表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/31

12.魔術

 普通の一軒家だった。

 てっきりお金持ちのお坊ちゃんだと思った、と。兎角は少し意外に思いながらも、まあこんなものだよねと納得しながら招かれた屋内に入っていく。

 カガリは無言で家に入るが、扉を開けた音を聞きつけたのだろう。廊下奥の扉を開けて、女性が一人部屋から出てくる。


(いたのね、家族。……お姉さんかな)


 おっとりとした美人だった。兎角の見る限りカガリとは全く違う雰囲気を纏っていたが、同棲中の恋人というわけでもないなら家族なのだろう。恋人のいる家に、女を招くとも思えないのだし。

 胸は大きく突き出していて、彼女の視点からだと足元が見えないのではないだろうかと思ってしまうほど大きい。キュッと締まっている腰からその下にかけてのラインも丸みを帯びており、兎角から見ても一少女として羨ましさを感じてしまうほどのグラマラス美人がそこにいた。


「おかえりなさい、今日はいつもより遅かっ……あら、あらあらあら?」


 女性はカガリの横に立っている兎角に気づくと、パッと顔を綻ばせて。


「まさか……まさか赫狩のお友達かしら!? きっとそうよね、あらあらまあまあどうしましょう。赫狩がお友達を連れてくるなんて初めてだわ。今日はお赤飯かしら……お赤飯ってこういう時に出すものでしたっけ? いえ、でも理由なんて何でもいいでしょう。目出度いのですから、ええ、何だってかまいません」


「赤飯は違うだろ。それと、友達じゃないから。えーと……知り合いだよ、知り合い」


「お邪魔します、お姉さん」


 友達ではないと聞いて残念そうにしている彼女へと兎角が挨拶をすると。


「あらお上手、もしかしてそんなに若く見えます?」


「あー見える見える。見えるから、頼むはしゃぐなみっともない」


 その反応に兎角は頭に疑問符を浮かべる。見えるも何も、女性はどう見たってカガリよりも数歳年上という程度の年齢だろう。十は離れていないはずだ。

 それが若さでなく一体何だというのだ。


「あー、あんた、勘違いしてるところ悪いけど、この人は俺の姉じゃないから。……母だから」


「……は?」


 母?


「お母さんでーす、ぴっちぴちの現役でーす」


「嘘でしょ……」


 絶対に嘘だと思いたかった。肌の張りとか絶対母親って年齢の人のそれではない。だがこのカガリという少年、つい先刻出会ったばかりでまだその性格をすべて掴めているわけではないが、会ったばかりの他人を無意味にからかって遊んだりするような人間ではないだろう。むしろその逆、からかわれたことをしばらく根に持つような人格ではないだろうか。


「まさか実在したというの……!?」


 本当にいたのか。あの『なんだかわからないけど特に理由もなく息子あるいは娘とほとんど歳の変わらないように見えるほど若い母親』という怪人物が。

 これから常識の外れた話をカガリにする予定のある兎角が言えることではないのだが、それでもあらためてこの世の非常識ぶりを別角度から叩き付けられた思いだった。


(え、ほんとに? 魔術師じゃないわよね?)


 そうであるならば、何らかの魔術的手段で肉体年齢をとどめている者もいるという話は兎角も聞いたことはあったし納得もいくのだが、この女からは何も(・・)そういったものを感じない。

 だから兎角は、世界は不思議に満ちているんだなと思いそれ以上は考えるのをやめた。


「今から部屋行くけど、母さんは来なくていいからな」


「はいはい、わかっていますよ。それじゃあ兎角ちゃん、ゆっくりくつろいでいってね」



***



「あなた、お母さんと血は繋がってるのよね……?」


「繋がってるけど。何だ、どうした」


「いや、別に……何でもないわ……」


 別に、女として羨ましいとか、非常識側の存在として自分たちとは別の非常識を見て動揺したとか、そんなことはない。ないったらないのだ。

 だが兎角はそこでその思考を打ち切り。

 互いに椅子に座って向かい合いながら、彼らはこれから話をする。


「では改めて――聞きたいでしょう、知りたいでしょう。だったら答えてあげましょう! 私が答えをあげましょう! 聞いて知って見て泣いて、あまねく感動受け取りなさい。泣ける話はしないけど、笑える話もしないけど、びっくりどっきり驚き満天あなたに与えるサプライズ、世界はいつも非常識。これから語るはこの世の真実! あなたが何に巻き込まれたのか! 私たちが何者であるのか! そして! あなたがこれから何者になるのかを! ――さあ! 拍手!!」


