29.実験結果そして十六夜
地上とは全く違うところにある空間。大地の下深くに存在する試験施設。
地中に張り巡らされた道を走る鉄蟲に掠ることもなく、そこは確かに存在していた。
地上のどの建造物からも独立しており、まるで唐突に、その座標に忽然と現れた地中の浮島。
そこに、名も捨てた男の笑い声が響いていた。
「あははははははは! ははっははははは!!」
博爵は笑う。事が成ったのだから、その喜ばしい事実に対して笑わずにはいられない。その時がどんな状況だろうと、それがどんな偶然から生まれた産物だろうと、目的が成功したならば人は笑うべきなのだ。喜びを表現するということは、世界に対して「どうだ見たか」と宣言することに他ならず、世界に対して反逆するために生まれる人間の在り方として最も正道たるものなのだから。
逆に言えば成功を喜ぶことすらできない人間など、生きる資格すら持っていないのだと彼は考えている。嘆くばかり、泣くばかりの鼻タレなぞは例えどれほど力を持っていようとただのクソだ。
「そうは思わないかいリウくんんん?」
そう、博爵の目的――実験は成功したのだ。
「そうだネエ。個人的ニハ、他人なんてみんな玩具なんだから俺にからかわれるまでは笑ってようが泣いてようがどっちでもいいケド……」
そこで黒龍は一つ、浮かんだことを博爵に対して質問をする。この実験、最後の発動キーは実験の中心となるあの場所でアゲハという少女を交えた戦いにより、魔術師一名が命を落とすことだったはずだ。しかし……。
「どう見テモ、二人ともまだ生きてるように見えるんだケド」
あの二人はまだ生きていた。これでは、実験は発動しないのではないのか。当然の疑問だったが、しかし博爵は何も不思議がることなくその質問に答えを返す。
「あっはっは。リウくん、君は僕が成功条件をたった一つだけに絞ると思っていたのかい。保険をかけていたのさ、保険を」
用心は怠らない。勝つ前に、兜の緒は締めておかなければならない。
もちろん本命の成功条件はアゲハが敵性魔術師を一人殺すことだったが、万が一彼女が博爵たちを裏切らないという可能性も考えておかなくてはならないだろう。裏切るはずがないという確信はあったが、だからと言ってそれを怠っていいという理由にはならない。もっとも、戦闘というものは基本的に人が死んで当然のものであるため、戦闘さえ発生すれば後は考えなくてもいい保険のはず、はずだったのだ。
「死者が出なくても膨大な魔力が四散すれば、それを用いて陣を刺激させ、実験を発動させる……もっとも、これは相当に質と量共に高い魔力が発生しなければならなかったのだがね。確実さに欠ける以上、やはり保険でしかなかったのだよ」
ゆえに、人が死ななくてもいいのならそちらの方がいいのではないか、という話にはならない。百パーセント確実なのは、人死にが出る方の条件であるのだから。
だが、どちらの条件であったとしても成功は成功だ。今、実験の結果が彼らの前に現れる。博爵の実験……その成果が、今ここに。
「さあ、来るぞ……!!」
街を覆う魔方陣の輝き。常人の目には見えぬその輝きが、次第に収まっていく。いいや、これは街の中に溶け込んでいるのだ。つまりそれは、結界の解除を意味する。
結界――"領域"同様、現実に魔術の影響を及ぼさないためのものでもあったそれが解かれたということは、今何らかの魔術が発動されれば、それが直接街を襲うということになる。これこそが、恐るべきことだったのだ。まともな倫理観を有していない博爵の発動する魔術など、碌なことではないだろうから。
地中より音が迫る。
昇る、昇る。魔術が昇る。
地の獄より魔術が飛び出し、空へ向けて駆け抜けていく。駆け抜ける光の姿は竜の尾にも似ていて、美しい神秘の輝きがそこにはあった。
そしてとうとう、彼の魔術が――――破裂した。
――パーン!
「……たーまやーー」
大地から次々に飛び立つ光の尾は、空高く飛ぶと同時に、星々瞬く夜の帳に大輪の花を咲かせていく。
光と音とのコラボレーションが、夜空に咲かせる空の花。それは、それはどう見ても、この国の祭典にて昔から行われる古式ゆかしい伝統の大火。火薬と金粉の混成物にして、夏を飾る風物詩の一つ。
すなわち――花火、であった。
「うふふ、ははは」
「キヒ、キヒヒヒヒヒヒ」
笑みが零れる。笑わずにいられようか。いったいいつ、誰が! この街を破壊しようなんて、言ったというのか!!
「うはははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!!!」
「キヒヒヒヒはハハハハハハヒアヒハアアハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!」
悪党がいついかなる時も、混沌と破壊しか望まないと誰が決めた。偶にはこんな、この程度の、ささやかな悪事で満足する大悪党も存在するのだ。
「あははははは!! 引っかかったな間抜けえ!! 餌をつるして間抜けを釣って、あとは戦いを誘発させるだけでよかった! そうすれば、あとは勝手にこの実験の中心地……彼女が待つ本命の所にまで、勝手に行ってくれるからねえ。この実験はその性質上、実行の時まで誰にもバレないよう隠れて行う必要があった。でもそれも、実行の時までだ。時が来たなら、あとはバレても問題ない……いや、むしろバレた方が都合はいい。彼女の元まで行けば、あとは彼女がやってくれる」
「つマリ、俺たちを止めようという行動は完全に無駄足だったわけダガ……マアそれはそれで結果は良しだロウ。何せ最悪の犠牲だケハ、出ることもなく終わるんだかラネ。キヒヒヒヒ」
もっとも、最悪の犠牲は出ないからと言って、それ以前に何人もの犠牲者は出ているのだから、それを止めようとする行動に間違いなどあるはずもないし無駄足であるわけもない。しかし、彼らは悪党なのだ。その行動を平気で馬鹿にするし、愚弄する。それが悪の、屑の屑たる所以なのだから。
そもそも、彼らはアゲハたち実験台を調達するために大事故を平気で起こし、それを隠蔽している。無論隠蔽されているのだからそれが知られる由はないが、しかしそんな悪党が引き起こそうとする実験なんて、どう考えても何かとんでもないことであるに違いないと予想するのは当然なのだ。
正義の心を持っている者ならば誰だって止めようと考えるだろうし、今回が何の犠牲も出ない結果を生み出す実験だったのは、結果論に近いことである。
「実験は成功だ。僕の、長い実験は終わった」
そう。「花火を上げる」こと、それが彼らの目的だったのである。黒龍は、何も嘘を言っていなかった。
それだけ、たったそれだけのために、彼らは行動を起こしたのかと考えるかもしれない。だが、もちろんこれがただの花火であるはずもない。
先ほど犠牲者は誰一人として出ないと言ったが、しかしそれは彼らの側から見た話。事実は、もっととんでもないことにまで発展する可能性があったのだ。ゆえに……これを止めようとした彼女の行動には何の間違いもなければ無駄足でもなく、むしろ彼らの実験を止めようと行動した彼女の正義は、誇るべきことだった。彼女の名誉に誓い、それだけは事実であった。
この花火だが、その正体は火薬だの金属粉だのではない。これは、魔術によって造られた花火であり、この魔術は「特殊な花火を打ち上げる」魔術なのである。
――だから何だ?
