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26.Rise Escalation

「"噛み砕け"――――『炎呑(えんてん)』ッッ!!!」


 さあ、あの宿敵を超えて行こう。

 それこそが、少年のたった一つの願いなのだから。


「魔弾・充装」


 カガリの両腕に幾条かの(ライン)が走る。魔力を潤滑に供給するためのものであり、彼の体を彼の魔術から保護するためのものだ。

 彼の魔術は、自爆の可能性すら秘めた不安定な代物。だがそれゆえに――その威力は折り紙付きだ。

 元よりこの魔術はそのためのもの。眼前の宿敵を倒すための、ぶっ飛ばすための魔術なのだから。


「果炎・甲着」


 魔力が線を通って拳に供給される。拳が赤い魔力に薄ぼんやりと覆われ、熱を纏う。

 これを見て、この魔術がどういうモノなのかわからないものはいまい。非常にわかりやすく単純で、隠しようがないが……ゆえにこそ、真正面から押し通るという彼の強い気持ちが表れていると言えるだろう。

 そもそも彼は何も隠すつもりがない。この攻撃一辺倒で、どんな敵でも攻め殺す。


「魔進・撃発――ッ!」


 カガリの体が瞬間的にかつ爆発的に加速する。ゼロから一瞬でトップスピードに乗り、移動した先で佇むアゲハに向けて拳を叩きつける。彼女から見れば、少年がいきなり瞬間移動でもしたかのように映ったかもしれない。

 ゆえカガリの加速にアゲハは初見では対応しきれず、叩きつけられた拳を受け向こうに吹き飛ぶ――前に、再び再加速したカガリが宙で体を前転させ、刹那で踵を落としていた。衝撃を受けて吹き飛ばされる刹那に、もう一撃を加えられたアゲハは地を突き破り階下へと叩き落される。

 まるでミサイルそのものに殴られたかのような衝撃。それが刹那のうちに二連撃。速度という領域において、彼はこの一瞬で先輩魔術師である兎角や無名の殺人鬼を大きく上回っていた。

 床を突き破る音がさらに聞こえ、彼女は階下どころか二階三階は下に落とされたのかもしれない。

 ついさっきまで全力で殴っても全く通じなかったのに、固有魔術へ目覚めた途端にこの違い。ただ魔力を振り回しているだけだった状態と、明確に魔術という形を定義させた後とではここまで差があるのだ。先ほどまでの彼は、いわば刀身が無い剣や弾丸のない銃も同じ。肝心の部分が存在しない武器など武器とは呼べないように、戦う魔術師にとって固有魔術の覚醒は必須義務なのである。

 そしてそれだけではない。たとえどれほどの天才だとしても、いきなりこのレベルで魔術を扱うなどもはや怪物的な進化と言う他なく、アリアの魔術によって用意された魔術環境の元で上昇した親和性は、彼に圧倒的な進化速度を齎していた。言うなれば、人造天才――否、王造の天才。


「おいコラ、さっさと上がってこい。こんなもんでテメエがくたばるはずがねえんだからなあ」


 だがカガリは、そのことにまったく達成感を覚えていない。自分が今、何をしたか、どれほど驚くべきことをやったのかについて自覚がない。なぜなら、彼は今まで彼女を倒すために生きてきた。ゆえにこの程度のことで達成感を覚える理由などどこにもなく、むしろまだまだこれからだという、未だ足りぬ自分をすら感じている。

 そして彼女がこれで倒れたなど、欠片一つ分も思っていない。


(くらい)だぁ?」


 開いた穴の傍に立ちながら、カガリは先ほどの言葉を否定する。


「ハッ、ボケが。テメエにできて、この俺にできないことがあるわけねえだろうがクソ葵賊院」


「うっせえ……知ってるっつの。バカ氷月」


 穴の底で寝そべりながら、しかしアゲハはぴんぴんしていた。カガリの信じていた通り、ダメージらしいダメージを負っている様子がない。

 確かに彼女もあの速度には驚いたが、ギリギリで防御そのものは間に合っていた。魔術には魔術を。彼女の魔術をもって、あの攻撃は防がれていた。もっとも急な発動であったために相殺することはできず、こうして叩き落されてしまったのだが。


「本気で殺すつもりだったなあいつ……私じゃなくて並みの魔術師なら、もうこれで死んでたぞ」


 だがアゲハは、この程度で死んでやるつもりなどない。

 それも当然のこと。まだ戦いは始まったばかりなのだから。せっかく――――。


(せっかく……何だ?)


 彼女はその瞬間、自分の脳内にわけのわからない思考が走った気がしたが、まあいいかと捨て置いた。

 それよりも、今は目の前の戦いに集中すべきだ。

 そうとも。奴がすぐに扱えるはずのない魔術を扱ったことなど、何ら驚嘆に値することではない。


「これくらい、やってくれなくちゃあねえ」


 十年間、私を倒すために鍛え続けてきたのだろう。ならば、これくらいはできて当然。


「だから……そんなに死にたいなら、今すぐ上がってやるよバカ」


 アゲハの口から、命令が零れる。

 魔術を使用するのに必要な、起動言語が。


「"凍て殺せ"」


 命ずるは――ああ、彼女は己に、何を命令するべきなのか。


「『■雫(ゆきしずく)』」


 そしてここに、二つ目の魔術が発動する。それは、彼の炎と対を成すもの。少女の周囲から順に、すべてが白へと染まっていく。世界を凍て殺す少女の魔術が、静かにこの世へ零れ落ちる。

