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4.逃走戦

おそーい

 ―――いつかの、夜。の、出来事。

 追う者と追われる者の競争とは、基本的には追う側が有利なものとされている。

 なぜなら追われる者とはつまるところ受け身の立場に立たされているのであり、精神的な消耗を強いられるからだ。

 逃げ続けなければならない、捕まれば何をされるかわからない。そうした恐怖に常に付きまとわれる、

 恐ろしいということは、それだけ精神を締め上げる。

 そもそも追われる側とは追われるだけの理由があるからその状況に追いやられているのであり、後ろめたいわけがあるから逃げの姿勢をとっているのだ。

 ならば、追われる側に負担がかかるのは当然だろう。

 逃げ続けなければならないというプレッシャーが精神を削り、減り続ける体力とともにいずれ限界が訪れる。という、恐怖。

 "敵は今どこにいる、だが後ろを振り返る余裕はない、足を止めてはならない、どこかに隠れられないのか、逃げろ、逃げろ。"

 選択肢があるように見えて、しかし選択する前にまず距離をとるという一行程を挟まねばならない。そうしなければアクションを一つ挟む分、逃げるための足が遅れる。

 もし相手が近くにいれば、そこでもうお終いだ。

 逃げるためには足を遅らせた分だけ余計に速く足を動かさねばならなくなるし、そうしたリスクを計算に入れながらずっと、完全に逃げられたと確証を得るまで闘争を津図家なけ


ればならなくなる。

 反面、追う側はそれと比べて幾分か気が楽だ。

 なにせ目の前の敵を追い続けることだけに集中できる。集中すればいい。

 視界に捉えている逃亡者を、見失うという失態を犯すことさえしなければ、あとは追いつくまで走るだけなのだから。

 それでも精神に負担が無いわけではないが、追われるよりはましであると言えよう。


 もっとも、時間に制限があったり、そもそも逃亡者よりも足が遅いというようなマイナスの要素でいくらでも変わってくる条件ではある。

 見失ってしまえばそれだけ焦燥するのは避けられないだろうし、追う側にも「必ず捕まえなければならない」というようなプレッシャーのかかってくる状況だってあるだろう。

 しかしそうした細かい条件を抜きにすれば、基本的には有利と不利ははっきりとしている。

 ゆえに、この夜を逃げるその人物にも、そうした焦りはあってしかるべきなのだが……。


「しつこいでスネ」


 だが彼――体つきから男と判断できる――に焦りは感じられない。

 むしろ、その口から感じられる感情には一種の余裕すら含まれている。

 競争遊戯の鬼役から逃げる子供が危機感を持つことなどないように、ここで捕まったとしてもどうということはないと思っている。つまり真剣に逃げていない。

 心に余裕があるためかその足取りは軽く、速さが減退する様子もなかった。

 ゆえに今、余裕が無いのは間違いなく追う側だった。


「この……っ、待ちなさいよ!」


「待てって言われてほんとに待つ人間ッテ、UMAと同じくらい見かけないヨネ」


 もちろん、その言葉に応じて足を止めるなどあり得ない。

 余裕を持つということは、相手を舐めて油断に足を取られてもいいということではない。

 目の前にある選択肢がいったいどういったもので、それが幾つあるのかを見極めること。足を動かしながらも、考えることを止めてはならないのだ。

 逃げる側はまずそれを思考するだけの余裕を持たねばならない。逃げ切るという勝利条件を満たすためには、足の速さ以外にも必要なことはある。

 逃走戦の前提であり、彼はそれを精神の面から確保していた。


(捕まっても、大きく問題にはならないケド……じゃあ捕まってもいいよってことにはならないよネェ)


 なら、逃げ切るためには何をするべきか。


(幸いここは市街地区……隠れるための場所はいくらでもあるケド)


