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13.回想B

 自分の一番古い記憶はどんなものかと問われて答えられる人間は、おそらく少ないだろう。

 記憶とは古いものになればなるほど他の記憶に埋もれて消えるものであるため、古いものになればなるほどなかなか覚えてはいられない。昨日は何を食べたのか、そんなことまで人は忘れてしまうものなのだから。

 ゆえにその質問に答えるならば、自分が覚えている中で一番古いものを答えるしかない。

 そして、彼女は覚えている。

 もっとも古い記憶。己の原初。

 周囲すべてが火の海で包まれていた、炎の記憶を。

 そこで彼女はいったい、どんな思いを抱いたのだろうか。



***



 もう何度この夢を見ただろう。

 もう何度この夢に来ただろう。

 過去のことなど、心底どうでもいいと思っているはずなのに。なのに、どうしてまだ、この頃の夢を見るのだろう。

 まるで何かを探しているかのように。まるで私が何かを求めているとでもいうかのように。

 そんなこと、あるわけがないのに。

 けれど、それでも私は、どうしてかこの夢を見るのだ。


 ――それは、およそ十年ほど前の夢。



***



 気づけば私はそこにいた。大人も子供も男も女も問わず、周囲には幾人かの人間がいた。先ほどまで火の海に取り囲まれているはずだったのだが、今はこうして見知らぬ場所で集められている。どうやら私たちはここに連れ去られたのだと察するのに、あまり時間はかからなかった。

 私たちを連れ去ってきた主犯なのだろう、片眼鏡の男は言った。


「ごめんね。君たちの命は今日から僕のものになりました。拒否権はありません、辞退権はありません、撥ね退けることも許しません。死んでも文句は許しません。生きて帰ることができるかどうかは君たち次第です。頑張ってね!」


 その日から、私たちはそいつの奴隷となった。

 ――飛行機の墜落があったのだ。私たちが乗った飛行機は、空を飛んでいる途中で墜落した。事故? いいや、恐らく違うだろう。私たち奴隷を欲した奴らが、わざと起こしたものに違いない。奴らは……あの博爵(ドクトル)とかいう男は、隠蔽を得意分野とする魔術師だから。墜落した中で生き残った者たちを集め、攫い、その事実を隠蔽したのだ。そういうことが、限定的だができる魔術師(おとこ)だった。

 ああ、あの炎の海で、私は生き残った。顔も全く覚えてないが、私の親もそこで死んだ。私を愛する前に、死んだ。小さな小さな子供だった時の私を連れた旅行に行くところだった。私の自我がはっきり目覚めたのは、これから私を愛していくはずだった両親が、私の目の前で醜い屍となり果てた時だった。

 炎の海で、私は目覚めたのだ。

 そして、あの男が私たちに魔術を教え、魔術師という存在を教授して。

 そして――そし、て。


(……?)


 そして、ああ、……何だったか。とにかくそこから、私たちは拷問じみた戦闘訓練を受けたのだったか……?

 そうだ。あいつらの魔術実験に、あと一人、戦闘力を持った魔術師が必要なのだ。そのために奴らは私たちを連れ去り、戦う魔術師へと成長させるため私たちを積極的に競わせた。雇うという方法は取れなかったそうだ。この実験は何より「隠蔽すること」が大事なのだと言って、だから、新たに人は雇えないのだとか。実験前に自分たちの存在を喋られる可能性が捨てきれないから。私たち奴隷なら、その心配はないのだとか言って。

 どうせ嘘なのだろうとは、思ったけれど。

 隠し通すことが何より大事なら、飛行機の墜落なんて事を起こすはずもない。いや、隠蔽が重要なのは事実なのだろうが、雇おうが攫おうがあいつらにとっては大して違いはないということなのだろう。どちらがより楽しそうなのか、その程度の差でしかないはずだ。

 そんな理由で私たちは集められた。

 そして、そし、て……。

 ――――。

 そして、私たちが受けたのは、訓練とは名ばかりの適当なものだ。当然だ。あいつらは二人とも、教えるためのプロではない。

 博爵(ドクトル)も、黒龍(ヘイロン)も、己の享楽を何より優先する種類の人間だ。他人のために何かをするなんてことにはとんと無頓着であり、まともな教鞭が振るえるはずもない。

