25.回想R3 番外伝-独奏全土育児記録-
才能。
天より与えられし祝福。あるいは、生まれついての能力。
何をもって才能とするか、様々な才能の種類、それらは人によって異なるだろうがいずれにせよ共通することは一つ。
それは、生まれついての能力が高いということ。あるいは、適性の高さだ。
何もしなくても最初から能力が高い。ちょっとした頑張りだけで、他人の頑張りを何倍も上回る成果を手にすることができる。そういう、常人のいる土俵とは上のステージに立つ存在。その才で何かを成し遂げることもあるだろう、常人から嫉妬を買ってしまうこともあるだろう。
努力という行為を、崖を登るということに例えるとする。頂上に立つということが、努力したことを極めるということならば、崖を登る過程はつまり登攀者の成長だ。
崖を登る。少しずつ成長していく。もちろん、それは大変難しいことだ。道具もなしに崖をただよじ登るなど命知らずの行為であり、しかも上に行けば行くほど崖は登りにくくなってしまい成長の実感も少なくなってしまう。自分はここで終わりなのかという疑い、頭打ちという恐怖。
崖が高くなれば高くなるほど、踏み外してしまった時の痛みも大きい。人生は取り返しがつかないのだから、再び別の崖を登る時間など人には与えられていないからだ。一度登ってしまえば死ぬまでその崖を登り続ける他なく、よしんば登り直すチャンスがあったとしてもせいぜいが一度、多くて二度程度だろう。
ゆえに人は己の成長に恐れを持つ。間違ってしまった時、敗北してしまった時――つまり、崖から落ちてしまうのが怖いから。
だからと言って、地べたにいるままではいられない。それはその人物の死を意味する。
そして、それこそが常人の常人たる限界。
天才はまず前提から違う。崖を登り成長するという過程はただの人と同じでも、登り方が違うのだ。
例えば、最初から圧倒的な能力を持つ天才がいるとしよう。それは崖にエレベーターが搭載されているに等しい。何せ、最初からある程度の高さまで労力なく高さをスキップできるのだから。
例えば、努力すれば簡単に成長できる天才がいるとしよう。それは崖に階段が建設されているに等しい。何せ、他の人が手でよじ登っている横で歩きながら崖を登れるのだから。
あくまで例え話ではあるが、それこそが天才の天才たる所以と言えるだろう。
そして――カガリはそうではない。
ならば、なぜカガリが固有魔術を一朝一夕で発動できたのか?
カガリにはなぜ才能がないのか?
その答えを知るためには、まずは彼の出生を語らなければならない。
彼の出生を語るためには、まず一人の女について語らなければならない。
あの少年を語るためには、この女を避けることはできない。
ゆえにこれは、あの■■の物語においてはまったくの番外伝。
本筋を塗装する正義と悪のぶつかり合いよりも更に外れた場所に位置する――ただの閑話である。
「――――――――――――――あは、は――――――」
あはは。
あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは。
「―――――――………………退屈ぅ~」
――女は、退屈していた。
それは、現在よりもおよそ十数年以上前のことである。
女は、とても退屈していた。
その女の名は、アリア・オールランド。
≪六芒卿≫。
すなわち、この世に現存する六名の魔王。その一席に座っている女。
"独奏全土"の名を持つ者にして、『霊長女帝』の王冠をかむる者。
この六名の魔王がどういうものなのかは……今はとんと関係がない話なので割愛する。
しかしこの世にはそういう存在たちがいて、この女はそういう存在の一人なのだという事実は存在するのだ。そして重要なのは、別に彼らは現行世界を壊そうだとか世界征服だとか、そういうことは目論んでいないということだろう。
現在のところ彼らは世界を彷徨するかどこかに居座っているかしているのみで、世界を荒らそうという気配はない。
