第1話 少年と宰相
「うわぁっ!」
ルル・ラナンクルスは大声を出して飛び起きた。
横に置いてあったトランクを蹴っ飛ばし、倒してしまう。
通路を挟んだ向かい側の老夫婦や、近くに座っていた商人のおじさんが目を丸くする。
ガタゴト、と大きな音をたてる列車内でもその音は響いた。
「あ、あれ?」
ルルは目をパチクリさせるが、数秒後、状況を理解する。周囲の視線に対してルルは「あははは……」と照れ臭そうに笑った。
どうやら列車に揺られているうちに寝てしまったようである。
16にもなって悪夢で飛び起きるなんて、おまけにみんながいるところでなんて――恥ずかしい。ルルの耳は真っ赤になる。
ルルはまるで誤魔化すようにして、列車の窓から外を眺めた。
若草色の山々が折り重なって、麗らかな風景が目に飛び込む。
ルルはこの列車――魔動機関車に乗ってとある学園を目指していた。今日から入学するフォルテナ王立学園である。フォルテナ王立学園は、フォルテナ王国の中で最高の教育機関と呼ばれ、毎年数多くの学生が志望する超有名校である。ルルはとあるコネによって運よく入ることができたのだった。
「学園生活か。ステラ達も一緒に来てくれたら……」
ルルは悪夢の所為か、今までの『仕事』を思い出した。
車窓から見える風景の長閑さとは真逆の、殺戮と暴虐の世界。
組織の暗殺者として育てられ、日々、人を殺してまわる毎日。
別にルルにとっては生まれた時からの日常であり、その日常に対して特別、疑問を持ったりはしなかった。
パン屋はパン屋。政治家は政治家。殺し屋は殺し屋。
生まれたときに、そう決められているものだと思っていた。
だから同じくらいの子供が全く別の生き方をしていても気にはならなかった。
――彼女に、出会うまでは。
同じ暗殺者として育てられながら、優しさという力を持っていた少女。
彼女は命の重さを知っていた。
組織内では、誰も教えてくれなかったことだ。
そしてルルはそんな彼女に恋をしてしまった。
「いや、ステラはいないんだ。いつまでもウジウジ考えてないで、学園生活を楽しもうっ」
窓の景色を見ると丘陵地帯を抜け、徐々に市街地に入っていく。もうすぐ目的地だ。
――時は春。出会いの季節である。
列車が止まると、乗客たちは一斉に降りる。ルルは慣れない手つきでトランクを運びながら、ホームへと足をつけた。学園の最寄り駅であるフォスター駅に到着した。
周りには出迎えの人達で溢れかえっている。
「ここも変わったなぁ」
2、3年前、『仕事』で訪れた際は、この辺り一帯、畑だったはずである。それが魔力革命の煽りを受けて、魔動機関車が通るまでになった。フォルテナ王国では現在、魔動機関による交通技術、そして『魔術装置』による軍事技術を取り入れることに躍起になっている。
ルルにとって、この辺りにさして思い出があるわけではないが、国の至るところで風景が変わっていく様子は、どこか記憶が上塗りされていくようで寂しく感じられた。
駅から出ると、石畳で舗装された道に人だかりができている。人々の注目を一身に受けているのは、黒塗りの魔力車である。魔力車は四輪で動く最新鋭の交通機関で、フォルテナ王国ではまだ珍しい乗り物だった。
ちらちらと様子を見ながら、魔力車の横を通り抜ける。
ルルは駅の前で待ち合わせをしていた。フォルテナ王立学園は駅から少し離れた距離にある。入学式に間に合うよう、馬車で送迎してくれるという話だったが、駅前にいる御者たちに訊いたところ、どうやらまだ来ていないようである。
座って待とうと思い、キョロキョロとベンチを探す。するとちょうど魔力車の近くに空いてるベンチを発見した。ルルはトランクを引きながらベンチへ向かう。
……その時だった。
不意に魔力車のドアが開き、中から眼鏡をかけた執事が現れる。見覚えがある男性だった。
まさか、とルルの頭の中で不安がよぎる。
「ルル・ラナンクルス様でございますね」
執事はこちらに近づき、ルルを呼び止めた。
「サルワトール宰相がお待ちです」
どうやらそのまさかのようである。この執事は確かにサルトワール宰相の付き人として記憶していた。
「宰相閣下が……」
思わず口にする。
宰相と言えば国王に内政を任された最高の官位を持つ人である。
ルルは組織を抜ける際に宰相に会っている。さらに言えば、フォルテナ王立学園に入れたのも、宰相のコネによるものだった。
ルルにとっては頭を上げられない恩人である。
しかし、今日は入学式の送迎をしてくれるという話だったはずである。まさか赤の他人の入学式に来るほど、暇を持て余している人ではない。
