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エルロイド教授の妖精的事件簿・第二シーズン  作者: 高田正人
01・顔を奪われた男 と 妖精の研究家 の 話
1/5

01-1



 ◆◇◆◇◆◇



「率直に言うと、これはまさしく妖精の仕業だね」


 帝国首都ロンディーグに建つ、歴史ある名門校ドランフォート大学。その教授ごとに割り当てられた一室から、そんな声が聞こえてきた。


「原因はどうでもいいんです。とにかく、これは治るんですか? 治るのでしょうね? それも今日とは言わず、明日にでもすぐに」


 続いて、ひどく急かす別の声。


「いやはや珍しい。このような事例は文献を探してもないだろう。首無し騎士の伝承はあるが、まさか顔無し人間とは。実に不可思議だ」


 そう言うと、この部屋の主人は深々と椅子に身を沈め、腕を組む。品のいい焦げ茶色の上等なスーツに身を包んだ、壮年の教授だ。理知的だが少々気難しそうなその顔が、玩具を見つけた子供のような表情を浮かべる。


「ああ、そう言えば、海を隔てた極東の皇国には、のっぺらぼうという名の妖怪がいるそうだ。まさしく、今の君はその名は相応しいようだね、モーリヘン・ドッドラーニー君」

「ふざけるのもいいかげんにして下さい! 人を実験に使うハツカネズミみたいに扱うとは何事です! あなたは私を治す気があるんですか? そのためにここに来たんですよ!」


 完全に他人事といった調子の教授の態度に腹を立てたのか、彼と対面に座るもう一人の男性が大声を上げる。背格好からして、まだ若い青年だ。身なりからして、恐らく中産階級の人間だろう。しかし、彼についての描写はそれ以上不可能である。なぜならば、彼には決定的に欠けているものがある。それは――彼の顔だ。


 モーリヘン、と教授に呼ばれたこの青年には、顔がないのだ。本来目と鼻と口があるべき場所は茫洋としていて、どれだけ目を凝らしても曖昧な状態のまま変化はない。まるで、顔にだけ霧がかかったかのようだ。目は見えるようだし、明らかに口はきける。しかし、このモーリヘンは人間が本来持っているはずの顔を、完全に失っていた。


「ないわけではない。しかしそれ以上に、今の君は私にとって興味深い研究対象でもある。なにぶん、私は医者ではなく博物学の教授、ひいては俊英たる妖精の研究者だからね」

「ま、まったく話になりません! 前々から、ドランフォート大学には箸にも棒にもかからない変人がいると聞いていましたが、あなただったんですね!」


 このモーリヘンという青年の窮状は、一目瞭然である。彼の話によると、ある朝気がつくと顔がこうなっていたそうだ。あちこちの病院を当たっても、治癒はおろか原因さえ分からず、彼は一縷の望みにすがって大学を訪れたのだ。人知を越えた超常現象を引き起こすとされる妖精という生物。そんな怪しげな存在を研究している、この教授の元へと。


「世間の評など、実に当てにならん。所詮は烏合の衆。深遠なる真理にひたむきに取り組み、厳然たる覚悟で未知の荒野へと足を踏み入れる、この私のような探求者の歩みなど、理解できようはずもない」


 しかし、モーリヘンを待っていたのは、彼の困惑をよそに自分の知的好奇心を満足させることしか関心のない、正真正銘の変人だったのである。


「な、何を言っているのかさっぱり分かりません……」


 モーリヘンが困惑しきったその時、ようやく仲裁が入る。


「はいはい。教授が大変に素晴らしく立派で崇高な志をお持ちであることは、充分よく伝わりました。そろそろ、お客様を安心させてもよろしいのではないでしょうか?」


 穏やかながらも芯の通った、耳に心地よい女性の声が響く。


 声を上げたのは、教授の脇に立つ一人の女性だった。黒のロングスカートに、くるぶしまで届く白いエプロン。典型的な家屋敷で働く侍女の出で立ちである。ややくすんだような色の金髪に縁取られているのは、声と同じ華やかながらも清楚な容貌だ。一介の侍女にしては、どこか侵しがたい気品のようなものがあるのが不思議である。