そう思っただろうか。花火を打ち上げる、ただそれだけのために犠牲者を生み、何人も殺し、街一つを巻き込む大規模な実験を行ったのかとそう思うだろうか。だがこの世界の仕組みを思い出せば、この花火がとんでもない"爆弾"だということは明らかなのだ。
この世界の仕組み、それは「魔術と科学は決して交わらない」というもの。科学側、つまりごく普通の世に生きる人々が魔術を目撃した場合、見られた魔術師ごとその人物は消滅する。そして逆も同様で、魔術師が科学側の人間に魔術を見られてしまった場合、その人物を巻き込んで魔術師は存在ごとこの世から消失する。
魔術という概念と科学という概念は、例えるなら物質と反物質のような性質を持っている。そのため、片方が世界の基礎文明として発展すればもう片方は隠された裏の顔として生きていくことになり、もし交わった場合互いに消えてしまうことになる。それがこの世界のルールであり、■■dsin閲■jdsun覧@@@◇□kdni不vvv■■■yu許vvvfff■ff可。
そして今、結界は解かれている。
魔術で造られた花火が、科学側の住人である衆目の目に晒されているのだ。――すなわち、これは、世界のルールに真っ向から反逆するという大実験だったのである。
花火という形を選んだのは、それが科学側から見ても何ら不自然に映らない自然な形だったからだ。花火という科学技術に擬態して、魔術を魔術と思わせず人々の目に晒し、博爵の造り上げた魔術効果を持って"領域"のように世界の目を曇らせる。そうすることで、魔術と科学が交わった時の反発現象を無理やり発生さないよう、ただの花火として、人々の目からも世界の目からも偽装すること。
それこそが彼の実験。積み上げた犠牲の上で笑うための、博爵のすべてだった。
そして、彼がこんなことを企んだ、その理由とは。
「はぁぁ……うっとりするねぇ。やっちゃあ駄目って言われたら、じゃあやってみようと思うのが……自然なことであると、そう思わないかい」
たったそれだけ。タバコを吸ってはいけないと教えられた中高生が、反抗心からタバコを吸うのと何ら変わらない精神。たったそれだけで、博爵はこの街どころか世界をも巻き込んだ実験を執り行ったのだ。
「キヒヒ。俺たちノ、完全勝利というわケダ。なあ、ドクトル」
その勝利宣言に――――。
「――――いいや、これは僕たちの敗北だよ、リウくん」
「…………ハァ?」
博爵は、否定の言葉で返した。
「僕はね、彼女にこう言ったのだよ。時が来たら、その場所で魔術師を一人殺せと。そして実験が成功した時、君を自由にすると」
「……それがどうシタ? 彼女は俺たちの目論見どオリ、こうして実験を成功させたじゃあなイカ」
意味が分からない。黒龍は、どうして彼が敗北宣言などしたのかがわからなかった。
しかし博爵の中では、これは筋の通った敗北なのだ。
「彼女は……自由よりも、現れた少年との決着を望んだ。僕の出した条件を知らぬと押し退け、そして結果的に、僕はこうして念のために用意した保険なんぞで実験を成功させている。……これが、敗北でなくて何だ?」
博爵は床を思いきり殴りつける。彼は今まさに、屈辱を感じていた。
「科学者は、いいや世に生きる何かの探究者たちは、こんなことを言うそうだね。完璧とは、すなわち終わりなのだと。完璧などというものは嫌悪すべきものであり、我々は決して完璧などという終わりの地平に……ゴールに辿り着いてはならないのだと。全くだ、正論だ、吐き気がするほど正しい論理だ。真理に等しい言葉だとも。完璧に辿り着いた瞬間、そいつは終わりを迎えるからねえ。終わりを迎えるってことは、つまりそいつはそれ以上どこにも行けないってことだからねえ……!」
その言葉は正しい。完璧とは目指すものであると同時に、最も遠ざけなければならないものでもあるのだ。
だが博爵は同時に、こうも思う。
「完璧という地平に、結果として到達してはならない。だが! 我々が進み続ける道の過程は、すべて完璧でなければならないのだ!!」
ゴールに到着するのは死と同義だが、だからと言ってこの道の途中に起こす実験結果が50点の出来栄えでどうする? 取るならば、100点を取り続けるべきなのだ。そうでなければ、完全なる成功などとはとても言えない。
