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3.合わない二人

 教室の扉を開ける。ガラガラと音をたてながら引き戸が開けられると、そこから教室が一望できるようになる。

 彼はすぐに教室の中には入らず、とある席を迷わずまっすぐに見つめる。

 教室には朝早くに学園へ投稿して来た数人の生徒たちがすでに着席していたが、しかし。


「やっぱりいないか」


 机と椅子が規則的に並べられた室内に、目当ての姿は想像通り影も形も見当たらなかった。だがその机に恐らく中身などほとんど何も入っていないのだろう学生鞄がかけらていることから、学園に来ているらしいことだけはわかる。

 いつものことだと分かっていることだから、落胆に類する感情は動かないがそれでも腹立たしいとは感じてしまう。

 思わず顔を手で覆ってしまいそうだ。

 あいつは本当に何のために学園へ来ているのかと彼が嘆かわしく思ってしまうのは、決して間違いではないだろう。

 息をついて自分の机に――先ほど彼が見た机の隣にある机に鞄を置くと、彼もまた朝一番に学園へ来た誰かのように椅子には座らず早歩きで教室を出て行ってしまう。

 その際にクラスメイトが「また今日もか」と言いたげな苦笑いの表情でこちらを見ているのが視界の端に映ったが、気にせず階段へと向かう。

 朝学園に来てからこうして屋上へと向かう朝を送るのもこれで何度目になるだろうか。

 毎日毎日飽きもせず、よく続けていられるものだと自分でも思う。けれど自分から止めるわけにはいかない。

 向こうが折れるまで、止めるわけにはいかないのだ。

 屋上の扉を開けてそのまま歩く。

 昼休み以外には立ち入りが禁止されているのだが、彼は気にしない。

 もはや自分は優等生ではないのだという自覚があったから、今さらそんなものは気にしてはいられない。


「やっぱり、今日もまたここにいたか。葵賊院(きぞくいん)


 そして彼は、氷月(ひなづき) 赫狩(かがり)は目の前にいる少女へと声をかける。


「……いちゃ悪いかよ、氷月(ひなづき)


 声をかけられた少女、葵賊院(きぞくいん) 陽鳳(あげは)は俯きがちだった顔をゆっくりと持ち上げてカガリへと声を返した。


「悪りぃだろうが。お前、もう何度目だよここにいるの。数えるのもばからしいわ」


 彼女はいつものようにそこにいる。永遠のサボり魔、葵賊院は毎日この屋上にいる。

 なぜここに来るのか、カガリには興味もないし知りもしないことだったが、ともかく彼女はここで毎日のように授業だけをサボっているのだ。

 学園そのものをサボるならまだ姿も見ずに済むために学園としても気兼ねなく(良くないことで気兼ねなければならないことだが)無関心を貫けるものの、登校だけは欠かさずに行っているために中途半端な放置をきめられているのが彼女の現状だった。

 さらに、彼女が破っている校則はそれだけではない。

 どんな校則を破っているかは、彼女の風貌を見れば一目でわかるだろう。

 丈の長い、両の足に纏う衣装。

 彼女は学園指定のスカートを履いていない。

 その代わり、男子用制服であるズボンをはいているのだ。曰く、こちらの方が自分には動きやすいということらしいが、彼は彼女が動き回っているところなど一度も見たことがないため適当な言い訳なのだろうなと半分思っている。

 初めの方はこちらのことも教師に注意されていたのだが、無視を決め込む彼女にとうとう教師の方が折れた始末。

 そうして、この女は学園内唯一の男装少女というポジションを確固たるものにしているのだった。

 そんな学園からも半ば見捨てられている彼女のもとに、毎朝足繁く通うのがカガリだった。


「というか、よく進級できたもんだよなおい」


 去年も同じクラスだったカガリが覚えている限り、一度も授業を受けた姿を見たことがないアゲハが二年に上がっているのが不思議でならなかった。

 教師も見放している彼女がそのまま進級できるとはやはり素直には思えない。

 金でも払って無理やり進級したのか、それとも教師を脅しでもしたのかと疑ってしまう。


「お前こそ何度目だよ氷月。私が何度お前をここで追い払った。

 こっちは朝から疲れているんだよ、どうしてゆっくり休ませない。虐めかよ、よくないと思うぞそういうのクソ野郎」


「何が虐めだ。学園に来て授業を受けずに堂々とサボって悪びれもしないお前に休みがどうのと言う権利はねえ。いいから教室に戻って授業を受けやがれこの野郎」


 そもそも虐めとは個人又は不特定多数の人間が、特定の誰かを遊び半分な気持ちで酷い目に合わせる行為を指してそう言うのだ。少なくとも学園という広いようで狭いソサエティにおいては。

 しかし彼女は不良少女であり、しかも一対一で会話しているだけだ。これのどこが虐めなのか。


「断る。ジュギョーってのは受ける受けないの権利がこっちにあるものなんだよ、金払ってんのはどっちだと思ってるんだ。

 あと虐めってのも受けた側が虐めだと思ったら虐めなんだよ。そんなこともわからないの? 悪口だけなら虐めにならないとか言っちゃうタイプですか?