「ぱち、ぱち」


「ふふふ、ありがとう」


 カガリが律儀に数度手を叩くと、それを止めるように手を挙げる兎角。

 これから彼女が答えを話す。なお、カガリには自分から「教えてくれ」と頼んだ覚えはないので「知りたい」などと彼女に一言も言ってはいないのだが、知りたくないわけではないのでそれは黙っておいた。


「私たちが何者なのか……それを語るうえで、まず大前提としてあなたにはこのこと(・・・・)を教えてくわ。これから語る言葉はすべて、この前提をもとにして話をすると覚えなさい」


 兎角は身振り手振りを大げさに動かして、何とか驚きをより大きく伝えようとしている。

 カガリはその様子を黙って見ていたが、はっきり言って現状驚きよりも面白さの方が勝っている。だが、これも言わぬが花であろう。カガリは無言で見つめている。


「驚天動地に震地動天、あなたの世界が変わりだす。あなたの常識、さかしまに。あなたの知識もさかしまに。その耳かっぽじらずとも、穴が開いているのなら、私の言葉を聞き締めなさい。吃驚仰天(びっくりぎょうてん)椅子から落ちても大驚失色(たいきょうしっしょく)しちゃ駄目よ! 稲妻落ちる衝撃も、落雷轟く大音も、この真実には敵わない。なぜならこれより、私が語るこの真実。世界の裏側迫る影、この世の裏には影がある。けれど暗くはないのです、怖いばかりじゃ決してないわ。誰が決めたか闇が怖いと、それはみんなの思い込み。影も夜も闇だって、歩み寄れば星も瞬く美しく、綺麗な景色を見せてくれるわ。だから! さあ! 世界の裏側触れたとしても! 何も恐れることでもないわ!! 括目しなさい! いいえ、話は耳で聞くものよ。けれども耳は、開いているわね最初から! だったらそのまま聞きなさい!! そう、あなたの住むこの世界には! あなたの住むこの世界の裏には――――魔術(・・)という概念が! 実在しているのよ!! はいここ驚くとこ!」


「まじかよすげえ全然知らなかったぜそんなものが実在していたなんて」


 ぱちぱち、拍手。


「ふふふ、もう一度ありがとう。そして何だか少し虚しい気がするから拍手するのはもういいわ」


 今明かされる衝撃の真実。

 魔術というものの実在が、ついにカガリへと明かされた瞬間だった。

 魔術……カガリはあまりやったことがないものの、ゲームなどでもよく見かけるものだ。マジックポイントだったり、何らかの力を消費して特別な事象を発生させるもの。彼女の話す魔術というのも、恐らくはそうしたものなのだろうか。


「というか、あまり驚いているようには感じないのだけれど」


「いや、まあ……」


 正直、お前のテンションの方が驚きだわ――とは、やはり言えないカガリ。


「何? もっとリアクション取った方が良かったの?」


「そんなことはないけれど、もっと驚いてくれる方が説明のし甲斐があるのは事実ね。けれど特段求めはしないわ。私が説明し、あなたがそれを知る。その過程と結果にこそ意味があるのだから」


 とは言うもの。実際に「魔術があります」なんて言われて「なんだって!」といきなり驚けるかどうかと聞かれたら、判断に困るところであろう。

 それについ先ほど妙な体験をしたばかりであり、その時についた傷も三十分ほどの時をかけて彼女が治してくれたばかりである。ゆえ事前に薄っすらと、そういうものがあるのだなと知識がついてしまっていたため、素直に驚きにくいというのもある。

 だがそれを抜きにしても、言葉だけではどうにも納得しづらいというのが人として素直な感情だろう。


「仕方ないわね。何か魔術(しょうこ)でも見せた方が話も速いか……えーと、これでいいわね。『光源(ライト)』、っと」


 兎角が立てた人差し指の少し先から、光が発生する。

 輝きはそこまで強くはないが、暗闇を照らすならば十分な明るさだろう。

 光源はふわふわと蛍のように飛ぶように動いており、これが兎角の意思に従って動かされているのだということがわかる。


「これは一番簡単な部類の魔術ね。名前とそれと見た通り、暗い時に周囲を照らすだけのものだけど、どうかしら。種も仕掛けも勿論ないわよ」


「おお」


 確かに、これは手品ではないのだろう。何故だか、カガリにはそれがわかった。


「信じてくれたようで何より。さて、話の続きといきましょうか」


 指先に灯った明かりを消すと、兎角は何から話そうかと考え始める。


「あれは? あの街から人が消えていた、あれも魔術なのか?」


 魔術の存在を受け入れたカガリは、まず気になったことを彼女に問いかけた。

 そうした方が、話もスムーズに進みやすいだろうという判断も入れての問いだった。


「あれ? ああ、"領域"のことね。確か正式な名前が別にあったと思うんだけど……誰もそっちで呼ばないのよねー。何て名前だったか……まあ、いいわ。今は関係ないし名前なんて。"領域"のことはまた後で話すわ。けど、あれも魔術の一種ね。少し特殊な部類だけど」


