21.ヘイロン
動揺を無理やりに抑え、兎角は短剣を振りぬく。あるいは、いまだ残る動揺を振り払うように。
だが今までと違って、黒龍はその玉兎を避けることはなかった。当然彼は切り裂かれ、黒龍の一人が血をふきながら地に伏すものの。
「なんで酷い女なンダ。躊躇なく人を殺すなンテ、頭がどうかしてしまってるとしか思えナイ」
「人の命を思いやる気はないノカ」
「これだから正義の味方ハ……正義のためなら何でも許されると思ってイル!」
「よくも俺を一人殺してくれタナ……! 許さなイゾ! 仇は絶対にとってヤル!」
いかにも真面目そうな声音でそう言う黒龍たち。
ふざけるなと、そう言いたいのは兎角の方だったが、しかしそんな彼らのそばから。
「まあマア。許してやろウゼ、俺タチ。彼女にも悪気があったわけじゃないンダ、人として……当たり前の優しサデ、彼女の悪行を許そうじゃなイカ」
さっき死んだはずの黒龍が、当たり前のようにひょっこりと現れていた。
復活――危機に陥った正義の味がそうするように、彼は何ともない顔で蘇っている。
これで彼の能力はほぼ確定したと言っていいだろう。つまりは分身と復活……いや、この不死能力が本命で分身はあくまでおまけなのかもしれない。
しかしどちらか一つであっても強力だろう能力が、二つも三つもまとまっているのはどういう理不尽であるのか。
不滅遍在魔術、彼の力は「正義の味方が所有する特性を模倣し再現する」こと。
変身も、複数も、そして復活能力も、正義の味方の特性を再現しているに過ぎない。
強力な力を一人でいくつも使用しているように見えているが、あくまで彼の魔術も一つきりだ。
「ふざけた男ね……!」
「よく言わレル」
本当に、どこまでふざけた男であるのだろう。
そう。斬られても復活できるということは、彼は彼女の猛攻をわざわざ避ける必要が欠片も無かったということになるのだから。仮に復活回数が少ないというのならその理由もわかるが、ついさっき、彼女をわざわざからかうためだけに一人死んでいることから考えても、おそらくは二度三度死んだところで支障はないのだろう。
避けて避けて、避け続けて、だがそのすべてが、本当はしなくてもいいことだった。
彼が彼女を倒そうと思っていたなら、最初から場にいる黒龍七人がかりで一気に攻めればいいだけの話なのだから。
途中で一人か二人が仮に死んでも、残っているものが一斉に殴り掛かれば、身体能力に差がある兎角では防ぎきれず殺されていたはずだ。それをしなかったということは、ああ本当に、彼は兎角と戦っている気などこれっぽっちもなかったのだ。
彼にとってこれはただの遊びに過ぎず、すべては兎角の空回り。
よって、これで格付けはすんでしまった。兎角は奥の手を二つ使い切ってしまったが、黒龍はまだ自分の能力を明かしただけだ。戦いになど最初からなっていない。
正義の味方と悪の味方、その勝負は圧倒的に後者の戦力が上回っている。
「それにしても驚いタヨ。まさか君の魔術がそういうものだったトハ」
だが、それでも兎角は黒龍を一度正面から殺すことに成功しているのは事実だ。
それこそが兎角の磨いた二つ目の奥の手。
「自分で言ったことなノニ、思わず失念していタヨ。君が馬鹿の一つ覚えみたいに……剣を振り回すしかしなかったカラ」
遠隔斬撃魔術。
遠隔■撃魔術。
「俺の頭ニ、印象を刷り込んだんダナ。暗殺向きの魔術だということはわかっていたノニ、俺は自分からその事実を忘れてしマッタ。兎はぴょんぴょん飛び回るしかできないなンテ、そんなわけはないのにナア」
短剣を、振り回すしかしなかった。最後の最後まで。
そうやって、対戦相手を騙してきた。
「君――剣士じゃないダロ」
「あ、ばれた?」
兎角は短剣を投げた。真っすぐ、目の前で喋る黒龍へ向けて。
当然、彼はそれを避ける態勢に入るが、しかし投げられると同時に発生する魔力源。
