幻想ミッドウェー戦記 ナチス・ロシア攻略編 その2
いよいよナチス・ドイツとの運命を掛けた最後の戦いが始まる。
幻想ミッドウェー戦記 ナチス・ロシア攻略編 その2
伊達中将らとドイツ攻めを考えていた山口らは3方向からの攻め方を検討していた。
第1軍はイタリア方面よりフランスを攻めフランス占領後ドイツ西方から攻め込む道。
第2軍はバルカン方面からドイツ南方から攻める道。
第3軍はロシア方面よりポーランドを占領後ドイツ東部を攻める道。
前世ではイタリアが敵国だったのでフランス北部に上陸作戦を行い道を増やしていた。
ただ上陸作戦は制空・制海権を押えた上でかなりの幸運が無ければ成功する確率は低い。
今回精強なアメリカ軍はイタリア方面よりフランスに攻め込んでもらう事になる。
イタリア軍が弱い事はこの世界でも同様だ、精々後方補給部隊として活躍してもらう。
1945年6月アジア連合はナチス・ドイツ連盟12国に対して不可侵条約の撤廃を宣言した。
アジア連合諸国とナチス・ドイツ連盟がいよいよ戦争を開始した。
6月10日
イタリア半島で準備していた60万余30個師団のアメリカ軍とイタリア軍20万余の10個師団80万余がフランス方面に進撃を開始する。
6月10日
ビザンツ帝国のクリミア軍管区に待機していた漢帝国貴下の涼王国軍20個師団40万余と蜀王国軍同じく20個師団40万余がロシア攻略の為動き出した。
その他にもモンゴル騎馬隊やキルギス草原のボワラ・ヒバ・コーカンドの3汗国などアジア連合の北インドを中心とする諸国軍40万余が加わる。
6月20日
少し遅れてブルガリア平原に集結したビザンツ帝国軍25個師団50万余が中立国ハンガリーへ向けて進撃を開始する。
更にパルティア王国軍20個師団40万余、クシャーナ朝軍20個師団40万余とアジア連合軍10個師団を加え150万近い戦力がまずハンガリーへ向かった。
ビザンツ帝国の主力部隊日本製の98センチ砲を持つ3式重戦車3千両が主力部隊だ。
その他3式りゅう弾砲や180センチカノン砲、108センチ自走砲部隊、3式65センチ対戦車砲、40ミリ聖級連装対空砲等が続々と出撃していく。
空軍では3式戦闘機飛燕Ⅲ数十機が部隊の上空を守っていた。空軍では実際日本空軍機が援護の為出撃していた。ビザンツ帝国内に進出した日本空軍は凡そ8千機に及ぶ。
飽く迄制空権確保のための戦闘機中心の援軍であり、8千機のうち飛燕Ⅲが3千機、雷電が2千機、雷天が1千機、1式襲撃機1千機、偵察機全般で1千機の内訳であった。
爆撃機や攻撃機は無いが制空権確保のための若手中心の元気な部隊だ。かなりアジア連合のパイロットも入ってはいるが、半数は日本人が占めていた。
今回日本は陸軍戦力が底を尽き、派兵できないので空軍と海軍を中心とする艦隊が出撃していた。ビザンツ帝国の空軍は凡そ7千機に過ぎないそれよりも援軍の方が多かった。
地中海には日本の第2艦隊を中心とする巡洋戦艦部隊が進出していた。
因みにビザンツ帝国の艦隊は戦艦4隻巡洋戦艦4正規空母4隻軽空母12隻隻重巡洋艦8隻軽巡洋艦12隻駆逐艦64隻の中規模艦隊に過ぎない。(全て日本製)
東地中海派遣艦隊 司令官西村元帥(派遣特例で他の海軍の指揮下に入らぬ為にこの期間内のみ2階級特進)戦艦部隊指揮官
第111派遣艦隊 指揮官榎本大将 機動部隊指揮官 航空機戦力1216機 新設の第11・12護衛隊が配備されている。アジア連合傘下の兵士も多く半数が日本人。
金剛 榛名 比叡 霧島 最上 三隈 鈴谷 熊野等の巡洋戦艦16隻 竜翔級軽空母8隻 高雀級軽空母8隻 生駒級重巡洋艦16隻 天塩級防空巡洋艦16隻 音無し級軽巡洋艦16隻 秋月級防空駆逐艦48隻 特型駆逐艦48隻 赤松級護衛駆逐艦48隻
第257輸送船団及び護衛部隊 大河原大将 航空機戦力224機
旧式軽巡8隻 旧特型駆逐艦24隻 護衛駆逐艦16隻 海防艦24隻 掃海艇12隻
輸送船24隻 給油艦12隻 タンカー8隻 大島級護衛空母8隻
3方向よりアジア連合の一大戦力が動き出した。