 そして兎角は、何から話すのか決めたのだろう。口を開く。


「まずはこの世に魔術が実在するということは理解したわね。そしてこの魔術だけど、ある事情から公にはならないよう秘匿されているの。神秘は決して表沙汰になってはならない、そうなれば神秘の神秘性が失われてしまうってことでもあるわ。根本的な理由は別にあるのだけれど、とにかく魔術というものは秘匿にされている。だから、もしあなたが魔術というものに関してこちら側に知らされている範囲の知識や事前情報を持っているなら、まずは一旦忘れてくれると嬉しいわ。何度も言うけど、魔術は厳重に秘匿されているもの。だから、正しい情報が表世界に流れているはずもないのよ」


 魔術とは神秘。そして神秘とは秘匿。

 魔術はそれそのものが世界の完全な秘密であり、一般の世界に漏れないよう魔術側で様々な働きがなされている。


「例えば、魔術って言葉は知られているけれど実際そんなものがあるのなら、いくら秘匿されているといっても誰かが偶然発動しちゃって騒ぎになる可能性もあるんじゃないか? そう思うかもしれないけれど、実のところそうはならないのよ。なぜなら、魔術というものの発動には必ず、絶対に、魔力という動力が必要だからよ」


 それは読んで字のごとく、魔の力。この場合は、魔を動かすための力とでも言うべきだろうか。

 ともかく、魔力とは魔術のために必要不可欠なものであり、これが無ければ魔術を発動させることはできない。


「そしてこの魔力、実は私たちの中で常に生成され続けているの――もちろん、私だけじゃなく、あなたの中でもね」


 魔力は魔術を使える人間だけではなく、使えない人間の中でも生まれるものである。

 人間の中だけでなく、自然にも魔力というものは発生している。


「だったらなぜ、あなたたちは魔術を例え偶然にも使うことができないのか? それはこの魔力が、生まれた瞬間から消滅し続ける(・・・・・・)特性を持っているからよ」


 魔力は人間の中で生まれる――血を想像してみればわかりやすいだろうか。あれもまた人間の体内で生まれ、循環する。魔力も同じで、生まれれば人間の中で循環し大きな力となる。

 だが、それは魔術を扱える人間であればの話なのだ。

 なぜならこの魔力には一つの特性があった。それは、人間の中で生まれた魔力は生まれたそばから消えてしまうというもの。消える。ゼロになる。

 それは例えるなら底の無いコップに水を注ぎ続けているようなものだ。いくら水が注がれても、穴が開いていて水が溜まる場所がほんの少しも存在しないために、水は決してコップの中に一瞬でも留まることはない。


「魔力を生むことはできる。けれど持つことはできないのだから、魔術を決して使えないのも道理よね。燃料がないライターのスイッチをいくら入れたって、火が付くはずもないでしょう」


 だから一般の人々は、どのような偶然が起きても魔術を起こすことはできないのだ。

 そして魔術を扱えない人間が自然から魔術を受け取ることもまた同じくできないために、やはり魔力を手にすることはできない。

 これもまた、魔力や魔術という概念自体が持つ、魔術を表に出さないための仕組みと言えよう。


「そして魔術を知り、自己の内にある魔力を把握し、魔力を体内に溜めることができる(すべ)を掴んだ者。魔力を用いて、魔術を使い操る者。それが私たち、魔術師なのよ」


「魔術師、ねえ」


 つまり、さっき出会ったあの男も魔術師なのだろう。カガリはもし次に出会ったら必ずボコると決めている男の顔を思い出す。

 人間を超えたと奴は言った。男の言うところの人間を超えた存在とはつまり、魔術師のことであったのだ。


「そ。さっきのあの男は随分と調子に乗っていたみたいだけど、あながち間違いでもないわ。魔力はうまく利用すれば、自分の身体能力や機能を向上させることもできるから。それで新しく魔術師になった人には、選民思想なんかに目覚めちゃうような人もいるのよね。……まあ、元々魔術師ってそういう人たちも結構いるんだけど」