博爵はアゲハにあの少女を殺させることで、博爵の出した条件と1ミリも違わない達成条件を満たさせることで、アゲハに勝利するつもりだったのだ。
「完璧とは、完全とは終焉だ! そこからは何も始まらない。だがねえ、完璧に勝利し続けることこそが、完璧に辿り着かず僕自身を完璧にする、たった一つの方法なのだ!!」
なぜならば、博爵の現協力者である黒龍は――とうの昔に、少女によって敗北しているのだから。
「君は昔、彼女を思い切り蹴りつけたことがあったね」
「アア、そんなこともあったケド……」
「あの時だよ。あの時、君は敗北していたのだ。どうして悔しいと思わない、リウくん」
蹴り飛ばしたのだ。当時から既に大きな力を身に着けていた大の戦闘魔術師が、いくら天才とはいえ魔術を覚えてから大して時間も経っていない小さな女の子を思い切り蹴りつけたのに。にも拘らず、あの時の少女は痛みをこらえて立ち上がり、彼らへ屈服することを良しとしなかった。
絶対に、彼以外に敗北しない――無意識下の情熱が、彼らへの恐怖など感じさせはしなかった。大人と子供の戦力差を考えてからこの結果を改めて見るに、これが黒龍の敗北でなくて何だという。
血を思いきり吐き出すような傷を負っても立ち上がった彼女の強さ。あの時、黒龍は逃亡首謀者たる少女こそからかい切った……だが、友人になれるかもしれなかった女の子を殴り殺してでも、死と屈服を拒絶した女がいた。それは、彼女へ恐怖を与えきれなかった、黒龍の敗北なのである。
「だから、今度は僕の番だった。彼女がもし……僕の施しによって自由の身となったなら、それは僕の勝ちだ。彼女は、僕へ屈服したことになる。彼女へ宛がった生贄は……君の手で衰弱していたからね。」
アゲハが自由への挑戦権を得る勝ち残り戦において、死ねばそれはそれで構わない。戦わずして、博爵の勝利は確定する。だが博爵の予想を超えて、彼女が挑戦権を獲得したならば、そこからは彼女と博爵との対決だ。
彼の出した条件、どんな奴でも構わないから、魔術師を一人殺せ。彼女がいつものように無気力にそれを成して自由の身になっても……それは彼の敷いたレールの上を走る行為に他ならず、それは自由の身という名の敗北者だ。そんな敗北者となるか。それとも博爵の予想を更に超え、あの時に黒龍へと見せた微かな情熱をもう一度滾らせ自由を勝ち取るのか。これは、そういう勝負だった。
「認めよう、僕の敗北を、潔くね。そして今、君が僕に勝利したことで、一つの疑問が浮かび上がる」
黒龍はもう何も言えなかった。博爵が宣言した、自分たちの敗北。ああ確かに、今思えばあれは自分の敗北だったかもしれない。そして今、協力者も敗北した。
そして博爵と同じように、黒龍は彼と同じ疑問を同時に考えていた。そしてもう一つ、ああまさか、まさか自分が。そんな屈辱を、この"悪の味方"劉・黒龍が受けていたなどと、そんなまさかと思いつつも、しかし先ほど博爵もこう言っていたじゃあないか。――取り続けるべきは、100点であるべきなのだと。
ゆえに未来は変わりだす。完全なる勝利から、完全なる敗北へと、未来が動いて彼らに指針を示しだす。――完全なる敗北とは、勝利条件のすべてが逆転し、敗北が重なるという状況をも指すのだ。
彼女がもしも、博爵に敗北していたならば……博爵の出した条件で完璧に実験を発動させていたならば、博爵たちは悠々と完全なる勝利を味わってから誰にも見つかることなく余裕をもってこの街を去っただろう。
だが……彼女が勝ち取った条件で、実験が発動したならば。不完全な保険の条件で実験が作動したなら、必ず綻びが発生する。
「そう、疑問だ。完全なる勝利を、もしも君が勝ち取ったと言うのなら――――あの時の少女は、本当に死んでいたのか?」
その、瞬間。
「――さすが、博爵。外道のくせに、頭脳だけは天才ですね」
その空間に、もう一人の声が響く。馬鹿な、この場は彼らだけの秘密施設。実験の成果を観察するために造られた場所。部外者が入ることは決してできないはずなのに、聞いたこともない声が彼らの耳に届いた。いや、本当に聞いたことのない声なのか?
