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16.名前を持たない怪人

 男の人生は屑のようなものであった。成人するまでも、いい思いをした記憶など一つもない。

 どうして自分の人生はこうなったのか、疑問に思うばかりの毎日。

 そう、始まりはきっと、己の生まれに原因があるのだ。

 親は屑だった。

 誰が何と言おうと、絶対に屑だった。

 親に愛されない子供などいない……なんて、そんなお伽噺は欠片も信じることができない。親の愛など今まで感じたことなどない。どころか、誰からの愛すらも感じたことなどない。

 ……当然か。親にすら愛されなかった者が、誰からの愛情を得られるというのか。もっとも、幼かった自分のことを知る人間すら大していなかっただろうが。

 死んじまえと母親に罵られた。ならばなぜ自分を生んだのだ。罵るくらいなら、産まなければよかったではないか。

 ストレスの解消のため、何度も蹴られた。自分はただ、サンドバッグとして生きるために生まれたのか。

 だから、自分にとってあの家は牢獄だった。ぼろアパートの一室に閉じ込められながら育った自分は、いつも親へ「早く死なねえかな」と呪詛を吐きながら生きてきた。窓から覗くあの月が、血の色で染まりますようにと。

 望まれずに生まれたものとして、他人を呪うことがおれの生き方となったのだ。

 だから殺した。親を。

 隙を突いて、包丁を握って。

 そして生まれて初めて外の世界に触れてみたものの……現実は、たいして変わることもなかった。

 何のことはない。おれを迫害するものたちが、見知った親から見知らぬ他人に変わったというだけのことだ。おれを取り巻く悪意の牢獄は、何も変わることなどなかった。

 親を失い(ころし)、路頭に迷った野良餓鬼一匹。それがどうなるかなんて、まあ、予想はつくだろう。

 おれを虐める人間が、ますます増えただけだった。

 金を稼ぐ手段もなかったから、餌は盗んで手に入れるのが基本だったし、捕まった時はそりゃあえらい目にあわされた。

 何もしていない時だって、屑のような人間に殴り虐められる時だってあった。そしてみんな、その様を見ていたはずなのに、誰も助けてくれようともしなかった。見て見ぬふりをして、その場から去っていくだけ。

 寒空の下で凍えながら、笑顔で通り過ぎる家族を恨みながら、傷だらけの体を抱いて寒さを誤魔化しながら。世界を呪い、生きてきた。

 そして何とか生き残って、体も成長してきた時には、もうおれの中には世間への恨みしか残っていなかった。

 だから、当然の帰結といえるだろう。

 おれが、殺人鬼となったのは。


 ……そして彼は、人を再び殺した。

 とにかく気に食わない人間を殺しまくった。無差別だった。警察も当たり前に動いていたが、どうでもよかった。時には警官だって殺した。

 それが彼の生き方だったからだ。

 自分を虐げてきた世間に、自分を助けなかった人間に、そして見て見ぬ振りをしておきながら自分は悪くないなどとふざけた言葉を吐く者たちに。

 彼らは等しく罪人ゆえに、殺すことに躊躇はない。

 だが、個人の殺人ではどうしてたって限界はある。警察は馬鹿ではないのだ。容疑者を絞り込み、包囲網を狭め、犯人を捕らえる。彼らの能力は侮れない。

 ゆえに、殺人鬼たる男が彼らに捕まるのも時間の問題……かと思われた。


「人を殺すノハ、楽しいカイ?」


 十人ほど殺した頃、男の前に現れたのはアイバイザーで表情の上半分を隠した男だった。

 口元をニヤつかせながら唐突に表れたその怪しい男に、殺人鬼は驚きながらナイフを向ける。一体いつからそこにいたのか。


「アア、警戒なんてしなくていイヨ。俺は君の味方サ、ホントホント」


 男は言った。力が欲しくはないかと。


「ほら君、このままじゃ捕まってしまうダロ? それでは君があまりにも可哀想ダ。だカラ……キヒヒ。君を助けてあげよウト、そういうわケサ」


 助ける? 助けるだと?