 だが今は、そんなことはどうでもいいだろう。

 その話を打ち切った兎角は、次に指を三本立てて魔術について語り始める。


「話を戻すわ。私たちが使う魔術には色々と種類があるの。黒魔術とか錬金術とか……細かく分けるととても説明しきれないけど」


「錬金術? それって魔術なのか?」


 卑金属、あるいは非金属……金属や石などを純金へと変えるための研究。

 それが錬金術だが、化学という現実的な法則化の学問という面が強く、不老不死を目指すというような試みも医療への道に続いているように思われる。もちろん神秘的な性質も取り込んでいる面もあるのだろうが、完全なオカルトと言い切るのは難しいのではないか。というより、どちらかというと魔術の祖先にも近いのではなかったか。

 と、カガリが記憶にあった知識を引っ張り出していると。


「ふふっ、言ったはずよ。えーと、赫狩さん! こちらに伝わっている、半端な知識は捨てなさいと! なぜならそれは秘匿のために、半端に流れた小さな言葉。捨てて、丸めて、ごみ箱に! けれど後で拾いたいなら、そっと部屋の片隅に。置いておくのが吉でしょう。そんなもので魔術を語る? 魔術師(わたし)の前で語るのかしら。笑止千万片腹痛し! 臍で茶沸騰、片腹失笑! あなたの知ること、私以下。私の知ることあなた以上。だったら黙って聞きなさい、私の教えを受けなさい! ――――不思議現象を起こせるものは! だいたい全部! 魔術の括りなのよ!!」


「大雑把すぎんだろうが!!」


 化学を何だと思っているんだ。


「どうどう。大雑把でいいのよ。私たちの世界では、魔術は超常現象を引き起こすものすべての総称だから。ま、錬金術が正当な、現実的な学問の一種であるのも事実。というより、魔術だってそういった一面もあるのだし。分かりづらいというなら、そうね、化学へと名を変えた錬金術と、魔術の一分野に過ぎない錬金術の両方があると思えばいいわ。とはいえ、私たちの側でも錬金術師たちはある種の特殊なポジションを確立しているのだけど。"領域"だって彼らが造ったものだし」


「俺は牛じゃねえ。ははあん、なるほどね」


 つまり、神秘という側面を持つものはすべて、魔術という呼び方に置き換えても構わないということなのだろう。

 少し大雑把すぎる気もするが、しかし科学だって似たようなものだ。様々な分野で活躍している科学者たちがいるように、魔術においてもそれは変わらないのだろう。住む世界が違っても、人の役割はある程度似通るということなのか。


「とにかく魔術が総称、一番上に置く言葉ね」


 あらゆる超常の力、それが魔術なのである。


「そして魔術というものは、大きく三つの種類に分別できるわ。詳しく分ければもうちょっと細かくなるのだけれど……まあ、わかりやすいのは三つに分けるパターンね。一つは"固有魔術"、魔術師個人個人が一つずつ持っている、その人専用の魔術。当然私も持っているし、戦うために魔術を手にした人はこれを使って戦うことが多いわ。個人専用なだけあって、扱うのも他と比べれば簡単で出力も高いしね」


 言わば所有者の異能。その種類は千差万別で似たようなものはあっても完全に同じものは二つないとされている。

 魔術師にとって魔術といえば、これを指す場合が多い。


「次に"汎用魔術"。魔力を用いて、それを様々な形に変化させて造り出されたもの。魔術と聞いて、恐らく多くの人が思いつくだろうものに近いのがこれね。さっき使ったのもこれに該当するわ。固有魔術とは逆に、術を覚えれば誰でも使用が可能な魔術ね。もっとも、造るのも使うのも大変なんだけど……」


「……そういえば魔術魔術っていうが、言い方は魔法じゃダメなのか? そっちのが通りは良さそうだが」


「魔法? 駄目駄目、駄目よ。魔術と魔法は、厳密に違うものだから」


 魔の法と、魔の術。そう書けば違いが分かりやすく浮き彫りになるだろう。

 法と術では意味が全く違う。


「罪を弁護したり、罪を糾弾する人たちだって、定められた法律を基にして弁舌を振るうわけでしょう? 基となる法と、振るわれる言葉には明確な上下関係があるの。法は術より上のもので、だから魔術を魔法と呼ぶわけにはいかないのよ」