 ――カガリは穴の傍から飛びのいた。その場に嫌な予感がしたからだ。

 そして、その勘は正しかった。


「あぁ……そのままそこにいたら、串刺しにしてやったのに」


 穴の底から冷気が噴き出す。途端、世界が零下に零落する。

 まだ春も半ばであるというのに、ここ一帯だけがまるで人類生存不可能地帯に――星の極地に至るほど、暖かさが奪われてゆく。

 傷つき弱っているために、気温の急激な変化に耐えられなかった兎角は回復し始めていた僅かな魔力を用いて自分の身を守る。熱を纏うカガリには、そもそも寒さは通じない。

 春であろうと、夏であろうと関係ない。彼女の魔術が一度発動したならば、魔術の効果が切れるまではどんな灼熱の砂漠だろうとそこは人も住めぬ寒帯となるしかない。常人ならば、ただそこにいるだけで体力と気力を急激に奪われ、やがて死に至るだろう最果ての極寒地獄が現出した。

 その範囲は屋上、どころか学園だけにすらとどまらない。校庭を染め上げ校門を超えて、学園外の街にすら極寒の効果を及ぼしている。いくら"領域"が張られているとはいえ、彼女が無制限に魔術の制御を放棄していれば、それを超えて本当の()まで凍らせかねない。

 高き天すら雪雲に覆われ、もしかすると本当に雪が降るかもしれない。いや、時が経てば間違いなく降るのだろう。天も地も、彼女の白によって染め上げられるに違いない。

 数十秒ほどで、何もかもが変わってしまう。これこそが、ついに姿を見せた彼女の心奥。万物を凍てつかせて殺す力であり、使用すれば辺り一帯に一つの生態系を滅ぼした光景すら再現できるほどの力。

 ――環境支配魔術(・・・・・・)

 カガリや兎角のものとは、比べ物にならない規模を持つ能力だった。


「お前の腕が……小さく爆発しているように見えた」


 カツンカツンと、彼女はどこかを歩きながら登ってくる。

 彼女の魔術に対して、彼の魔術はあまりにも規模が小さい。斬撃を遠隔で放つだけだった兎角のものよりも、更に狭いだろう。


「炎による爆発で、思い切り殴りつける"だけ"の能力――ああ、実にお前らしい、単純な力だよ」


 穴の底から上がってきたアゲハと、カガリが再び対峙する。


 固有魔術『炎呑』。

 炎を用いて爆発を行い、自分自身を加速させて加速したままその勢いでブン殴る、ただそれだけの攻撃。瞬間的な移動も、刹那的な攻撃もすべては炎による加速の為せた技。

 下手をすれば自分の腕がイカれてしまいかねない危険な魔術だが、カガリは何ら頓着していない。すべてはあの宿敵を倒すため、奴に勝てるならばそれでいい。

 自壊的な考えだが、しかしながらそれは彼の中に彼女への飽くなき過信が根付いているという証拠だろう。そこまでしなければ、奴には勝てないと信じ切っているがための特攻能力。

 火炎系統の魔術にありがちな、炎そのものを放射するという基本攻撃すらまともには使えないほどのピーキーな能力だ。


「要するに人間ロケットってわけだ。撃ち出すのは自分っていうところに、一つのことしか……自分のことしか考えられないお前らしさを感じるよ。それだけに、殴るということに関してはそうそう後れを取らない。足もそれなりに速いから、自分の間合いにだって持ち込める」


 直接攻撃に特化した、使用可能範囲の極狭い能力であり、だからこそ必ず宿敵を倒すという意思が強く込められた固有魔術。

 それこそが彼の、攻撃強化魔術(・・・・・・)――そして魔弾変生魔術(・・・・・・)だ。


「だが、距離をとったのは失策だろ」


 アゲハの背後から、何かが勢いよく射出される。

 爆破により加速させた裏拳で、カガリは飛んできた何かを殴り壊す。それは、氷柱だった。それもかなり大きく、電柱程度の太さを持っている。こんなものをまともに受ければ、串刺しだけでは済まないだろう。


「壊すよな。これくらい、お前なら。だから……こう(・・)だ」


 その時、アゲハの背後上空に出現したのは、総数百を超える氷柱。

 魔力で編まれた氷によって形作られている、敵を貫き殺すための凶器群が、その矛先をすべてたった一人に対して向けている。

 環境そのものを支配する魔術。すなわち、極地的環境へと変じたこの空間そのものが彼女の武器だ。宙に漂う冷気と自身の魔力を捏ねくり混ぜて、自在な形に変えることができる氷を生み出すなど造作もないこと。そしてそれこそが、彼女の基本的な攻撃パターン。


「……氷雨(ひさめ)


 氷柱が、まさしく雨のように発射された。唸りをあげて氷柱群が迫る様は、まさしく剣林弾雨のごとし。

 その攻撃そのものは、今のカガリならば躱しきれない速度ではない。だが、いかんせん数が多い。攻撃圏内からの脱出を図ろうと思えば、抜け出す前に串刺しにされるだろう。

 ならばどうすればいいのか。数秒考えただけで回避は間に合わなくなり、串刺しどころか粉微塵にされるだろう。そうなる前に、突破しなければならない。


「なるホド、効果的ダネ」


 外から観戦している黒龍は、彼女の使用した技をそう評した。

 あの少女は彼の攻撃を一度見ただけで、もう策を練り上げている。


「あの()は彼の魔術を殴るだけの力と言ッタガ、いやいやそんなはずはなイサ。仮にも俺に啖呵切った少年ダゼ、その程度で終わるはずはナイ」


 驚きから復帰した後、彼もまた少年の魔術を外から冷静に分析していた。


「現にあの少年は魔術によって加速してイル。それだけデモ、あの魔術が打撃だけの魔術でないことくらいは容易にわカル。重要なノハ、その加速法――あれは恐ラク、彼なりの魔術応用だロウ。速度がどこかぎこちナイ」