だがここに入れるのは、鍵となる術を持つ三人のみ。すなわち、竜をも落とすと謳われた"悪の味方"。己の能力で博爵の地位を得た男。そして――。
「そう。あの子は既に、渡していたのよ。この場の鍵となる術をあの時に、私の協力者にね」
そこに現れたのは女だった。彼らはその女に、どことなく見覚えがあった。
「"鈍え"――『遊亀猶歌』」
眼鏡をかけ、顔に僅かな傷跡を残している女。傷を抜きにして見れば、出会ったあの日に彼女が予想した通り、まさしく男を惑わせるだろう美貌。
あの時のような、ふわりとした雰囲気だけが抜け落ちているその女の名は――光藤 彩香。
脱走が失敗したあの日、葵賊院 陽鳳に殺されたはずの女が、そこにいた。
「やはり、か……! だがなぜ君が、あの時確かに死んだのを確認したはず……! いや、そもそもどうしてこの場所を」
「ええ、死んでいたわよ。けれどね、自分では気づいてなかった節があったけどあの子は……陽鳳ちゃんは完璧主義なの。私を殺してはい終わり、だなんて。あの子のプライドが許さない」
未来が指針を示しだす――彼らに、完璧なる敗北を。そして、相応なる裁きの幕を。
彼女たちの、完全なる勝利に向けて。
「教えてあげる。私の死因は殴殺じゃない――凍死よ。それも、肉体機能を凍結された仮死状態。陽鳳ちゃんの魔術は"冬"なんだから、とっくに気づくべきだった。仮面バカだけじゃない。あなた達は二人とも、陽鳳ちゃんに負けていたのよ。残念だったわね、博爵さん」
光藤 彩香の魔術『遊亀猶歌』、それは進退遅行魔術。物事すべての進行を、まさしく亀の歩みのように遅くできる魔術だ。
「私たちの発見を遅らせた。どうせ誰も入ってこれないからって、油断したわね黒龍」
あの時、彼女たちは二人とも固有魔術に目覚めていた。アゲハが本気で彩香を殴っていたのは確かだが、しかし最後の最後、とどめの一撃だけは違った。彼女は彩香を瞬間的に凍結させて、自分の拳で彼女が殴り殺されることだけは防いだ。
彩香もまた、その優れた子供離れの頭脳ですぐに彼女の目的に気づく。そして魔術を発動し、二人の魔術発動の発見を、現在と同じように遅らせた。事が終わり、悪辣なる彼らがその場を去った後に魔術発動の痕跡が浮上しても、誰も気づけないように。
彩香の凍結はすぐさま解除されたが、しかし既に彼女は仮死状態。心臓は止まっていたが、それは博爵が生死を確かめた時に、死んだと誤認させるため。
凍結の解除と共に仮死状態も解かれるが、しかし彩香は心臓が鼓動を再開して自分が生き返るのを"遅らせる"ことで、死体がどこか適当な場所に捨てられた後で蘇ることが出来るように調整したのだ。念のためにともう一発とどめの一撃を撃たれていれば成功することはなかった賭けではあったが、しかし結果は御覧の通り。彼女ら二人は成功したのだ。
「名付けて即席の友情合体魔術、ってとこかな。……なんて、陽鳳ちゃんは私のことを友達だなんて思っていないでしょうけれど」
助けるのに失敗して本当に殺してしまったとしても、それはそれで構わなかったのかもしれない。アゲハの心は、どっちに転ぼうと動かなかったに違いないから。
けれど、助けてくれた。例え自分のプライドを守るためだとしても、それは彩香にとって彼女への友情を捨て去る理由にはならない。あちらがどう思っていても、こっちが勝手に友情を感じる分には、別に構わないだろう。
そして彼女が博爵に勝利したことによる、不完全な形での実験発動。それはほんの僅かだが、この施設を隠蔽する術式に綻びを生んだのだ。そして、その瞬間だけを狙って生きてきた彩香にとって、それを見つけることは人生の目的でもあった。だから、見つけることができた。
「だから。さあ、復讐に来てあげたわよ」
アゲハは念願の決着を上で迎えている。ゆえに彩香も今、悲願の復讐を果たす時だ。
「……ははは、ふははは……不完全に実験は発動し、この施設の場所も明かされ、おまけにあの時殺害を命じた少女が実は生きていたと。なるほど、なるほどこれは確かに。僕らの完全敗北だ……なんという、屈辱」
「…………キヒ……キハハハハハハ……」
博爵は震え、そして黒龍は笑う。笑うしかないだろう。敗北とか完璧だとかはどうでもいい。だが、見過ごせないことがある。これが敗北というのなら、まさにこれ以上の敗北はない。なぜって、なぜなら。
「貴様ら……! まさかこ、こここの俺を、あの時――この劉・黒龍をからかったのカァァァァアッッッ!!!!!???」
子供二人が、即席で自分たちを騙して生き延びる。それは彼が何よりも好み、そして逆に、自分がされるのは何よりも嫌う行為。誰かをからかうということに、他ならなかったのだから。
ゆえに黒龍は今、珍しくも狼狽している。狼狽え、驚愕し、醜態を晒している。
「あら仮面バカ、あなた何を言っているの。――からかったに、決まってるじゃない!」
――ああ。ずっと言ってやりたかった、ざまあ見ろ!
