10.通りすがりの魔術師
もう少しで再びぶつかり合うところまで来ていた二人は、突如として現れたその女に対して何も言えなかった。
それは別に恐怖があるとか、気圧されたとかそういうことではなく、「なんだこいつ」と見つめるしかなかっただけなのだが。
赤みがかった茶髪をショートに切りそろえた、不敵な笑みを浮かべる少女がそこにいた。いかにも快活そうなその少女は、クラスの教室にでもいればその明るさでクラスの中心にでも収まりそうな空気を身に着けている。
その少女は右手で持った短剣をくるくると回しながら、殺人鬼を不敵に見つめていた。
「おい。この女はてめえの知り合いか何かか、雑魚」
「そんなわけないだろう。そして弱いのはおまえだ、弱者」
未だ罵り合う二人の間に立つ少女は、カガリに背を向けたまま笑いかける。
「私が来たからにはもう安心しなさい、少年。命の保証はしてあげる!」
「少年って見たとこあんた俺と同年代じゃ……」
「さあ、あなた! 武器も持たないか弱き人々を苦しめるその罪、勢いよく反省しなさい――――いいえ! やっぱりしなくていいわ。だって、どうせ反省も後悔もしないもの! 罪は償うものでなく、償わせるのが最近流行りの正義だものね。だから、さあ! ここで私に斬られなさい!!」
カガリの小さなつぶやきは無視して、少女は対峙している男の全身を観察している「無視すんなコラ」。
二人の間に突然降り立ったこの少女。カガリの視点から見れば、彼女もまた男と同じく常人以上の身体能力を持っていることは容易に想像できた。何せ空中から降りてきたのだ。おそらくは、自分を後ろから跳び越えて。
「魔法使い……ということは、おれのお仲間かあ。お前も魔術師なんだなあ!」
人気の一切消えた街中で、不可思議な力を見せた男と、それと向かい合う女。
魔術師――それがどうやら、彼らに共通する言葉であるようだった。
言葉の意味は、なんとなく分かるだろう。世に生きていれば、一度や二度は耳にする単語だ。だがそれが現実的な意味を持っているという話は聞いたこともないが、しかしこの二人を見る限りは、つまりそういうことなのだろう。
「……ええ、そうよ! あんたなんかと同類扱いはされたくないけど、通りすがりの魔術師――灰久森 兎角。そういうあなたは、最近ニュースで話題になっている連続殺人鬼なのかな」
「ひひ、噂になっているとは光栄だなあ。人を殺して何が悪い。殺して命を奪った後、そいつをどうすれば更に地に貶めることが出来るか……どうすれば、おれはそいつの上に立てるかって、真面目に考えた結果なんだよ。誰もが誰かに対してやっていることだ、おれはただそれが少し過激なだけじゃないか」
「良かったわ、ただの下種で。下品で下劣でみっともなくて、殺すことに何の躊躇いもない。無様に倒れて朽ちなさい」
「ひはあははあ。嫌なこった。殺すのはおれだ、おれは死にたくはないんでなあ」
二人が睨み合う外で、場から締め出されたカガリは不満げな表情を浮かべながら、そのまま様子を伺っていた。
この二人が魔術師という共通した存在である以上は、そうでない彼が余るのは道理である。男の方も、ただの人間であるカガリよりは少女を警戒すべきとの判断なのだろう。
彼の性格は傲慢なきらいがある分、こうして渦中にいながら誰からも相手にされない状況というのは、彼にとってあまり好ましくないものである。
とはいえ、ここで無理に場へ割って入って行くような空気も読めないカガリではない。というよりも、そこまで愚かな思考回路ではないと言うべきか。
両名が未知の存在である以上、観に回った方が賢明であるのだから。
(どいつもこいつも……)
もっとも、一番賢いのはここからこっそりと逃げ出すことなのだろうが、今のカガリに逃げるなどという後ろ向きな思考は存在しない。様子を伺っている今でさえ、苛ついているという状態なのだから。
「屑ね。どうしようもなく」
「褒められないことはわかっているさ」
ニヤニヤと笑う男は、少しずつ足を擦りながら後退していく。
