幻想ミッドウエー戦記 インド攻略編 その8
パルティア王国軍20万余が動き出す!
幻想ミッドウエー戦記 インド攻略編 その8
一方インダス川を守るマイヤー大佐は川沿いに防御陣地を数キロにわたって構築し、付近にある船舶の運用を禁止し、河川に属する船を根こそぎ丘に上げ動けなくしていた。
その辺は日本軍も承知済みで、既に高速輸送船をシンド方面のカラテにパルティア王国の半数の10万余を闇に紛れて輸送し、無事上陸させイギリス軍の背後を取った。
船団は第4護衛隊がガッチリ護衛し、偵察や上空援護、敵地への艦載機による攻撃等をしてパルティア王国軍を援護した。
2日ほどで戦車部隊と装甲戦闘車に乗車した部隊はマイヤー大佐の部隊に南から攻撃を加える。
流石に南への備えをしていなかったイギリス軍は2~3日持ちこたえたが、敗走していった。
マイヤー大佐は再度アシュメールの南部に防衛拠点を置き、陣地の構築に入った。
既にマイヤー大佐は演習がてらこの日を予測して12段に及ぶ防衛陣地を築いていて、新たに3つの陣を追加する。
既に戦力は7万にまで減少していたが、士気は高かった。司令官がへこたれない性格だからだろうか?これは個人の素質?だろう。
マイヤー大佐は早朝より部下を集めて士気を高める演説を毎日していた。
パルティア王国軍は5日後本軍10万余が渡河して別動隊と合流した。
日本軍も空軍による十分な援護を行い。補給部隊を新編成の海軍の海兵第31旅団を中心にしてパルティア王国軍に同行させた。
近接戦闘に強大な力を振るうパルティア王国軍20万余は静かにアシュメイルに接近していく。
マイヤー大佐も相手が悪かった日本軍を除けば最強の接近戦が得意なパルティア王国軍20万余である、その打撃力はドイツやアメリカ軍の比ではない。
昭和18年11月10日
両軍はアシュメール南部で戦闘を開始する。
一日目で3つの陣が抜かれた。
二日目で4つの陣が、
三日目で5つの陣が落ちた。
四日目で全ての陣が突破され、マイヤー大佐はデリーへ退却する。
戦闘は飽く迄パルティア王国軍のペースで行われていた。
ただ彼らは自分のペース配分で戦闘を淡々とこなしたに過ぎない。
イギリス諸国軍30万余はほぼこの日壊滅した。
これでイギリス諸国軍はほぼ壊滅した。
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