彼がひょいと半身となって短剣をやり過ごそうとしたが、しかし半身となった場所、魔力が発生したのはちょうど背中の中心すぐ近くから。
間髪すら入れず、そこからすべてを貫く軌跡が走った。
黒龍が一人死亡し、そしてすぐに復活。
――自分の武器を、躊躇なく捨てる行為。
言うまでもなく彼女の魔術は彼女の手にある剣が起点となって発動する魔術だ。その剣をあっさり投げ捨てるという暴挙は、通常考えられない行動といえるだろう。いや、そもそも彼女は剣を投げたが振ってはいない。だのに魔術は発動し、黒龍の一人を貫いている。そう、貫いているのだ。
彼女は剣士ではない。短剣使いでもない。
剣はあくまで、彼女にとって魔術の媒体となる月に過ぎないのだ。
そう、彼女の正体は。
「……暗器使いカァ!」
暗器。身体のどこかや道具の中に隠し持ち、思わぬところから敵を攻撃するための武器のこと。
彼女はさっき、百千望月を受け流されたにも関わらず黒龍を殺すことができたのは、要は最初から斬撃で殺す気がなかったからだ。彼女はその身に隠し持っていた武器で、彼を刺殺したのだから。
彼女ができるのは、斬殺だけではない。
「大概俺も間抜けだナァ。まんまとしてやられタヨ」
「騙される方が悪いのよ」
彼女は自分の魔術に宿る特性を理解している。当然、この魔術が暗殺向きであることも。
しかし自分は正義の味方として、暗殺という手段をとることができない。ならばどうすればいいか? この魔術が最も真価を発揮できる場所を自ら捨てるというなら、ならば代わりにどうするのか。
答えは簡単だ。影からの不意打ちがだめなら――正面から不意を打てばいい。
「それって屁理屈じゃなイノ?」
「私は自分の魔術を隠していない。それでその可能性に思い当たらないのなら、それは相手の落ち度。私は子供の夢を壊してない」
隠し持った、あるいはその手に持っている刃を使って、突き刺す。
遠隔剣撃魔術。
兎角は剣のあらゆる部位による攻撃を、兎として任意の座標に跳躍させることができたのだ。
「けレド、俺には勝てナイ」
――だから何だ?
斬撃だけではなく、突撃も距離を無視できることはわかった。
だからどうしたと言う。
どちらにせよ、それでは黒龍の魔術を攻略できないことに変わりはない。一人一人を殺していくことしかできない魔術では、一人一人が殺されてもすぐ元の数に戻る黒龍を殺しきることは不可能。
先に、兎角の魔力が尽きる。
そう、先に言った通り格付けはもうすんでいるのだ。もはや兎角に勝ち目はない。
「けれどそれでも諦めなイト?」
「当然よ」
だが勝てないことは正義の味方が諦める理由にはならず、ゆえに彼女はここで退くことはできない。
だから。
「立派だナァ。ジャア、無駄な努力を頑張ってクレ」
彼女は、無意味な戦いに挑む。
――そして時間が経過して。
「はぁ……っ、はあ……!」
すでに日は沈みきり、月も出てからしばらく経っている。
もう限界だった。彼女に残された魔力は残りわずか。そのすべてを攻撃に回しても、やはり黒龍を殺しきることは絶対に不可能だろう。
勝敗は最初からついていた。元々勝ち目などない戦いだった。
彼女は黒龍を何人か殺せてはいるのだ。さっきも今もやる気のない状態とはいえ、それでも格上である彼を殺してはいる。けれど、数度殺せたところで、黒龍は止められない。
これが魔術の差、あるいは才能の差だろうか。
同じ努力でも、結果は大差だ。黒龍も最初は何度も生き返るなんてできなかったかもしれない。しかし、少なくとも今は違う。彼は、蘇生にかかる魔力を減らし続け、いまや常識外れの蘇生可能数を身に着けている。
その力を、兎角は自らの努力で上回ることはできなかった。
「おっかしいナア。君、なんでそんなに頑張ルノ? 諦めてもいいんじゃナイ?」
どうせここは"領域"の中。誰も見てやしないのだから。諦めたって、誰も文句は言わないだろう。
そういう風に彼は言った。
