07
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なんということだ。ただの人間相手に、随分と手の込んだことをしでかす輩だ。三人は、徐々に間合いをつめてきている。はたして、これはどういうつもりか。彼は、この先、どんな結末が待っているのか検討もつかない。ただそれでも、動かない身体に命令を送り続けて、必死に抵抗を続けることくらいしかやれることはなかった。あいにくと、拳銃なんて武器は常備しているわけでもなく、そもそもとして、表向きの人探しになるであろう仕事に対して拳銃など必要性が皆無なうでに、逮捕される危険が高まるのだから、所持しているわけでもない。この状況で拳銃があったとしても、どうすることもできない上に、逃走劇の最中、とっさに発砲できたかといえば、それは無理だとわかっている。しかし、殺傷能力を持った武器が手元にあるのは安心感があるのも事実だ。教訓として、拳銃を隠し持つようにしようと誓った。もはや、なるようにしかならないのだ。動けないのだから、このまま殺されることはないのだろうという考えには及ぶが、そうなれば、何か尋問を受ける予感を三人の何かから察することはできた。
一体、何を求めているのか。
殺す目的ならば、尾行に気づく前の時点でことはなせただろうし、体の自由を奪えるのならば、手早くそう進めてしまえばよかったのだ。なれば、この異能ともいえる金縛りには、発動に対するリスクや準備が必要なのか。しかし、それを考えたところで解決策は、砂漠の中で砂金を見つける確率であることに変わりはない。
<おまえ、なんだ?>
――喋った。
背後から日本語が飛び出してきた。予想外にもほどがある。なんだ、やはり日本人だったのかと安堵してしまえれば、どんなに気持ちが安らいだことか。目の前に、二人が集った。終着のようである。三角形の中に居た。ヒトガタにはさまれ、身誤記も出来ず、果ては「おまえは、なんだ」などと、聞かれたところで、声すら出せないのだ。無言を貫くことくらいしか出来ない。しかし、それでは生命の危機において、あまりにも他人任せであろうから、何かしらのアクションを起こす必要があった。なにもせずして、喋らないのか、ならば死ね。となっては目も当てられない。なんとかして、それはもう、吐息でkしかないが、必死になって声を出そうともがいた。すると視界のうちの左側のヒトガタが、気づいた。およそ人間の耳では判別できない音を出した。名状しがたい音、ラジオからとぎれて聞こえてくるノイズの断片が、それなりに近しいようにも聞こえるそれだったが、身を引き裂かれる思いを抱くほどにの不快音だった。
三者三様のノイズが発生し、不協和音に耳を覆いたくなったもののそれは叶わず、まるで拷問にあっているのだと思ってしまう。だが、さきほど尋問めいた言葉を発したことからもあながち間違ってはいないかもしれないとも思えたが、面白いことに、これは発音している歴とした言語であるとわかった。ノイズの中に感情によるものだろうか、起伏の変化があった。どこか言い争っている気配すらも伺え、身体の動きに連動している節がある。まるで欧米人が行うジェスチャーのようだ。なんとも不思議な存在であるが、これは行幸だ。助かる希望が少しばかり芽生えた。話し合いによる解決が、不可能ではないのだ。それほどまでに、三人のノイズにしか聞こえてこないが、おそらくに新種の言語を用いていると見るべきで、その言い合いは知性を感じざるを得ない代物だった。
何を言い争っているのかといえば、おそらくに捕まっている対象物への処遇ではないか。初めに発した「おまえは、なんだ」ということから、目的があることは判るが、何か明確な捕縛理由があったかと思えば、違うではないかという疑惑が浮上する。であるならば、この拘束が解かれることも考えうる。しかしながら、質問の意図がえらく漠然としすぎているわけで、どういう返答が最良なのか、中々思い当たらない。
