第2話 フォルテナ王立学園
フォルテナ王立学園。王国名がそのまま学園名となっていることから分かるように、フォルテナ王国を代表する最先端の教育機関である。全校生徒8000人、敷地面積は約40ヘクタール。国土の0.1%をしめる大規模な学園で、食堂や講堂、学生寮はもちろん軍隊で使用されるような演習場や訓練施設などが備えられている。寮には簡易的なシャワーも取り付けられており、その気になれば学園を一切出ずに生活することも可能である。今までの人生で学園生活というものに縁がなかったルルでも、この国で最も優れた設備を持つ学園だということは理解できた。
フォスター駅から約30分。黒塗りの魔力車はフォルテナ王国学園の校門に到着した。校門のそばに停車するとミューゼスはルル達がいる後部座席のドアを恭しく開けた。ミューゼスの誘導に従って、車からルルと宰相は降りる。ルルにとって魔力車の搭乗するのは貴重な体験だったので名残惜しそうに降りていたが、学園の方を見るなり興味は別のものへと向いた。
学園の校門前で桃色の花びらが舞っていたのである。
「うわぁ、きれい……」
ルルは一枚の花弁を空中でつかむ。
「やはり桜は良いものだな。他国から取り寄せただけはある。壮観なものだ」
宰相は景色に心を奪われるような口調で話す。
「サクラ、ですか……?」
聞き馴染みのない言葉だった。
「極東の国が名産の広葉樹だよ。春になると美しい花をつける。そのことから向こうでは、『出会い』と『別れ』の二つを意味すると聞いたことがあるな」
桜の木はまるで出迎えをするように、校舎へ向かう道の両端に等間隔で植えられている。ルルは知らなかったが、春の季節が来るとわざわざ遠方から桜を見に来るほど観光地として有名だった。学園なので普段は部外者の立ち入りを禁止しているがこの季節だけ2週間ほど一般観光客向けに解放している。
宰相も徐に手を伸ばすと、花びらの一枚を手の平に乗せた。
そしてまじまじとその一枚を観察する。
「ふむ……よいな」
宰相は何やら思い付いたように一言呟いた。
「そうだ、ミューゼス。私の官邸にも桜を植えてみようか」
「官邸に……? 桜を?」
ミューゼスは『定期的』に来る頭痛の気配を感じ取った。
「椅子の上で退屈している役人たちに良い刺激になる。ひょっとしたら市井の間で噂になり、新しい観光地になるかもしれん」
「……良いお考えでございます。宰相のポケットマネーからご出資なされるのでしたら」
ミューゼスは皮肉めいた口調で言う。彼の執事という事もあり、ここ数か月は出費が大きい事は確認済みである。案の定、宰相は眉間に皴を寄せた。
宰相は思い付いた事を何でもやろうとする傾向がある。しかも冗談のようなことも本気で、である。この任に着いた当初は勝手が分からず、宰相の官邸に有るサボテンの世話をする羽目になった。サボテンを相手にまた愚痴を言うわけにはいかない。
予め釘を打つことがミューゼスの役割であると、彼は理解していた。
「むぅ。流石に外国から取り寄せるとなると、工事費もかかるしなぁ……。経費で落ちないか?」
「落ちません」
「ここの桜を分けてもらおうか」
「駄目です。この桜は現国王グロウリア陛下が開校100年を記念して贈呈された品です。例え宰相といえど簒奪することは出来ません」
「簒奪とは大袈裟な……。ならば挿し木だけでも」
「切り口から腐るので駄目です。冬まで待つのでしたら別ですが。また、桜の手入れに関しては政務に関わりのない事ですので、宰相自らが行ってください。まさか、挿し木の維持に庭師を雇うわけにもいきませんし、私も暇ではありませんので」
「……」
数刻、宰相は押し黙った。
「……なるほど、ミューゼス君は上辺だけ良い考えだと賛成しておいて、中身では反対だったわけだ」
「……観光地にされては政務に支障をきたしますので」
『理解していただき何より』と不敵な笑みを零すミューゼスに『次は植物大全でも読んでから挑むか……』と不満げな宰相。ミューゼスはサボテンに仲間の植物ができない事にほっと胸を下ろした。
「サルワトール宰相閣下」
――不意に横から声が掛けられる。
謎の言い争い(?)に困惑していたルルがそちらに目を向けると、初老の男性が立っていた。
優しそうな面持ちだが、どこか威厳のようなものを感じられる。丁寧に整えられている白髭と年齢とは少し不釣り合いな恰幅の良さからそういう印象を受けるのかもしれない。また、その後ろに女性が一人、控えるようにして立っており、こちらはルルの方を気にしている様子だった。
「おぉ、オウディオ! 久しぶりだな。元気にしていたか?」
宰相が快活そうな声を出す。どうやら旧知の仲らしい。
