第9話 ロスの秘密
女子更衣室に向かう途中の道をセリカとルル、二人で歩く。目的地に着くまであと十分程度だろうか。外はホームルームを終えた他学科の生徒たちがワイワイと何かを話している。これからの学園生活について思いをはせているのだろう。
「ねえ、ルル」
そんな生徒たちを見ながら、セリカが何気なく語り掛けてくる。
「ルルはさ、どうしてこの学園に入ろうと思ったの?」
「え?」
ルルは急な問いかけに言葉が詰まってしまう。ルルがこの学園に入学した理由はサルワトール宰相の意向によるものだ。ルルにとっては普通の学園生活を送れるのなら、どこでもよかった。
「何か、ちょっと気になって」
「僕はただ……普通に学園生活を送りたいだけだよ。幸運にもそれがこの学園だったというだけで」
理由になっているかどうかはともかく、ルルの本心だった。
「そう、なんだ」
セリカは少し何か考えるように目を逸らし、数秒空けてから口を開いた。
「あたし、実はこの学園に入るつもりじゃなかったのよね」
「え? でもセリカは入学試験を受けて入ったんじゃ……」
「えっと、入るつもりがないというのは、語弊ね。入れないと思っていたの」
セリカは少し恥ずかしそうな顔をした。
「フォルテナ王立学園って王国で最高教育機関でしょ。元々受けるつもりはなかったんだけど、実は学費が安くなる制度があるからって、地元の学校の先生に強く推されてね。ほら、あたし、両親がいないからその制度の対象に入っているらしくて」
フォルテナ王立学園では、生活環境に問題がある場合、受けられる優遇制度がある。フォルテナ王国ではそのような制度がある教育機関は珍しい方だった。
「それで試験を受けたんだけど」
セリカはそのあと、顔を赤くして言う。
「実は自己採点したら、全教科ズタボロでね。あはは……」
「へー、そんなに難しかったんだ」
ルルは試験を受けずに入学したので、テスト内容はよくわからない。さらに言えばルルはペーパーテストというものを一度も受けたことがないので、想像することしかできない。他人事のように返事するしかなかった。
「ルルも受けたんじゃないの?」
「あ、うん、難しかったよね!僕も全然できなかったよ!」
流石にコネ入学だとバレるのはまずいので言えなかった。
「でもセリカ、何はともあれ受かったんだからいいじゃない」
「……そうなのかな。でも志望していた学科と全然違うのはちょっと気になるかも」
セリカは眉間に皺を寄せる。
「ひょっとして点数が悪すぎて……問題があるクラスに入れられちゃった?」
◆ ◆ ◆
「ああ、あったこれね」
ガコン、と女子更衣室においてあったルルのトランクをセリカは引っ張り出した。
更衣室の中は当然ながらセリカ一人だけである。
ルルはというと、少し離れたところにあったベンチに座っていた。
『中から気配はしないから僕が取ってくるよ』とルルは言ったのだが、セリカは怒りながらルルを更衣室から遠ざけられてしまった。近づくことも禁止である。
「まったく。人がいる、いないの問題じゃないの」
セリカはルルを咎めつつも荷物を渡してくれる。
「ありがとう」
「ルル、一体どういう生活を送ってきたのかは知らないけど、ちゃんと注意しないと捕まっちゃうわよ」
「大丈夫、隠密行動は得意なんだ。捕まらないよ」
「全然分かってないじゃない。ルル、きちんと校則は守りなさい。じゃないと……そうね、あたしが捕まえるわよ」
セリカは凄んだが、全く怖くなかった。
「わかった、気を付けるよ」
とにかく見る見ないの問題ではないらしい。
「……分かってくれたならいいけど、気を付けてよね。あなただと特に」
ルルはハテナマークを頭上に浮かべたが、セリカは呆れたように無視した。
「ん、あれは……」
ちょうどその時、近くの校舎でサルワトール宰相と執事のミューゼスさんの話している姿が見えた。あともう一人いるようである。学生服を着ているので生徒のようだ。
「あの人って、まさかサルワトール宰相?」
セリカがルルの視線を追い、宰相の存在に気付く。
そしてもう一人の生徒にも。
「……え?どうして」
セリカが困惑の声をあげた。無理もない。
生徒はルルたちが知っている人だったのだ。
「どうしてロスが宰相と一緒に……?」
教室から出ていった後、宰相に会いに行っていたのだろうか。
何やらロスは不機嫌そうな顔で宰相と話している。
――ルルの頭に少し悪い考えが浮かんだ。
一階の窓付近で話しているので、うまくすれば盗み聞きできる。
「聞いちゃおっか、ロスと宰相の話」
「え?」
「気にならない?二人の会話」
ルルはニヤリと笑った。
「気になる」
セリカも興味津々といった表情だ。
「それじゃ、一緒に行こう」
二人は気づかれないよう、近くの木々や草むらで視線を遮りながら、校舎の方へ向かう。
ルルが先導して近づき、校舎の壁に張り付くと、ちょうど草むらの陰に内外から隠れられる場所を発見したのでセリカを誘導した。ぎりぎり宰相たちの声が届く範囲である。
「そう決めつけるには早計過ぎるとは思わんかね、ロス君。逸る気持ちは分かるが、今の君では到底『アルビニアの亡霊』には敵わない」
前の会話の内容は分からないが、宰相がロスに何かを諭しているといった感じだ。
(『アルビニアの亡霊』……確か10年前、フォルテナ王国が占領したアルビニア王国軍の残党が指揮しているテロ組織だったかな。アルビニア王国の復権が目的らしいけど、ロスとどんな関係が……?)