彼女もその例に漏れず、当時――時間軸を遡り、現在と呼称する――現在はそういう気を起こしていなかった。アリアは彼らの中で上から二番目に傍迷惑な存在だったが、それでもやらかしたことといえば彼女の機嫌を損ねた者を街や、時には小国ごと抹消したくらいのものだ。自分から何かをしでかすということにはあまり興味のない女だった。
しかし、それゆえに退屈だった。
察しのつく者もいるかもしれないが、魔王たちは長命だ。人間の限界寿命など遥かに逸脱している。
魔術師の中には魔術を用いて延命する者もいるが、彼らはそんな小賢しい真似をせずとも素のままに長命である。そして長生きする者に付きまとう永遠の課題として、時間との付き合い方があり……アリアはそれが致命的に下手だった。
暇を潰せる趣味というものを見つけられない。長命種として致命的な欠陥を抱えており、ゆえに退屈から逃げられない。
「やだなぁ……退屈ー……爺さんのとこに遊びにでも行こうかな。九割くらい手加減して迷路攻略するの、いい暇つぶしになるもんなー……」
同じ六芒卿の一人が根城としている空間には巨大な魔術が二重になって存在する。それは侵入者対策……というより、自分に会うだけの価値が訪れた人間にあるのどうかを選別するための大仕掛けなのだが、その王と同じく王であるアリアにとっては遊び場以上の価値などなかった。しかも手加減して行かなければあっさりと攻略できてしまうのでつまらない。もっと難易度を上げろと抗議した時はアリア一人のためにそれは出来ないと断られ、それにイラッとして凄惨なる戦争――個人と個人による超戦争に発展しかけたこともある。
「……まだ気まずいし、やめとこ」
こういう時、他の魔王と同じように何らかの趣味が自分にもあればと悩んでやまない。
「……人間に喧嘩売って世界大戦でも起こそうかなぁ」
地球人類バーサス魔王アリアによる第三次世界大戦――。そんな規模の外れた発想を、たかが暇つぶしのために引き起こしてみようかと本気で悩むアリア。
なぜなら彼女は"独奏全土"アリア・オールランド。自分一人で世界と戦えると本気で思っているし、当然のように勝てるとも思っている。
しかし彼女はその発想を捨てた。実行するのは構わないが、人類を滅ぼしてしまうのも面倒くさいからだ。
「うぁぁーーーー。退屈ーーーーーーーー!!」
ごろごろと転がって何か暇をつぶせそうなことはないのかと悩み続けるアリア。
そんなアリアに、とある記憶がふと思い起こされた。それは、かつて自分が滅ぼしたどこかに住んでいたどこかの誰かだ。彼女は普段、自分が殺した者たちのことなど一切思い出さないが、暇すぎた結果として普段思い出さないような記憶まで掘り起こしてしまっている。
『た、助けてください!』
それはとある家族を殺した時のものだった。
『この子だけは……! この子だけはお助けください……!』
『お許しください……どうか……!』
その家族は、アリアがなぜこのようなことをしているのかわからなかった。それも当然だろう。何せ、その家族は一切何の関係もないのだから。
自分を不愉快にした者がいた。許せない。殺そう。そしてついでに腹いせしよう。
……そんなどうでもいい理由で、アリアは個人を生息地ごと抹消しているのだから。
アリアが手をかざすたびに人が倒れる。アリアが指を鳴らすたびに人がすべてを失う。アリアが歩くたびに人が死ぬ。死ぬ、死ぬ、死んでいく。――炎の一つすら燃えずに。
『助けてください……助けてください……!!』
そして今アリアの目の前で命乞いをしているのは、そんなアリアの腹いせに、不運にも巻き込まれてしまった哀れな一組の夫婦だ。
夫婦にはまだ幼い……生まれて一年程度だろうか、そんな幼い子供がいて、その子供だけは助けてくれるように懇願しているのだ。
尊い祈りだ。
自分たちの命よりも、自分たちの宝である子供の命を優先する。親とはかくあるべしと讃えられるべき光景だ。親の見本と言える夫婦だろう。もしも目の前にいるのが聖人なら、感動してその命を救っただろう。もしも英雄であったなら、泣きながら謝罪するだろう。信念に従い行動する者であったなら、涙は流しても残念ながら見逃しはしなかっただろう。例えば悪党であったなら、笑いながら嫌だと言って殺しただろう。