 いるんだよなぁ、そういう遊びのつもりだったとか言って責任逃れしようとする奴。最低だな。私の後ろから跳ぶだけでその最低の虐め野郎が今すぐこの世から消えるんだが、どうだ?」


「じゃあ金を払わずとっとと辞めればいいだろうが、何を寝ぼけた言い訳かましてんだ。金を払ってるってことは授業を受けますっつー意思表示なんだよ。

 あとこれを虐めだと思えるなら、学園よりも病院に行くべきだと思うぞ。その腐った性根は道徳じゃ間に合わん。腐敗が脳みそから全身に回る前に今すぐ切除をお勧めする、ああもしくはお前の後ろから跳び降りて人生やり直すかだな。その方がむしろ医者にその腐った頭を見せずに済むんじゃないか?」


「は?」


「あ?」


 口を開くや否や彼らの会話は一瞬で罵り合いにまで発展する。

 生理的に、どころか魂魄的に合わないこの男女は、致命的に相性が悪かった。


「はっ! 去年のことを根に持って一年間も粘着するような奴はさすが言うことが違うな氷月。なんだお前、私のストーカーかよ」


「あっはっは、面白いことを言うな葵賊院。……誰がお前なんかに慕情を持つか。客観的に自分を見つめなおしてから言えよタコ」


 視線の狭間で火花を散らしながらなおも口喧嘩を続行する二人。

 こんな二人が毎日罵り合いを続けているものだから、この学園では屋上に近づく者がいまやこの二人以外には一人もいないようになっていた。

 誰も自分から進んで口汚い言葉が飛び交う場所に来ようとは思わないからである。

 去年までは屋上でいくつかの友人グループや恋人たちが昼食をとっていたのだが、そのためにそのすべてが退散してしまっていた。

 夫婦喧嘩は犬も食わぬが、ただの喧嘩は猫も呆れるものだ。

 もっとも、喧嘩そのものよりも不良として校内で知られ多くの生徒から少々怖がられている葵賊院を怖れてという理由の方がどちらかと言えば大きいのだが。

 そんなことだからこの屋上は、現状二人専用の独占状態になっている。……そこで交わされているのは、睦言の類いでは決してなかったが。


「世間様では粘着野郎のことはストーカーって呼ぶ決まりなんだよ。一年間も付きまとうような奴をストーカーって呼ばずにどう呼ぶんだ? あ?」


「不良のクラスメイトを更生させようと、わざわざ、毎日、お前なんかに声をかけてやってるこの俺がストーカー呼ばわりされるなら教師は全員、約30人をストーキングしてる変態野郎になるわ。てめえこそ屋上に引きこもってるニート女じゃねえか」


「あァァ? ニートじゃないんですけどぉ!? 私はこうしてちゃんと外に出てんだろうが、どこが引きこもりだモノはちゃんと眼で見てから言えや。その眼は節穴か? なんなら私のと換えてみるかよ」


「ああ換えてみようか? そうすりゃその腐った顔も少しはマトモに見えるようになるだろうよ」


「んだとコラ――」


 予鈴のチャイムが鳴り響いたのはその瞬間だった。

 水を差された二人に口喧嘩はそこでピタリと止んだ。先ほどまでギャーギャーと煩く声が響いていた場を別の音が五月蠅く占有する。

 二人はまだ吐き足りない感情の行き先を見失ったことに対して同時に舌打ちし、次の瞬間には同時に舌打ちをやってしまったその事実にまた舌打ちをしそうになるが、また被さるのが嫌で思いとどまる。

 ギロリと睨み合うが、カガリは次の授業に出るために一刻も早くこの場を去らねばならなかった。


「……とにかく、授業に出ろ。そして俺ともう一度また勝負をしろ葵賊院」


「い、や、だ。というか何が勝負だよ、あんなものお前が勝手に負けたのなんだの言い張ってるだけだろう。勝手に言ってろよ、私にはどうでもいいんだ」


 一言一句はっきりと拒絶の意思を示しながらアゲハは言葉を吐き捨てる。


「だいたいお前、そもそも……」


 何かを言おうと口を開けたアゲハは、しかしすぐに。


「……ああ、まあ、いいや。面倒くせえ」


 しかしすぐに口を閉じた。それっきり、もう帰れと意思表示をするかのように。


「……チッ。とにかく、教室に来いよ! いいな!」


「はいはい。いってろいってろ」


 バタバタと早歩きでカガリが去り、バタンと扉が閉まる音がする。

 階段を降りる音が遠くに行くように消え去ると、屋上には静寂が訪れる。

 校庭にはもうほとんどだれもいなくなっており、ホームルームが始まる前の時間帯ゆえに校舎の喧騒もあまり聞こえない。

 再び暇になったアゲハは手のひらを枕にして、ベンチにごろりと寝転がる。この方が、雲もよく見えるから。


「……ふぁ」


 疲れているのは本当のようで、小さな欠伸を吐く。

 ぼけっと空を眺めるその表情には、何の感情も見受けられない。まるで人形のようだと、この場に第三者がいれば思ったことだろう。

 事実、他人にほとんど何も反応をしない――カガリに対してだけは攻撃的だが――人形のような不気味さ。そして、反応したとしても蟲のように冷血な視線を向けてくる恐怖。そうした、およそ一般的な高校生とはかけ離れた様子もまた、彼女が校内で恐れられている所以だった。

