幻想ミッドウェー戦記 ナチス・ロシア攻略編 その4
ナチス・ロシアとの戦いが開始された。ほぼ同兵力の戦いが始まる。
幻想ミッドウェー戦記 ナチス・ロシア攻略編 その4
ナチス・ロシアの東の国境にはウラル山脈がありそこから東はゴーグル侯国領となり誰も入ることが出来ない。
ルトールトソ王国という名前があり、シベリア及び北極海、アラスカを支配していた。
次元断層フィールドと時間停止シールドが張り巡らされているので何物の侵入を許さない厳重な警備態勢を取っていた。
地球人にはただ壁があるだけとしか認識は出来ない。その壁が海を渡り北極海まで続いていて上空にもドーム状に展開されていた。
ビザンツ帝国のクリミア軍管区のセバストポールに待機していた涼王国軍と蜀王国軍各20個師団80万余ががモスクワ目指して北上を開始した。
中国軍の主力戦車は88ミリカノン砲を持つ99式重戦車だ。これらが2千両の集団で攻めて行く。上空には99式戦闘機2千機が守っていた。
モンゴル騎馬隊10万余とキルギス草原諸国軍10万余が後続していた。
モスクワの南の都市ハルコフに全軍を集め縦深陣地を築いていたナチス・ロシアとドイツの連合軍80個師団160万余が迎え撃つ。
ナチス・ロシアの主力戦車はT-34やKV-1で76ミリ砲が主体だったが88ミリ砲に変換した。防御力は従来のままの砲塔の変更なのでアンバランスな戦車となる。
それ等が凡そ千両で陣地に隠れていて、YAKー1やミグ戦闘機千機が上空を守っていた。
ナチス軍はハリコフの前面に5キロ事に6つの陣を築いた、1~5までは簡易陣地で6番目が重防御陣地だ。全てを重防御陣地にする予定だったが、時間と工兵が足らなかった。
7月15日最初にハリコフの南方30キロ地点で陣を敷くナチス・ロシアの10個軽装甲師団20万余が敵を迎撃する。
アジア連合軍の先鋒はモンゴル騎馬隊10万余である。彼らは夜陰に乗じ奇襲を掛ける。
油断していたロシア軍は大敗し、3万近い戦力を失い5キロ後方の陣へ引き上げた。
激怒したナチス・ドイツの西方軍司令官ゲルド上級大将は若き勇将バイエルライン上級中将に20万の軍を預けロシア軍と交代させた。
7月20日バイエルラインは勇んで最前線へ到着した。第2陣の守備に付いていたロシア軍7万余を後方へ下がらせ自身の軍を配置につけた。
モンゴル騎馬隊10万余の後方にいた蜀軍の司令官王泉将軍は第1陣のモンゴル軍を下がらせ自ら20万余の蜀軍を率いて占領した第1陣に布陣した。
バイエルラインは翌日88ミリ砲を持つパンター戦車2千両を中心に第1陣を目指して進撃を始めた。上空にはメッサーシュミット戦闘機5百機が援護していた。
蜀軍からは武将の郭雄が同じく2千両の99式戦車を率いて出撃する。上空では援護戦闘機同士が激しい空中戦を演じていた。
両軍はよく戦い、夕暮れ迄激戦が続いたが1割程を失い両軍は後退した。
蜀軍の王泉将軍も攻略には時間が掛かりそうなので残る20万余を呼び寄せ、涼王国軍には後方に防御用の陣の建設を任せこちらも持久戦に備える。
モンゴル騎馬隊らは一旦セバストポール港迄帰還し、輸送部隊の護衛と港の警備に付く。
戦塵のロシア軍は相手を甘く見て敗れた、代わったドイツ軍を率いるは若き勇将!




