邂逅 英雄の子孫
「うう、グス......」
「なあ、もう泣くなって」
目の前で泣きじゃくる少女にレンは声をかける。
鎖で縛られていたのをほどいてやってからというもの、ずっとこの調子で泣き続けているのだ。
「だって、だってえ」
年は十六、七くらいだろうか。端正な顔立ちの少女が涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしている姿は、正直心苦しいところでもある。
レンはそっと近寄ると、少女の頬に両手をあて。
「お前を縛ってたオークは俺が倒した。だから安心しろ。な?」
「ほんとう?」
「ああ。本当だ」
目をまっすぐに見つめ、レンは言い切る。
それで安心したのか少女はギュッとレンを胸に引き寄せ、ありがとうありがとうと体を震わせる。
しかし、こうなるのも無理もない話だった。
先ほどの状態から推測するに、凌辱される一歩前だったのだろう。
犯される直前にレンにオークが気づいたのは幸いなことだった。危うく死にかけたりもしたが、それでこの少女が救われたのならば万々歳だ。
いつまでそうしていただろうか、ようやく胸から解放されたレンは、今度は少女の膝に乗せられていた。
柔らかな手が、そっとレンの頭を撫でる。
「ねえねえ、小さな英雄さんはなんていうお名前なの?」
えらく上機嫌になった少女がニコニコしながらレンに名前を尋ねた。
「......レン。レン・クレイ=ヴァレンだ」
まあいいだろうと本名を名乗る。
魔王の名であるこの名前は、人間たちにもよく知られていたはずだ。
ここでなんらかのリアクションがあると期待していたが、少女は「そうかーレン君かー」とのんびりと視線を宙に向けた後。
「私の名前は、レーナ・オディエントだよ」
名前を口にする。
オディエント、それはレンにとってあまりに聞き慣れた名前だった。
レーナの膝からバッと立ち上がる。
「どうしたの?」
不思議そうな顔をこちらに向けてくるが、それとは裏腹にレンの額には冷や汗が浮かんでいた。
「お前は、英雄クレイン・オディエントに連なるものか?」
最上級に警戒しながらレンは問いを口にする。
「ご先祖様がどうかしたの?」
「ご先祖様だと?」
「そう、ご先祖様だよ。もう三百年以上も前の人だけどよく知ってたね」
それが意外な問いだったのか、レーナは驚いた顔をしつつも律儀にも質問に答えてくれる。
でもね、とさらに言葉が続く。
「いっぱい悪い敵を倒して英雄って言われたご先祖様もね、悪魔に殺されちゃったんだ。それからかな、魔族達が人類を押し始めて、今や人間は魔族達の奴隷だよ......ってうん?どうしたの?」
眉間に皺を寄せ、これまでになく険しい表情を浮かべるレン。
......クレインが三百年前に死んだだと
......それに、人間が魔族の奴隷とはどういうことだ?
目覚めてからの状況も大概だが、これには驚かされたという感情すらわいてこない。
ただただ困惑の限り。
......おいおいおいおいなんだこれどうなって......――
そこで思考が遮られる。
レーナがレンの手をそっと握ったからだ。
「ほらほら、そんな顔しちゃダメでしょ。レン君は可愛いんだからもっと笑ってないと」
そのままレンの頬を引っ張り、無理矢理にでも笑顔を浮かべさせようとする。
「ああーもうわかったから!」
「もう、強情ね。でもちょっと表情が緩んだから良しとするわ」
何が嬉しかったのか、レーナはふふふと上品に笑って、膝をポンポンと叩く。
「おいで」
意味を察したレンは。
「いい加減子ども扱いするのは止めてくれ。それよりもここがどこか教えてくれないか?いい加減ここでぐずぐず足を止めてるわけにはいかないんだ」
あくまでそっけなく対応した。
そう、いくらオークを一体倒したからと言って、危機が完全に去ったわけではない。むしろ帰らない仲間を気にして新手のオークがやってくる可能性が高い。ここでリーナといつまでも遊んでいる訳にはいかないのだ。
早く現状を確認し、対策を立てなければならない。
そのためにも、情報が必要不可欠だ。
むーと自分の膝を所在無げに眺めた後、少し不機嫌な様子で口を開く。
「え?ここがどこかって?ここはね、私の家の領地なの」
それはまた意外な情報が飛び込んできた。
曰く、この森は代々オディエント家の持ち物だったらしい。
だが、四日前のこと、オディエント家の領地である村が魔族の襲撃に合い壊滅した。
なんでもリーナはその村に住んでいたらしく、オークたちが人々を連れ去って行くのを目撃。後を追っていくとこの森に到着したとのこと。
あとはさっき見たとおりだ。
「私だって何の策もなしにここに来たわけじゃないのよ?これでもお父様に剣術を習っていたんだから」
「......一応聞いてやる。剣はどうした?」
「...あのオークとの戦いで、剣を折られて......捕まっちゃったところをレン君に助けられました」
恥ずかしそうに俯くリーナ。
「で、でも!ここに村の人たちがいるはずなの!領主の娘として、放っておくわけにはいかない。何としても助けに行かないと」
「はあ、それがそうだとしてもお前ひとりでは確実にオークの慰み者にされるぞ」
「わかってる。わかってるけど......」
つい先ほどまでの光景がフラッシュバックしたのだろう、目じりに涙が浮かぶ。
それでもリーナは行ってしまうだろう。
この少女の領主の娘としての責任感は本物だ。
だから......
「だから俺も行ってやるよ。危なくなったらお前を守ってやる。それでいいか?」
ここまで人間の肩を持つのは初めてだった。
だが、それでもこの少女と共に森の奥へと行かなければならない、と直感がそう告げていた。