 それでも、私たちの戦闘能力は確実に底上げされていった。

 それはあいつらが用意した「自由」という名の報酬が、確実に支払われると約束されていたからだ。それを求めて、奴隷たちが奮起していたからだ。

 博爵(ドクトル)の持つ固有魔術は"等価制限"の魔術。

 代価を支払い対価を得る、その設定された条件が確実に履行される魔術だ。

 魔術とは、その名の持つイメージとは反して万能ではない。もし本当に万能なら、魔術はもっと当たり前に流行っているはずなのだから。しかし奴の"等価制限"は違う。あれは、万能に近い魔術の一つ。代価と、対価。どのような代価を支払うかあるいは得るか、そしてどのような対価を得るか支払うか、それを術者が好きに設定できるのだから。

 設定することができない条件もあるらしいが、しかしそれでもできることは多い。まさに金で買えないものはあまりない、というやつだ。

 奴はこの魔術で、私たちが「実験に協力し成功させる」という代価を支払えば「その人物を解放する」対価の報酬を約束した。この条件は絶対であることが約束されている。"等価制限"発動条件の一つは、術者が約束を破らないことなのだから。

 ……正直私は、そんなことはどうでもよかったのだが。どうせ、世界は灰色なのだから。外の世界に、執着する理由がない。外の世界を、そもそも私はほとんど知らないのだし。

 だが訓練は苛烈を極めた。あいつらの頭の中にまともな教育法が存在しない以上、とにかく限界を超えて頑張らせるなんていう根性論が奴らにとっては最も確実な手段だったからだ。まあ、私たちを虐めたい、というのが理由の半分ぽかったけど。

 休みなんてもちろん一日もなかった。

 一番多かったのは実戦型の訓練だったかな。一年目はただ同年代でただの殴り合いをさせられた。淡々と、ひたすらに。魔術の存在を教えられたのは二年目から。そこからは年代も関係なく潰し合わされたな。

 魔術を使った潰し合い。事前に自主練で魔術を鍛えてなきゃあっさり倒されるから、どいつもこいつも寝る間も惜しんでたよ。

 滑稽だったな。私よりずっと体のでかい大人が、「これは自由になるためだから仕方ないんだ」って言い訳しながら子供の私を必死になってボコボコにしてくるんだから。本当、傑作。もっとも、私は人生で一度も笑ったことがないんだけど。

 まあ、私は強かったから。いくらボコられようが最終的には逆にタコ殴りにしてやったよ。魔術や魔力はうまく使うことができれば、子供と大人の筋力差など容易く覆せる。こういうのを、不幸中の幸いというのか? 私にはあったのだろう。魔術の適正(さいのう)というものが。こんなことにでもならなければ、あるかどうかもわからなかった皮肉な物だが。

 滑稽なことはまだあったな。何をトチ狂ったのか、欲情した男が寝ている私を犯そうとのしかかってきたことが。騒ぐな、なんて脅されたがキモかったので普通にぶっ飛ばしたよ。そうしたら呆気なく死んじまったが、まあ自業自得だ。

 同情する気はないがな。魔術の自主練以外で特にすることもなく、起きてる間はずっと例の調子なのだから、心が壊れて暴走するのも無理はない。何も好き好んで私なんぞを犯したいとは思わんだろうし。

 ああ、寝ている間に奪われてなきゃ、唇も膜も初めては無事なんじゃないかな。どうでもいいが。

 それと、哀れな奴が確かもう一人いたな。女だったよ、私より少し上って程度で背丈は近かったから、歳もあまり変わらなかったのかな。

 眼鏡をかけていたから、眼は悪かったんだろう。得体のしれない場所に監禁されてるってのに、のほほんとしていた。後になってから思い出しても間抜けそうなツラだったな。大して覚えてはいないけど。ああでも、眼の下にほくろがあったのは覚えてるよ。私の視界は灰色だから、私から見れば黒子というか灰子だったが。

 歳の割には胸も膨らみかけてたし、こんな場所に連れ去られず順調に成長していたら、さぞ男を惑わす美人にでもなっていたんじゃないか。私の知ったことではないが。髪は三つ編みにしていて、こんな場所でよく髪を整える暇があったもんだと初めて見た時は思ったよ。

