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22.回想B3

 なぜアゲハは学校などという施設に通わなければならないのか。

 そのわけは博爵の実験には、どうしても必要な要素があり、その要素を埋めるためにはこの学校という施設が最適だったからである。

 この実験は街を覆うほどの結界を張るものだが、その結界には当然彼の研究結果である一つの魔術が仕込まれている。だがこの魔術の使用条件は厳しく、それは彼の魔術である"等価制限"でいくらか緩和されているもののまだ足りなかった。

 魔術発動が可能になるまでに結界を成長させるための条件が、結界の中心点であるこの学園を中心とした特定の場所で人命を捧げること。命を奪うという結果が重要であるため、大量に捧げる必要はない。

 そして、この学園を結界の中心点とするための条件こそが、最低一年、あるいは二年間、この学園で結界構築のための魔術を使い続けることだ。

 ここが関門だった。

 このために、アゲハは学園へ生徒(・・)として通うために選ばれたのだ。生徒ならば、学園へ毎日通うことは当然のことだし不自然さはない。学園生活という名の仮初の自由を前報酬とする意味も――アゲハにはあまり意味がなかったが――あった。

 黒龍が教師として学園に潜入するという案もあったが、アイバイザーを必ずつけるという彼の見た目はとても怪しく教師には見えず、そして生徒と比べて忙しい教師では魔術の常時発動にも支障が出るのではないかという考えから却下となっている。

 これこそが、アゲハが毎日学園へと通わなければならなかった理由であり……アゲハが自由となるための前段階であった。


 そのことを確認しながら、アゲハは屋上のベンチに座りながら早速、初日の授業をさぼっていた。


(暇ー……)


 魔術の発動はほんの少しずつ魔力を消費するだけでも十分であるため、集中する必要はないのだがそれゆえに時間の経過は大変ゆっくりに感じられ、退屈だった。

 いくら自由になるためとはいえ、この退屈をあと一、二年間も続けなければならないのかと思うとゾッとする。

 ならば授業に出席すればいいじゃないかという話だが、どうでもいい人間に囲まれながらどうでもいい人間から話を聞いてどうでもいい時間を過ごすのは、理由はわからないが嫌だった。というか、そちらの方が面倒そうだと彼女は思っていた。

 そもそも彼女の学力から考えても、あの程度の授業を受ける必要はないだろうという判断でもあった。


(ああ、けれど)


 一人だけ、変な奴はいたなと彼女は思い返す。

 どうでもいい灰色の人間たちの中で、ただ一人だけ色彩を持っていた男。

 なぜ、あの男だけ色がついていたのか。

 気になることはあったが……。


(色って、ああいう色をしていたんだな)


 初めてかもしれなかった。灰色以外の色を見たのは。

 いや、自分の最も原初の記憶、あの赤い炎以来だろうか。けれど、それ以降では初めてなのは間違いなかった。

 そのせいだろうか。あんなものを見たせいだろうか。なぜ、自分はあんなことをしてしまったのかと彼女が思慮に耽ろうとしたところで、誰かが階段を登る音が聞こえ。


「やっと見つけたぞ、お前」


 扉を開けて現れたのは、まさしく彼女が今まさに考えていたところだった少年。

 彼は彼女を見た瞬間に――。


「初日からサボりとはいい度胸だな、大物気取りか、それとも教師如きの話も理解できない無能なだけか? いやそんなわけはないだろうから、やっぱり大物気取りなだけか?」


「お前こそいきなり随分と立派なご挨拶だな、親の教育がよほど上手く行き届いているらしい。何だ? 二番目」


 ――その出会いは、早々に罵り合いから始まった。


「二番目? ああ、そうだな。そう、それを覆しに来たんだよ。だが、まずは立てよ。いつまで俺を見上げているつもりだ。俺が立っているだろうが」


「見上げることに文句を言われたのは流石に初めてだよ、なんだ見下されたいのか? 被虐趣味か? そうかそうか、気づけなくて悪かったな。だったら今すぐ命じてやろう。跪け、犬」


「殺してやろうか」


「こちらの台詞だ」


 ――あれ?