 確かに速かった。瞬間的な最高速度は、恐らく音の壁すら数段突破していた。

 しかし……。


「お前は速いが、それだけだ」


 応用ゆえに、その速度はあくまで瞬間的なものなのだ。『炎呑』の主な使い方は、あくまで炎によって加速した四肢による近接攻撃。

 足の炎による加速を利用して思いがけない速度を得るのは、あくまで魔術の応用だ。

 ゆえに攻撃と比べれば、どうしても稚拙になってしまう。


「だいたいそもそも速すぎて、ロクな制御が効かねえだろ」


 氷柱による剣林弾雨。その目的は、軌道を強奪することにあった。

 一発では先ほどのように砕かれるか、躱されるかされるだけ。だがこうして大量の攻撃を投下すれば、少なくとも逃げ場は奪える。

 なぜなら『炎呑』の加速は最高速こそアゲハを上回るが、その軌道は自身を炎によって打ち出すという無理矢理な方法ゆえに直線的なのだ。

 弾丸は曲がらない。

 自分自身の四肢、あるいは肉体を「魔弾」そのものと定義して打ち出す魔術の弊害として、攻撃も移動も弾丸のように直線的。自由自在な機動を実現させることはできない。そもそもそのためには、自分が今どの座標にいるのかを正確に判断してから再加熱を実行するだけの視力および思力――思考速度が必要だ。

 アゲハは一瞥だけでそう予測し、この攻撃法を取った。

 すべての雨を避けて移動することは、どんな速さがあっても不可能なのだから。


「なるほど。確かにこれは避けらんねえな」


 しかしカガリは拳を握り。


「じゃあ、壊す」


 ――連速。

 両の拳が、常人には見えない加速を繰り返す。氷柱を一つ壊すたびに引き戻して再装填、連続で加速して更に氷柱を壊していく。

 百を超える雨? それがどうした。別に、百すべてが襲ってくるわけではないだろう。

 数こそは確かに百を超えるが、その大部分は彼の逃げ場を奪うためのものなのだ。ならば、今ここにいる自分を串刺すものだけを壊せばいい。

 その数はいくらだ? 五十か? 三十か? いいや、きっともっと少ないだろう。なら、それだけ壊せばいいだけだ。


「他愛ねえよ、舐めてんのかコラ」


「何これで終わりだと思ってんだよ、コラ」


 氷雨――再発動。

 百の雨を凌がれた、それがどうした。雨は、やまない限り降り続けるものだろうが。

 壊されたところで、冷気はいくらでも漂っている。壊されたそばから補充していけば、それで魔力尽きるまでは半永久的な攻撃だって可能なのだ。

 また氷柱を壊していく。だが、いくら壊してもキリはない。


「どうしたぁ、氷月。私はまだ、ここから動いてすらいないぞ」


 降り注がれ続ける氷柱雨。果たして、これを凌ぎ続けることはできるのか。

 できたとして、凌ぎ続けるだけでは勝てない。


「……付き合いの長さだけは、それなりだと思っていたんだが……」


 否。いくら何でも、すべての攻撃を叩き落すのは相当な集中力を必要とするゆえに無理がある。

 だからこそ、凌ぐのは早く切り上げなければならない。

 そう――切り上げるのだ。


「お前、まだこの俺のことがわかっていなかったのか」


 はぁ……と小さく息を吐いて、カガリは足に魔力を込める。魔力量は、最初に加速した時の約半分。

 終わりだと思っているとも。なぜなら、こんな攻撃に付き合い続ける義理などないのだから。


「なあ葵賊院。いい加減に、この俺の執念を理解しろよ」


 そしてカガリは魔力を解放。起きる現象は、足に込めた炎の魔力を爆破させることで入手した速度による、肉体の魔弾化。

 氷柱の雨――それが、どうした。

 それは、傷つくことを恐れていては絶対にできない暴挙だった。カガリは、一切の雨をすべて無視した。

 加速した先には、当然のごとく雨がある。先ほどの雨が、地に刺さり残留だってしている。故にぶつかる、当然刺さる。彼女の攻撃を、その身に受ける。血が、彼の制服を赤く小さく染めていく。

 速度によって砕ける氷柱や、熱によって多少溶ける氷柱もあるが、それでもその体にある程度の傷ができることは避けられない。けれど、無視した。

 傷も、痛みも、知ったことか。カガリは既に言っている。あの女を倒すことこそが、己の悲願なのだと。

 傷つくことなど、何も恐れてはいない。ゆえに、自爆してでも(・・・・・・)ぶちのめす(・・・・・)


「ぶっ飛べやアアァァァァッッ!!」


「――氷盾(ひじゅん)


 カガリの左拳が、透明な盾に激突した。


「今更理解するまでもない。……とっくに知っているから、お互いここまでもつれたんだろうが」


 氷によって形成された盾。それが、カガリの拳を阻んでいた。


「それはもう見た。速いのはわかった。その程度で、勝てると思ったのか」


 さっきはカガリの攻撃を相殺しきれずに叩き落されていたが、今度はもう初見ではない。ゆえに対応は可能であり、どれだけ速くても真っ直ぐならば軌道も読みやすい。

 そもそも今は、彼女の魔術が完全に発動されている。使用状態と未使用の差は、先ほどカガリが自分で証明したばかり。

 ゆえ、その攻撃は防がれて当然――。


「……だぁかぁらぁぁ」


 ――ピシリと、盾に罅が走り。


「他愛ねえっつってんだろうがアアアアアアアアッッッ!!!」


 腕を伸ばした状態で、再び拳が炎を噴く。

 カガリの攻撃は、肩、肘、手首から先の拳、による三段階の加速によって行われる。うち一つをあえて残して置き、タイミングを遅らせてから最後の加速を行う。

 己の肉体すら傷つけかねない、無茶な異能。周りから見れば肩が外れるのを心配するだろう攻撃だが、保護の目的も兼ねている腕の魔力線がどうにか自爆だけは避けている。

 しかしこれなら、攻撃を防がれた状態からでも、その状態からの攻撃が可能だ。中国拳法のいわゆる寸勁……とは違うが、接触状態からの攻撃という意味では少し似ているかもしれない。もっとも、カガリのこれは発勁ではなく発砲だ。すなわち超接近砲撃という名の打撃であり、拳法とは異なる攻撃だろう。