そして、この魔王はそのいずれであるのか。
『助けてくだ』
『……? ごめんなさい、人間語は苦手なので』
パチン。
アリアが指を鳴らし、夫婦と子供の命はあっさりと消えた。彼らを構成する彼らの中のすべてを、抹消されたからだ。アリアは彼らの言葉の意味を理解せず、ぷんぷん五月蠅い虫をぺちんと叩くように、殺した。
感情の動きは何もなかった。目の前の命たちを奪っておきながら、特に何も考えていない。
そうなのだ、腹いせで始めたことではあったが……冷静に考えると、これ何の意味もないことだな、とアリアは今思っていた。
例えば……靴で足元の砂を踏んで何かを思う人がいるだろうか。砂漠や砂浜、あるいは砂利道やぬかるみなどの特殊な道ならともかく、ごく普通の砂を踏んで何かを思う者が、果たしているのだろうか。
『失敗しちゃったなー』
そう、何も思わない。砂を踏んづけたところで、人は何も思わない。だから、腹いせに砂を踏んだって、何か意味があるはずもない。
『でも一度決めちゃったことだしなあ。仕方ないなぁ……めんどくせー』
そう。意味など何もありはしないのだ。怒りが晴れることもなければ、趣味でこうしているということもなく、何かの実験に必要な生け贄ということでもなければ、悪事や殺しを楽しんでいるということもない。ただ単に「一度決めたことを途中で放り投げたらなんか負けた気がする」なんていう、意味も理由もありはしない理由で大量殺戮を続行し、街一つをこの世から消し去っているのだから。
意味が無いならやめればいいなんて常識的な言葉はアリアに通じない。
……ここに、この世で最も醜劣な心を持つ女がいる。
人を殺す者は悪だろう。人を殺したのだから当たり前だ。笑いながら人を殺す者は悪だろう。笑っているということは、楽しんでいるということなのだから当たり前だ。泣きながら誰かを殺す者も、やはり悪だろう。どんな理由があれ、人を殺していることに変わりはないのだから。
しかしどんな悪であれ、誰かを殺すということには何かしらの理由が必ず発生するのだ。例えば金品を奪うために殺す強盗、殺したいから殺す殺人鬼、命令されたから殺す殺し屋、実験のために殺す悪党。どんな悪であれ、どんな言葉を吐いていたとしても、そこには必ず理由がある。
涙流す英雄にも、衝動溢れる通り魔にも、愉悦持つ殺人鬼にも。
だがここに、それ以下の外道がいる。
理由がないからという理由で殺す、本物の《醜悪》がいる。
『一人一人相手するのって、ちまちました作業みたいで飽きるのよね。でも、いっぺんにヤっちゃうと退屈しのぎにすらならないもんねえ』
彼女の中には今、何ら一切、感情の動きは発生していない。
虫を踏む。家畜を食う。それは上位種である人間にとって悪感情の発生しない上位行動。これはそれと同じこと。人間を潰すことに、彼女が何かを思うことはない。
魚が鰓で呼吸をするようなもので、生物として自分たちが上位に立っているという霊長としての自覚。常に人類を蔑んでいるということは、つまり生物として人間の上に立っているということに他ならない。
だから、醜悪。
自然の側に立てば、人間という種は環境を汚染しながら破壊する醜い破壊者であるという。
ゆえに、醜悪。
同じことだ。人間の側に立てば、この女は醜い破壊者。
すなわち――彼女は、生まれつき心が醜いのだ。
……もっとも、人間の視点から見ればという話だが。
そんなアリアは、過去に殺した家族のことを思い出していた。子供のために、自分たちはどうなってもいいから子供だけは助けてくれと懇願してきた者たち。
アリアは彼らを思い出し、そして。
「……子供ってそんなに良いものなのかしら」
そして――閃いたのだ。一時の暇をつぶす方法を。
それは、考えたくもない最悪の発想。
「そうだ、子供産んでみよう」