 さらにもう一つの理由として、魔術というものは実のところ、大したものではないのだ。


「例えば……もしも明かりが欲しくなった時、赫狩さん……同年代にさん付けもなんだし、くんでいいわよね。赫狩くんならどうする?」


 どうも何もないだろう。コンビニエンスストアなどで懐中電灯のような明かりとなるものを買えばいいのだ。部屋の中ならスイッチを入れれば部屋が照らされる。どちらにせよ、労力はほとんどかからない。


「でも魔術は違うのね。さっき使った明かりの魔術を使うだけでも、半日は机に噛り付く必要があった。一番簡単なものを使うだけなのにね、子供に四ケタの暗算を直ぐに解けっていうくらい難しいの」


 魔術と聞いて、人はどんなイメージを思い浮かべるだろうか。

 沢山の書物や床に描かれた魔法陣に囲まれながら怪しげな研究を続けているイメージだろうか。それとも、杖を振って呪文を唱えれば願いが叶うイメージだろうか。

 残念なことに、現実に近いのは前者なのである。


「さっき言いかけたけど、魔術は造るのも使うのも難しいの。まずは魔力を自分の中に固定できるようになるところから始めて、それができるようになったら今度は魔術を使うためのべんきょーね。この術式はどんな魔術なのか、どうすれば使えるのかって風に。そこまで来てようやく、初めて魔術が使えるようになる。ぶっちゃけた話、魔術なんて万能の力でも何でもないのよ」


 一番簡単なものを使うだけでもそこまでの努力を必要とする。難しいものならばもっと大変だ。発動までの時間や労力、それを覚えるための時間と努力。並大抵のものでは魔術を使うことはできない。先ほど彼女はカガリを治癒したが、瞬間的に癒すことができなかったのもそのためだ。病院に行ったり包帯を巻くなどの必要がないという点では、並みの医療よりも遥かに便利ではあるのだが。


「造るのはもっと大変。大よその目安でしかないけど、一つの魔術を造るのに天才たちが集まり数世代かけてようやくちゃんと使えるものが生み出せるかどうかって話よ。大魔術を編み出そうものなら、ネズミの死骸一つから生きたドラゴンを生み出せって言うくらいの無理難題かも」


 途方もなさ過ぎて逆にイメージが湧かない例えだが、つまりはそれくらい難しいということだ。

 しかも魔術師というのは秘密主義が多い。自分たちが"世界座"に――いや、とにかく彼ら魔術師は自分たちの研究成果をとにかく明かしたがらない。これは当然の話だが、研究成果や研究中のものを盗まれては困るからだ。


「魔術に著作権は無いからね」


 そこが、魔術と科学の違いを分ける大きなポイントの一つであろう。

 すなわち、盗まれても文句は言えないということ。取り返そうと思うなら、暴力に訴え出るしかない。

 ゆえにそのようなリスクを冒さずに済むよう、自分たちの成果を隠すのに力を入れるのが当然となっている。


「だから研究を公表するメリットが薄いのよ。しても利用されるだけされて、自分たちのもとに還ってくるものはあまりに少ないから。協力し合えればいいけれど、そうしないから。だから汎用魔術はその数がすごく少ないの。誰にでも使える魔術って触れ込みのわりにね、万能なんてとても呼べないくらいには」


 秘密主義なうえに、利己主義なのだ。魔術師は。

 だから誰にでも扱える魔術なんてものはいつの時代も積極的な開発は行われずにここまで来た。もちろん進んで開発を行う魔術師たちもいたが、魔術開発は大いに難しいもの。魔術師の全体数から見て少数派だったその魔術師たちでは、やはり多くの汎用魔術を造り出すことはできなかった。


「だから魔術界の進歩は遅々として進まない。ここが科学との大きな違いね。科学はそもそもが、人の生活をより良いものにするという前提のもとで新しい技術が次々と生み出される全体主義志向の世界だから」


 この世に科学と魔術という二大法則がありながらなぜ魔術は隠される側になり、科学は人々を大いに助ける側へとなったのか。それは、やはり圧倒的に、科学という法則の普及性が魔術のそれを上回っていたからだ。科学技術は一度確立されてしまえば誰でも簡単に使えるものが多く、人々の生活をより良くしていくものだ。電化製品などその最たるものであろう。だが魔術は、あらゆるすべてが人によって扱えるものに差異があり、そもそも現在の在り方からして人々を助けるためには使われていない場合がほとんどだ。