 彼女の盾が砕け、そこには身を守るものを失った少女があり。

 今度こそ、アゲハは確実に殴り飛ばされた。


「ガッ……!?」


 思い切り、殴りつけた。

 

「――ねえとは思うが、まさか女が相手だから手を抜くとかンな考えを億が一でも持ってんなら捨てておけよ」


 相手が少女だとか女だとか、そんな理由で手心を加える気などまったくない。腹だろうが顔だろうが、彼は躊躇なく攻撃するだろう。そのせいで顔に消えない傷がつくかもしれないとかどうとか、知らん。戦いという場において、加減という言葉を彼は持っておらず、そもそも持っていないからこその『炎吞』という魔術なのだ。

 女には攻撃できない――そんなフェミ精神、彼は一切持っていないのだから。

 非情と言いたければ言うがいい。自分が殺される番になってから、そんな言葉は露ほどの価値も持たなかったのだと気づくまで。非情なのではなく、戦いにおける当たり前なのだと気づくまで。

 殴り飛ばされたアゲハに追撃を仕掛ける。爆拳が再び彼女を襲う刹那。


「思ってるわけねえだろ。お前こそ、自分が炎だから私に有利だとか甘い勘違いしてんなら、ゲロ不味い菓子に混ぜてからゴミ箱にでも片しておけよ」


 刹那、アゲハの姿が掻き消えて、言葉がカガリの傍から聞こえた。


「何――!」


「追いつけないとでも思ったか」


 いつの間にかそこにいたアゲハが、飛んできたカガリに向けてボレーキック。アゲハの蹴りがカガリにめり込み、彼の体が物理法則に従ってバットに打たれたボールのように勢いよく蹴り飛ばされる。

 屋上圏から飛び出して飛んでいくカガリ。このままでは吹き飛んだ後、地にぶつかってダメージを負うだろうが、彼には炎がある。腕を後ろに向けて、勢いを相殺すれば――などという暇を、少年の見定めるかの宿敵(しょうじょ)は与えない。

 遠目に見える少女は、手の先に氷を生み出している。しかし、今度はさっきの氷柱よりもさらに巨大なものを。

 木を十ほども束ねたほどの大きさを持つだろう氷の武器。だが先端だけは、氷柱のように尖っている。


氷槍(ひそう)


 巨大な氷の槍を、まさしく陸上競技における槍投げのように投擲した。


「う――おおおオオオオオォォォ!!!」


 氷雨が量なら、これは質。氷雨を上回る速さで迫る氷槍を前にして、回避は不可。既に腕は後ろに回されており今更腕の方向を変えることはできず、このまま爆破による移動を行えば槍に自分から直撃することになる。

 ゆえに、迎撃。アッパーにも似た形で横腹の傍を通りながら速度を上げた拳が、巨大な槍に激突する。

 一瞬の拮抗と、そして破壊。どれほど巨大で強大だろうと、一発一発の威力という領域においてカガリの攻撃強化に敵うはずはない。支配圏こそ彼女が圧倒的だが、それゆえ個に籠められている密度は彼が上だ。アゲハでは、カガリの(パワー)は越えられない。


「そんなことはわかっている」


 アゲハがカガリに接近している。さっきと同じく、速度で勝るはずのカガリへと彼女は優に近づけていた。

 脚が動く。速度を上げながら蹴りが迫る。カガリが逃げられないよう、周囲を数枚の氷壁が囲っている。


「――言葉を返すが、もう見たぞ」


 カガリは膝を曲げ、片足を上げて蹴りに備える。足には、炎の魔力が籠められている。


「――チッ」


 彼女は蹴りを中断。宙に生み出した氷のブロックを蹴って離脱。一瞬後に、彼女がいた場所をカガリの蹴りが素通りする。

 防御のため籠めた魔力を攻撃に転用し、蹴りを繰り出したのだ。それを見越したアゲハは、攻撃が失敗した場合に備えて小さな氷塊を生み出す用意は整えていた。

 彼女が攻撃を中断せずそのまま蹴り抜いていた場合、カガリの足に籠められた魔力が起爆してアゲハもダメージを負っていただろう。カガリは脚線の保護により、自爆による自傷だけはダメージを抑えることができるため、痛み分けではなく攻撃した彼女の方が足に受けるダメージは大きいかもしれなかった。ゆえにアゲハは攻撃を中断し、カガリのカウンターを避けるために即時離脱したのだ。

 スタンと、両者は校庭へと降り立っていた。

 ……当然のように、二人は互角だった。


「やればできるじゃねえか、クソ葵賊院。今までのらりくらりと昼行燈かましやがって……さっさとこの俺と戦ってろやクソが」


「もう一度だけ言うが、嫌だと何度も言っただろう。誰がお前なんかと進んで戦いなどするものかよバカ氷月」


 互いに相手の性格を理解している。ゆえに、お互い一度見せた手はすぐに対応しやすかった。


「何が嫌だっつうんだよ、嫌だ嫌だとそればかり……てめえはそれしか言えねえのか」


「何もかもだ。私はお前じゃないんだよ、戦いたいとしか言えないような奴と一緒にするな」


「じゃあ何故今更? さっき言ってた自由ってやつか?」


「そうだ。お前をここで殺せば、それで条件が満たされ街を覆う結界が作動する。契約でな、私は結界作動の手伝いをし、その報酬として私は自由になれるんだよ。今の私は、鎖に繋がれた鳥のようなものだからな」


