幻想ミッドウエー戦記 インド攻略編 その9
イギリスインド総督府を占領せよ!
幻想ミッドウエー戦記 インド攻略編 その9
インド総督府デリーを攻略すべく3個の軍は動いていた。一番近いのはシーク教国を落としたクシャーナ朝の軍でデリー迄5日の距離にいた。
その次がオード王国を落とした日本軍で凡そ1週間の距離がある。一番遠いのがパルティア王国軍でシュメール攻略のため北上していた。
ただ3国でほぼ同時に攻め入る協定が結ばれていたので、クシャーナ王朝軍も現在位置で留まり、全軍20万余の終結を待った。
日本軍45万余も直ぐ追い付いて来て、1月の後パルティア王国軍20万余も集結した。
総兵力85万余の大部隊がデリー付近に集結し、イギリス・オーストラリア連合軍の残存部隊3万余が守る総督府を3方から包囲していた。
流石の勇将オルーニ将軍も万策尽き、日本軍の降伏勧告の使者の前に白旗を揚げるのだった。
こうして長年の間搾取され続けられたイギリス領インドはアジア連合5国により解体されたのだった。
インドの大部分はヒンズー教によるカースト制度を中心に貴族層が支配していた。
これらを早急には変更することはできないが、平等という概念を持ち込み選挙によって政治の代表者を選んで国政を任せる基本的な民主主義をこれから作られていく。
この世界では強大なパルティア王国があったためイスラム教はアラビア半島のみの小さな宗教組織になっていて現在でもその勢力はほぼそのままであった。
其れ故にインドもほぼヒンズー教国家として分裂する事も無くインド共和国として新たな国家として成立した。
ただインドが成立するまでにベンガル王国やスリランカ王国、ブータン、ネパール、オード、ビハール、シーク教国等が独立しインドはデカン半島の南部中心となる。
アフガニスタン、シンド、ベルチスタンの3地方もパルティア王国の保護領となり、シーク教国とオード王国、デリー周辺もクシャーナ王朝の支配下となる。
ベンガル王国とビハール王国も日本帝国の保護下となり新たな国家として再出発していた。
インド方面にあった全ての国々はアジア連合に加盟し、昭和19年以降独立国として降伏したイギリス連邦諸国も独立を承認した。
これらはアジア連合5国との密約による。次の段階でアジア連合5国はナチス・ドイツを共通の敵として認識し、戦う事を決定していた。
インド・インド洋の攻略は完了した。




