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19.回想B2

 その光景を覚えている。

 その時感じたことを覚えている。

 生涯記憶に焼き付くだろうと思った衝撃を覚えている。


 ■■■■■■■■■■、■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■いたことを、覚えている。


***



 現在より一年と少し前。

 博爵(ドクトル)の管理下で行われていた被害者たちの争い。それを勝ち抜き、自由への挑戦権を獲得したのはアゲハだった。

 順当な結果だった。ろくな魔術師が育つとも思えない、ろくでもない環境だったが幾人かは頭角を現す者たちもいた。中でも彼女は一等優れていたから。

 結局、一敗すらすることなく彼女は勝ち抜いたのだ。

 天才と、そう呼んでも間違いではないだろう。悪党二人から大した教育を受けていないのにも関わらず、彼女は身の内に流れる魔力を理解し、あっという間に固有魔術の会得すら成し遂げた。

 黒龍はそんな彼女が最後まで残ってくるだろうなと予見していたし、この結果は何ら不思議なものではない。そう、不思議なことではないのだ。その強さだけを見れば、だが。

 なぜなら彼女、他の者たちとは違って強烈に自由を求めているような様子は欠片も見られなかったからだ。モチベーションは皆無であったはずなのに、彼女はこの潰し合いにおいて手を抜くことはなかった。


「意外だね。君は今更自由になるなんてこと、興味なんてないと思っていたけれど」


 ドクトルはそんな彼女が当たり前のように勝ち残ってきたことが若干の不思議だった。


「もしくは、僕が思っていたよりは、君にもまともな心が残っていたのかな?」


「抜かせ」


 アゲハは表情をピクリとも動かさず、心に何ら揺らぎも見せず、ドクトルの問いに答えてみせる。それはまるで機械のような顔であり、人を人とも思わぬドクトルをして「人間味が一切無い」と思わず感じてしまうほどの冷たさだった。

 だが、それも当然のことかもしれない。

 己が欲するものは、欲する前に必ず奪われてゆく。この手に入ることもなく消えてしまう。自分はそうした業を背負っていると思い込んでいるアゲハにとって、世界とは自分に対して何も与えることもない、ただ広いだけの箱庭でしかない。

 どうせ奪われるのなら、最初から何も欲さなければいい――自分は何かを欲しいと思うことは、もう永劫にない。そう決めてしまったがゆえに、彼女は冷たく空虚な人間に成り下がってしまった。

 ドクトルはそんな彼女の心情など知ったことではないが、しかし彼女の内に一切の熱が存在しないだろうことは感知していた。だからこそ、自由などという報酬にも拘ることはないだろうと思っていたのだ。


「どうせ、要らなくなった奴らは処分されるんだろう? 別にその時になっても死ぬ気はないが……まあ、あの男と戦うよりは有象無象と戦う方が楽だろう」


「そういう問題ではない気もするが……まあ、どうでもいいことか」


 そんな世界で自由になったところで、彼女に何が残されているだろう。

 何も欲することもなく、何かをしたいと願うこともなく。ただただ生き続けるだけの"惰性の生"を送るだけ。

 彼女の人生とは惰生なのだ。死ぬまでただ生き続けるだけの、無価値な人生。そんな彼女が、自由への熱意など持っているわけはないのだが――。

 ゆえに彼女の視界はすべてが灰色であり、だから精神的な色盲にかかっている。そこにまともな色など一つもなく、彼女は博爵や黒龍(ヘイロン)がどんな色の服を着ているのかさえ知らない。


「こんな辛気臭い場所よりは自由である方がマシだろ。それに、その方が都合も良い」


「……ん、まあ、そうだね」


 気のせいだろうか。博爵は今の言葉にどこか違和感を覚えたような気もしたが、しかし誰かおかしなことを言ったわけでもない。すぐに気のせいだろうと断じて忘れ、アゲハに話をし始める。