 顔の上半分を隠すバイザー型の仮面から後方をわずかに確認しつつ、まず隠れることを思いつく。

 逃げる側としては当然、思い浮かぶ思考だ。つまり、状況を鬼ごっこからかくれんぼに変えることで相手をやりすごす。

 利点は、動かなくて済むために体力的な消耗を抑えることができるということ。だが見つかった瞬間にグンと距離を縮められてしまう難点も持つ。

 しかし成功さえすればまず確実に逃げ切ることができる手段であり、街中(まちなか)であるために身を隠す所には困らない。木を隠すなら森、人を隠すなら街だ。

 それに夜というのも好条件。暗闇は当たり前に人を見失いやすい。

 だが。


「駄目ダナ」


 ポツリと呟く。却下を意味する言葉を。

 その選択は論外だった。むしろ、一番ない(・・)と言ってもいい。

 何故ならまず真っ先に思いつく手段であるために敵も間違いなく警戒している。こちらを追うことに集中するということは、つまるところそうした一挙一動も見逃されないということだ


から。

 隠れるための行動など、まず許してはくれないだろう。


(それに、距離も問題ダ。危ないわけではなイガ、かと言って楽観できるものでもナイ)


 隠れる場所を見つけるためには、大前提として一度相手の視界から外れることが必要となる。

 一瞬、僅かな時だけでもいい。その一瞬で隠れるための場所を見つけてそこへと避難すること――それが隠れるということの、最低レベルの定義だ。これが最大になれば、一度


大きく距離を開けることや相手がわざわざ待ってくれることなど、たっぷりと溢れる余裕が必要になるが現状それは不可能。

 なら狙うとすれば、今は前者の条件だ。しかし、その隙を見出せるかどうか。


(路地を見つけてそこに入ルカ? いいや、逆に追い詰めてくれと言っているようなもノダ。相手もそれをわかっテル、だから無理に攻めて来ナイ)


 追う側もそれを見越していた。

 考える余裕は与えても、避難先を見つける暇は与えない……そうしてギリギリの綱走り(・・・)を作り出している。


(かと言って私にとって有利なわけでもないのよね。結局、捕まえられてはいないわけだし)


 そうして彼女――膨らんだ胸部などの身体つきから女だと確信できる――は走りながら息を落ち着けていく。

 確実に捕らえるためには、こちらも余裕を持たねばならない。

 サラシをきつく巻いているのか、大きく揺れない胸の奥にある心臓の鼓動を確かめながら、彼女は敵の位置を確認する。


 男が塀の上に一足飛びで乗り上げると、そのまま細い足場を駆けていく。

 不安定な場所であるにもかかわらず、彼は大地を走るかの如く揺らがない。先ほどまでと同じ速さを保ちながら、女を撒きにかかる。

 ――逃がさない!

 彼女もまた同じように飛び乗るべく足に力を入れ、すると一足先に男が塀の内側に駆け降りようとする様子が見えた。

 壁の向こうへと落ちることで、一時的にでも女の目をくらまそうとしているのだろう。

 ここで同じように飛び移ればそれだけロスが発生し、男に猶予を与えることになってしまう。

 ならばどうすると……逡巡することもなく、彼女はそのまま込めた力を開放して直進。

 ――肩から突っ込むことで壁を壊して(・・・・・)、無理やり男の姿を視認した。


「……やっぱり無理だっタナ」


(……ごめんなさい!!)


 一方は分かっていたことを確認し、もう一方は壊してしまった壁の持ち主に謝罪しながら足を緩めることなく逃走戦を再開。

 僅かに動こうとしていた状況は一瞬にして振出しに戻る。

 もっとも、戻ることを前提に動かそうとした状況ではあった。この程度で自分を見失ってくれるようなら、もうとっくに撒いていると男は敵を見縊ってはいなかった。


「どうすルカ」


 こんなお遊びを延々と続けていたくはない。彼にはやるべきことがあり、ならば近く勝負に出なければならない。


(大通りに出てみルカ? 出られれば逃げ切れる自信はあルガ……)


 もし人が多ければ今までのように大っぴらに走ることはできなくなり、逃走の可能性は跳ね上がる。

 ましてや男は仮面をつけているのだ。これを脱ぐだけで群衆に紛れることは容易である。

 だが、それは。


(出来ないでしょ。そんなリスクをあなたは冒せない)


 そう、出来ない。

 今は人通りも全くない場所を回ることで現状を維持しているものの、人通りに出ればまず減速をしなければならないのだ。

 双方、二足走法で車並みの速さ(・・・・・・)を出しながら走っているために、人が増えればまず足の回転を止めなければならなくなる。

 それが致命的な隙になるのは明らかだ。たちどころに追いつかれてしまい、そうなれば男の敗北が決定する。


(戦ってもいイガ、今は自信が無イ)