「調子ニ、乗るナヨ……! 許さなイゾ、貴様。復讐結構、だがまサカ俺に勝てると思っているノカ!? お前ごとキガ!」
彩香では彼に勝てない。例え屑でも"悪の味方"劉・黒龍の実力は高い。不滅遍在魔術『虹霓悪骑士』を使えば、最大で八人による多角攻撃が可能なうえに、一人一人を倒しても黒龍の魔力が続く限りすぐさま復活する。そして何より、黒龍が一人でも生き残っている限り、すぐに無傷の黒龍が呼び出されるという点が何よりも厄介な特性だった。
攻撃力、そして生存力に優れた完全なる戦闘用魔術。戦っても強ければ逃走に徹しても強い、まさに"悪の味方"を"悪の味方"たらしめる力である。
「ええ、確かに。私では勝てないでしょうね」
彩香の『遊亀猶歌』は直接戦闘用ではない。戦闘に使えないわけではないが、彩香自身が自分を戦闘員だと見なしていないために直接的な戦闘では使えないのだ。というより、彼女自身が他人と殴り合うような体をしていない。
だが、しかし、それなら間接的に戦えばいいだけの話。何も殴り合うだけが戦いではなく、支援という役割に徹した場合、この魔術は恐ろしく効果を発揮する。
「でも言ったでしょう、さっき」
――私"たち"の発見を遅らせた。
「まさか……!?」
博爵は気づく、だがもう遅い。
「私たち、って」
彩香の後ろから、もう一人。彼女から鍵を受け取った最後の少女が現れる。それが誰かといえば、彼女から鍵を受け取るタイミングがあった人物は限られている。
しかし、考えるまでもないだろう。この夜に、彼女と接触した人物など、ほんの二人ほどしか存在しない。
そのうちの一人でもある彼女の宿敵たる少年は、今は決着の瞬間を迎えている。ならば、残った人物は、一人しかいない。
曰く、棒倒しでこの街にやって来たという少女。――棒倒しとは、二チームに分かれてどちらが棒を倒せるか争う勝負である。この勝負、少女は協力者として、彩香の存在を口走ることは出来なかった。
曰く、偶然にも黒龍と遭遇したという少女。曰く、偶然にも街で殺人事件が起きていたという少女。それらを見過ごすことは、出来なかったという少女。それらは真実、真実だが……偶然にしては、カガリの言っていた通りタイミングが良すぎるだろう。
よって、これらはすべて必然である。時期が来た時、博爵たちは魔術師――できれば正義感のあるような――をおびき寄せるよう、少しばかり誘導した。そして、彩香もまた、それに合わせてこちらからも誘導して送り出したのだ。その少女を、偶然を装うよう言い聞かせて。
彩香の協力者は少ない。彼女は彼らへの復讐を決意していたが、しかし彼女は子供だった。邪悪な魔術師が何かを企んでいるといったところで聞いてもらえるわけもなく、そもそも一般人には打ち明けることもできない。自分と同じ魔術師は探すのにも苦労するし、探せても後ろ盾も証拠も何もない言葉に信憑性はない。
数年経っても一人きりだった彩香の言葉を……しかし一人だけ、馬鹿正直に聞いてくれる誰かがいた。彩香にとっての、二人目の友達。
それはたまたま、ほんとの本当に、今度こそ偶然に、そこを通りがかった……"正義の味方"を自称する少女だった。
「――これで最後よ、悪党!」
甲高い声が道に響く。
いつものように、彼女は叫ぶ。まるでそれが、己の義務なのだと言わんばかりに。それこそが、自分の存在証明なのだと言うように。
「……コノ、声ハ……⁉︎」
戦うべき悪のいるところ、すなわち彼女の光があり。
黒龍は知っている。この声、この言葉、この甲高い正義の宣言。それはついさっき叩きのめしたはずの――。
「諦めろと人は言う、出来っこないと利口ぶる、無理無茶無謀だ無を重ね、正義の足を引こうと伸ばす。その手を伸ばして足を引く。口で正義の名を穢し、その二文字で言葉を吐けば、免罪符だと思ってる。
剣を構えて"諦めない"と、誰に言ってもこの世の悪はなくならない。気合い、根性、精神論、諦めないって言葉には、何の力も宿ってないから。正義の心をいくら説いても、正義の逆は別の正義と決めつけられる。
――けれど私は! あえて私はこう言おう!! 知ったことかと叫んで見せよう!!