 あいつは、やけに私に絡んできたな。何でかって聞いてみたら。


「だって歳も近いし……何より女の子同士でしょ~?」


 本当、ふわっとした女だった。答えもありきたり、普通、凡庸、光るものなし。

 魔術の才能もほとんど無かった。私たちの潰し合いでもすぐに降参していたし、そも戦いってもの自体が苦手な風だった。殴るのも、殴られるのも。そういう意味で、ああ、やっぱり普通の奴だったよ。

 ……けれど、頭の回転は速かった。今を切り抜けるにはどうすればいいのか、そういう計算はガキに見合わぬ速さだったな。私とは違う才能だったが、あいつもいわゆる天才だったわけだ。早熟児? そんなわけはないだろう。仮にもこの(・・)……いや。

 ただの早熟と、天賦の違いはすぐにわかる。本物であるかどうかの差は、能力の密度だ。早熟なだけなら、ただレベルが上がるのが他よりも早いだけで根っこは他の奴らと大して変わらん。つまり、結局は馬鹿だから、先を読むとかそういう高度な真似はできない。けど天才ってのは元からして出来が違う。無意識のレベルでね。

 あいつが私に声をかけたのも、結局はそういう打算的な部分があったんでしょう。ふわっとした理由も間違いではないのだろうけど、無意識のレベルでかぎ分けたんだ。この中で、私が一番上だとね。


「あなたのお名前はなんていうの?」


「あァ? 名前なんてどうでも……」


「おーしーえーてーよー。ねえねえ教えて~」


「…………」


「教えてよー! ねえねえ、ねえったら」


「……陽鳳(あげは)だ、陽鳳。ほら、これでいいだろ」


「きれいなお名前~。私は光藤(みつどう) 彩香(あやか)っていうの。よろしくね陽鳳ちゃん~」


「はいはい、よろしく。それとちゃん付けで呼ぶな、気色悪(きしょくわり)ぃ」


 それからしばらくは、二人でいることが多かったな。私は迷惑がったが、あの女が勝手について回ってくるんだ。イライラさせられたが、まあそれでも好きにさせたよ。どうでもよかったしな。どうせ、世界は灰色なんだ。誰がどこで何をしようと、私の世界に色はない。だから、私の世界は何も、何も変わらない。


「陽鳳ちゃん~。すごいねぇ、もうそんなに魔術を使いこなせて」


「はっ、まともに使いこなせねえ奴らが愚鈍なだけ。そんな奴らと私を同列に並べて語らないで、笑われる」


「笑われる? 誰に~?」


「はあ? そんなの…………いや、誰にだよ。わけわかんねえ」


「それは私の台詞なんだけどー……」


 本当、うざいくらいによく話しかけてきたよ。あいつらの課す訓練のない、わずかな時間だけだったが。


「陽鳳ちゃん、もしもお外に出られたら何がしたい~?」


「クソどうでもいい。私の知ったことじゃない」


 どうでもいい。中も外も同じことだ。私の世界は広がらない。


「どうでもいいって、陽鳳ちゃんのことなのに……」


「私のことだろうがお前のことだろうが、何が違う。私は世界に何も求めていない。求めていないのに外へ出たところで、何がどう変わるってんだ。私はもう、何もかもどうだっていい」