(腕に自信があるならとっくに戦うことになってるはず)


 二人の頭に、現在殴り合いの選択肢は無い。

 そういった話は追いつき追いつかれるか、逃げ切れるか逃げ切られるか……そこからである。


(別にここで倒されるのは構わないが……わざわざ情報(てのうち)をくれてやる必要も無いのだカラ)


 逃げきれなくてもいい。だができれば逃げ切りたい。あいまいな精神状態だったが、今は逆にそれが彼の余裕へと繋がっていた。


(そもそも今は急なことだったから領域(はこ)を使えてない。ここで戦うことは、諸刃どころか柄にまで刃が付いてる刀を握るようなものよ)


 しかし、膠着状態をこのまま続けていたくはない。

 時間は彼らに消耗を与える。

 まさか朝までこんなことを続けるわけにもいかないのだから。


(ならこっちから、もうちょっと速く動く? 追いつけない速さじゃない、一気に走れば多分……いや、でも)


(そうなればこちらも行幸ダ。お前の限界を見極めらレル)


 急な加速をしても追いつけなければと、思ってしまえばこちらもまたそのリスクがどうしても気になってしまう。

 逆に、急な加速を振り切り、一転して好機に変えることができればと思う場合もある。


(あいつの最大が私より速かったらもうそこでアウト。私は追いながら苦境に追いやられる)


(だがもし奴の最大が俺よりも速ければそこで終わり――俺としてはもう逃げる意味がなくナル)


(背を追う以外の方法を取らなきゃいけなくなる。でもそんなことしたら相手の思う壺じゃない)


(戦闘はできれば避けタイ。今はあまり目立ちたくはないかラナ)


 二人ともまだ加速の余地を持っている。

 それを無暗に開放することはせず、互いの出方を伺っている。


(まだ……)


(ここじゃ、ナイ)


 今か、今か今か、今か――――


 ――今!


「はァァッ!」


 先に仕掛けたのは追走者たる少女。瞬間遅れて、逃走者たる男も加速する。

 先ほどまでの倍以上の速さで走り出しながら、彼らの距離が縮まっていく。

 その結果からわかることは、つまり。


(――私の方が速い!)


(俺の方が遅イナ)


 このままいけば男が追い付かれるのは時間の問題だ。

 彼我の差は見る見るうちに縮まることが目に見えているし、そうなればこの逃走に決着がつく。

 そうなった場合どうなるか。

 秘密をすべて話すことはあり得ない。女もそこまでの期待は持っていないだろうし、あくまで捕縛か……あるいは殺害が優先だと推測される。

 だが捕まってしまえば、まず一つ、自分の情報が暴かれてしまう。

 戦いをできれば避けたいと思ったのも、すべてはその理由に集約する。

 情報がバレてしまえば、対策が取られる。対策が取られてしまうと、次に戦う時が不利になる。

 男が嫌がったのはその一点であり、だからこそ追いつかれそうになっている今も戦闘を避けるべく頭を回している。

 けれど。


(……こうするしかなイカ)


 男は走りながら少しずつ曲がり、Uターンをして女がいる方へと走る向きを変更する――。


 次に仕掛けたのは男だった。

 不利に働いた場を動かすには、まず自分から今までと違う動きをしなくてはならない。

 状況を動かさなければ、自己の不利はいつまで経っても覆らないからだ。

 だからこそ選ぶのは逃走ではなく、闘争でもなく、激突。交錯する瞬間にこそ勝機を見出し、見事この場を脱出するという目論見だろう。

 なるほど確かにそれしかない。死角である後方から追いつめられるよりは、いっそのこと自分から追走側へと接近すること。

 今の今まで捨ててきた、勝負という選択肢。

 それを選ばざるを得ない現状まで男を追い詰めたのだと、少女は確信した。


「でも……ッ!」


 初めて自分に向き合った男に対してひるむこともなく、むしろ望むところだと彼女は拳を握り締める。

 激突まで数秒もかからない。

 力勝負なら、まだ自分の領域だ。相手を殴り飛ばして、幕引きとしよう。


(――勝負!!)