……ええ、ええ、そうよ! 諦めないって、他の誰でもない、私が言ってんのよ! だったら私は諦めないわよ、そしたら黙って見てなさいよ! 私が絶対に諦めないってことと、あんた達に何の関係があるって言うのよ!! 諦めない人の邪魔がしたいなら、自分の足を縛ってずっとそこに手を伸ばしてろ!!
正義の反対はまた別の正義で、正義があるからこの世の争いはなくならなくて、正義がある限り戦いは続くって? ……馬鹿にするなぁっっ!!!
正義って言葉を、何だと思ってるのよ! 正義は正義で、反対なんてあるわけないでしょうが!! 自分たちの不備を、正義のせいにしてんじゃないわよ馬ーーーーーーーーーー鹿!!!!!!」
何度だって、彼女は叫ぶ。
助けを求める人々に、私が来たと叫ぶため。そして何より、正義という名の在り方を、この世すべてに知らしめるため。
正義が二つ存在すれば、戦が起こると誰かが言った。だがここで、あえて当然のことを言ってみようか。
争いを推奨するような心根が、正義と呼べるはずないだろ……と。自分の大切なものを守り合うためにぶつかったり、殺し合ったり、それは人間の拭えない業で、けれど素晴らしいことでもある心なのかもしれない。少女もそれは否定しない。
その上で、少女はこうも思うのだ。正義を掲げ合わなければ戦い合えないなら、そんな二文字は捨ててしまえと。それは結局、あなた達がそうしたいから戦うのだ。それは正でも義でもなく、あなた達のそうしたいという願望だろう。
願望ならば願望らしく、そうしたいと生の心で叫んでみろよ。
ゆえにこそ、この身この腕この剣、この心で叫んでみせよう。これが、これこそが、私の求めた"正義"であると!
「助けを求める声あれば、疾風の如く駆けつけましょう! 恐怖に怯える者あらば、木々の如く寄り添いましょう! 怒りに燃ゆるは猛火の如く、私は決して許さない! 折れず、曲がらず、揺らがない、不動の心は大空近き美山の如く! 夜陰に昇るは正義の月光、悪を射抜くは矢の如し!!
ゆえにすなわち、私の剣は三日朏玉兎。神は人を助けない、法は今を救わない、人は善に流れない。だとしても、だから私は正義のヒーロー、通りすがりの正義の味方!
いったい私は誰かって? 私の名前は何かって? もちろん答えてあげましょう! 聞かれなくても答えましょう! 正々堂々正義道、それが私の生きる道!! 誰だか分かっているでしょう? 私が誰だか分るでしょう?」
御覧、正義の一番月。
「私の名前は――灰久森 兎角!」
正義の味方が、やって来る。
「私が! 参上! 大・参・上!!」
灰汁のように悪は湧く。それは森に聳える木々のように沢山の数で、久遠に消えることはないかもしれない。本当の意味での正義の心なんて、兎の角のように不確かなものなのかもしれない。
けれどね、それでも。
私は兎に角、何が何でも、悪を斬ってその証を山のように盛りつけてやる。
だから私は――私の名前は灰久森 兎角。
「"跳び斬れ"」
「"変身"」
実際のところ、兎角が最後まで生き残ることが出来るかどうかは彩香にとっても賭けに近かった。実験の性質上、黒龍は兎角を殺さないだろう。だが、アゲハがどうかは分からなかった。彼女がもし自分の自由を優先し、自分の中に眠っていた熱を見過ごしていれば、兎角は死んでいたかもしれない。この施設の捜索を中断して彼女の援護に向かっても、間に合わなくなっていたかもしれない。
けれど、結果は見ての通り。彼女は自分の意思を貫いて、願いを叶えた。彩香も自分の友達を信じた。
例えアゲハにとっては、目の前にいる自称正義の味方を名乗る女に、こいつらを倒す文字通りの鍵をなんとなく渡してみた程度の感覚だとしても。
