幻想ミッドウエー戦記 第1章 開戦編ーその2
開戦間もなく日本軍は素早くウェーク島を占領し、まず敵をおびき出す為の布石であった。
防衛体制は十分準備され、整っていた。後は敵が来るのを迎え撃つだけだ。
果たして勝敗は如何になるか?
幻想ミッドウエー戦記 第1章 開戦編ーその2
昭和17年(1942年)10月15日が過ぎた。
翌16日01:00 アメリカ合衆国大統領ルーズベルトは世界に向けて日本への宣戦布告を宣言する!
これは先日のアメリカの輸送船団が日本軍が操る海賊に襲われ壊滅した事が原因であり、多くのアメリカ人が殺害されたのだ。
皆さんこのダバオ市での悲劇を忘れてはならない!リメンバー・ダバオ!リメンバー・ダバオだ!
ルーズベルトの演説がホワイトハウスに高々と鳴り響いた!
軍事産業や右翼勢力、一部の保守層が支持したが、国民の大多数はこの戦争に反対していた。
16日の午前中に各地で反戦デモが起き、警官隊が慌ただしく出動していた。
しかし、遂に戦争が開始された。サイは振られたのだ。
ハワイ東方にあったキンメル大将率いる太平洋艦隊は練度不足から猛訓練を行っていた。
13日夕方開戦が近づいて来たとの海軍司令部からの指示で一旦ハワイに帰還し整備と休養に入る。
長期の洋上訓練で艦艇群はかなりの整備と補修が必要であったが、開戦が迫っているので大統領からは早急に出撃準備を整えるように命令が来ていた。
ハワイの艤装補修部の長メイケルは止むを得ず簡易整備で乗り切らざるを得なくなり、作戦終了後に完全整備を行う事を海軍司令部に了承させ点検に入る。
13日の20:00から昼夜を通して3交代で整備と補修が4日間行われ、17日の07:00に漸く終了する。
17日08:00キンメル率いる太平洋艦隊は戦艦部隊と空母部隊の2群となり、日本に開戦直後占領されたウエーク奪還の為出撃する。
少し話は遡る。アメリカが宣戦布告した16日の01:00の直ぐ後日本海軍は動き出していた。
02:00小笠原基地より飛び立った第301航空隊の新雷96機を新雲8機が前方を索敵しながら誘導していた。彼らはアメリカのウエーク基地を夜間攻撃する。
元より直ぐ基地は使用されるので飛行場や施設への攻撃は禁止されていた。あくまで、宿舎とレーダー施設のみが攻撃目標である。
03:00より爆撃が開始され、宿舎の多くはは爆撃で吹き飛び、守備隊1500名は就寝中の為見張り以外は殆ど全滅した。レーダー施設も破壊され攻撃は終了する。
05:00ウエーク攻略部隊が上陸を開始して来た。一条少将が率いる第11海兵旅団6千名だ。残る守備隊は僅かであり、司令官ウエスト大佐はすぐ降伏した。
攻略部隊志摩中将率いる重巡洋艦4隻軽巡洋艦6駆逐艦16隻護衛艦24隻輸送船12隻護衛空母4隻がウエークに展開していた。
大島型護衛空母は7千トン級商戦改造型で直掩機24機を搭載している。搭載機は軽戦闘機で小型のエンジン栄1120馬力に強化した零戦22型を使用していた。
8千トン 最大速度21ノット 10センチ長高角砲2連装6基 対空電信、対艦電信、水中ソナーを装備 24基搭載、搭載機は火薬カタパルトで発進する。
小型艦の為油圧式の通常カタパルトを装備できないためである。
重巡洋艦は簡易量産型の生駒級で青葉級重巡の拡大版になっている。
9800トン 最大速度35ノット 20センチ両用連装砲4基 10センチ長高角砲連装4基、40ミリ聖級4連装機関砲6基 50センチ魚雷発射管5連装2基
航空機4機、対艦レーダー、対空レーダー、逆信装備 航続力8千カイリ
同型艦8隻(就役中)建造中16隻計画中24隻
多数の艦艇が量産中なので記号と数字での命名法が採用された。
生駒5001が正式な名称となる。
重巡洋艦は5番台 生駒型の一番艦という意味がある。
従来のアメリカが建てたオレンジプラン(日本への侵攻計画)では開戦後ハワイを出撃して、マーシャル諸島を占領するようになっていた。
これを変更させ、自らの新たなる勢力圏で敵を迎え撃つ事が日本軍が建てた新たな計画であった。