「大丈夫? 陽鳳ちゃん私と同じ女の子よね……?」


「あぁ? どういう意味よ」


「そのまんまの意味かなって」


 話すのはいつも、とりとめもない、くだらない話ばかりだったな。まあそれでも、屑どもと潰し合うだけの時間よりはいくらかましな時間帯だったことは認めるが。


「陽鳳ちゃん大丈夫!?」


「何がだよ」


 私がへまをして怪我をした時も、自分のことでもないのに、馬鹿みたいに焦っていた女。

 ああいうのを、優しさっていうのか? 見たことなかったから、その時はわからなかったが。


「この程度すぐに治る。いちいち焦んな、鬱陶しいぞ」


「でもぉ……でも血だっていっぱい……こんなの心配になるよ」


「そりゃお前は戦闘らしい戦闘をしたことがないからでしょ。慣れだよ、慣れ」


「……嘘。陽鳳ちゃん戦い始めたばかりの頃から、最初から怪我しても何ともないって顔してた。まるで心が麻痺しちゃってるみたいに」


 ああ、そうだったか? 覚えてないな。


「とにかくほら、腕出して。治癒しないと……」


「うざい、触るな」


「そんなこと言わないで、ね?」


 ねーねーねーねー五月蠅いから、仕方なく私は腕を出してやった。

 そうすると女は何がそんなに嬉しいのか、笑いながら私に魔術をかける。治癒魔術はかけ続けているだけで徐々に傷が塞がるのは便利だが、効果が完全に発揮されるまでが遅い。だから戦いでは使えないのが不便だ。役立たずな先人め、そのくらい改善してから後世に残せよ。


「ねえ陽鳳ちゃん~」


「……」


「……無視しないでよ陽鳳ちゃん~……ぐすん」


「チッ。ンだよ」


「ちょっとくらい優しい声で返事してくれてもよくないー……? 彩香ちゃん泣いちゃうよ……?」


「わたくしに何か御用かしら? ああ、治療ありがとうございます。もう大丈夫ですわ。いつもご心配ばかりかけてごめんなさいね、でもわたくしは大丈夫ですから。不安になる気持ちもわかります、ですがどうか、気を確かに持って安心して見てくれると助かります。大丈夫です、わたくしは負けませんから」


 限界を振り絞って優しい声を出してやった。


「誰!?」


 私だよ。


「やっぱり気持ち悪いから元の陽鳳ちゃんのままでいいや~」


「殺してやろうかお前」


 人が親切で要望に応えてやったっていうのに何て言い草だ、クズめ。


「いや無表情のまま声だけすっごくキラキラしてるのを聞かされた私の身にもなってね?」


 要望通りにしてやったというのに、贅沢な奴だ。いったい何が不満なんだか。「顔だよ~」。

 治癒魔術をやめたこいつは、普段よりも目を輝かせながらこんなことを聞いてきた。


「ねえ、陽鳳ちゃんは満天の星空って見たことある?」


 あるわけねえだろ。炎の海以外、私にはここでカスどもを叩きのめしている記憶しかねえ。

 その記憶、しか。な、い。――■■―。


「私はあるの、一度だけ。ママとパパに連れて行ってもらったの」


 きらきらした目で、奴は私に語り始めた。遠い日……でもないのか。まだガキだったし。

 懐かしの、というよりは忘れられないと言った方が適切なんだろうな。


「綺麗だった。とてもとても綺麗だった。まるで夜空に宝石をちりばめたみたいに。あ、宝石っていうのはね、とっても綺麗なものでね――……」


「はいはい。綺麗なのはよくわかったよ。それで――……」


 そんな話をした、少し後のことだったかな。

 あいつが脱走の話を持ち掛けてきたのは。


「――脱出口とタイミングはすでに見つけてあるの。ここからなら、絶対逃げられる」


 正直驚いた。このぼやっとした女が、そんなことを企んでいたことに。


「このために準備してきたの。逃げるための方法を探るために、無駄な体力を削りたくなかったから戦いも避けて。少しずつ、二年、頑張ったの。こんなところ、もう嫌だ。みんな怖いし、ご飯はまずいし少ないし、暗いし……あの人たちからは、嫌な感じがするし」