それは圧倒的なまでの、生命への冒涜。暇つぶしで命を生む。楽しむためでもなんでもなく、本当に、ただ暇をつぶしたいがために。
命を屁とも思っていないからこそできる、最悪の考え方。
アリアにとって命の基準とは、力の多寡によって決まる。一定の力を持たないものは、みなすべて虫なのだ。
そして、何を隠そう――――そして生まれる子供こそが、のちのカガリなのである。
「そうと決まったらさっそく生んでみましょう」
思えば、同じ六芒卿でも子供を持つ者はいなかった。
妻を持つ者や、人類はすべて自分の子だと主張する頭のおかしな奴はいたが、血の繋がった子供を持つ者はいなかったということにアリアは気づく。だから、これはとても画期的な発想なのではないかとアリアは嬉しくなった。
だが子供を産んでみようと決めたはいいものの、アリアはすぐに壁にぶつかってしまう。
「……しまった、男がいない」
彼女は幸い、性別は一応女に属する。ゆえに子供は産むことができる。
しかし子供は女だけでできるものでもない。片割れの遺伝子を持つ男が必要なのだ。
「でもよくよく考えると嫌ね、我以外の屑が我の中に入ってくるなんて。気持ち悪いし気持ち悪いわ。どうしましょう」
アリアは悩み…そして。
「あ、そうだ」
そしてアリアは、古くからの知り合いのもとを訪ねる。六芒卿ではないが、力はある程度持っているためにアリアから虫扱いを受けていない数少ない一人だ。
そんな知り合いのもとを訪れると、彼女はこう言った。
「――我を男にしーてくーださい!」
「…………」
とうとう頭がおかしくなったか、こいつ。
その知り合いは何も言わず、黙って人の性別を変える魔術を使用した。六芒卿に魔術をかけて効果を発揮させるなど、どれほどの難易度なのか想像もつかないが六芒卿自身が受け入れるというのならば話は別だ。この魔術はこの知り合いが発狂していた時期に何を思ってか作ってしまったもので、作った後正気に戻り長い時間を無駄にしてしまったと激しく後悔した魔術だが、まさか使いどころが来るとは夢にも思っていなかった。
そしてアリアは一旦男になると、その遺伝子を自分から採取。
そして再び女に戻り、知り合いのもとを去った。
「さーて。これで子供を作れるぞっと」
……何も言わなくても、もうわかるだろう。
彼女は自分の女としての遺伝子に、自分の男としての遺伝子をぶち込んだのである。
完全なる、同一人物同士による配合。そんな狂気を、彼女は何とも思わず平気で実行する。
「わっくわっく~」
そして、子供は生まれてしまう。
「……」
男の子だった。生まれた子供を見て、魔王は何を思うのか。世界史上初の魔王による出産である、それは公的な記録に乗ることはなく裏の記録にも乗ることはない彼女自身の単なる個人的行動に過ぎないがしかしながらそれが記録のつかない大事件であることは明白だろう何せ魔王の子供なのだからそれがどんな存在になるのか誰にもわからないのだしかも魔王が自分の遺伝子のみで作った見方を変えればそれはアリアのクローンなのではないかとも見れるだろう他人の遺伝子が何一つ入っていないのだからそう見れるのも当然しかしこれは紛れもなく彼女とは独立した一個の人間でありクローン人間ではないのだ「……ぃい」魔王をただの人間を同列に語ってはならない彼らは特別ゆえに魔王であるのだから魔王といっても生物種的には人間の一つ上で別に悪魔とかそういう存在ではなく魔術側の頂点的な意味合いで魔王と名を持つ程度だが世界の王のごとき存在であることに間違いはなくならばそんな王はいま自らから生まれた赤子を見て何を思うのか――――。
「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………我の子供、超可愛いぃぃ…………」
――魔王、母性への目覚めであった。
世界初の魔王の子は、世界初の衝撃とともに、この世に生を受けた。誰も予想できないことが、誰も予想できなかったところで発生したのだ。
『霊長女帝』アリア・オールランドは、己の子に愛情を持ってしまった。