「だけど今はあ、逃げるが勝ちな場面かなぁ。魔術師相手に斬り合いというのは、少しリスクが高すぎる」
「逃がすと思う?」
「いいや、逃げるさ」
跳ぶように、少女――兎角は地を駆ける。その速度は人間のそれではなく、例えるならば肉食動物のそれにも等しい。いいや、あるいはその更に上か。
しかし、やはりと言うべきか。
兎角が男の元まで駆け抜けた時には、すでに男の姿は消失している。
「――!?」
男の高速は同じ魔術師という存在であるらしい兎角に対しても有効なのか。兎角は男の姿を一瞬、見失ってしまう。
「それじゃあ、おれはここで失礼させてもらおう」
そしていつの間にか、離れた場所の屋上に立っていた男はそのまま立ち去るべく背を向ける。
「待ちなさい!」
このまま逃がすわけにはいかない。逃がせば、また犠牲者が出るかもしれないのだから。兎角は正義の味方を名乗る者としてその事実を許容するわけにはいかない。
兎角は一瞬遅れて男がいる方向を見据え、短剣を構えて。
(どうする、ここで力を使っても――)
追撃を仕掛けようとした兎角へ、男は遠くから叫ぶ。
「いいのかあ!? おれはここから立ち去るのだから、説明義務はおまえに移るぞ! おれなんかに構っていてもいいのかなあ!!」
「――――」
その言葉に、チラリと後ろへ視線を寄越して僅かばかり躊躇した隙に、男は姿を消していた。
追うべきか、追わざるべきか。幾ばくか悩んだ末、兎角は息を吐いて短剣をしまう。
「えっと、大丈夫? 怪我は……いっぱいありそうね。でもこれくらいだと、命に別状はなさそうかな。それだけでも私が助けに来た甲斐は――」
「おい」
カガリの方へと向き直り、怪我の心配をする兎角へと彼は一声かける。
そして「何かしら?」と首を傾げた彼女へ、彼は。
「……随分と余計なことをしてくれたな」
どうしようもなく、彼はどうしようもない性格をしていた。
「……え、え?」
「あのまま戦っていればこの俺が勝っていたんだ。あんたが介入しなくたって、あいつはここで仕留められた。むしろあんたが入ってきたことで奴を逃がしたとも言える。つまり、あんたはこの俺の邪魔をしただけってことだ。余計なことしやがって……」
「どうしましょう。ここまで助け甲斐がなかった人は初めてだわ、私」
今までにも何度か人を助けたことのある兎角だが、こんな理由で助けたことを罵倒されたのは人生で初だった。
もっと早く助けとだとか、あんたが遅いからこうなったとか、勝手な責任を押し付けられるよりもよほど酷い口ぶりに、一周回って逆に爽快感すら生まれそうだ。
「いや、でもあなた、そんなに怪我して……全然ピンチだったんじゃ……」
「今、危機に陥っていることと、一秒後に状況を覆すことの間には何の関係もない。この俺があの程度の相手に負けるなんてことあるわけがないんだから、あんたの助けは必要なかった」
――そして少年は、謎すぎるほどに、自信満々だった。
「そ、そう……? それは、悪いことをした……わね……?」
「でも」
カガリは一度言葉を切ると、そこで少しそっぽを向いて。
「俺がどう思っていようと、状況がどうであろうと、あんたが俺を助けようとしてくれたのは事実だ。そこに感謝を覚えないようじゃ、男が廃る。……だから、助けてくれて、ありがとう」
(あれ、やっぱり意外と素直なの?)
新感覚なツンデレっぷりに兎角は困惑を極めるばかりだったが、ともかく早く話を進めなければならない。
あたりを見渡せば、張っていた男が去ってしまったからだろう。"領域"はもう消えかけている。完全に消えてしまう前に、話を通しておかなければ。
「ところで、あなたに少し話があるの。どこかで落ち着いて話ができる場所はない?」
「話って、この俺に……この、俺……いや、俺にか……うん、俺に話、ってのは?」
兎角はそこでカガリの様子が少しおかしいような気を感じたが、だがそれ以上は気にすることもなく、話を進める。
ことは一刻を争うのだから。
「ええ、大事な話があるのだけれど……できれば、どこか人のいない場所で。どこか、ない? そういう場所」
カガリは数秒考えて。
「ああ、じゃあ俺の家来る?」