 男は困惑した。助けるとはいったいどういう意味だと。自分はこのまま、捕まるまでにできるだけ多くの人間たちを道連れにしようと思っていたのだが……。


「殺したイカ? 見返したイカ? 自分を虐げてきた奴ラニ、もっともっと復讐したいノカ? 大いに結構! 存分に果たすとイイ。君ニ、力を教えてあげヨウ」


 それは悪魔の囁きにも等しいのかもしれなかったが、どうせ先のない身ならばどう転んでも同じこと。


「殺し足りないだロウ? 暴れ足りないんだロウ? もっともっと殺したいんだロウ? 殺すといイサ、応援しヨウ」


 男から感じ取れる何か圧力のようなものに、殺人鬼は彼の言葉を信じる以外の選択を持たなかった。


「たダシ、一つだけ条件がアル。一つダケ、約束をしてもラウ。何、命を差し出せとかそんな無理な注文をする気はなイヨ」


 それは簡単な条件だ。

 誰でもこなせるお使いだ。

 力が手に入る……その引き換えとしては、あまりに破格の条件だった。


「簡単な約束サ。して欲しいノハ、殺人。君の好きなことサ。こちらの指定した時に、指定した相手を殺してもラウ。君でも殺せるくらいの相手しか指定しないカラ、そこは安心しテヨ。期間が過ぎれば解放もすルサ」


 その条件に、殺人鬼は一も二もなく頷いた。

 人が殺せるならば、何でもよかった。


「受諾すルカ? よろシイ! こレデ、代価と対価は結ばレタ」


 殺人鬼は、そして男の手を取ったのだ。


「――デハ、君に魔術を教えヨウ」


 そして殺人鬼は魔術師となり、男の手ほどきを受けたことで比較的早い段階で固有魔術に目覚める。

 だが目覚めた固有魔術が、彼の中にあるはずの世間や人間に対する恨みつらみが形になったものでなかったのは何故なのか、彼は疑問に思うことすらなかった。

 殺人型光景干渉魔術『幽怪乱歩』が特化しているのは、どんな人間だろうと殺めることができる力ではなかったことがどういうことかなど、どうでもよかった。

 その魔術が特化しているのは、透明化した実像の元へと虚像から逃げ惑う獲物を逆に追い込むための弱い者虐めの力であること。そして、虚像を囮としている隙に実像たる自分を逃がす逃走のための力であること。

 ……自分を救わなかった世界への復讐など、実のところどうでもよく……彼自身が何より恨んだはずの、弱者を虐げるしか能のない怪人に自分自身が成り果てながら、その事実から逃避していることになど。

 いつまでも逃げ続けている彼が、気づくはずもなかった。


 そして、彼が己を虐げた世間へ因果を応報したように。

 彼自身もまた、罪なき人々を殺した報いを、今こそ受ける時だった。


「カ……ハ……っ」


 吐血する。真一文字に斬られた胸元の傷から、大量の血が流れだす。

 勝負は決した。男は、もう絶対に助からない。


「な……ぜ」


 そして死を目前にした男が吐き出したのは、恨みではなく疑問だった。

 なぜ。


「なぜ、自分が正義と言うのナら……なぜ、あの屑どもを殺さないのだ!」


 自分は虐げられ続けてきたのに。子供のころからずっと、不幸な目にあい続けてきたのに。

 それを助けなかった人間や笑い飛ばした人間がのうのうと生き続けているのに、なぜ自分が死なねばならないのだと叫ぶ。


「代償を! 人を呪った代償を払えと言うのなら! これがそうだと言うのなら! 奴らにこそ与えられるべきだろう!!」


 男はその理不尽を糾弾する。ふざけるなと心からの叫びをあげる。

 最後の命を燃やしながら、己の悪は正当なるものであると。己を棚に上げながら叫ぶ。


「罪人はそこにいる! 正義を振るうのなら、奴らにこそ!」


 いや、もはや自分の行いこそが正義であるのだと、そんな支離滅裂な意味すら言葉に込めているのかもしれない。


「おれは殺しただけだ! 奴らを! おれを、おれを虐めた、この世界と人間を……!」


「黙りなさい、悪党」


 だが、男の言葉を兎角はバッサリと斬り捨てる。

 聞く耳持たぬと言わんばかりに、いや事実として男の吐いた言葉を理解しようとすらしていないのだろう。

 兎角は正義の味方である。ゆえに、悪の弁解など、心の底からどうでもいい。


「あなたにどんな事情があったかは知らないし、どんな過去を持っているのかも知らないけどね。それでもあなたは悪なのよ。あなたは罪もない……いえ、あったのかもしれないけれど、それでもただの人たちをその手にかけた瞬間に、あなたは悪になったの。どんな事情があったって、悪は悪。その事実は消えやしない」


 やりたくなかった? 後悔している?