 神秘が幻想となってしまったのはただ単に、不便だから(・・・・・)というちっぽけな理由の一言に尽きる。

 そしてこれが――彼女がカガリに、魔術の説明をしなければならない理由へと繋がってくるのである。


「――魔術と! 科学! 間に隔たる大きな違い! 神秘と物理は異なるものよ、その法則は交わらない。二つの世界は交差しない! 正義と悪が反するように、魔術と科学も同じこと。二つは決して相容れない。優と劣なく貴賤なく、私たちは境界を敷く」


 例えば、反物質というものがある。

 簡単に説明すると、宇宙誕生の際に物質と同時に生まれたものであり、名前の通り物質と相反するもので電荷など構成要素が物質とは逆の性質を持つ反粒子で構成されている。この反物質よりも物質がわずかに多かったため、この宇宙は物質の世界になったという。そしてこの反物質と物質は、対になるもの同士が互いに接触すると対消滅(・・・)を起こす。

 そう、この関係性は科学と魔術にもそのままではないがある程度適用できるのだ。


 さらに例え話をしよう。ここに一人の一般市民が存在する。彼は魔術を知らない。平凡な世界を生きる、ごく普通の一般人だ。

 そしてここに、一人の魔術師を投入する。彼は魔術の世界に生きているという意味で普通とは違うものの、感性そのものは一般市民と同じものだと仮定しよう。

 この二人が、あるいは友人関係になったとする。友人になったのだから、時に秘密を打ち明けるというようなこともあるかもしれない。魔術師たる彼は、友人である彼に魔術の存在を披露してしまった。友人に、自分の特別を自慢したかったのだ。

 さて、彼らはここからどうしただろうか。


「答えは、わからない(・・・・・)よ。何せ報告例がないんだもの」


 恐らくは、対消滅(・・・)を起こしたのだ。科学と魔術は相容れない。二つの世界は交わらない。

 科学の世界に生きる人間が魔術の存在を知ってしまった時、魔術を晒してしまった者と対消滅を起こしてこの宇宙から存在ごと消える。それが、魔術界における一般的な見解である。

 そしてこの対消滅は誰も目撃したことがない。もしかしたら、対消滅を起こした者たちはこの宇宙の"記録の海"からも消えてしまうのかもしれない。だから、誰も目撃したことがないのだろうと。実験だって、きっとどこかの時代で一度は行われたはずなのに。誰も、結果を、知らない。

 けれど、魔術師は魔術の存在を明かすということに強烈な忌避感を覚えている。本能が、神秘の公開という行為を拒否しているのだ。

 だからどんな悪党も、進んで魔術が存在することを公表することはない。

 どうしてそんな法則があるのかはわからない。けれど法則がある以上、それは認めなければならない。

 これこそが、魔術が厳重に隠匿されている最大の理由なのだ。


「だけど例外はある。そういうことだろ?」


「ええ、その通り。それが、今のような事態」


 すなわち、何らかの事故などで魔術を一般人に知られてしまった場合、だ。

 魔術師側にその意思があったかどうかは関係なく、この時魔術師は選択を迫られる。


「魔術を知られてしまった魔術師に取れる選択肢は、これも大きく分けて三つ。一つは口封じ、一番簡単な手段ね。知られたことをなかったことにすれば、知られようがどうなろうが関係ない。最初から殺す気だったり、何らかの手段で最初から口封じする気なら忌避感もなく魔術を使えるしね。二つ目に記憶の消去。魔術を知られた記憶を消してしまう……だけどそんなの誰にだってできることではないし、できるとしても記憶を全部消しちゃったらその人を殺したも同然。だから二つ目の手段が取られることは滅多にないわね。そして、三つ目。わかるわよね、私が今、取ってる手段よ」


「ああ。つまり、知ってしまった者に魔術を教えて、科学ではなく魔術側の人間にしてし(・・・・・・・・・・)まう(・・)ってことだろ」


「その通りよ! 魔術がどんなものであるのかを教えるだけじゃなく、実際に魔術の手ほどきをして魔術師見習いにしてしまう。そうすることで、あなたは魔術師だと世界に誤認してもらうの。魔術師に魔術を披露したって、何の問題もありはしないのだから!」


 カガリは魔術を知ってしまった。だから、兎角はカガリに魔術を教えるしかない。

 兎角がカガリを放置すれば、あの殺人鬼とカガリは対消滅を起こしてしまうのだろう。それはそれでアリと言える選択かもしれないが、そうするとあの場に出て行ってしまった兎角自身も消えてしまう。そして、罪もない一般人を見過ごせる正義の味方(とかく)ではない。