 授業が開始される合図を告げる本鈴のチャイムが鳴っても、彼女は音が聞こえていないかのように視線を動かさない。

 黙って風に揺られ動く雲を見つめながら時間が過ぎ去るのを待っている。

 すると、何かを思い出したかのようにアゲハはその手で自分の顔をペタペタと触っていく。

 何かを探るように手を動かす彼女は、その時だけ上半身を起こす。

 そうして顔の輪郭を確かめるように一通り撫で終えると、彼女は軽く眉を顰めて、ただ訝しむように呟いた。


「…………私の顔、そんなに酷い造りなのか……?」



***



 幾つかの授業が終わり、時間は昼休みに入った。

 長い授業を終えた後、生徒たちにとって一息を入れるための憩いの時間になったが、しかしカガリの様子は不機嫌そのものだった。

 理由は一つ、少女アゲハがやはり教室に現れることはなかったからである。

 しかしそんな様子を彼が見せていても、クラスメイト達には彼に気を使うという様子はなかった。もはや毎日の通例行事、いちいち気にする方が神経を使う。と、そう言いたげな様子すら見せない、まさに昼休みを満喫する学生の顔しかなかった。

 そもそも、去年のカガリの怒りっぷりはこんなものではなかったのだ。イライラという擬音が周囲にすら聞こえそうなほど不機嫌オーラを全開に拡散して止まなかった。彼もまたクラスメイト同様に慣れているからこそ不機嫌な様子を見せるだけで済んでいるのだ。

 そうした生徒たちの半分は教室に残るが、もう約半分は学食や外で昼食を食べるために教室を出ていく。

 カガリもまたそれに倣い、教室を出ようと――自分の客観的な姿くらいは彼もわかっているため迷惑にならないよう外に出るという目的もあった――して椅子を引いた時。


「まーた今日も振られたのか赫狩」


「……そういうのじゃねえから」


 クラスの友人たちが、カガリに声をかける。


「おまえも飽きないよな。なんだっけ、リベンジするんだっけ?」


「リベンジ?」


「あれ、おまえは知らないんだっけ? あ、そうか。入れ替え組かおまえ」


 基本、この学園では学年を経てもクラス替えというものが起きない。

 そもそも学年を経てクラスメイトがごっそりと入れ替わるのは、できる限り沢山の同級生たちと触れ合うためや友好を広めるためというのが目的だ。学力が均等になるよう生徒を分配したり、悪質な人間関係があるならそれを切り離すためにも行われるだろう。

 そうしたメリットが消えることがわかっていても、この学園は一年間よりも三年間というより長い期間でより強い結びつきを繋げるクラスを作ることという目的を謳っていた。

 もっとも、これはここ二、三年ほどで作られた試験的な試みであり、悪い影響が多ければすぐにでも撤廃する準備はできているらしいが。

 だからこそ、カガリは二年連続でアゲハと同クラスになっているのだった。

 入れ替え組とは、生徒たちの希望など幾つかある理由によってクラスを後退した少人数の生徒を指して呼ばれるものだ。


「おい、あんまり言いふらすなよ」


 あまり胸を張れるような理由ではないために、カガリは友人を窘めるが。


「わかってるよ、まあこいつなら良いだろ」


 そんな友人にまったくと息を吐きながらカガリはそれ以上何も言わなくなる。つまりは、まあ良いよということだった。


「じゃあ、俺は行くからな。自分の恥なんて他人に口から聞きたいもんじゃない」


「あいよ」


 会話を続ける友人たちを尻目に、カガリは教室を出ていく。その手にパンを手にしながら。


「んで、理由ってなんだよ」


「ほら、一年の時にあったろ。最初に受けた実テ」


「あー、あの初日に受けたやつな。あれがどうかしたの?」


 入学後の授業初日に受けた、クラスの全体的な、および平均的な勉学の実力を測ることを目的に行われた実力テストがあった。

 難しいものではなかったが、実力を図るという名目上簡単なものでもないテストだった。高得点をとれるのはクラス上位の数人程度というもので、学園の中間試験にも匹敵するような内容だ。

 生徒たちは授業が始まってすぐにそれを受ける。当然、カガリたちも例外ではない。


 それは、カガリとアゲハが出会った最初の日でもあった。

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