「ご無沙汰しております、宰相閣下」
初老の男性は嬉しそうに宰相と握手を交わした。
「サルワトールで良いと言っておるだろう。知己に仰がれるのは好まんぞ」
「今は公衆の面前でありますので、ご容赦を」
しかし、ルルの目から見ればあまり謙った印象は受けない。直感ではあるがこの人が学園の長だとルルは推測した。
「別に構わんがなぁ……生徒もそれほど通っているまい」
そう口にして宰相はふと気づくようにしてオウディオという男性に訊く。
「時間が押しているか?」
「はい、些か」
考えてみれば学園の入学式だと言うのに、校門を通る生徒がほとんどいない。入学式が始まるギリギリの時間帯に着いてしまったかもしれない。
サルワトール宰相はこちらに向き直った。
「すまないね、ルル君。思ったよりも時間がないようだ。簡単に自己紹介だけ済ませておこう。……こちらがフォルテナ王立学園学園長、オウディオ・クレメンスだ。学園に対する文句がある場合は彼に言うのが一番手っ取り早いぞ」
「ルル・ラナンクルスです。よろしくお願いします」
「おぉ、君が噂に聞いていた……こちらこそ実りのある学園生活になるよう努めさせて頂くよ」
軽く握手を求められる。どっしりとした皮の厚みが手を返して伝わった。
「そしてこちらのご婦人がミシア・マーブル教頭先生だ。一見怖そうだが、学園一の人格者でこれほど生徒に親身になってくれる人は珍しい。多忙の身ではあるが、相談事があれば折を見て彼女に相談するといいぞ。……マーブル先生、私からもお願いする。どうか良く見てあげてほしい」
「ええ、もちろんですわ。ただ『一見怖そう』は余計ですわね」
マーブル先生は眼鏡をかけた三十歳前後の女性で、その風貌は理知的な人柄を思わせる。
「よろしくお願いしますわ。ラナンクルスさん」
軽い挨拶と、行儀のよい笑顔をルルに向ける。ルルも同じような動作で返した。
「……少々よろしいですか」
タイミングを見計らったようにミューゼスが口を挟んだ。
「ん?どうした、ミューゼス」
「そろそろ入学式が始まる頃合いです。ラナンクルス様は制服に着替えた方がよろしいのでは?」
正式な入学でなかった所為か、ルルの制服はこちらに着いてから着替える事になっていた。
「そうだな、早く着替えた方がいいだろう。一度ここで別れようか、ルル君。マーベル先生、ルル君のことを頼めるかな」
「はい」
「夕方、もう一度会いに行くよ。君に関してはまだ色々と手続きがあるからね」
宰相は軽く手を振る。ルルにとしては、正直そういった手続きを宰相がやってくれる事自体が疑問だった。将来、軍人として働くことを期待されているとしても少し手厚すぎるような気がする。もちろん大いに感謝するところではあるが、何か裏があるように思えてならない。頭の片隅で気に掛ける必要はあるだろうと、ルルは直感した。
「さあ、ラナンクルスさん。行きましょう」
マーブル先生が案内する形で前に出たので、ルルもその後を付いていく。ちょうど校内を校門から西側へと進んでいく。ルルは学園について、一つの校舎で色んな授業を受けるものだと考えていたが、フォルテナ王立学園には多くの校舎があり、それぞれ学科ごとに別れていると知り驚いた。
「ええ、あちらは社会学科の棟、そしてこちらは経済学科の棟。確かにフォルテナ王国内ではこうして一つ一つ校舎が別れているのは珍しいかもしれませんわね」
マーブル先生は丁寧に校舎を案内してくれる。しかし、残念ながら迷子にならない自信がなかった。あまりにも建物が多く、広すぎる。初めて学園生活を送る者にとってもここは難関校であった。
建物に沿って歩いていくと、校舎ではなく、小さな小屋が見えてくる。マーブル先生はそこで立ち止まった。
「着きましたわ。ここが運動着などの着替えに使う『女子更衣室』です」
「女子更衣室、ですか?」
マーブル先生はなぜか女子更衣室の前で立ち止まった。着いたというなら男子更衣室の前の方が適切なはずである。
「さあ、ラナンクルスさん。時間は余りないですよ。ぼさっとしてないで着替えましょう」
「えっ?」
「着替えは中に置いてありますわ。一人でちゃんと着替えられますわよね?」
「え、えぇ……で、できますけど。でも、ここは女子更衣室……」
「ですからここで着替えるのです。さあ、早く……」
無理やり更衣室の中に入れられるルル。
マーブル先生はそっと外からドアを閉じる。更衣室の外で着替えが終わるのを待つ様子である。
「……、」
そして更衣室の棚の上にポツリと置かれている制服。
愛らしい赤いリボンに、純白のブラウス。
茶色のブレザーに、それに合わせた明らかなスカート。
靴下とローファーも用意されていた。
「ええぇーーっ!?」