それも、今まで愛などという感情には無縁だった分、すべての"心"がその子供に注がれた。
「あー、これ完全に理解した。そりゃあいつらも我に命乞いするよね、子供超可愛いもん。完全に理解したわ、ごめんね顔も忘れちゃったけどあの時の誰かさんたち!」
生まれて初めてアリアは謝罪した。それくらい、自分の子供というものがこんなにも可愛いなんてという衝撃に狂っていた。
「うわぁぁぁぁ……超可愛い……――じゃあ、捨てましょう」
そしてアリアは、その可愛い息子をどこかに捨てた。
何を言っているのか? もちろんアリアの行動である。
「確か、あれでしょ? なんとかは子供を崖から落とすって……人は変な飼育方法をするのねえ。まあ、これであの子が強くなって帰ってきてくれれば私も嬉しいし、頑張って崖をよじ登ってね! 我の可愛いカ~ガ~リ!」
本当に崖から突き落としたわけではないが、しかし捨てたことは間違いなかった。いつでも拾いに行けるよう、魔力でマーキングだけは施したものの……完全に、アリアは子育てというものを間違えていた。
しかしこうなってしまうのも不思議では……不思議……不思議ではな……いややっぱり不思議だが、しかしアリアは今まで人間の人間らしい生活にはあまり触れたことがない。生殖活動とは無縁であるために、触れなくても生きてこれたからだ。
もちろん子育てに関してなど、何かを知っているわけもなかった。
「楽しみだなぁ、あの子はいつ帰ってくるかなぁ」
そして約数年ほど、彼女は例の知り合いや同じ六芒卿に自分の子がいかに可愛いかを語って回った。それはもう語って回った。
いい加減五月蠅いと言われ、うち一人とは喧嘩になったこともあったが、とにかく語った。
そしてそんなある日、六芒卿の一人がこんなことを言った。
「生まれたばかりの赤ん坊捨てちゃって、いくらあなたの子でも生きていけるの?」
なるほど、確かに。
アリアはその時、自分の常識は人間には通じないんだということをようやく、その時になってようやく思い出した。
そしてすぐに、数年前にかけたマーキングを辿って息子の……カガリのもとまでアリアは赴く。そして何とか生きていたカガリをその時にいた場所から連れ出し――この際、その場にいた者全てからカガリに関する記憶を奪っている――た。
以上が、カガリ出生の秘密である。
では次は、彼になぜ才能がないのかという話。
それは簡単に言えば、彼が「アリアの息子だから」である。
魔王の息子ならば才能があるのではないか、特別な存在の子ならば子もまた特別な存在なのではないか。そういう疑問が湧くのも当然だが、しかし彼はそうではなかった。親と同じような超越腫ではなく、あくまで人類種として生を受けた。
なぜならアリアは超越種。超越種とは、つまり個人で完結しているからこその超越種なのである。本来、子孫を残すなんて行為はする必要がなく、彼女が子を産んだのは暇をつぶすためであった。だから超存在から生まれたのは、ただの人間だったのだ。もちろん特別な存在から特別な存在が産まれるケースもあるのだろうが……残念ながら、彼はそうではなかった。
そして更に不運なことに、彼は父も母も同じアリア、同一人物同士から生まれた。
つまり、血が混ざっていないのだ。
――血は、混ざる方が強い。
混合生物という言葉がある。一つの個体に、まったく異なる遺伝情報が混じっている生物のことだ。
獅子の頭に山羊の体に蛇の尾を持つ神話のキマイラ、猿の顔に狸の体に虎の手足と蛇の尾を持つ鵺の妖怪。もっと簡単な概念を持ち出せば、生物を改造していく品種改良。より優れた血を取り込んでいくことでより優れた人間に進化していこうという優生血学。
このことから考えても、血とは、命とは、混ざった方がより強化されるのだ。もっと身近なもので説明すれば、地球人と宇宙人が混ざれば天才が生まれる……という風に。
しかし、カガリはどうだろうか。
混ざるどころか、たった一人の血しか受け継いでいない。しかも親が超越種であるがゆえに、何も引き継ぐ必要はないという生命の無情な判断が彼に何も受け継がせはしなかった。