アルビニアの亡霊――正式にはアルビニア王国解放軍は度々各地で事件を起こし、一般人が大勢巻き込まれたこともある。物騒なテロ組織の名前にセリカも顔を顰めた。
「だからこそだ、あんな微温湯に3年もいたら心も身体も腐り果てる。それともあんたは、最初から俺に復讐させる気なんてないってわけか?」
ロスは怒りを露わに宰相に言葉を投げかける。王国の最重要といってもいい立場の人間にも関わらず、出会った時と同じ挑発的な態度をとっていた。
「サリヴァン様、サルワトール宰相を前にそのような言葉遣いは困ります」
「よせ、ミューゼス。言って直すような性格ではあるまい。……しかし、ロス君。君は世界の広さというものをもう少し理解した方がいい。今の君ではその微温湯さえ、熱いくらいなのだ。自分の立場が特別であるからと言ってそれに驕るようではアルビニアの亡霊をとらえることは決してできないだろう」
「あの能天気な面共といることが俺に何のメリットがある」
ロスの言葉の節々から、どうやらAAクラスが気に食わないということは伝わってきた。
「少なくとも、君の驕りくらいは正せるだろう。良く観察して付き合うことだ。言わんとしていることが分かってくる」
「……フン」
ロスは鼻を鳴らしながら一瞥する。
「さて、私も忙しいのでそろそろお暇させてもらうよ、ロス君。……それとミューゼス、折角だから外のお二人にも挨拶してから行くとするか」
その言葉に盗み聞きをしていたルルとセリカが硬直する。
「かしこまりました」
ミューゼスは自然な動作で一礼した後……、
一瞬で姿が消えた。
「ラナンクルス様、アウルシェル様、盗み聞きとはあまりよろしくないと存じ上げます」
そして、ミューゼスの声がルルとセリカの真後ろから聞こえた。
「――ッ!?」
あまりに急なことでルルとセリカは驚きの声すら言葉にならない。
「これはとてもプライベートなことですので」
ミューゼスはルルの制服に目を向けると深々と頭を下げる。
「……ラナンクルス様、制服の件につきましては、大変失礼いたしました。何らかの手違いがあったようですね。制服は私から連絡して明日の朝には手配いたします」
ミューゼスの謝罪は今のルルの耳には入らない。
(確かにさっきまで声は校舎の中から聞こえていたはずなのに……。ただのお付きではないってことか)
動きが全く分からなかったことに少し警戒しつつ、ルルは立ち上がる。さっきまで隠密行動は得意だなんだと言っていたことが恥ずかしくなった。
「はっはっは、ルル君と……そちらの可愛いらしい女性はセリカ・アウルシェル嬢だったかな。初めまして。先ほど、壇上で挨拶をさせてもらったファクト・サルワトールだ」
宰相は校舎の出口から周りルルたちを笑顔で出迎える。
「ま、まさか名前を憶えていただけてるとは、こ、光栄です。……すみません。ちょっとした好奇心で聞いてしまい」
突然自分の名前を呼ばれてセリカは慌てて頭を下げた。宰相に盗み聞きがバレて汗がだらだら流れている。
ロスも一緒に校舎から出てきており、ルルたちを睨んでいた。
「なに、聞いていた範囲で困ることはないよ。そうだろう、ロス君。クラスメイトには知ってもらった方が良いことなのだから」
「……勝手にすればいい」
ロスはそれだけ言うと、そのまま去っていく。
「相変わらず、といったところか。彼の境遇を思えば当然ではあるが……もう少しクラスメイトとは仲良くしてもらいたいところだ」
「閣下、彼は一体何者なのですか?アルビニアのテロ組織の話をされていましたが」
ルルは国家的にも関わるような問題をロスが抱えているのではないかと感じた。
「ふむ、そうだな。私から言えることがあるとすれば……彼はテロ組織『アルビニアの亡霊』の壊滅を切望しており、その準備としてこの学園に入学した、といったところだろうか。彼にしてみれば遠回りに見えるだろうがね」
「閣下と直接言葉を交わしているところを見ると、ただの私怨というわけではなさそうですね。今後のためにも素性は知っておきたいのですが?」
「誰にもでも事情というものはある。君にもね。他人が容易く話すべきでないことは君が一番よく理解していることだと思うよ」
「……」
宰相はこれ以上ロスについて話すつもりはないようだ。だが、アルビニアの亡霊が関与していると聞いて、ルルは黙っているつもりはなかった。あの組織は普通の学生が関わるには危険すぎる。ルルは何度か奴らと『やり合った』が、ただの武装集団とは思えないほどの知恵と戦力、そしてフォルテナ王国に対する圧倒的な憎しみがある。最悪の場合、この学園に危害が加わるかもしれない。それだけは避けなくてはならない。
「サルワトール宰相、そろそろお時間です」
「……時間というものはすぐに過ぎ去ってしまうな」
宰相は時計をチラリと見ると、名残惜しそうな顔を見せた。
「それでは、私は失礼させてもらうよ。ルル君、セリカ嬢、楽しい学園生活を」
最後に宰相は朗らかな笑顔を作ると、ミューゼスと共に去っていく。ルルたちはその背中をじっと見送った。