 戦わないのはてっきり戦いが嫌いなだけかと思っていたが、そんな理由もあったのか。

 意外。


「ね? だから、一緒に逃げよ? 陽鳳ちゃん」


「……」


 なんで私なんだ、とは聞かなかった。どうせ聞いても面倒な答えが返ってくるのだろうし、聞いても理解はできん。


「……まあ、いいけど」


 けれど、一応頷いてやった。

 ここでの毎日は、はっきり言って退屈なものだったし、何をしても同じならこの女に少し付き合ってやるのも一興かと思ったからだ。そ■に、外に■れば■■――■■■―。


「やったぁ! 陽鳳ちゃん、ここから逃げ出せたら、一緒に星空を見よう! 二人で星座も探そう! それでね、それでね」


「わかったわかった。……気が向いたら、見てやるよ」


 この眼にまともな空が映るとは思えないが、まあそれをこいつに言っても仕方ない。

 私は大人しく適当に頷いた。


「それじゃあ、逃げる日はまた伝えるね、それまでバレないよういつも通りに……は、心配ないか~」


 そう言って笑うこいつを見ながら、私は、それでも何を思うでもなく、目を閉じて寝た。



***



 ――結論から言うと、彼女たちの脱走は成功しなかった。

 それは葵賊院(きぞくいん) 陽鳳という少女が未だに博爵らの元にいる時点で明らかであるものの、やはりいくらアゲハが年少期から魔術の腕に優れていて、光藤 彩香が子供離れした頭脳を持っていたとしても、子供二人による逃走計画はやはり無理があったということなのだろう。

 いや、どちらにせよ、最初から成功する見込みのない計画であったのだ。

 なぜなら。


「なぜナラ、この君たちを閉じ込めておくために作った仮施設に穴を開けておいたノハ、最初から君たちみたいな奴らが出てこないかな~……って期待していたからなんだかラネ」


 最初から掌の上だったということ。

 彩香はやはりまだ子供であり、博爵や黒龍を出し抜くだけの力はまだ持っていなかったのだ。


「上手く引っかかってくれて良かっタヨ。だってみんな、誰も逃げようとしないんだカラ。最初にちょっと脅かしすぎちゃったかナア……こうして逃げられると思い込んでた間抜け面ガ、残念! 私の冒険はここで終わってしマッタ! ……なーんて風に曇るとコロ、もっと見たかったのにナア。ま、いイカ。こうして鼠捕りに引っかカッタ、哀れな子鼠が出てきてくれたんだカラ! キヒハハハ」


「……」


「逃げられると思っタカ? 抜け出せると思ッタカ? もう一度、日の光を浴びられると本気で信じていたノカ? だけど残念ッ。それは(おれ)が、間抜け鼠(きみたち)を食い殺すために作っただけの儚い幻想なのでありまシタ! キヒ、キヒヒヒ。儚いというのは確カ、人の夢と書いて儚いと読むんだよナア。どんっな気分ダァ? 人に見せられた夢に酔っていた気分はヨオ。キハヒハヒハ、キハハハハ」


 正面で笑うアイバイザーの男を見ても、アゲハの心にはさざ波一つの揺れすら起こらない。正直に言えばこうなるような気はしていたし、予想外でも何でもなかったからだ。

 こういう奴らはたいてい、希望という名の箱を開けさせて、中に入っていた絶望に絶望する間抜けの顔を拝むために生きているような連中だとわかっていたのだから。


「さあてリウくん、もういいだろう。ここからは僕の話だ。僕としてはねえ、リウくんが作っていた抜け道に僕は関与していなかったわけだし……僕の監督責任でもあるからねえ、ここは慈悲深い心で許してあげるという選択を取ってあげたいところではある……が」


 博爵は一度そこで言葉を切ると、ニッタリと、許してあげようなんて言葉は最初から吐く気はないのだと一目でわかる顔をしながら。


「とはいえ、とはいえだよ。脱走っていうのはよくないよねえ、実によくない。あとから第二犯、第三犯と続く者が出ても困るしねえ。許してあげたいのはやまやま、やまやまだが……ここはやはり、罰が一つ必要だよねえ」