 彼女はその時、妙な感覚に陥った。

 はて。自分はこのような、売り言葉を言葉で買うような人間だったかと。

 こんなに好戦的(・・・)な人格をしていただろうかと。

 普段ならば無視するか、返事をしてもそれこそ適当に返すだけではなかったか。自分の口は確かに良くはないが、それでもこんなスラスラと好戦的に話すような……そんな人間だっただろうか。

 だが、そんな疑問を感じたのも一瞬で。彼女はそのまま彼と会話を続けていた。


「……いや、まずは名前を名乗るべきだったな。氷月(ひなづき) 赫狩(かがり)だ――氷の月に、二つの赤で狩ると書いて氷月 赫狩。覚えておけ」


 彼が名を名乗り、そして当然のように彼女も己の名を名乗ろうとした。

 以前に名を尋ねられた時は、面倒くさくてなかなか答えようとしなかったのに。


「私の名前は――」


「知っている。葵賊院(きぞくいん) 陽鳳(あげは)だろう。名乗らなくていいぞ、時間の無駄だ」


「…………葵賊院 陽鳳だ。貴族院じゃあない、草冠がつく方の葵に盗賊の族、そして普通の貴族院の院を合わせて葵賊院。太陽の陽に鳳凰の鳳で陽鳳。葵賊院 陽鳳だ、別に覚えなくても……ああやはり覚えておけ、忘れられるのは癪に障る」


「当然だろう。覚えているからここに来た」


 そのまま名乗った。しなくていいと言われてそのまま引き下がるのも、やはり癪に障ると感じたためだ。


「それにしても名乗ってもいない私の名前を知っているとは、何だ私のストーカーかお前? 悪いことは言わないから、今すぐそのまま1と1と0のボタンを押して自首するといい。世のため人のためというやつだ、良かったなあお前でも世間の役に立てて」


「気色の悪いことを言うな。教師の……あー……何とかいう教師に聞いただけだ。お前はお前の名を知っている奴ら全員をお前のつけ回し行為行使者として扱うつもりか。どれだけ自意識が過剰なんだ。安心しろ、誰もお前に付き纏うことなどするものかよ」


「悪いが、私は私の容姿の良し悪しなど知らん。よって自己愛性人格障害などとは無縁だ。私は、わざわざ私の名前を調べてここまでやってきた"お前"をストーカーとして呼んだつもりだったのだが……他人にまで責を投げるとは哀れな奴だ。見も知らぬ他人が何を投げられようが私の知ったことではないが、流石に可哀想だなと感じてやらなくもないよ。まあ最終的には何も感じないんだが」


「大体なんだその服、なんで男の制服を着ているんだ。まさか自分でかっこいいとでも思っているのか」


「お前はついさっき私の言ったことを覚えていることすらできないのか? 私は自己愛性人格障害とは無縁だと言ったはずなんだが? 馬鹿か? そんなだから二番なんだぞ? そもそも私が何を着ようが私の勝手だろうが。私の服装にまでいちいち口を出すな、私の親か貴様は」


「お前を生んだ覚えなど俺にはない。俺の血縁は一人だけだたわけ、俺は単に疑問を聞いただけだ。お前が何を着ていようが俺の知ったことではないわタコが。勝手に俺を親にするな、変態かお前は」


「なんだとコラ、クソ野郎」


「ンだコラ、このタコ野郎」


 言葉が止まらなかった。お互いに、ほぼ初対面だというのに……そのはずなのに、なぜか罵倒が止まらない。

 なぜか互いに腹が立ってやまないのだ。

 イライラする。ムカムカする。自分たちは何に怒っているのか、その発生源すら掴めない。

 まるで、その掴めないという事実に対して、本当は怒っているかのような。それが許せなくて、それが怒りという形で口から漏れているかのような。

 本当は何よりも誰よりも、自分に腹が立っているのだと、そう思えるような気持ちが確かにあって。

 ああ、わかえがわからない。本当に自分はどうしてしまったのだ。

 さっきから、さっきからさっきから。

 わけのわからない感情が次々と、いったい何なのだこれは。私はどんな魔術をかけられたのだ。

 こんな気持ちになるのは初めてのことで、だからどう処理すればいいのかわからない。どうすれば上手くいくのだ、何をすればいい。私は、私はなぜここにいる。何のために、私は。