 これが"説明義務"。魔術の漏洩と彼らの対消滅を防ぐための、魔術師による世界への応急処置なのである。


「さっき言った"領域"は、要するに隠匿のための魔術なわけ。正確には魔術じゃなくて、錬金術師たちが造った魔具なんだけど……それはいいわ。一定範囲内に、魔術を隠匿するための結界を張ることができる。実は今も小さ目なやつを使ってるのよ」


「ああ、だからさっきから大声で喋ってたのな……」


 どうりで。さっきから存在を隠さなければならないものをペラペラ叫んでいるのが不思議だったのだが、そういうことだったのだ。


「ん? そういえば三つの目の魔術の種類は?」


「あら、まだ言ってなかったっけ? 三つ目は"継鎖魔術"。固有魔術と汎用魔術の間くらいの魔術で……一族や家系の中で研究される魔術ね。まあ、これも今はいいでしょう。今の話には関係ないし」


 さあ、これで兎角がカガリに説明すべきことはすべて説明し終えただろう。


「さて、今から魔力を体に溜めるための方法を教えるわ。そしてあなたを魔術師の()にする――そして、それで私の説明義務を終了するわ」



***



「そういえば、あんたは何であの時駆けつけられたんだ? タイミングが良すぎるような気がするんだが」


 悪い魔術師に襲われている人がいる現場、そう都合よく居合わせられるものだろうか。


「知りたいの? 知りたいかしら? 知りたくなった? 大したことじゃ、決してないわ! この私は正義の味方! フリーランスな正義の魔術師! フリーの正義の味方(ヒーロー)やってます! 私の()く手に影があり、私の行くとこ悪があるなら、いつでも駆けつけ御覧にいれます。颯爽登場、私が参上。大、大、大、大、大・参・上!! 正義はいつでも駆けつける! 正義(わたし)がいつでもそこにいる! 灰久森 兎角はここに来る! 弱きを挫く者あらば、斬り捨てごめんね謝らないわ! 罪を犯す人あらば、私が勝手に刑罰執行! 命を躙る悪あらば、月光背負ってお仕置きよ! 私が! 来たから! もう安心!! ――――この街に来たのは、棒倒しで進む方向を決めたからよ!」


「さてはお前、適当に生きてるだろ?」


 兎角は心外であった。今回はたまたま棒倒しで進む方角を決めただけだ。

 風の吹いた方向や靴飛ばしなどで決める時もある。決して棒倒しだけで何もかも適当に決めているわけではないと知ってほしい。


「どうでもいいわそんなもん」


 バッサリ切り捨てられた。


「まあでも、あなたのピンチ…………あなたが勝つ寸前に割り込めたのは、私がこの街に来た時にすっごく怪しい人物を見かけたからね。そいつを探してあちこちウロウロしていたからよ」


「怪しいやつ?」


「真っ黒なアイバイザーつけてて死体の前でニヤニヤ笑ってた」


「迷宮どころか入り口と出口しかねえ事件だな」 


 そして街をウロウロしていれば、巧妙に隠されているが何らかの巨大魔術が街に施されている形跡を発見したものだから、これは正義の味方(ヒーロー)として放っては置けぬと思ったのだ。

 さらに、しばらくぶりにニュースを見てみれば連続殺人事件が起こっているというではないか。そんなこと、見過ごせるわけはないだろう。なお、カガリはニュースも新聞も見ていないので連続殺人のことなど一切知らない。

 

「これもきっと、私の日頃の行いが良いおかげね! 道端に落ちてるゴミをちゃんとゴミ箱に捨ててきた甲斐があったというものだわ……!」


 けれど。


「それでも、助けられなかった命があるのも事実。けれど私は嘆かない! 泣かない、めげない、怯まない! 私は決して立ち止まらない! 正義の味方(ヒーロー)はいつだって前進あるのみ。私たちは生きている人のために戦うの。死者を悼むのは、正義の味方(わたしたち)以外の人たちの役目。悪党殺す運命の中で、正義に涙を流す自由はないわ」


 毅然とした決意を語る兎角に、カガリが一つの提案をする。


「なああんた、俺に手伝えることはないか? 一応助けてくれた礼もしたいし、そんな危なそうな奴がうろついてるなんて放ってはおけない(・・・・・・・・)。手伝わせてくれ」


 街の平和を守るために、そんな奴は見過ごせない。自分にも何かできることがあるのなら、悪を打倒する手助けがしたい、と。

 カガリの提案に、彼女は疑問を感じる。

 果たして彼は、他人手伝うなどという殊勝なことを申し出るような人間なのかと。そんな疑問が頭に浮かびかけたが、しかし私の熱意が伝わったのだろうという持ち前のポジティブさで疑問は一瞬で消滅。