個人から生まれた純粋人間。
それこそが、彼に一切の才能が宿っていなかった理由なのである。
それこそ冷静に考えれば、野に捨てられたそんなカガリが強くなれるわけもないことなど火を見るよりも明らかだろう。アリアは深く反省した。自分の思想、常識は、この子には通用しないのだと認識を改める必要があったのだと気づいた。
だからこれからは、普通に愛情を注ごう。人間如きを手本にするなど癪だが、しかしこの子も人間である。そうするしかないのであれば、躊躇なくそうしよう。この子には自分と同じように強くなってほしかったが、仕方ないと思い。
けれど……。
「強くなりたい」
自分のところに帰ってきた我が子から発せられたのは、そんな一言だった。
ゆえにアリアは狂喜した。
さすがは自分の息子だと喜び狂った。愛情を、愛情を愛情を愛情を愛情を注いで注いで注いで注いで注いで注いで注いで注いで……注ぎまくろうと決めた。
何があったのかは知らない。記憶を覗けばそれもわかるが、他人ならいざ知らず愛する我が子にそんな真似はできない。
だからまず、アリアは息子を試した。カガリに資格なしと判断できれば、普通の少年として育てるつもりだったからだ。
そして、結果は合格。もちろんこうなることはわかっていた。母として息子を信じていたからだ。わかっていたが、一応は試さなければならなかった。
そして彼女は、彼に強くなるための環境を与える。
彼女は――アリアは"心"を司る六芒卿である。
アリアは、精神の世界を創り出すことができる。
そこは精神の世界であるがゆえに、想像しうることならばどんなことでも起こる。
そこは紛れもなく世界であるがゆえに、現実と連動する。つまり、この精神世界で訓練を重ねれば、現実の自分も同じだけ強くなる。
精神世界であるがゆえに、現実とは時間の流れも違う。そして精神であるがゆえに、どれだけ時を重ねても肉体の時間は通常通りに進む。
つまりアリアが提供した環境とは、現実よりも長い時間を努力できて大抵の困難を用意できるという、まさしく最高の環境なのである。
「じゃ、まずは人喰い熊を三匹くらいヤッてみようか! 大丈夫。あなたの心が折れない限り、裂かれようが割られようが砕かれようが食われようが死んだりすることはないから。だから安心して、勝っていいのよ? 大丈夫大丈夫。あなたならきっと出来るわ。だって、あなたは我の愛しい息子なのだから。ねー?」
理論も理屈も何もなく、強く在ろうと強く成るため強さを求めて強さのために頑張れば人は強くなれる。過去にそういう実例を見たという根拠だけで、アリアは息子の願いを応援した。
ただただ、試練という名の暴挙をもってして。
だが、いくら体を強くできるからといって、魔術の才能はどうしようもないのではないか――もちろん、アリアもカガリもそれは考えていた。しかし、アリアの精神世界内で、カガリはとにかく魔術というものに、そしてとっくに触れていたのだ。
魔術の才能はどうしようもない。ならば、魔術に対する親和性を上げればいいのではないか。という発想。先天的な才能を得られなかったのならば、後天的な親和性を得るしかない。
最初からレベルが上がりにくいのならば、今から地道にレベルを上げるのではなく、レベルを上げやすい体にしてからレベルを上げていく。そういう風に、魔術への親和性を高める方向へと行くことにしたのだ。
彼が一朝一夕で固有魔術を身につけられたのは、つまりそういうこと。彼女の魔術の中で魔術に触れ、魔力を体に取り込み、魔力尽くしの生活を毎日送っていた。だから魔術への親和性が高められていき、魔術をすぐに使える体へと変貌していた。
カガリが兎角から魔術について教わった時も大して驚かなかったのは、つまりそういうこと。
その時、彼はまだ魔術師ではなかったが、とっくに触れていたものに対して驚く必要はどこにもない。
ならば、なぜカガリは魔術師でもないのに魔術のことを知っていて今まで無事だったのか?