「キヒヒ。諦めちゃいナヨ、そうすればすぐ楽になレル。苦しいことから解放されるンダ――」
と、彼は言っても。しかし兎角は。
「馬鹿言ってんじゃない……ってーの!」
斬撃、刺撃。それらを駆使して、体に仕込んだ刃を使って、回避しにくい攻撃の軌道を作り上げる。斬撃の檻で囲むように黒龍の逃げ場を殺してから、突きの一撃で黒龍を穿つ。
「もう飽キタ」
だが通じない。黒龍には効かない。
魔力で編まれた攻撃なら、同じ魔力を用いて防ぐことは可能である。そういう理屈を持ち出して、彼は彼女の斬撃をすべて割り砕いた。
彼にはそれができる。兎角の遥か上に立つ、戦う魔術師ならば。彼の外殻もまた、魔力が固まったものなのだから。
黒龍は兎角へと接近し、拳を握る。兎角はすぐに逃げ場を探すが、周囲には残り六人の黒龍が散開している。どこへ逃げても、どこかに待機している黒龍の元へと逆に追い込まれる形になってしまう。
だから彼女はその場に留まって抵抗するしかなく、身を捻りながら手を動かそうとする。攻撃を回避する動きで発生する短剣の半円軌道。それを攻撃へと転用するために。
無駄だった。黒龍の速度は兎角のそれよりも上。少し力を出されただけで、たちまち追いつかれてしまう。
逆に腕が折られ、ついでとばかりに蹴り飛ばされる。
「ガッ……ギァッ」
再び兎角を囲うように黒龍たちが移動する。自分を上回る実力者たちに囲まれているという状況が、いかに絶望的かなど語る必要もない。
もはや瞬殺されたっておかしくはないのだ。
ここまで戦っているのが奇跡のようなもの。しかし、黒龍はこうしてわざわざ兎角に付き合っている。
何のつもりで彼がここまで彼女に付き合っているのかは定かでないが、こうして兎角が彼の気を引いている限り、兎角は結界の完成を遅らせることができる。だから兎角は諦めない、何としても。そして、勝利だって諦めてはいないのだから。
「私が……ギブアップするですって……? 冗談!」
まだ立ち上がる。腕が折れても、たとえ足が折れたって、這いつくばってでも悪党はすべて斬り殺してやる。
倒れてはならない。諦めることなどしてはならない。
そんな彼女の姿に感興をそそられたのだろうか、黒龍は口を開く。
「何も報われないノニ? 誰も君なんて見やしナイ、君が守る大衆とやらは誰も君のことなんて知らないままなノニ?」
この"領域"という空間は確かに便利だ。元の空間と瓜二つな別位相に魔術師たちを幽閉し、魔術師たち専用の戦闘空間を造り出す。
そこには誰もいない。正義の味方が守るべき誰かも、正義の味方に助けられる誰かも、正義の味方の頑張りを目撃する誰かも、誰もいやしないのだ。
だから誰も、彼女の奮闘を知らない。
ゆえに少女は報われない。悪の味方がただ愉悦のままに、甘い蜜を吸い続けるのみ。
「名誉が欲しければ、こんなこと最初からやってないわよ。あんなみたいな悪党から、誰かを守りたくてやってんだから……!」
報われなくとも構わない。というより、そんなことは最初から勘定に入れていない。
最初から最後まで、彼女のすべきことはただ一つ。
「悪党ぶっ殺して! 安心安全安泰な社会を作るべく、私たちは戦うの!」
兎角は大きく息を吸う。
いつものように、声を張り上げるために。
たとえ誰も聞いていなくとも、自分が来たと、守るべき誰かに知らせるために。
戦うべきあくに、自分の存在を知らしめるために。
「遠くなくとも音に聞き、目で見よ近くに寄らずとも! 括目! 傾聴! 私の姿を目に入れろ、私の声を聞きつけろ! 私も誰も見過ごさず、私も何も聞き逃さない。
助けを求める声あれば、疾風の如く駆けつけましょう! 恐怖に怯える者あらば、木々の如く寄り添いましょう! 怒りに燃ゆるは猛火の如く、私は決して許さない! 折れず、曲がらず、揺らがない、不動の心は大空近き美山の如く! 夜陰に昇るは正義の月光、悪を射抜くは矢の如し!!