「とりあえず、君にはあることをやってもらう。期限は……おそらく一年か二年かかると思うけど、なに。だいたい十年(・・)ほど耐えた君なら今更大したことはないだろう?」


 博爵がアゲハに課すのは、彼の実験における重要なポイントであった。このポイントを任せるためだけに、アゲハたちは今まで育てられてきたのだから。

 アゲハも特に不満はなかった。どうせここにいても外に出ても、世界が灰色であることに変わりはない。退屈な生を過ごすことに変わりはなく、それゆえ不満なども特にはなかった。


「君にはね――学校に通ってもらう(・・・・・・・・・)。君くらいの年齢なら、みんなしてることだ。喜ぶといい。……と言っても、君が喜ぶはずもないか」


 学校? 今更?

 アゲハは少し訝しんだが、しかしこの男にはこの男なりの企みがあるのだろう。特に追及することもなく、彼女は彼の話を黙って聞き続けていた。


「もちろんただ通ってもらうだけじゃあないけどね。本当は、まともな場所に身を置かせることでモチベーションを高めさせ、より頑張ってもらおうという前報酬も兼ねていたのだけれど。君には関係ないからなぁ」


 学費などの心配もないという。アゲハはただ黙って通ってくれるだけでも構わないらしい。

 なら簡単だ。難しい任務でも課せられるのかと思っていたアゲハは思っていたよりも楽そうな条件に拍子抜けしたが、しかし難しかろうが簡単だろうがどちらでも構わなかったので、幸運だと思うこともなかった。


「ああわかったよ。とりあえず、ガッコウに行ってやることやればいいんだな。了解したよ」


「頼むよ。君に、僕の実験の成否がかかっているのだからね」


 それからしばらくの間、アゲハは基本的な学力や知識を詰め込むことになった。

 十年分を積め込むのだからさぞ大変な作業になると思われるが、しかしそんなことはない。彼女は魔術師なのだ。

 魔術とは造るだけでなく学ぶことすらも難しく、その難易度は――魔術のレベルにもよるが――難しいもので数年単位かけて一つの魔術を学ぶということすらある。さらには半生かけることすら珍しくはないのだ。

 そんな魔術師にとって、一般学生レベルの学業を修めることはさして難しい話でもない。

 短期間で平均的な高校生の学力を超えるまでの知識を詰め込み、準備は整う。

 博爵から予め受け取っていた魔術を手に、彼女は久方ぶりに外の世界へと足を踏み出して――だがやはり、そこに感動的なものは何もなかった。


 太陽の光が灰色だった。

 人の群れが灰色だった。

 鋼鉄の塔が灰色だった。

 世界の全てが、何もかも灰色だった。


 予想していたことではあったものの、だがやはり目にすれば多少の落胆はあった。あの中だろうがこの外だろうが、結局どこにいようと自分の世界は変わらないと……思っていた通り。この空虚な女の居場所など、やはりどこにもないのだと。

 しかし、それ以上は何かを思うことはなかった。わかりきっていたことだからだ。

 この視界とはもう十年以上もの付き合いなのだから。今更灰だろうが何だろうが、変わり映えがなくともどうだっていいことだ。

 アゲハは適当に自分が所属することになる学園へと足を踏み入れ、そして歩いていく。

 学園外でもそうだったが、学園内に入るとより顕著だ。何がと言われれば……彼女の視界は灰色であるために、物の区別がつきにくい。そして彼女は他人への関心というものが極端に薄い。よって、施設内にいるほぼすべての人間が同じ服装をしている学校というものは、彼女にしてみれば画一的すぎる世界であり、文字通りすべての人間がモブとしてしか眼に映らない。

 誰が誰やらさっぱりであり、もちろん彼女はクラスメイトなど相手の顔や名前を覚える気が全くないため、画一性はさらに増していき灰色の世界がより一層気持ち悪いものへと化していく。慣れている彼女ならともかく、普通の人間の目がいきなりこの視界へと叩き落されれば気を狂わせてしまうかもしれなかった。