魔術師でない者が魔術を知れば消滅してしまうのではないか?
その矛盾もまた、アリアの手によって解決する。というよりも、それもまた修行の一環……親和性を高めるために必要な処置なのだ。
いくらでも修行できるとはいえ、どれほどの時間があるとはいえ、永遠に繰り返し続ければ当たり前に人間は壊れてしまう。それは精神世界でも変わらない。
だから、休息というものは必ず必要なのだ。――極々一部を例外として。
アリアは母として、その休息中はカガリを学校に通わせようと思った。母として、当たり前のこととして。
そしてこの休息中、アリアはカガリから一夜の記憶を封印する。
魔術を知られた時の対策、その二である。
記憶を奪うことで、魔術を知られた事実など無かったことにしてしまう。そうすることで消滅を防ぐ対策法。アリアはこれを、カガリに対して毎日毎日繰り返す。それが、カガリが今まで無事だった理由である。ついでに言うと、見下されると怒りに燃えるカガリがまがりなりにも学校という場で日常生活を送れていたのは、記憶と一緒に彼本来の性格も同時に一部封印されていたからだ。彼が学校の教室では友人を作れるだけの社交性を有していたのは、つまり本来の性格ではなかったため。
記憶及び性格の封印が緩む条件は、カガリが魔術の一端に触れること――例外として彼のアゲハへの拘りがあまりにも強すぎたために、アゲハと接している時も本来の性格が蘇っていたが――であり。
そして記憶及び性格の封印が完全解放される――すなわち、彼のタガが完全に外れてしまうための条件とは、彼が魔術を知ることである。
ゆえに、あの殺人鬼と邂逅した時やアゲハと会話をしている時、彼が好戦的になったのは彼本来の性格が半分戻っていたため。そんなカガリのタガを完全に外す鍵となったのが、すなわち兎角による魔術講義である。
あの時アリアが封印の彼女を行う前に、いつもの訓練を始めようとカガリが彼女に提案できたのは、兎角によって封印が外されようとしていたため。そして念願のアゲハとの戦い。ここで彼の中にあった「自分を倒せるのはあの女だけだ」という彼の真実が引き出され、完全にタガが外れたのだ。
もちろん、この親和性上昇は誰にでも行えることではない。というより、地球上で行えるのは恐らくアリアくらいのものであろう。まず精神世界を作り出すということからして難易度は超絶であるというのに、更に十年間毎日、脳や心に傷一つ負わせず記憶の封印や消去を行うなどもはや人間業を何段階突破しているのかわからない。
親が魔王アリアだったせいでカガリは強くなれなかったが、親が魔王アリアだったおかげでカガリは強くなれるのだった。
――以上が、カガリの出生と才能のすべて。
霊長女帝による、育児記録である。
ちなみに氷月というのは、この時の知り合いの名字をそのまま貰ったものである。