 ありがたいと思いながら、しかし彼の言葉を断った。


「いいえ、結構よ! とても嬉しいお話だけど、私はあなたに手伝って欲しくて魔術を教えたんじゃないわ!」


 市民を危険に曝すわけにはいかない。いかなる理由があろうとも、それは正義の取る行動ではない。

 どんなわけがあったって、一般人を巻き込んでいい理由にはならないのだ。


「危険だからね! 魔術どころか、魔力を留める方法を教わったばかりの素人に頼るようなことはないわ! はっきり言えば足手まといになりかねないし……赫狩くんを危ない目に合わせるわけにはいかないからね!」


「……そうか。なら、連絡先を交換するくらいならいいだろ? 何かあったら、その時にすぐあんたに報告できるようにするだけでもさ。大丈夫、あんたが危惧するような真似はしないよ」


「んー……それくらいなら、いいかしら」


 しかし兎角は通りすがりの魔術師。携帯電話なんて科学文明全開な道具は持っていない。よって、カガリに一つの魔術をかけることになる。

 懐から取り出した石に魔術を込めると、彼女はカガリにそれを渡す。


「これ。一度しか使えないけど、遠話の魔術が込められてるわ。砕けば私と話せるから」


 そして、今度こそ話すことはすべて話し終えた兎角は、逃がした男を追いかけるためにカガリに別れを告げる。


「それじゃあ、さよなら。もう一度あなたの身に危険が迫ったりすることがないよう、あの男はきっちりこの手で何とかするから」


「ああ、色々とありがとう。じゃあ、さようなら」


 バタンと扉が閉まり、差し込んでいた夕陽は途切れて兎角の姿は見えなくなる。

 もう帰ったの? という母の言葉に生返事を返したカガリは、先ほどまで兎角と話をしていた自分の部屋ではなく一階にある別の部屋へと向かう。


「今日のメニューは何がいいかしら、赫狩?」


いつもの(・・・・)でいいよ、母さん」


「……あらぁ? ふふふ、そう? じゃあ、ちょっと待っていてね。すぐに準備をしてきますから」


 そして当のカガリは、――その表情を怒気に染めていた。

 許せない、許せないと。

 誰に対して怒りを感じているのかは、もちろん言うまでもないだろう。

 一日に二人、自分をコケにした人間がいるという事実にカガリは爆発しそうな衝動を何とか抑えていた。彼が理性を持たぬ獣同然の男であれば、玄関は血で濡れることになっていただろう。

 だがなぜ、カガリに怒りが湧いたのか? 怒りの沸くようなことがあったか?

 それは、彼女との最後の会話。


「あぁ、殺してえ。どうしてどいつもこの俺を怒らせる。戦えば、この俺に負ける分際で」


 正義のためにと、彼女は言った。それに手を貸したいと、彼は言った。

 しかし彼に正義の心などは欠片も宿っていないのはすでに承知の事実である。だから正義の手助けを拒絶されたことが、怒りの理由ではないだろう。

 では、何故か。

 そう。彼が怒りを覚える理由は、たった一つだ。


 ――"「危険だからね! 魔術どころか、魔力を留める方法を教わったばかりの素人に頼るようなことはないわ! はっきり言えば足手まといになりかねないし……赫狩くんを危ない目に合わせるわけにはいかないからね!」"


 ――"「危険(・・)だからね! 魔術どころか、魔力を留める方法を教わったばかりの素人(・・)頼るようなことはない(・・・・・・・・・・)わ!」"


 ――"「はっきり言えば足手まとい(・・・・・)になりかねないし」"


 ――"「足手まとい(・・・・・)」"


 それだけだ。


「だが、一度だ。一度だけ、許してやる」


 けれどカガリは、その怒りを爆発させるようなことはしなかった。

 その罪を、ただの一度だけ無罪に処そう。と、決めたからだ。


「借りができたからな。だがこれをもって、貸し借りはなしだ。二度目はない」


 正義の味方で良かったな、と。彼は心の中で吐き捨てていた。己を怒らせたのは到底許せることではないが、しかし許そう。お前が正義の味方ではなく、ただ俺を見下しただけの屑であったならば、その時は別の未来が今ここに転がっていただろうから、と。

 誰であろうと、この俺を見下す者は許さない。認めない、必ず殺す、噛み砕く。なぜならば――……。


「次は、殺す」


 カガリは暗い部屋の中へと入室しながら、燃ゆる怒りを鎮静化させるべくゆっくりと目を閉じた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