彩香があの時、アゲハの目論見を察したように、アゲハも彩香の賭けに乗ってくれた。結局最後まで友情を感じることのできなかった少女へ向けて、贐を送ってくれたのだ。同じように、賭けへと乗ってくれたのだ。
だからこれは、葵賊院 陽鳳の――完全勝利だ。
「賭けには勝った、もう恐れるものは何もない。……兎角ちゃんには、少し悪いことしちゃったけどね」
黒龍を無敵たらしめる『虹霓悪骑士』にも、しかし弱点はある。だからこそ、彼は普段から正義の味方を恐れ、逃走という手段を用いているのだ。本当の意味で無敵なら、そもそも逃げる必要がないのだから。
まず一つ目、広範囲攻撃に弱い。いくら復活できるといっても、それは八人のうち誰か一人でも残っていればの話で、八人全員を纏めて焼き殺すことができれば復活はできない。
次に二つ目、魔力限界。復活回数は彼の魔力量に依存する以上、魔力がもつならの話だが黒龍の魔力が尽きるまで戦い続けたなら彼を殺しきることはできる。
更に三つ目、分裂した黒龍同士の距離が離れすぎると、うち一人にしか意思を残すことができない。本体というわけではないが、残り七人は単純な命令しかこなせなくなる。ただし四人以上が集結している場合は、もう四人がどれだけ離れていても四人全員が意識を持てる。残り四人は、離れすぎていれば意思はなくなるが、近づけば意思が復活する。彼を滅ぼしきるための弱点ではないが、欠点の一つではある。
また四つ目、復活できるのは、分身体が多く存在する方のみであるということ。いや正確には、多く存在する方が滅されてしまうと少ない方も纏めて死亡するのだ。
分かりやすくその制限を述べると、例えば街の東側に五人、西側に三人の黒龍が分裂しているとしよう。どちらで黒龍を殺しても、魔力ある限り復活するのに変わりはない。このうち、三人の方が全員纏めて殺されるとしよう、そうすると五人の方で三人が復活する。
だが五人の方が纏めて殺された場合、離れた場にいる三人も死亡してしまう。これはどこでいくら殺されても構わなくなってしまうというノーリスクを持つことができなかったために発生してしまった弱点。万能に見える魔術にも必ずリスクが存在するのは彼の魔術も例外ではないゆえに、完全な不死性を持つことはできなかった。
ゆえに普段、黒龍はこの弱点をカバーするためにバラバラになる時は複数人で纏まらず一人一人バラバラの場所に移動している。ついでに五つ目、分裂体同士の距離が離れすぎた場合、一人一人の戦闘力が落ちる。
最後に六つ目。分裂していない時に殺された場合、自分を復活させる自分がいなくなるために復活できずそのまま死亡するということ。
一つ目の弱点を突く技を、彼女たちは二人とも持っていない。二つ目は既に兎角が失敗し、この弱点を突ける魔術師を味方に付けることは出来なかった。四つ目と五つ目の弱点は、黒龍が分裂体を拡散していない以上は無意味だ。
ゆえに――。
「『三日朏玉兎』!」
ここで取るべき選択は一つ。
「私の『遊亀猶歌』と兎角ちゃんの『三日朏玉兎』なら、それが出来る」
黒龍は決して倒せない敵ではない。
「『虹霓悪骑士』」
三人の魔術師は睨み合う。博爵の等価制限魔術は、戦闘力を持つことができないという制限があるために戦力として数える必要は薄い。
だから、勝利条件は一つずつ。
黒龍は彩香よりも兎角を倒せば、攻撃手段を失った彩香の敗北。兎角は黒龍を倒せば、自衛手段を失った博爵の敗北。
上の決着と同時に、人知れない地下でもう一つの戦いが始まっていた。
……え? 一体どっちが勝ったんだって?
そんなの決まっているでしょう? けれど、どうしても知りたいって言うのなら、ここで答えてあげましょう。
いかなる時も、どんな時代も、最後の真理はいつだって不変だと決まっているのだ。
だからここで一つだけ、この格言を教えてあげる。
あのね――正義は必ず、勝つってさ。