ゆえにすなわち、私の剣は三日朏玉兎。神は人を助けない、法は今を救わない、人は善に流れない。だとしても、だから私は正義のヒーロー、通りすがりの正義の味方! 名もある正義の魔術師で!」
御覧、正義の一番月。
「私の名前は灰久森 兎角!」
正義の味方が、やって来る。
「――私が! 参上! 大・参・上!!」
残った腕で、つるぎを握る。まだだ、まだ諦められない。
ここで自分が負けてしまえば、あの結界によってこの街がどうなってしまうかわからない。ともかく、碌なことにはならないだろうから。
ここで彼女が倒れるわけにはいかないのだ。たとえ、誰に応援されなくても。
「そんな状態でよく言ウヨ。君、大ピンチじゃン」
「知らないの? 今、危機に陥っていることと、一秒後に状況を覆すことは何の関係もないらしいわよ」
兎角の目はまだ折れていない。そこには正義の光が燃えている。
「ヘエ……」
存外、いややはり、彼女の正義は本物だったようだ。
実力はどうあれ、その光は輝いている。彼は彼女の評価を改めた。彼は正義の味方を最も警戒しているから。
それこそ、自分の魔術にしてしまうくらいに、その存在への評価は高い。
「参っタナ、そんな調子で頑張られたら思わず負けてしまいそウダ」
「勝負はここからよ、覚悟しなさい」
正義の味方と悪の味方、どちらもまだ倒れていない。
まだ戦う力は残っている。
だから――――。
結界は完成した。
「ほんとにいいノオ? このまま戦っテモ?」
何の前触れもなく。何の変化もなく。
ただ忽然と、街を覆う結界の魔力濃度だけが、上昇した。
「……え?」
「キヒ、キハハ……」
これにて犠牲は完了し、必要な人命の数は揃った。間抜けにも正義の味方が戦っている間に、別の場所では淡々と殺人が続行されていただけ。
当たり前に、無情にも、彼女の奮闘には何の意味も意義も無く。
一人きりの正義の味方では何も守れない。手が増やせるわけでもないのだから、当然だ。これは至極順当な出来事。
だが……。
「あなた、まさか!」
だが、悪の味方は幾人もいるのである。
「キヒ、キヒヒ……ウン、ここにいるのが全員だなんて一言も言ってなイヨ? キハハ……キヒ、ハ」
この場の七人と、遠方で殺人を重ねていたもう一人。合計八人が魔術によって増える黒龍の総数。時々見せていた彼の瞬間移動めいた消えたり現れたりは、単にその場の自分を消していただけで移動でも何でもなく、彼に瞬間移動なんて真似はできない。
だからこの場の黒龍たちを釘付けにすればそれでいい。なんてことはなく、最初から遠くで待機していた黒龍が活動を開始すれば、それだけで兎角の行動は無意味なものとなる。
彼女の戦いは、すべて黒龍の掌の上。間抜けな兎は、彼の目論見通り間抜けな様を晒していた。
「キハ、キハハハハハハハ! キハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」
腹を抱えて、黒龍たちは笑った。
何か偉そうなことを言っていた。正義がどうだの、正義とは何だの、何やら高尚な理念やらを持っていたようだが、しかし結果はこの様だ。
お前のどこが、正義なのだと。
「――――馬ァ~~~~~~~~~鹿!!!!」
世の中、そんなものだ。善いことをしたからといって、報われるとは限らない。
「デ、良いノオ? こんなところにいつまでも居テ」
そして、結界が完成してしまった以上、もう兎角に猶予はない。
何が起こるかわからないが、だからこそ、ことここにきてしまってはこの場で黒龍に挑み続けるよりも、結界の中心点に行き何としても発動だけは食い止めなければならない。
しかしそれは、目の前の悪党を見過ごすということを意味していて。
「ど~~~う~~~す~~~~ル~~~~~ノ~~~~~~?」
逡巡は一瞬、彼女はくるりと後ろを向いて、一目散に駆け出した。
目の前の悪党一人よりも、大勢の命を奪うかもしれない結界を優先したのだ。
何を考えているのか、黒龍はそれを追わなかった。そのまま彼女を、見えなくなるまで見送って。そして、笑った。
「アーア…………優先順位をつけタナ?」
言ったはずなのに。これは、優先順位の問題であると。
「正義失格、オメデトウ」
一人に戻った黒龍が、その場で一人手を叩く。