「えっと……今日はフォルテナ王立学園まで送ってくださるという話だったはずでは……?」
「はい、ですからサルワトール宰相が学園までお見送りいたします」
執事風の運転手はさらっと答える。当然、宰相はそこまで面倒見のいい性格ではない。何か用事があるのかもしれない。
「どうぞ」
運転手はドアを開ける。まさか断るわけにはいかないので、ルルは若干の不安を抱えながら乗り込んだ。この黒い魔力車には珍しく屋根がついている。狙撃されないためか、あるは密談するためであろうか、ルルはそんなことを考えた。
「ルル君、久しぶりだね。元気そうで何よりだよ」
車の後部座席でフレンドリーな笑顔を浮かべつつ、サルワトール宰相は出迎えてくれる。若干40歳という若さでフォルテナ王国宰相に任命された男性であり、愛国心は非常に高いが、同時に王国の為なら手段を択ばないと噂されている。
それが噂だけではないことはルルも何となく感じていた。
現に彼は暗殺者であるルルを拾い、学園に入学させている。卒業後、必ずフォルテナ軍に入る事を条件として。
「閣下も壮健そうで何よりです」
ルルは緊張した面持ちで答えた。
「はっはっは、そう緊張しなくてよろしい。何もとって喰おうというわけではないのだ」
ポン、ポン、と豪快に笑いながらルルの肩を叩く。
宰相とは思えない友好的なふるまい。
しかし、宰相は徐に呟く。
「君が私の味方であるうちはね」
ニヤリ、と今度は不敵な笑みを浮かべるサルワトール宰相。
どうやら裏切ったら食べられてしまうらしい。ルルは真顔で宰相の隣に座った。
「はっはっは、冗談だ」
再び豪快に笑う宰相だが、冗談ではないだろう。笑うべきかどうかも分からないので、ルルは疑問を投げかけた。
「閣下、ご質問があります」
「ん、なんだ? 私が答えられる範囲であれば答えよう」
宰相はルルの方に軽く向き直ると、笑顔で言った。
「どうして、このような場所に閣下がいらっしゃっているのですか。確か手紙では、馬車で送迎してくださるとお書きになっていましたが……」
「無論ルル君の門出を祝ってだ。出迎えは豪勢な方が良かろう。それともルル君は気に入らなかったかな?」
あっけらかんとした態度で言い放つ。
「いえ、そういうわけでは……。しかし、閣下ほど多忙な方なら、別の要件があるではないですか」
「ふむ……まあ、君の様子を見に来たというのは事実だ。私は君に期待しているのでな。おっと、そろそろ車を出さないと入学式に遅れてしまう。ミューゼス、車を出してくれ」
宰相は、ミューゼスと呼ばれた運転手の方をちらりと見る。すぐにブロロロ、と大きな音がなり、座席が上下に揺れ始める。魔動機関であるエンジンがかかったようだ。
魔力車が走り始めたところで、宰相は再び話始める。
「勿論門出を祝うだけではない」
宰相はどこか懐かしむように言った。
「実は私もフォルテナ王立学園の出身校でな。君を見送るついでに、母校に出向き、日夜勉学に取り組む生徒たちの姿を見たかったというわけだ。ちなみに学園長とは旧知の仲で、今回は入学式での挨拶も任されている」
この国でトップクラスの学園なのだ。宰相が卒業生だとしても不思議はない。
「さらに言うと私は色々理由をつけないと休めない立場にいるのだよ。このところ面倒な雑務ばかりでね、ちょうど蒸し風呂にでも入り疲れを癒したかったところなのだ。ところが王宮にいるとグランディス帝国との交渉に、移民問題にテロ問題……仕事は次々と舞い込むばかりでね。そろそろ休暇が欲しかったわけだ。この付近には料理は絶品、風呂の設備も整った、おまけに近くにはカジノがある高級ホテルが――」
「サルワトール宰相、そのくらいで」
ミューゼスと呼ばれた運転手は熱が入りかけていた宰相の話を遮る。あまりだらしのない話は言わせないようにしているのかもしれない。
「まあ、私の政務の息抜きのため、学園をダシに使ったというわけだ、はっはっは」
快活そうに笑う宰相。その姿からはとても疲れているとは思えなかった。
「時にルル君。約束の期間は三年でいいのだね」
「はい、構いません。卒業後はフォルテナ王国軍に入ります」
本来、犯罪者であるルルは絶対に通うことのできない学園生活。何か思惑があるのかもしれないが、そのことは深く感謝していた。
もしかすると宰相は条件の再確認に来たのかもしれない。
「そうか」
宰相は短く答え、少し遠くの景色を見た。表情からは何を考えているか、読み取れなかった。
「それなら、この三年間を十分に楽しむといい」
「――はい」
ルル達を乗せた魔力車は、着々とフォルテナ王立学園に近づいていた。