幻想ミッドウェー戦記 アメリカ西海岸攻略編 その9
日本軍はサンフランシスコ周辺を占領した。アメリカの領土に初めて他国の軍隊が侵入したのだ。
国民は恐怖し、政府に対して事態の解決を望んだ。だが、政府は日本軍を撃退しようと足掻くのである。
幻想ミッドウェー戦記 アメリカ西海岸攻略編 その9
施設部隊は午前中にサンフランシスコ空港やサンノセ、オークランド、サニーベルの4空港を再建させる。
輸送船より運ばれてきた陸軍の小型機が組み立てられ試運転を行っていた。
4個の飛行場付近で夜中より組み立てが行われていたのは局地戦闘機蒼電(海軍名雷電)160機10個中隊である。
蒼電は20ミリ機銃4基を持ち、水星3型エンジン2000馬力を有する重戦闘機であり、上昇力と防御力に優れ20ミリ機銃では撃墜出来ない防御装甲を有していた。
早朝よりの爆撃を警戒し4個部隊は06:00より半数が上空に上がり編隊飛行訓練を行っていた。
次に組み立てられたのが3式戦闘機鍾馗3型である。海軍名新風3型 13ミリ機銃4基を持ち、優れた空戦能力、航続力、スピードを有していた。
蒼電程の防御力は無いが13ミリ機銃では撃墜出来ない防御力を持っていた。
第1陣として20個中隊320機が各飛行場で組み立てられ、早速訓練を開始していた。
2日後まず、防空体制を確立して後、爆撃機や攻撃機、襲撃機等の組み立てが開始された。
5日間で予定通り組み立ては終了し、全ての小型機は完成する。
1週間後海神を中計としてハワイにあった双発や4発の大型機が新たに整備された3千メートル級飛行場に降り立った。
飽く迄一部だけで偵察の任務もある為大型機も必要である。掩体壕が整備される1か月後に主力の爆撃機は派遣される予定だ。
レーダー網による24時間の警戒態勢が5日後には完成し、常に警戒のため上空警戒を続けていた新雲偵察隊は通常の勤務体制に戻り、80%が休息に入った。
4月7日
防空体制が確立した後満州国の防衛軍4個師団が増援で送られてきた。朝鮮、台湾からも各2個師団の計4個師団が到着し、彼らは勇んで最前線の守りに付く。
彼らの師団も3個連隊編成で戦車連隊がそれぞれに従っていた。主力戦車は1式重戦車改で80ミリカノン砲を持つ重戦車だ。90ミリ砲にも耐えられる防御力を持っていた。
戦車連隊の1式重戦車改はチハ車とも呼ばれていた。チハ車300両、対空戦闘車100両(25ミリ連装機銃1基を装備)偵察車100両を有していた。
飽く迄アメリカのM4シャーマン戦車の持つ76センチ砲に対抗する為であり、シャーマン戦車の主砲ではチハ車の装甲は撃ち抜けない。
此方の主砲は距離500メートルでM4シャーマン戦車を撃破で来た。
彼らは戦闘経験が少ないので飽く迄実戦経験を積むために参加していた。
オレゴン州には明王国軍8個師団が上陸して飛行場や基地の再建に取り組んでいく。
日本軍には西海岸全土を占領する予定はない。敵の飛行場や軍事施設、基地等をせん滅するのが目的だ。
最終的には東海岸にある生産施設の撃破であった。特に戦艦や空母等の大型艦が標的だ。
アメリカ軍も反撃体制を作る。大統領のトルーマンも共和党や同じ民主党議員、民衆からの突き上げが凄く政権の維持の為目に見える戦果が必要であった。
まずアメリカ軍は空襲による被害を受けなかったモンタナ、ワイオミング、コロラド、ニューメキシコの4州の飛行場を再整備していた。
更に4州には各5個師団10万余の陸軍部隊が集結した。合計40万余と各州軍4万余16万余が集結していた。
この地に最新鋭のB-29爆撃機やB-24,B-25等の爆撃機が集結していた。
更にアリゾナ、ユタの2州でも施設部隊を送り、爆撃機の護衛戦闘機が発着できる飛行場の整備を急ピッチで行っていた。
陸軍機を中心にP-38、P-39、P-40更に新型機P-47等も小数ながら見られた。
海軍機は機動部隊再建の為東海岸で訓練中である。
各地から陸軍航空部隊が集結し、2か月後には攻撃準備が整う。
戦機が高まっていた。
現在東海岸の造船所では8隻のアイオワ級戦艦が竣工まじかで、其の為の乗員たちも新鋭艦に乗り込むため日夜訓練に勤しんでいた。
だが、日本の主力機動部隊がパナマ運河を越え、プエルトリコに入港し東海岸攻略の為行動を開始せんとしていた。
 