「はっ……契約ねえ……」


 カガリは数秒、宙を見つめて。――瞬間、アゲハが吹き飛ばされていた。


「――――!!?」


 見えなかった。感知できなかった。さっききまでは、反応することはできたはずなのに。

 ここに来て、速度が上昇した――否、爆炎の威力が上昇した。

 彼の魔術は目覚めたてだ。親和性が高められているとはいえ、それを扱う能力とは別の話。ゆえにこれは、彼が段々と自分の魔術をどう扱えばいいのか学び始めたということで、不思議な話でもない。


「お前……この俺がここにいて、何よそ見してんだよ、おい」


 カガリはその目を見開いて、ピキリと怒りを浮かべていた。

 自由のために戦う? それは結構。戦う理由は人それぞれだ。けれど、お前がよそ見をすること……それだけは許さない。

 俺がここにいるのに、何故お前は別の方向を見つめている。ふざけるな。


「なんだ、嫉妬か。意外な一面」


「喜べ、独占してやるぞ」


 小爆破により、足元の砂をアゲハの方へと吹き飛ばす。彼女は目の前に展開した氷壁により砂を防御。しかし、砂によって目を隠される。

 だから同時に、上空から氷雨を百ほど真っ直ぐ降らせる。もちろんこれで彼が傷を負うなど考えていないが、対処に手を取られるため目隠しの隙を突いた攻撃だけは避けられるだろう。


「冗談だろ、殴り殺せないからって()殺かよ。体が腐るわ」


 アゲハはその場を移動。とにかく一度離れ、再び自分に有利な距離を保たなければ。そう思ったがしかし、移動した先に難なくカガリはついてくる。

 トップスピードはカガリが上なのだ。彼を離そうと思ったら、さっきのように一度吹き飛ばすかしなければならないだろう。


「言っただろ、さっき見たって。もうお前の速さには驚かねえよ」


 カガリが爆炎による高速前進を可能としたように、アゲハもまた高速移動(・・・・)を可能としていた。だが、一体如何なる理由によってか。

 ()の能力では、そんなことはできないはずなのに。


「――お前の能力、氷じゃねえだろ。氷を操るだけにしては、攻撃が速すぎる」


「――別に、隠してはいないがな。見破ったところで、だからどうした。自分にできること、限界を隠す。奥の手を秘す、己の能力を偽る……誰だってやっていることだ。そして私は特に隠してはいない。騙されたとするなら、それはそいつが間抜けなだけだ」


 彼女の能力は氷の魔術ではない。

 氷を使うのは、それがもっともわかりやすく、そして扱いやすい武器だからだ。自在に形を変え、そして殺傷力もある。

 そしてもう一つ、アゲハがよく使用する武器がある。


「風、か」


「正解だ。褒美に、地獄への旅行券でもくれてやろうか」


「いらねえよタコ。自分で使え。ああいや、やっぱり使うな。お前を地獄に送るのはこの俺だ」


 風――。光、雷、音と同じ、速さを象徴する現象。

 それを氷柱や槍への追い風として使用したり、自分に纏わせることで高速移動をも可能にする。最高速度こそカガリに劣るものの、自由に世界を渡り吹く"風"の属性ゆえに、その機動性に関してはカガリを上回っている。他の高速事象とは違い、風は自由に空を飛ぶという特性を有しているからだ。

 氷に風という、まったく種別の異なる属性。果たして、彼女は固有魔術を二つも獲得しているのか? ――否である。

 固有魔術は原則として一人につき一つまで。それはアゲハも例外ではなく、彼女もまた能力は一つだけだ。氷と風という二つの属性を操るとは、いったい如何なる能力であるのか。

 それは、この国に生きる者ならば誰であっても慣れ親しんでいるものだ。難しい答えではない、何せさっきからここにある(・・・・・・・・・・)のだから。


「隠すほどの答えでもない――冬を操る(・・・・)。それが私の能力だよ」


 『■雫(ゆきしずく)』――『冬雫(ゆきしずく)』。


「それがお前の魔術か」


「ああ。お前の死を送る、花の名前だ」


 魔術起動と共に冷気が噴き出し、周囲が極寒地獄へと変わったのは、すなわちそういうこと。周囲の環境が、冬そのものへと塗り替えられたのだ。ただし、この国のものよりもとびきり厳しい環境だが。

 冷気も、氷も、冬風も、すべては"冬"というたった一つの属性についてくるおまけでしかない。

 それこそが環境支配型魔術『冬雫(ゆきしずく)』の「冬に属する性質を自在に操ることができる」という能力なのだから。


「氷雨――」


 氷柱群の発動。しかし。


「もうそれは効かねえよ」


 何度やっても同じことだ。もう破った技であり、カガリにとってこの技はすでに、少し厄介なただの雨と何ら変わりはなくなっている。

 腕の線を通って魔力が拳に集まる。だが、それしきのことがわからないアゲハではない。


「――改型(あらため)氷雪(ひぶき)


 氷雨よりも小さい。だが、その数は氷雨の約五倍以上。

 量を更に細かく分けた、圧倒的な超量による氷の吹雪――雹という凶器が、カガリに向け津波のように押し寄せた。

 その速さもまた軽い分だけ冬風の後押しをより大きく受けており、氷雨よりも更に速い。


「……魔弾撃掃(いっぱつめ)蝿喰(さばえ)