 そのまま振り抜かれた右ストレートが、男の仮面ごと顔を殴り飛ばそうと唸る。

 速さに劣る男は、その拳にギリギリのところで対応できない。

 当然だ。彼はここで戦うことは不利だと判断したからこそ、今まで逃げていたのだから。

 急に勝負を選んだところで、有利になれるわけもない。

 だからこそ、この勝負は女へと軍配が上がる。


「――馬鹿ダロ、おマエ」


 ……それが女の敗因である。

 正面で向き合ったからと、勝負を選んでしまった心の緩みが油断を生んだ。

 若さゆえの経験の浅さか。楽に勝てる選択肢へと、一瞬目を誘導されたこと。

 忘れるな、ここはあくまで市街地区。

 隠れることができないからと、確かに一度は諦めた。かといって、じゃあその選択肢を諦めることと捨てることは全く別の話なのだ。

 諦めなければ夢は叶うとは言うが、それが真実だとしても諦めてしまえば何も叶わないというのは嘘だ。

 隠れる場所は幾らでもあるのだと、それを忘れた女の負けだ。


「捨てる時あレバ、拾う時アリ」


 瞬間、小さな爆発が起きる。

 一瞬の閃光と埃による煙とで、視界が一度くらまされる。反射で目も閉じてしまい、その僅かな時間だけ、彼女は男を見失う。

 今までずっと目を離さなかった。離してくれなかった。

 だから、こうする。離してくれるのを待つのではなく、自分から外させる。

 今までこの爆発を使わなかったのは、爆発が小さいために遠くで撃っても目くらましとして効果は薄かったからだ。加えて、遠くで使用しても女は目を瞑らない。

 女は蹴りで煙を払ったが、すでに男はそこにいなかった。

 ――地面には、蓋の開いたマンホール。


 前方へと集中すればよかった。敵の背を追うことに神経を傾ければよかった。

 しかしそれは、他への注意を散漫にしてもよいという意味とは必ずしも重ならない。

 これは子供の鬼ごっこではなく、鬼と鬼の逃走戦だったのだから。

 敵の背を追っていたのに加えて、敵が突然正面を向いたこと。それによって、彼女の目線は完全に前方へと釘付けになった。

 結果、下への注意を見落としていた。

 マンホールという単純にわかりやすい逃走経路を、その一瞬で忘却してしまったのだ。

 それだけではない。

 左右を見れば、二つの細い路地がある。少女は自分の不覚を悔いて、下を俯く。

 もうここからあの男を追うことはできないだろう。完全に見逃してしまった。

 恐らくは道かマンホールか、いずれかから逃げたのだろうが絞る手段を彼女は持たない。

 だから、次に。次こそは必ず、あの男を――。


 けれど、それにしてもと彼女は思う。


「怪しい動きをしてたから、追いかけてたけど……」


 奴は逃げた。明らかに、何かを隠していますと言わんばかりの行動で。

 胸騒ぎがした。何かが起こる、そんな予感が胸を走る。


「調べなきゃ、ね」


 到着したばかりの街で、少女はそんな決心をした。


 ――そして一方、少女から逃走した男は。

 左右の路地でも、マンホールの下でもなく。もっとずっと、遠く(・・)離れた場所に彼はいた。


「ふぅ。余計な時間を使ってしまっタナ」


 実のところ、逃げるだけならいつでもできた。無駄な逃走をするまでもなく、それこそ煙のように逃げられたのだ。

 それをしなかったのは、先の通り自分の情報が漏れるのを防ぐため。

 だからこそ、最後の最後。確実に敵の目を潰したその瞬間にだけ、彼は自分に秘められたソレを使った。


「まずいナァ。怒られるカナ」


 よりによって同業者に発見されてしまうとは、不運だった。

 誰か応援を呼ばれても面倒くさい。計画を少し早める必要があると、打診すべきだろう。

 

「くクク、でも、これはこれで良かったと言えるカナ? 何せそろそろだったのだカラ! これはこれで、タイミングが確定したってだけの話だヨナ!」


 ならば自分がこれ以上反省する必要もない。

 彼はそう結論付けて、再び夜を移動し始める。

 今度は走るのではなく、ゆっくりとした歩みで。


「デハ、尚早なガラ、序夜の逃走を終えまシタ。径路は街の一区域。

 喜んで勇メ――――お前の負ケダ」


 仮面の男が暗がりに消えていく。

 これから何かが起こるのだと、予感を匂わせる前触れを終えて。

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