「……それで、私に何の用なんだ、お前」


 だから、やはりアゲハは口を開くしかない。このモヤモヤを少しでも誤魔化すために。


「ああ、そうだそれだ」


 そして口喧嘩のせいで放置されていた本来の目的を思い出したカガリの、アゲハへの用とはこれだった。


「――さあ、俺と戦うぞ、葵賊院」


「……何言ってんだ、お前」


 何の用かと思えば、戦えとはどういうことだ。アゲハはぽかんとカガリの顔を見る。


「お前こそ何を言っている」


 だがカガリの方こそ、おまえは何を言っているんだと言わんばかりの態度であった。

 彼のその態度に、彼女はますます困惑を深める。

 そもそもいきなり現れて戦いとはどういうことなのか。バトルジャンキーなのか、この平和な現代日本の一男子学生が。それともまさか本当に変態だったのか。


「あー……あれか? テストの話か? 二番目だったのがそんなに癪で……低い点だったのが嫌で、それで私にリベンジしたいと、そういう話か?」


 アゲハは記憶を洗って思い返したが、直近の出来事で恨みか何かを買うようなことといえばそれしか思い当たらなかった。

 いや、だとしても戦えという表現には合わないような気もしたが、しかしそれ以外に何か思い当たることはない。

 まさか奴らの実験のことを知っていて、それで私の邪魔をしに来たとかそんなことはあるまいし……そもそもこの男からは魔術師が体内に流している魔力の気配を感じ取ることはできない。となると魔術師ではないということになり、その線はあり得ない。

 となるとやはり、あの軽試験のこと以外にはないだろう。何せアゲハは、ここ最近でようやく外の世界に出てきたばかりなのだから。


「は? テスト順位……点数?」


 しかし、そんなアゲハの予想は簡単に裏切られる。

 もちろんそんなことで、カガリはここに来たのではない。


「なんで俺がそんなくっだらねえ点数(もん)に……いや、まあそうではあるが……でも表向きはそういうことにしておいた方が問題は少なくて済むのか? 世間体は大事だもんなぁ……母親への恩と義理もある。変に迷惑かけたくは……いや、どうせかけるんだろうが……ああ、まあ、表向きはテストのリベンジ(そういうこと)にしておくのが吉か。うん」


 この目の間にいる不可解な男は、何かを勝手に納得したのか、そう頷いて何か解決したらしい。

 アゲハは軽く驚いた。この男、世間体など気にするような感性を持っていたのかと。

 しかしあれが原因でもないとなると、ますますわからない。


「まあ実際は、こんな場所も、あんな紙切れだってどうでもいいんだが。せいぜい、同じコミュニティに生息してる連中に成績なんて下らねえもんのせいで見下されるのが我慢ならなかったから、とりあえず頑張ってただけだし。けどお前が現れたんだから、もうどうだっていい。目の端に映るカスが気になるのは、カスが目の端に入るからだ。だがもうそんな余裕は捨てられる、カスをいちいち気にしなくて済む。ようやく、お前と戦えるんだ」


 一人でどんどんと話を進めようとする目の前の男。

 何がどうして、そこまで戦いたいのかはわからないが、とにかく変人ではあるようだった。


「まあ今はそんなことはどうでもいい、とにかくあれだ。さあ戦おう葵賊院」


 とにかく彼の申し出に対して、アゲハの答えは一つきりしかない。


「―――――――おとといきやがれ」


 結局その後も口喧嘩が発生し、彼女の最初の学園生活はそれで終了する。

 予想外に騒がしかった一日が終わり、宿として使っている部屋に帰ってからだった。そういえば、あれから退屈という感情が消えていたな、と。気づいたのは。


 そして一年間。

 彼は、毎日彼女の元へと会いに行き、戦おうと言い続ける。


「今日こそ準備はいいな、葵賊院」


「いいわけねえだろ氷月」


 彼女にとっては、本当にしつこい男だっただろう。いい加減諦めろと、何度も思ったのかもしれない。

 しかし彼は毎日彼女に会いに行った。それはもはや、どちらが先に折れるのかという意地の張り合いだった。

 戦え、嫌だ、その言い合い。

 首を折れば勝ち、首を上げれば勝ち、そんな意地の張り合いがそこにはあって。


「……おい、私の隣に座ってんじゃねえよ氷月」


「お前に座る権利を剥奪される覚えはない。ベンチはみなの共用物だろう」


「いや、ここは私の特等席だ。特等なんて価値は感じていないが、私の場所なのだから座るんじゃない。というか、お前に座られたくない、隣に」


「とんでもねえなこいつ。ベンチの所有権を言い張ってきやがった。つかおいどういう意味だよそれは」


 アゲハの言い分をスルーしたまま、つまりベンチにはそのまま居座り続けるカガリ。

 不満そうなアゲハを無視し、レジ袋から昼食用のフルーツサンドを取り出して食べ始める。勉学に集中するために、甘いものは必須だった。


「むぐ……もぐ……」


「……」


「……何?」


 彼の食事をジッと見つめるアゲハに対して、彼は問いかけた。何も食べていない人間にジッと見られたままでは、食事に集中できない。


「いや……美味いのか? それ」


 アゲハはカガリの食べているフルーツサンドを指さして尋ねた。

 彼女にとって食事とは、あの場所でとっていた簡素なエネルギー補給程度のものでしかない。フルーツサンドなんてものは未知の物体であり、他ならぬ彼が食べているということもあって少し興味をそそられたのだ。