 対してカガリが使用したのは、先ほどの爆破タイミングをわざと遅らせる攻撃――その更に応用。

 腕線を通って、赤く魔力が拳に集まる。一つ目の爆炎が腕を加速させ、二つ目の爆炎が拳の魔力を打つ。そして三つ目の爆炎が、直接拳から解き放たれる。

 まさしく、本当の爆炎として。

 結果起こるのは、前方に発射された爆炎が氷雪を砕いていくというカガリなりの中距離攻撃にして防御。『炎呑』は基本的に近接でしか使えないという限界を、応用することで破却する。


「効かねえっつったろ」


 ――合わない二人。


氷剣(ひけん)巡り」


 アゲハの周りを、氷で形成された数十本もの剣が回転しながら周回している。

 近づけば即切り刻まれるだろうし、近づかなくても剣の方から近づいてくる。ブーメランのように回転したまま近づく氷剣は、カガリを囲むようにして周っているために、一つの剣に対処すれば別の剣に斬られるだろうし下がるわけにもいかない。


「お前は、人の話を聞けねえのか」


 魔弾撃情(にはつめ)蠍咒(かじり)


「――三度目だクソ葵賊院」


 魔力線を利用して魔力(ねつ)を放出せずにわざと体内に循環させ、肉体を爆炎に近しい状態に持っていくことでその場に留まったまま連鎖的な加速を行う。カガリにも未だ完全な制御はできていない技だが、しかし十分だった。

 氷剣はすべて彼の体に触れることもなく打ち砕かれ、破片がパラパラと地へ落下する。


「効、か、ねえ」


 合わない二人。

 二人は会うたびに喧嘩ばかりしていたが、ここに来てその合わなさが肉眼でよりはっきりと見えるようになった。

 炎と氷。溶かすものと、溶けるもの。消されるものと、消すもの。

 その属性から見てもわかる通り、二人は互いに相性が良くそして何よりも相性が悪い。お互いに相手を打ち消す属性であり、翻して打ち消される属性なのだから。

 そしてそれだけではない。言ったように、アゲハの正確な属性は冬。

 炎と、冬――四大と四季(・・)。近接戦闘用異能と、全距離対応魔術。

 ここまで徹底して互いに"合わなさ"が目に見えると、もはや運命すら感じてしまう。二人は誰よりも合わないがゆえに――あるいは、誰よりも――……。


「私を、学習しない阿呆みたいに言ってんじゃねえよバカ氷月。――氷種(ひだね)


「――あ?」


 一瞬、カガリの動きが止まった。嫌な感触の正体を確かめるべく、視線を僅か下に向けると凍り付いた自分の足が見えた。


「目的もなく、馬鹿みたいに連発するわけねえだろって」


 氷と炎は違う。氷とは、固形物なのだ。溶けて液体になるまでは、形を保ったままその場に残留するのが氷というものの特性。

 これはそれを利用したもの。砕かれ、壊され、地へと舞い散った氷の破片は種子となり、いまだアゲハの支配下にある。

 種子の破片は大した力を持たないが、さっきからどれほどの氷塊を彼女は撃っていただろう。その破片を合わせれば、再び力を発揮させることだって可能なのだ。例えば、彼の足元に集めてその足を氷結させる、とか。


「チィィィッ!」


 しかし彼の魔術は爆炎。足に魔力を集めて開放すれば、この程度の拘束は容易く打ち砕くことができる。

 ゆえその前に、アゲハは地に右手をついて。


「魔片解放・氷境樹園(ひきょうじゅえん)


 彼女の魔力供給を受けて一斉に芽吹いた氷の種子が、巨大な樹となってカガリを閉じ込め圧し潰した。大樹同士が重なり、もはや氷山にも等しい異様だ。

 そんな巨峰が、中心から罅割れる。中心から全体まで一気に罅が走り、そして粉々に砕け散った。内側からの爆発によって、アゲハの大魔術は呆気なくも壊されたのだ。


「……今のままだと、まさしくその通り学習をしない馬鹿なわけだが……違うのかよ」


 体に残留したままだった魔力(ねつ)を一気に開放したのだ。さすがに少しダメージは受けたものの、しかし難なく彼は大樹の檻を突破する。

 文字通りの自爆行為すら、躊躇なくやってのける。"勝利"以外は何も見据えていない、あまりにも少年離れした在り方だ。


「結構、準備もいる強めな技だったんだけどな、今の……。あっさり壊してんじゃねえよ」


 ついさっきまで互角だったはずの力関係だが、既に天秤が傾きつつある。いいや、もう傾き始めている。

 卵から孵ったばかりの雛が殻から抜け出し、歩こうとしているのだ。


「氷さ――!」


「遅せえんだよ」


 技の発動すらままならない。校舎の壁に激突したアゲハの目が、眼前に現れたカガリの姿を捉えた。

 一瞬後に訪れた衝撃の大きさは、アゲハが今までの人生で感じたものの中でももっとも強大。校舎に亀裂が扇状に走り、今にも壊れて廃校になってしまいそうなほどの損傷が与えられた。