しかし目の前の二人組を良く観察してみると、やはり人の容をしているだけあってか、色々と推察できることもあった。つまりは、左側のヒトガタが、いの一番にこちらが喋れないことを察したもので、そこからどういうわけか、段々と声を荒げているようにも思えてならないのだ。かつてのことを引用するならば、警官時代にもこういった人種がいたのだ。妙に頭の固い、役所仕事が得意な人間で、すこぶる融通が利かないのだ。同僚から疎まれることもあったが、厳正という意味で実に警官らしいとも言えるからこそ、よく覚えていた。その人種が、目の前のヒトガタに類似し、なおかつ不機嫌になっているということは、おそらくこの状況は、ヒトガタにとって、ある種の違反や倫理的にグレーゾーンに入る行動だったのではないか。そうなれば、言い争う理由として最適にも思える。加えて言えば、右側のヒトガタに関して言えば、どことなく、怠惰な雰囲気がにじんでいるのだ。経験則ともいえる。同類だからこそ、その空気を察したのだ。つまり、取り巻きと言い換えることが適当だし、案外とこうした面倒ごとに必要以上のめり込まない奴は、いずれ出世することも良く存じているのだ。となれば同類ではないのか、右のヒトガタは、人生における仇敵かもしれない。二人のことからどうやら三人は班行動をしており、左のヒトガタ――見た目では姿がまったくに判別つかない――が班長だと仮定できる。最後となる捕縛者のヒトガタは、かなりうるさく、一番に騒いでいることが良くわかるので、班長が不機嫌な理由も察しがついた。
予期せぬ部下の行動に業を煮やして登場した、これは、思うに背後のヒトガタが起こした独断専行ではないか。ともすれば、格段に生存確率があがった。この場合、不手際で拘束されているという線もある。この際、証拠隠滅で殺されるという最悪のシナリオを用意する必要はないのだ。誰もがハッピーエンドを望んでいる。だから、助かるのだと強く信ずることにした。だが、どうする。先ほどから議論は平行線をたどっていることなど、もはや高架橋の下で常時電車が通過していると思いたくなるほどにうるさいもので、平静なる思考にも支障をきたす寸前であるのだ。右の班員など、見るからに気だるそうとしていて、左右に揺れ始めた。人間だって直立していればどちらかに体重を乗せたがるもので、そんな行動に良く似ていた。
待たされている気分になるほどには落ち着く猶予があった。これからどうしたものか。といつもの調子が舞い戻ってきた。こうなってしまえば、演じてしまうのも難なくこなせる。つまりは、もう何が起こったところで、醜態をさらすことはないだろう。
現に、あれが目の前にある。そして、存在に対しても、嗚呼、助かったのだという信用すら浮かんだほどである。不可視のなりそこない、かすかに揺らぐ境界線。水面に映る世界のようで、現実そのものである景色の隔絶を成しえる異能。
三人は騒ぎ立て始めていた。そう解る、という表現が適切であり、それは音がくすみ、穏やかになったからだ。何度目であろうか、ともかくとして既視に対して耐性がついてしまったといわざるを得ない。
目の前の二人が距離を保つかのように、後方に飛んだ。文字通り、数メートルも一足で飛んで見せた。それを確認してから、改めて身体が自由になったと実感した。もはや、立ち上がることもできない。失禁こそ我慢してみせたものの、腰が抜けたのだ。恐怖、というよりかは純粋な疲労によって、立つことがひどく億劫になったのだ。
「ごめんなさい」
声が、聞こえたものの、振り返る気力もないし、必要もないだろう。ひどく、印象深いそれは何十分か、はたまた何時間前だったか。
荒ぶる呼吸をなんとか正し、
「――いや、助かった。本当に、ありがとう」
といいのけることができた。
「保護対象を確保。および、敵性勢力の威力調査、殲滅を実行」
堅苦しく、冷たく、事務的な言葉をつむぎ、少女は異能を使うのだろう。そうして、三人を宣言通りの結末に送り出すのだ。それで、助かる。
嗚呼、本当に、助かったのだ――。
騒音を子守唄代わりにするというのも酔狂なことだった。どうせ気絶するのならば、ベッドでゆっくり寝たいものだ、と思いながら意識をぷっつりと落とした。