「ヒヒ、ヒハハ。ドクトォル、どんな罰にスル? 拷問にでもかけるノカ?」


「拷問? そんなことをする気はないさ。優雅さに欠けるし、ねえ? 何より、いまいち単純でつまらない」


「ヒヒヒ。ナラ、どうスル?」


「そうだねえ、どうしようか」


 そう言いながら、笑いながら相談している二人に、彩香はアゲハを庇う言葉を吐いた。


「罰なら、殺すなら私だけにしてください! 陽鳳ちゃんは、私が無理に誘っただけで、だから……!」


 必死に懇願する彩香。

 そんな頼みごとが通用するような相手かよと、アゲハが黙って見ていると、しかしその予想に反して二人はそれを承諾した。


「見上げた根性ダ。こういウノ、美しい友情って言うんだヨネ」


「相手を庇う少女の友情。実に素晴らしい。心が洗われる思いだよ」


「あ、ありがとうございます……ありがとうございます……!!」


 だがそれは同時に、彩香はどうあれ助からないということも意味している。


「じゃあよし。首謀者である君は許さない、しかし協力者である彼女は許す、了承した。我が魔術に懸けて、彼女の生存を許可しよう」


 等価制限の発動条件は、術者が約束を破らないこと。ここに契約は結ばれ、アゲハを生かすという対価(・・)が約束された。

 ……ゆえに。


「さあ、君。確か……えーと……葵賊院、だったかな。よし、君。ちょっと彼女を殴り殺しなさい(・・・・・・・)。それが、契約の代価だ」


「…………ぇ?」


 彩香の口から漏れたのは、そんな声にもならぬ音。

 彼女にとっても予想外だったのだろう博爵の言葉は、しかし考えれば当然のものであるとわかる。アゲハ生存の条件を、アゲハ自身が満たすだけなのだから。

 博爵の魔術は等価制限。代価(・・)を払い、対価を得る魔術。錬金術における等価交換の法則にも似たその魔術は、しかし錬金と違って物質的な恩恵は得にくい。

 約束事や事象改変、そうした方面にこそ力を発揮する。そして、その約束は破られない。

 だからこれが、アゲハが生き残るためにアゲハが支払わなければならないもの。すなわち、彩香を殴り殺す(・・・・)ということだ。


「一人を殺し、一人を生かす。生きる方が、死ぬ方の命を背負うわけだから……ほら、だったらさ。こうした方が手っ取り早いと思わないかい?」


 黒龍は称賛の口笛を吹く。友人を殺せというその命令、果たせなければそれは契約の不履行となる。そうなれば博爵も約束を守る必要はなく、二人の少女を遠慮なく殺すだろう。

 見世物としてはどちらに転んでも美味しく、そして博爵も黒龍もわざわざ働かなくて済む。まさに一石二鳥の"罰"だった。


「あ、ちゃんと素手で殺さなければ駄目だよ。魔術や魔力、あと武器も使うのは無しだ。素手で、殴り殺しなさい」


 その命令に、アゲハはゆっくりと立ち上がる。


「陽鳳……ちゃん……?」


 アゲハはすたすたと彩香の元へと歩き出す。


「違う、よね? 陽鳳ちゃんそんなことしないよね? ね? だって、だって」


 アゲハが彩香の傍まで辿り着く。そして手を握って持ち上げて。


「だって私たち、友だ――」


 振り下ろす。


「プゲッ」


 持ち上げて、振り下ろす。持ち上げて、振り下ろす。持ち上げて振り下ろす。持ち上げて振り下ろす。


「ぷげ、やめ。がっ、あげぎゃ、ちゃ、ぐべっ」


 少女の柔らかい肌と肉に、何度も拳が突き刺さる。

 いかに殴っている側も少女とはいえ、殴られる側もまた少女だ。こうして何度も殴られ続けていれば、当たり前に痛む。いやむしろ、だからこそか。何度も何度も殴られるということは、すなわちそれだけ痛みが重なるということ。死ぬまでに、それだけ時間がかかるということなのだから。

 ましてアゲハは彼女が自称していた通り、彩香がそう睨んでいた通り、魔力を使えば大人顔負けの力をも発揮できる。今は魔力を使っていないが、しかしそんな少女の拳はもはや普通の少女と同じものであるとは言い難く。

