わせをしないわけには……」
「ジャンヌ、やめなよ。ルルが嫌がってるじゃない。それに今はロス・サリヴァンの事よ。魔闘術なんて危ない技を平気で人に使ってくるなんて……」
セリカが不安げな表情を見せる。当然だろう、何の気なしに人をぶっ飛ばすようなクラスメイトとこれからやっていかなくてはならないのだ。
「確かにロス・サリヴァンは問題だな。もし今度何かあったら、私に言ってくれ。ユースティア流として責任を持って取っちめてやろう」
ジャンヌは顔の前で拳を握った。実際、こういう揉め事ならユースティア流は頼りになる。セリカやサナも少し安心した表情を見せた。
それからしばらくしてマイア先生が帰ってきて、フィンを介抱するとその場は解散となった。
◆ ◆ ◆
ルルたち7人は学生寮へ向かっていた。フォルテナ王立学園の敷地は広いため、AAクラスのある学科棟から20分程度かかる。丁寧に手入れされた両脇の木々を見つめながら、レンガで舗装された遊歩道を歩いていく。
「立派な針葉樹ですね、スプルースでしょうか。モミとは少し違いますし」
リタがあたりの木々を見ながら言った。ルルには分からなかったが、どうやら木の名前らしい。校門前の桜といい、この学園は植物や景観に強い拘りを感じられる。
「リタさんは植物に詳しかったりするの?」
ルルは何気なく訊くと、リタは少し嬉しそうに答える。
「はい。実は私、花屋の娘なんです」
「えっ」
ルルは驚く。上品な立ち振る舞いから見てどこかの令嬢かと思ったのだが、全く違ったようだ。
「似合いませんか? お花屋なんて」
ルルの反応を見て、リタが少し悲しそうに言う。ルルは慌ててフォローした。
「いや、全然そんなことないよ。ただ立ち振る舞いが上品だったから、てっきりどこかのお嬢様かと……」
「ふふ、このような立ち振る舞いの花屋はお嫌いですか?」
リタは優雅にスカートの両端を持つと、それこそどこかの令嬢が挨拶するように、頭を下げた。実に様になっている。そのままダンスでも踊れそうな雰囲気だった。
「リタ、君は本当に……」
「ルル、リタちゃんと何をいちゃついているんだ」
フィンが肺のあたりに氷を抱えながら、割り込んできた。ただ話していただけなのだから、そんなに嫉妬することもないだろうに、とルルは心の中で突っ込む。
「まあ、フィンさん。別に私たちはいちゃつくようなことはしておりませんわ。ただ、ルルさんからダンスのお誘いをして頂いただけです」
「な、なにぃっ!」
フィンの形相が変わった。リタはルルに向かって軽くウインクする。ダンスという単語に心を読まれたのではないかと、ドキッとしたが、どうも偶然のようだ。どうもリタは少々悪戯好きな性格らしい。
その後、リタが『冗談です』という一言を発するまで、フィンは意味のない追及を止めなかった。
「それじゃあ、ここでお別れね」
遊歩道をしばらく歩くと、男子寮と女子寮の分かれ道に到着する。
当然、ここで女の子たちとは別れることとなる。
「ルルさん、その恰好なら女子寮に入ってもばれませんよ」
リタが小声でつぶやく。
「入りません!」
「……そうですか、残念です」
一体彼女が何を期待しているのか、ルルには当分理解できそうになかった。
「あの、ルルさん。そういえば元々の服はどうしたのですか」
ルルの服を見ながら、サナが訊いてくる。
「……そうだ、ありがとう、サナさん。女子更衣室に置いてきたままだったんだ」
後で取りに行こうと思っていたのだが、すっかり忘れてしまっていた。
「みんなは先に行ってて。取ってくるよ」
「ちょっと待った、ルル。女子更衣室でしょ!」
「よし、俺も行くぜ!」
「あなたは黙って安静にしてなさい」
セリカはなぜか付いてこうとするフィンを引き留める。
「しょうがないわね。ルル一人じゃ不安だし、あたしも一緒に行くわ」
「更衣室まで結構遠いけど大丈夫?」
「いいわよ。一人で行かせて、ラッキーな目に合ったら困るでしょ。まあ、あなたならバレないかもしれないけど」
「え?」
意味が分からないならいいわ、とセリカは小さなため息をつく。
その後、フィンたちには先に寮に向かってもらい、セリカとルルは二人で再び遊歩道を戻っていった。