 舐めるな。どんな理由があったところで、人殺しは人殺し。後悔しようがしまいが、亡くなった命は戻らないのだと知るがいい。

 それを知り、心からの後悔を胸にして、二度と罪に手を染めぬと誓って、ようやく人は償いながら生きる資格を得るのだ。

 それすらできぬ者が、何かを語ることなど許されるわけがないだろう。


「別に耐え続けることが強さだなんて言う気はないし、聖人君子だけが素晴らしいなんて思ってもいないけどね」


 それでも……平和に生きている誰かを殺すことは、どうあれ許されないことなのだから。


「そして私は、悪に優しくないんだよ」


 問答無用で、死体を晒せ。

 兎角はもう一度短剣を振るう。すると発動した遠隔斬撃が再び男を襲い、男の喉を斬り裂いた。

 声にならない音を漏らしながら、男は倒れ、刹那。


「誰……か、……おれの……名前を……」


 そんな言葉が、聞こえたような気がしたものの。


「私はお前を覚えない。そのまま独りで、地獄に落ちて逝きなさい」


 そして、男はそのまま死んだ。

 特に語ることもない。ただ、悪がまた一人死んだだけだ。


「……被害者やその遺族は、あなたに苦しみながら死んでほしいのでしょうけど、残念ね。私は正義の味方なの」


 兎角は悪ではない。ゆえに、悪に落ちるようなことはしない。

 彼女はそのまま魔力を込め、死体を発火させる。火のついた死体は燃え始め、この"領域"が消える頃には領域ごと死体も一緒に消えていることだろう。

 これでまずはひと段落。この名も無き殺人鬼が、自分の顔を見たあの少年を再び襲う。というようなこともないはずだと安心する。


「……え?」


 だが、その瞬間。

 ――街に張り巡らされた何らかの魔術が、突如として活性化した。


「――しまった(・・・・)!?」



***



「キハハハハハハ! キヒハハハハハハハハハ!!」


 笑う笑う、男は笑う。(リウ)黒龍(ヘイロン)は想定したとおりに事が進んでいるのを悟り、耐えられぬと爆笑している。

 ありがとう、名も無き魔術師。君はこのために、俺に味方された悪なる生け贄だったんだよと男の哀れさを笑っている。

 簡単な条件だっただろう? 君の大好きな人殺しだけだったろう? いやいや勝機は確かにあったさ。君が、魔術を正しく成長させていれば勝機は十分あったともさ。

 まあ、そんなことしないような人物を選んで利用したのも本当のことだが、だからって自分は悪くない。悪いのは、こちらの予想通り成長することをしなかった、そちらの落ち度なのだから。

 "悪の味方"はその名の通り悪を味方する者だが、悪と名の付くその通りに悪を行使する者でもあるのだ。


「ああだからッテ、詐欺師だなんてあの世から恨まないでくレヨ? 君が生存できる可能性だってちゃあ~んとあったんだカラ」


 あの魔術師を殺し、この先に待ち受けるあの少女を殺し、最後まで生き残れば……もちろん、男はこの街から無事に抜け出して、今後も殺人活動を続けることができたのは本当のことだ。

 もっとも、万が一にもないだろうなとも黒龍は思っていたが。


「君が死んだのは君の弱さが原因なノサ! せっかく教えてやった魔術を無駄にした気味が悪いんダヨ、キハヒハハハハハハハハ!!」


 博爵(ドクトル)の実験。それが滞りなく進んでいるのがわかる。

 殺人鬼(まじゅつし)の死で、街を覆う目に見えぬ結界が再び一段階成長する。街そのものに魔術をかける、大規模魔術が完成を迎えようとしている。

 あとほんの僅かな生け贄で、魔術は完成するだろう。

 ドクトルの固有魔術、"等価制限"の魔術によって作られた術式が。


「さアテ、彼が残りの生け贄も殺してくれていればもう完成していたんだケド……マ、贅沢は言えなイカ。残リハ、俺が動くとしヨウ」


 街を覆う大規模魔術。

 その維持と成長のために設定された"代価"は「人命」である。人の命を捧げる生け贄をもって、この術は完成へと近づいていく。

 とりわけ魔術師の命は、更なる成長に必要不可欠なものだった。

 都合よく現れてくれた……否、現れるのを待った魔術師へ、黒龍が選別した魔術師をぶつけたのもすべてはそのため。すべては想定の内だった。

 現れなければ現れないで、もう一人魔術師を用意しただけのことだが。


「さてサテ、どこで殺そうかナット……」


 だが。


「――――ああ、見つけた」


 彼のことは、黒龍の想定した流れには入っていなかった。


「――ン?」


 黒龍が声のした方に振り向くと、そこには一人の少年が立っていた。


「魔術師ってのは、結構どこにでもいるもんなのか? ……まあ、いいや、ンなことは。だからちょっと付き合ってくれよ、なあ悪党」


 氷月(ひなづき) 赫狩(かがり)が"正義の味方"に先んじて、黒龍の元へとたどり着いていた。


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