「銀河英雄伝説」論
15年ほど前に、田中芳樹先生に関する掲示板に投稿した文章です。
私の考える
「銀河英雄伝説」論
になっているかと思います。
田中芳樹作「銀河英雄伝説」については、最初期からのファンでした。
第1巻については、徳間書店の新書版の初版。それを持っているのは最初期からのファンの証と言われる巻数表示のないもので買っていました。
読んだのは昭和57年の12月であったと思います。
この時点では続巻が出るかどうかは分からず、実際、第1巻はさほど売れず、第2巻、第3巻と出るにつれて人気がどんどん出てきました。
最終である第10巻が出たのは、昭和62年の秋であったと思いますが、この期間中、とにかく新しい巻が出るのが待ち遠しくて仕方ありませんでした。
銀河英雄伝説のラストは、実に素晴らしい文章で締めくくられていると思います。
以下の文章は銀河英雄伝説のファンの掲示板に投稿したものです。
私が感じる、銀河英雄伝説論になっているかと思います。
2003/11/24
理想と現実というものを考えた時、生活をしていく上で、3つの在り方がある 、と思います。
1つは、理想というものをしっかりともち、現実をそれに近づけようとするこ と。
2つめは、特に理想というものを考えることなく、現実を精一杯生きていくこと。
そして3つめは、理想は何かということを考えた上で、現実とは峻別して生活をしていく、ということです。
例えば、共産主義やアナーキズムという思想は、思想そのものは美しいものだ と思います。
「階級無き社会」
「能力に応じて働き、必要に応じて受取る社会」
「政府、権力の存在しない社会」
美しい言葉だと思います。
しかし、それを現実の世界において実現しよう、と考えるところから悲劇が始 まると思うのです。
こういう社会を実現させようとすれば、人間が本能的に持っている権力欲、名誉欲、金銭欲といった欲望がなくならない限り、すなわち人間性の本質的な変革がなされないかぎり無理でしょう。
そして、この人間性の変革を行うために、歴史的にある種のユートピアを目指した社会は、教育によって、人間性の根本的な変革を図ろうとしました。
しかし、こういった歴史的連続性を 無視した改革を行おうとする試みは例外なく悲劇的な社会を生む、そう言えるの ではないかと思います。
銀河英雄伝説にはそれを現実に投影させてしまうと、
「理想的な絶対権力者」
「命をかけた戦いを平然と、伊達と酔狂で行ってしまえる人間のカッコよさ」
こういった危険な思想がそこにはあると思います。
現在は、特に民主的先進国においては絶対権力者は存在しません。
巨大企業のトップといえども、総理大臣といえども、様々な権力の調整者にすぎません。
それに比べて、ラインハルトのなんとカッコ良いことでしょう。
戦い、というのは物語を構成する上で大きな要素です。
その戦いが、人間存在の全て、生命をかけた戦いであれば、それを平然と行える人間は実にカッコ良い 。
「銀河英雄伝説」は、物語を壮大にする上で、美しくする上で、そういった要素を最高度に取り込んでいる作品だと思うのです。
ラインハルトは、「天才」「英雄」というものを描く上での理想、すなわちひとつの典型だと思います。
と、同時に、ヤン、キルヒアイス、ユリアン、ミッターマイヤー、ロイエンタール、シェーンコップ、アッテンボロー、ポプラン、フレデリカ、ヒルダ、エヴァンゼリン、オーベルシュタイン
こういった主要なキャラクターは、みんな物語を描く上での、それぞれの理想の体現者、すなわち典型だと思うのです。
かくも多彩な典型を集め、かくも壮大な舞台を用意して架空の歴史を創造した、というのが銀河英雄伝説だと思うのです。
私はそこに物語及びキャラクターの理想を観ます。
しかし、それを現実の世界に投影しようとは思いません。
現実の歴史には、ひとりのラインハルトも、ヤンもいない。
でもだからこそ、歴史は歴史で、物語とは別種の面白さ、豊かさがあると思うのです。