 しかしそんな彼女とは逆に、他の生徒たちから見ると彼女の恰好はとても注目を集めるものだった。

 何せどう見ても女子である生徒が男子用の制服を着ているのだから、注目を浴びるのも当然だろう。アゲハにしてみれば、ズボンを履いているのは単に足を守るためや動きやすい恰好をしている程度の意識に過ぎないが、周りから見ればわざわざ普通とは真逆の格好をしている変人にしか見えない。

 そんな大衆を無視して、彼女は発表されていた自分のクラスへと向かう。


(そういえば、最初にテストがあるんだっけ……めんど)


 サボってしまおうか。

 受ける必要も特にない。どうせここはあの男の実験場であり、自分はただその準備をするためにここへ来たにすぎないのだから。

 そう考えながら、彼女は教室内へと進入。割り当てられていた自分の机へと向かう。

 教室内もやはり灰色。どうでもいい世界が広がっている。

 席の場所は窓際の一番後ろ――つまり一番端っこの席であり、授業に興味のない彼女にとっては最も都合のいい席だ。

 彼女は椅子へと座ると、そこから窓の外を眺める。

 窓の外では桜の花びらが雪の精のように舞い踊っていたが、もちろん桜の色は桜色などではなく灰のように灰色だ。これでは桜吹雪というよりも、大き目な火山灰のようで風情も情緒もありはしなかった。


(……つまんな)


 もういいか。さっさと教室から出て、頼まれている仕事以外は何もかもさぼってしまおう。思えば、ほとんど何もしなくていい日というのは久しぶりのことではないだろうか。

 自分以外の魔術師と潰し合うこともなく、何もしなくていい一日。

 だからこんなに退屈で、陳腐で、どこか……どこか、何か(・・)に落胆している自分がいるのだろうかと、アゲハはらしくなくそう思った。


(まさかな)


 いくらなんでもあんな毎日に懐かしさを覚える理由はない。有象無象しかいない、くだらない場所だったのだ。

 かといって外の空気に当てられたわけでもないだろうに、このらしくもない感傷は何なのかと……疑問に感じようとして、やめた。なぜならどうでもいいことだから。

 灰色の世界で何を思おうと、この灰色が変わることはない。

 星はいつも通りに回転を続け、それと同じく自分もまた普段通りに呼吸をするだけ。だから疑問なんて考えたところで何の意味もない。

 そうして思考を停止させながら、学校のチャイムとやらが鳴るまで時間もそうないだろう。さあ立つか……と。

 そう、思ったところで。


 彼女は、視線を感じて。


(……ん?)


 あれ、おかしいな。外に出てから、視線なんていくらでも受けたはずなのに。


 なぜか、なぜか、何故だろうか。

 彼女は、妙にその視線だけが気になって。


 ゆっ、くり、と、振り向いて。


 そう。彼女はゆっくりと、その視線を感じた方へ振り向いたのだ。


 ――本当に、心底から、アゲハはこの時のことを、わけのわからない、何ともつかぬ感情とともに思い出す。

 "どうでもいい"。今まで彼女の中にあった感情はそれだけであり、惰性という名の生を送り続ける彼女にとって、あらゆる感情は未知のものだ。

 だから、ああ、彼女は、だいぶ後になってから「自分はあの時驚いていたのか」と知ることになる。


 ――導かれるように、お前の引力に惹かれるように。

 窓から入ってくる風が、お前に向かって流れていて。


 ――彼女はその顔(・・・)を見てしまった瞬間に、自分の世界が変わったことを自覚したのだ。


「ぁ……」


 その光景を覚えている。

 その時感じたことを覚えている。

 生涯記憶に焼き付くだろうと思った衝撃を覚えている。


 灰色の世界でただ一人、色彩(・・)を持つ男が私を驚くような顔で見つめていたことを、覚えている。



 そして彼女は、彼らは出会い、時間が過ぎるのも忘れていて。

 彼女は、思わずその手に"それ"を握って――――。

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