「まあ……甘くはあるな。初めて見るのか、これ」


「初めて見たな。というか、クダモノという概念自体見るのは初だ」


 当然、新鮮な果物もまた初見。

 そう言った彼女の、何かがあったのだろう過去を、しかし気にする様子を見せず彼は彼女へと聞いた。


「なら……食ってみるか?」


 カガリは食べていたものを半分に割り、口をつけていない方を差し出した。

 それを見て、アゲハは彼女にしては珍しくおずおずといった様子でそれを受け取り。


「……じゃあ、遠慮なく。……ああ、代金はまた今度……」


「気にするなよ別に、これくらい。大したものでもない」


「……なら、本当に遠慮なく」


 彼女は受け取ったフルーツサンドをしばらくまじまじと見つめた後、パクりとそれを口にした。

 これがカガリの初めて見た、アゲハの食事光景だった。

 クリームと一緒に苺が切られたパンにパンに挟まれているそれをゆっくりと咀嚼し、それを飲み込んで。


「……甘いな」


「まあ、そうだろうな」


 そのまま二人は食事を続け、そしてその日の昼休みが終了した。

 彼らにしては、珍しく穏やかな時間だった。


 またある日は――。


「お前……いい加減にしろよ。もう半年だぞ、いい加減に首を縦に振ったらどうだコラ」


「いい加減にするのは貴様の方だろう。私が、何度、お前を断ったと思っているんだ」


 半年が過ぎても彼らの関係に変化はなく、喧嘩をしたままの付き合いが続いていた。


「俺がここまで言っているのに、なぜ頷かん……!」


「どこに頷く様子がある。というかお前、私の前でだけその横暴さを見せるのはどうなんだ。知っているぞ、お前が教室では猫を被っていることくらい」


「なんでずっとここにいんのに知ってんだよ」


「なんでずっとここにいると思ってんだよ。たまには歩きたくもなるわ馬鹿が」


 少しだけ、教室での彼の様子を覗いてみたことがあった。そこには、彼女と会話をしている時とは別人かと思えるほど、上手く人付き合いをしている彼の姿があって。


「つうか俺が猫被ってちゃ悪いかよ」


「悪いというより、気味が悪いわ。そういうの絶対向いてないだろ、お前」


 なぜって。


「猫を被るって要するに、自分を下に見せる(・・・・・)行為だろう。よくやれるよな、そんなこと」


 だからこそ、彼女はそれを不気味に思いその時は早々に立ち去ったのだ。別にカガリは他人に気を遣えないわけではないが、それでも友人などというものを作り笑いあう光景には違和感しかないと。

 だって、あのカガリが、あの少年が友人と談笑する光景など、彼女には悪夢としか思えなかった。あれは氷月ではないと目の前の現実を否定すらした。

 違う。あれは氷月ではない。あいつは、氷月とよく似た顔をした別の誰かだ。間違いない。そうに違いない。うん。屋上に戻ろう。昼休みになれば、どうせまた現れるだろうから。

 そんな風に思いながら。それはアゲハにとって、初めての自覚的な現実逃避だった。

 そう――あのカガリが、自ら己を下向けるなど。それは、絶対にあり得ない光景のはずなのだから。


「――」


 そう。それだけは絶対にあり得ないはずなのだ。

 例えば、彼の心が、誰かに弄られでもしていない限りは。


「……いや、待て。本当に友人なのか? お前、奴らの名前ちゃんと言えるか?」


「…………言ってもお前にはわかんねえだろ」


「本物の屑かよお前」


 こいつ覚えてねえ。そう確信したアゲハ。いや、苗字くらいはさすがに覚えているだろう。でなければ日常的な付き合いなどできはしない。だが、フルネームまではきっと覚えていないに違いなかった。

 もっとも、特段変わったことであると言えないわけでもない。例えば、一年前には友人だったとしても、付き合いが切れていればどんな人物だったか、顔も忘れてしまうことがあるように。人の脳は記憶を取捨選択するものだから、本当は興味なんてない人間のプロフィールを記憶に保とうとしない……ということもあるだろう。