 その中心にいるアゲハにも甚大なダメージが与えられて――いなかった。

 カガリの拳は、アゲハの顔面すぐそばを叩いており彼女には触れていなかった。


「なあ葵賊院……お前はいつになったら、全力を出してくれるんだ」


 続いてそのカガリから発せられた言葉の意味を、アゲハは一瞬正しく認識できなかった。

 全力を出せ。彼は、アゲハがまだ全力を出していないと言っている。そう信じているのだ。


「はぁ? 何言ってんだ、お前。私はちゃんと本気を出して」


 いる。と、カガリは言わせなかった。


「出してねえから、言ってんだろうがッッ!!」


 カガリがアゲハの顔を掴んで、校庭に向け投げた。

 アゲハは砂の上を転がされてしまう前に地面を凍らせ、己の支配下に置くことで衝撃を和らげる。氷の上ならば、アゲハは大した衝撃もなく滑ることができる。

 距離ができた。支配型である自分の距離だ。


「何を根拠に、私の本気を決めつけてんだよ素人野郎が」


 氷の巨槍が投擲される。風の加護を受けたそれは、ただ投げるよりも圧倒的に速く敵を射殺す。アゲハの持つ、すぐに発動できる技の中では一番威力のある技だ。

 同時に、蒔いていた氷の種子がカガリのいる場所を凍らせ、彼の足を止める。

 さらに、もう片方の手で造り上げた巨槍を投擲。もう一つの槍が先に行った槍の後を追うようにして滑空し、仮に一本目の槍が壊されても二本目がすぐに敵を串刺しにする。


「根拠? 決まってるだろ、この俺だよ。――魔弾撃葬(ろっぱつめ)狼牙(ろうが)ァッ!!」


 加速した炎の右手刀が、一本目の氷槍を真っ二つに両断。続けて迫る二本目は左の魔拳が破壊する。

 やはり威力という点において、アゲハの攻撃はどれもカガリのそれには劣る。遠近中すべての距離に対応が可能で、放置しているだけでも極寒の環境で体力を奪うことができる『冬雫』は強力な魔術だが規模を広げている分、カガリを相手にするとどうしても薄くなってしまう。更に言えば、例え極寒地獄でも熱を帯びた魔力を纏うカガリは凍える心配がない。

 相性というよりは、特性の差だ。威力が低いからと言ってアゲハが不利だということはなく、現にさっきまでは互角の実力だったのだから。カガリもまた、アゲハが遠距離に徹してしまえば中々引っ付くことはできないためにお互いさまと言えるだろう。

 差が開き始めたのは、つまり彼の成長による差。だが、カガリはそれがどうにも納得していないようだった。


「こんなものが、テメエの全力なわけねえんだよ……この俺を虚仮にする気かテメエ……」


 アゲハが本気を出していない。カガリには、その根拠となる理由があった。


「テメエ、何この俺と互角に戦ってんだよ――圧倒くらいしてみろよ(・・・・・・・・・・)


 カガリの言葉は、戦いに生きる者からすれば意味の分からないものかもしれない。自分を最強と言いながら、そんな自分を追いつめろと言う。戦っておきながら、自分がまず追いつめられることこそが自然であると決めている。

 しかしこれらは、実のところ意味不明な言葉ではなかった。むしろ真っ当な言葉であり、意味のちゃんと通ずるもの。


「嫌な予感はしていたんだよ。テメエが、自由だの契約だの言いだした時からさ……けれど、ほら、ようやくの戦いだから。予感を無視して戦ったらよ、やっぱりどうにも違和感が消えやがらねえ。違うって、こうじゃないって、俺の中の何かが騒ぎ立てるんだよ」


 今、彼は落ち込んでいた。あのカガリが、しょんぼりと。完全にタガが外れたはずのカガリには似つかわしくない感情が、彼の顔に表れている。


「せっかく、ようやく、やる気を出してくれたと思ったのによ。こんなもんかよ。がっかりだ、残念だ、期待外れだよ葵賊院。まさかお前がこんな……こんなに、腑抜けだったなんてな。十年間突っ走って、挙句の果てにこんな魔術(もの)にまで手を出しても……とうとうテメエは、やる気を出してはくれねえのか」


 カガリの気の落ち込みようが、彼の魔力にも表れている。炎は少しだが熱量を下げ、彼の四肢に現れた線を通る魔力の輝きが僅かだが薄れている。

 念願だったはずの戦いなのに、モチベーションすら低下し始めていた。

 だが、アゲハは自分が本気を出していないとなどとは思っていない。自由になるため、この男を殺すため、ちゃんと本気を出しているとそう思っているのだから。だから、なぜこの男がこんなことを言うのかまるで彼女にはわからないのだ。

 それでも、カガリは言い続ける。アゲハは、まだ全力ではないのだと。


「俺は、ついさっき魔術(これ)に目覚めたばかりなんだぞ? テメエはいつだ、去年か? 五年前か? それとも十年も前なのか? いずれにしてもこの俺よりは、確実に長いはずだろう。そりゃ俺だってこの十年間努力はしてきたさ。対等に殴り合えても不思議はねえんだ、そこだけは。けどなあ、魔術(これ)に関してだけは、テメエに一日の長があるはずだろうが!! 何で俺の魔術(これ)が、テメエの魔術(それ)と互角なんだって聞いてんだよ俺はあ!!!」


 信じていた。カガリは、誰よりもアゲハという少女の強さを信じていたのだ。

 それが、これか。その結果がこの様か。


「全力のテメエを倒さねえと、意味がねえだろうがあ!! 全力のテメエを、この俺が宿敵と認めたテメエの全力をこそぶっ倒して、この俺はこの俺の最強を証明するんだよ!! それが、どうして……情けないぜ葵賊院。俺は、この俺が情けなくて仕方ねえ。まだか、まだなのか? テメエが全力を出すためには、今の俺じゃまだ不足かよ、なあ葵賊院」


 涙さえ流したくなるほどに拳を握り締め、カガリはアゲハを睨み付けている。

 あまりにも高慢。あまりにも身勝手。

 己の宿敵が、この程度の強さであるはずがなく、よってこの程度であることなどこの俺が許さないというあまりにあまりな自分勝手。しかしそれこそがカガリ。己の意思を貫くという高慢こそが、彼の最大の武器なのだから。