「覚悟決めた正義の味方と戦うなんて御免だかラネ、君には退散してもらったよ」
そのためにタイミングを見計らって結界を完成させたのだ。より長く楽しむために。
正義の味方は他人を優先するが、悪の味方は自己を優先する。
人のために、みんなのために、自分以外の誰かのために。ではなく。
己のために、ひとりのために、他の誰より自分のために。
だからこそ、彼は最後の瞬間、自分の身を優先した。
正義は警戒に値する敵だ。そんなものと戦う危険を冒すよりは、さっさと戦いを切り上げたほうがいい。彼女を正義という絶対から引きずり降ろすために。
なぜなら目の前の悪を見過ごすということは、それすなわち自らの正義を見捨てるということすら意味する。
正義は怖いが、正義でなくなったものなど怖くもなんともない。たとえ一時でも、今の兎角は正義の味方ではない。そんな状態では、待ち受ける魔術師に勝利することは絶対に不可能だろう。
「キハキハ。奇跡トハ、起こるからこそ奇跡というンダ。信じなくとも警戒はすべきなんダヨ」
彼は彼女をからかい切った。己の趣味を全うした。
そして、それ以上のことはしない。
「復讐とかされたら嫌だもんネエ」
復讐とか逆襲とか、そういうエネルギーは馬鹿にはできない。正義と同様、不可能を可能に変えていく精神の力。
彼はそんなものになど、かかずらいたくなかった。
「俺はこの程度でイイ」
絶望を見たい? 人が絶望する様を見たい?
――いいや、全然。
いや、見たいか見たくないかで言えば見たくはあるが、だからって自分で演出する必要なんてないだろう。
「そういう脚本が見たいなら、他人のものを見物すればいいンダ」
そんな絶望だとか憎悪だとか、そんなものを呼び起こしてどうするのだ。そのエネルギーがもし自分に向いたらどうする。ヒーローとか、主人公とか、そういうわけのわからない存在に目をつけられたらどうするのだ。
嫌だ嫌だ、考えたくもない。
自分は長生きして、もっともっと長く楽しみたいのだから。そんな奴らに目をつけられたら、まず間違いなく殺されてしまう。時間はかかれども、いずれ必ず殺されてしまうだろう。
それは何としても回避したい。そのためには、自分の生を脅かす存在には関わらないのが吉である。
戦いは好きだが、それは命の危険を伴うものではなく圧勝できるものが好きなだけ。例えば、そう、今のような。
だから彼はからかうのだ。必要以上の危険を見ないために、自分のために。
黒龍はからかい好き。
適度にからかい、適当にからかう。憎悪が自分に向けられないように、正義が自分に向けられないように。彼がからかい好きなのは、それ以上のことをして変な奴らから変に恨まれたくないからだ。
絶望だとかそんなものは、特等席から他人の演出を鑑賞するだけで十分。
ゆえに悪の味方。
悪の味方をするということは、悪党である自分の味方を何より優先するということであり、自分の楽しみのために他の悪を味方するということ。
傭兵のような生き方だが、それでいい。悪とはつまり首謀者のこと。危なくなればその件からすぐ逃げる、相手はただの傭兵である自分よりも首謀者たちを優先する。ほら、万事は何も問題ない。
悪は楽しい、だから悪として生きていきたい。でもできる限り安全圏に生息したい。
その矛盾、そのわがまま、それが彼の生き方を決定づけた。
その在り方は《絶対悪》ではなく、ましてや《最悪》でもありはしない。
彼はただの《愉快悪》。
適度に適当、適切に、他人をからかい悪事を働き生きていく。その程度の悪党である。
ゆえにどれだけ強くても、話の主題には決してならない、上がらない、上がろうとしない。
だから、悪の出番は、これにてしゅうりょう。
「キハハハハ。サア、あとは任せたよ少女」
そして、兎角は結界の中心点、この街を覆うものの魔力源へと辿り着いていた。
それがどこか。残った舞台は、ここしかなく。
たどり着いたその場所の屋上で、葵賊院 陽鳳が、いつもようにベンチへ座っていた。
――正義の出番も、これにておしまい。
そもそもこれは正義の物語ではないのだから。正義も、悪も、この状況を作るためのパーツに過ぎない。
同じ地獄の中で生まれた二つの魔術がぶつかるまで、あと――……。