 ゆえにどうやら彼にとってゆうじんというものは、ただの世間的な付き合いという意味しか持たない表面上の関係であるらしい。

 けれどそのことにアゲハは安心した。どうやら彼は本物のカガリであるようだったから。

 どこの馬の骨とも知れぬ輩などと笑い合う氷月なんて氷月じゃない。内心でそんな酷いことを思いながら、彼女はとても安心していた。

 いやむしろ、たとえ表面上の付き合いだとしても、カガリという少年が仮初だとしても友人関係を構築するということ、それこそが違和感なのだから。彼はそんな暇があるなら、たった一つの目的(・・・・・・・・)に向かって前進し続ける、そんな人間であるはずで――。


「今はクラスメイトのことなんてどうでもいいんだよ。どうせてめえだって知らねえくせに」


「誤ー魔ー化ーしーたー。こいつ誤魔化したー。私はいいんだよ、一度も授業に出てねえのにクソどもの名前なんぞ知るわけねえだろ」


「やってることはてめえの方が立派な不良じゃねえか何開き直ってんだ」


 ぎゃんぎゃんと二人が騒ぎ合う屋上は、もう彼ら専用の空間とすら化している。

 彼ら、あるいは彼女が常にここにいるため、他の誰もここへは来ようとしない。


「いいからさっさと戦えや! いつまでこうしてるつもりだこの野郎!!」


「だから! 嫌だって! 言ってんだろうがこの野郎!!」


 戦え、嫌だ。相も変わらずそう言い合う二人。

 しかし、それでも。カガリは無理矢理アゲハへ殴りかかるようなことはしなかったし、アゲハもカガリを完全に無視するようなことはしなかった。

 二人とも、相手の完全なる拒絶だけは、ついぞすることはなく。

 一年間、意地の張り合いだけを続けたのだ。毎日、毎日、一年後も同様に。


「お前、もう何度目だよここにいるの。数えるのもばからしいわ」


 彼女はいつものようにそこにいる。永遠のサボり魔、アゲハは毎日この屋上にいる。

 そして彼女のもとに、毎朝足繁く通うのはカガリだけ。


「というか、よく進級できたもんだよなおい」


「お前こそ何度目だよ氷月。私が何度お前をここで追い払った。こっちは朝から疲れているんだよ、どうしてゆっくり休ませない。虐めかよ、よくないと思うぞそういうのクソ野郎」


「何が虐めだ。学園に来て授業を受けずに堂々とサボって悪びれもしないお前に休みがどうのと言う権利はねえ。いいから教室に戻って(おれと)授業を受けやがれ(たたかえ)この野郎」


断る。ジュギョーって(いやだ)のは受ける受け(って)ないの権利がこっちに(いってん)あるものなんだよ(だろ)、金払ってんのはどっちだと思ってるんだ。あと虐めってのも受けた側が虐めだと思ったら虐めなんだよ。そんなこともわからないの? 悪口だけなら虐めにならないとか言っちゃうタイプですか? いるんだよなぁ、そういう遊びのつもりだったとか言って責任逃れしようとする奴。最低だな。私の後ろから跳ぶだけでその最低の虐め野郎が今すぐこの世から消えるんだが、どうだ?」


「じゃあ金を払わずとっとと辞めればいいだろうが、何を寝ぼけた言い訳かましてんだ。金を払ってるってことは授業を受けますっつー意思表示なんだよ。あとこれを虐めだと思えるなら、学園よりも病院に行くべきだと思うぞ。その腐った性根は道徳じゃ間に合わん。腐敗が脳みそから全身に回る前に今すぐ切除をお勧めする、ああもしくはお前の後ろから跳び降りて人生やり直すかだな。その方がむしろ医者にその腐った頭を見せずに済むんじゃないか?」


 口を開くや否や彼らの会話は一瞬で罵り合いにまで発展する。

 生理的に、どころか魂魄的に合わないこの男女は、致命的に相性が悪かった。


「は?」


「あ?」


 アゲハには、やはりわからない。

 なぜこの男にだけ色彩があるのか。なぜ、この男にだけ、自分はこのような態度をとってしまうのか。

 灰色の視界で自分の心を閉ざしてしまっている彼女には、わからないことだらけだ。

 けれど、わかることもある。

 最初から、一目彼を見た時から、わかっていることもある。


(この男はきっと、私を倒すためだけに、今までずっと生きてきたんだな――)

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