「それとも本当に、それがテメエの限界なのか。だとしたら、この俺の勘違いなのか。だったら、なあ葵賊院、それともまさかお前、俺に言わせたいのか?」


 ピクリと、その時アゲハが反応した。


「お前は、俺に――」


 だが、その先だけは言わせないとばかりに、アゲハが彼の目前に迫っていた。

 自分でもわからなかった、なぜそんな行動を取ったのか。けれど、そこから先だけは、どうしても、絶対に、こいつの口からは聞きたくないという奇妙な感情が零れてしまって。つい、距離の優位すら放り出して、彼に殴りかかってしまった。

 冬風、彼女の持つ速度上昇手段を用いて。


「ぐァッ――は、ハハ。そうだ、それでいいんだよ葵賊院! けれど、まだだァッ!!」


 動きのキレが何故か増した。少女が少しだけ、少年に追いついた。

 そのことを歓迎しつつ、しかしまだだと。まだこんなものではないとカガリは信じていた。


「うる、っさいんだよ氷月……! 素人風情が、勝手に私を測るな」


 アゲハは一度僅かに距離を取り。


氷膜街(ひばくがい)!」


 天と地、三百六十度全方位を覆うようにして、氷の凶器がカガリの周りに出現した。

 空中には氷の雨、地からは氷種から芽吹いた樹氷。それらすべてを個人に向けて全方位から集中する絶対回避不可能攻撃、アゲハの持つ最も確実な技。


「死ね!」


 その発動、寸前に。カガリはまず自分に最も近い位置にある氷種に対応すべく地を強く踏んで、爆炎による熱を伝導させる。氷の種子は芽吹いた後なら強力だが、芽吹く前は小さな氷の欠片に過ぎない。強力な炎で、すぐに融解させられる。

 そうすれば、残るは前後左右上空からの氷雨のみ。


「思い出すな、小さい頃三方向から人食い熊に襲われたことがあったっけ――魔弾撃蹴(よんはつめ)棘噛(きょくごう)


 脚の線を赤く通り、足に魔力が集中。爆速の一撃を放てるのは拳だけではなく、蹴り技もまた彼にかかれば爆弾頭と化すのだ。

 機関銃のごとき連続蹴りが、氷雨を発射された順から次々に撃ち落としていく。回避が不可能なら、迎撃すればいいだけのこと。この戦いが始まった頃から彼が実践していたことだが、ついには全方向からの攻撃にすら対応し始めた。


「だから、まだなんだよ。もっとやる気を出せよ葵賊院、なあ!! もっとだ!!」


「ぐっ――!」


 棘噛(きょくごう)が今度はアゲハ自身を襲う。氷の盾で防ごうと試みるも、一発で罅が入り、修復する間もなく二発目で砕かれる。


「オラァァッッ!!」


 そしてヒットした蹴りをそのまま回して、カガリはアゲハを上空に吹き飛ばした。

 痛みは思っていたよりないが、重力に逆らって相手を天高く吹き飛ばすそのパワーに驚愕する。好き放題言ってくれたのはムカつくが、とにかく息を落ち着けよう。


(大体、何であいつはあんなにも私なんかに拘ってんだよ)


 吹き飛ばされた先は、あの屋上。ゴロゴロと転がるもすぐに立ち上げあり、アゲハは意識を下に向ける。こうなれば効果があるかはわからないが、今この場に氷河期を召還して、今度は奴を圧し潰すのではなく直接氷漬けにするしかないかと――アゲハが思案した時。

 何か(・・)が、彼女の視界の端に映った。


(……は?)


 その何かは、奴と奴の炎以外のものと変わらず灰色だが、何か、嫌な予感がするものだった。だが、絶望の予感とも思えない。

 何だ、何だ。いったい私は何を見た。

 それがどうしても気になってしまって、アゲハはゆっくりと振り向いた。


(…………え?)


 その時、彼女は信じられないものを見た思いがした。いや、今の今まで何故か忘れていたものを見た気がした。

 まるで、今気づいたとでも言うかのように。今更気付いたとでも言うかのように……アゲハは、灰久森 兎角の姿を目撃した。

 すなわち、彼女がついさっき倒した(・・・・・・・・)はずの相手を、だ。

 ……雪が降り始める。

 彼女の魔術起動による影響で空を覆っていた雪雲から、そっと雪が降り積もる。


(え、あれ?)


 本当に、彼女は今気づいたとでも言うかのように狼狽していた。なぜなら、彼女の目的はここで魔術師を一人殺して自らを自由の身にすることだったはずだ。

 つまり、兎角を殺していればその目的は達成されていたはずなのだから。しかし、アゲハはそれを無視した。無視して、とある誰かをわざわざ待った。

 その違和感に、自分のことでありながら今の今まで気づかずにいたこと。彼女は今、自分が今で犯し続けていた矛盾に、まずは最も直近の矛盾にようやく気付き始めたのだ。思考にノイズが走り、灰の視界に亀裂が見え始める。

 天地のひっくり返る衝撃だった。すべてをどうでもいいと語った彼女、何もかもどうでもいいのなら、何故こんな無駄な行動を取っていたのか。わからず、わかれず、わからない。

 アゲハという少女は、何故カガリと戦っていたのか。そのことに、その疑問に、ようやく彼女は気づいたのだ。目的を謳っておきながら、その目的を自分で放棄していたことに。

 ゆえに、ようやく、少女のすべてが、解かれる時が訪れる。


「何で、私は……今まであの男と戦っていたんだ……?」


 設問――葵賊院 陽鳳は、今まで何のために生き続けてきたのか?


 さあ、答え合わせの時間です。

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