 ゆえに、まだ小さな女の子の筋力で殴られても痛くない……などということはあり得なかった。


「やめへ、ぷご! あげばぢゃ、グギャ。あげぎゃギャ!」


 彩香は見た。薄れぬ意識の中で、しかし腫れていくせいで徐々に塞がる視界の中で。彼女は見た。

 自分を殴り続けるアゲハの顔が、いつもと同じ、まったくの無表情(・・・・・・・・)だということを。


 そして、アゲハは彩香を殴り続けた。彩香が死ぬまで、何度も。何度も。

 完全に動かなくなる肉塊となり果てるまで。可愛い女の子の面影が、消えてなくなるまで。

 ……――――。


「あーらら。ほんとにここまでやるとは思わなかったなあ」


 博爵は殴り終えて拳を血に染めるアゲハを見ながら無責任なことを言った。


「君がやらせたくセニ」


 だが、これで契約は完了。アゲハの生存は確定した。

 が。


「ジャア、ほいット」


 ――黒龍は、アゲハを蹴り飛ばした。


「がッ!?」


 飛んだアゲハは壁に激突し、吐血。

 血を吐きながら咳き込んで、自分を蹴り飛ばした男を見ている。


「いや生きていいよとは言ったケド、罰を与えないとは言ってなイシ。感謝シナ、それで君は許してあげヨウ」


 ふらふらと立ち上がりながら、アゲハは口元の血を拭う。

 この程度、大したことではないと言いたいかのように。


「オオ~、大したもんダネ。さすが俺が目を付けただけのことはあルヤ。ヤマト根性、っていうんダッケ」


「虐めるのもほどほどにねえリウくん。明日からに支障が出ても、彼女も困るだろう」


「わかってルヨ。それじゃ最後に一ツ……」


 黒龍はアゲハを見下ろし(・・・・)ながら、彼女へと問いを投げた。


「これは俺の素直な疑問なんだけドネ……友達を殺して生き延びるのッテ、実際どんな気持ちナノ?」


 彼の問いに、しかしアゲハは息を荒げながら、声だけは普段の調子を取り繕って答える。


「――別に、どうでも」


 少女を一人殺しても、やはりアゲハの世界に変化はない。

 目の前の男も、殴殺した少女も、自分の口から出た血も、すべてが灰色なまま。

 彼女の世界は広がらない。


「それに、私とあいつは友達なんかじゃない。そうなる前に、お前たちが殺させたんだから。……あっちがどう思ってたかは、知らないけどね」


 どうでもいい。何もかもどうでもいい。

 アゲハが彼女に友情を感じたことは、ただの一度もない。愚図どもよりは確かにいくらかマシだったと認識してはいたが、しかしそれだけだ。彼女の世界を広げるほどのものではなかった。

 何も、自分のことであるというのに、何も気づいていないアゲハの世界を変えることができる人間では、なかった。


「死んだところで、何が変わるものかよ」


 彼女の世界は灰色だ。

 なぜなら、彼女にとって世界の法則(ルール)とは、己が背負う業とは、常にそういうものなのだと認識しているからだ。

 それはすなわち、【自分に与えられるものは与えられる前に奪われる】というもの。

 自分を愛するはずだった両親は彼女の自意識が目覚める寸前に死亡し、彼女の瞼にその業を焼き付けた。これからも、自分からすべてを奪っていく炎の姿を。

 これから長い付き合いを経れば友情を築けるかもしれなかった女も死んだ。こいつらが、自分に殺させた。

 ■■■――■―――■■■■■■―■――■■――■■■■■―■■■■■■――■――■■■――■■■■■。

 あ■、■■■はい■■こ―に――。

 だから、葵賊院 陽鳳の視界(せかい)には色が無いのだ。どうせ奪われるなら、最初から何も感じなければいい話なのだから。奪われる痛みも、喪失感も、何も。何もいらない、どうでもいい。そう思っていた方が楽だから。荷物など、何も背負わない方が気楽でいいなと、最初に気づいてしまったから。


 

 ――そうしたところで、空間がぼやけ始める。

 彼女が夢から覚めてゆく。

 何度も見た夢が、今日も終わる。

 結局、やはり彼女はなぜ自分がまたこの夢を見たのかその理由がわからなかった。

 あの少女を殺したことについて、後悔などは特にしていない。罪悪感もない。拳に残った感触などとうに消え失せていたし、懺悔をする気もなければその必要もないと感じていた。そもそも生き残りたかったなら、あいつも自分を殺そうとしていればよかったのだし。それに、ああしなければ自分も殺されていたのだから。

 となるとやはりわからない。あの女ならともかく、他の愚図どもを潰したことについては更に輪をかけて罪悪感が湧く理由もない。

 それ以外の(きおく)に変わったところなど何も無かったし、やはり、なぜこの夢を自分は何度も何度も見続けるのか。

 まるで何かを――したいかのように、何度も反復するのか。

 やはり、彼女はわからないままだった。


「……――してんじゃねえよ……」


 最後に一つ、無意識のうちに零れ出た、幼い少女(じぶん)の言葉にすらも気づかないまま。

 彼女はそこで、目を覚ました。

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