 女性はモーリヘンに、ソーサーに乗ったティーカップをさりげなく差し出す。


「……これは?」


 素直に受け取ったモーリヘンの曖昧な顔に、かすかに湯気がかかった。ふわり、と優しげな香りが広がる。


「ハーブティーです。どうぞ召し上がれ」


 当惑したモーリヘンを落ち着かせるように、女性はにっこりとほほ笑む。


「ど、どうも」


 教授とは違う温かみのある仕草に、モーリヘンは実際少し落ち着いたようだ。カップの中身をゆっくりと口があるとおぼしき場所に運ぶ。


「……温かいですね。それに、なかなかよい香りだ」


 ややあって、彼は大きく息をつきながらそんな感想を口にする。


「リラックス効果があるんですよ。お口に合いましたら幸いです」

「ま、まあまあ……です。はい」


 彼女のさりげない気遣いがちょうどよいタイミングだったのも手伝い、モーリヘンはぎこちないながらも彼女に礼を言う。


「ありがとうございます。では、教授。よろしいですか?」


 女性は教授の方へと向き直った。いつの間にか、会話の主導権をさりげなく握っている。


「うむ。そうだな。私もそろそろ、そうしようと思っていたところだ」


 侍女の催促に、それまで自己に陶酔していた教授は咳払いと共に居住まいを正す。


「安心したまえ、ドットラーニー君。私には、このような妖精の引き起こす怪事にうってつけの人材がいるのだよ。それがこの女性、マーシャ・ダニスレートだ」

「よろしくお願いいたします」


 教授に紹介されたマーシャという侍女は、丁寧にモーリヘンに頭を下げる。


 その上品な仕草は、やはり一介の侍女には思えないものだ。良家の子女が、こっそり侍女に変装しているといっても通じそうだ。


「こ、こちらこそ」


 モーリヘンはわざわざ立ち上がると、彼女に挨拶を返した。そのかしこまった態度に、一瞬だけ教授は嫌な顔をする。彼に対しては、モーリヘンはここまで丁寧な挨拶はしていなかったのだ。


「彼女は極めて稀な〈妖精女王の目〉の持ち主だ。その左目は妖精の作り出す欺瞞を暴き、白日の下に晒すことが可能なのだよ。まさに、妖精に対する特効薬と言えよう」


 教授に言われ、モーリヘンは恐らくマーシャの顔を見たのだろう。そして気づいただろう。マーシャの右目が青色、左目が美しい緑色であることに。珍しいオッドアイだ。


「そして何よりも、この私、ヘンリッジ・サイニング・エルロイドが事態の収拾に努めるのだ。これはもう、成功は確約されたも同然ではないだろうか」


 そしてすぐさま、教授は自分に注目を戻させる。そう、彼の名はヘンリッジ・サイニング・エルロイド。ドランフォート大学一の変人にして、マーシャを従えて妖精の研究に日々いそしむ教授である。


「うむ、きっと、いや必ず、誰が何と言おうとこの事件は速やかに解決するのだ。これはもはや必然にして当然にして事実! さあ、君も今すぐ大船に乗ったような気構えで安心したまえ! ははっ! はははっ! はーはっはっはっはっ!」


 何が面白いのか、一人で呵々大笑するエルロイドを見て、モーリヘンはマーシャに耳打ちする。


「……本当に大丈夫なんですか?」


 その声には、「こんな変人に任せて自分は大丈夫なんだろうか」という不安が露骨にあらわれていた。


「ご心配なく。教授は少々……いえ、かなり変わった方ではありますが、信用できるお人ですので」


 対するマーシャの返事は、多少冷ややかではあるものの、とりあえず教授の顔を立てたものであった。



 ◆◇◆◇◆◇



「ご多忙にもかかわらず、今日は来て下さってありがとうございます、エルロイド教授」


 次の日、エルロイドはマーシャを連れてモーリヘンの自宅を訪れていた。しかし、玄関で彼らを出迎えたのは当人ではなく、彼の妻だった。まだ若いが、疲れたような容貌の女性だ。誰にも顧みられず、ほこりをかぶったままのアンティークドールを連想させる。


「気になさらず、オレザ・ドットラーニー夫人。確かにこれは妖精の被害者に対する救援ではあるが、同時に私の研究に関連した調査であり、さらには私個人の知的好奇心を満足させる対象でもあるのだからね」


 聞きようによっては失礼なことをエルロイドは平然と言い放ち、しかも胸を張る。本人としては、理路整然と発言しているつもりらしい。


「夫人?」


 けれども、当のオレザ・ドッドラーニー夫人は明らかに上の空だった。


「……え? あ、はい、すみません」


 慌てて彼女はその場を取り繕う。そもそも、肝心要のモーリヘンは仕事に出かけている。彼はロスバガート貿易商社のやり手社員であり、今日も外せない仕事があるとのことで家を留守にしていた。顔がないのに実に仕事熱心である。


「夫がいきなりあんな風になってしまい、どうしていいのか途方に暮れていたので……」


 オレザの言葉の続きを、エルロイドは突如遮る。


「夫人」

「な、なんでしょうか?」

「何か、心に引っかかることでも?」


 エルロイドは真顔で彼女を見据える。そのやや失礼とも言える態度を見て、隣に控えていたマーシャが眉をひそめつつ口を開いた。


「教授。旦那様が突然顔を奪われたんですよ。奥様が心配しないはずないじゃないですか」

「それくらいは百も承知だ。もっとも、もし私が同じ立場だったら歓喜しているだろうがね。何しろ、妖精の引き起こす超常現象を体験できるのだ。幸運だろう?」

「はあ。教授は本当に物怖じしないお方なんですね」


 あんまりな物言いにマーシャはため息をつく。


「それはともかく」


 だが、エルロイドはすぐにオレザの方に注意を戻す。


「オレザ夫人、あなたは突然配偶者の顔がなくなってしまったこと自体ではなく、何かほかのことが気にかかっているように見えるのだが?」


 自信に満ちたエルロイドの断言に、マーシャが疑問を差し挟む。


「どうしてそんなことが分かるんですか?」



 ◆◇◆◇◆◇




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