04
近所でも評判の、それはもう本当に仲の良い姉弟だった――。
その言葉は、重く、また不幸なる結末を悟らせるに十分な威力を誇っていた。
住良木家には二人の子供が居た。姉と弟。双子として生まれた二人だが、弟の秋人は病弱だった。姉の真琴がいつも世話をして、二人は一緒に過ごした。マコちゃんにアキちゃんと、本当の姉妹みたいに可愛がられた。病弱で内気な弟を甲斐甲斐しく世話する姉の構図は見るものを魅了した。
秋人は中学三年生あたりになってから次第に健康的となって、高校受験にも成功し、真琴と同じ町内の進学校へ入学を果たした。高校生になってからも二人もいつも一緒。元気一杯の姉、大人しいながらも他者を労る弟。二人三脚、回りの人間すらも巻き込んで、生活を豊かにしてしまう二人。
そんな日常が一年、続いた。
年があけて、いよいよ春休みに入る終業式の日。住良木真琴が行方不明となったことで、弟を含めたすべてが崩壊した。
忽然と消えた姉。
住良木家に門限があったというわけではないが、何よりも弟を残してひとり、消えてしまったことに違和を覚えた両親が日付をまたぐこともなく、警察に相談した。連続失踪事件が騒がれるようになった頃合ということで、過敏な反応も頷ける。
弟は失踪する直前まで一緒に行動していた。弟の話によれば、姉である真琴と口喧嘩になり、そのまま別れたという。警察はその証言を元に捜査を始めている。弟が姉を害することはないと判断された。それもそうだろう、聞き込みをすれば口をそろえて仲が良いというし、学校でも、家でも証言に齟齬はないばかりか、弟は酷く憔悴してしまい、体調を崩して入院してしまうほどにショックを受けていた。これを演技だと断ずる警察は悪と見做されるほどに、周囲からの圧力があったようだ。
こればかりは元警官として同情するしかない。しかしながら疑うことが仕事でもあるからゆえに、茨の道に突き進むほかないという諦めも察するにあまりある。しかもその茨を抜けてみれば、証言にウソはないと裏がとれているという散々たる結果。
目撃者が複数人いたのだ。別行動を取る二人、時間は多少の誤差があるものの、健康的になったとはいえ、弟の身体能力を鑑みるならば、時間を埋めて何か事を起こすには物理的に不可能だと判断された。その結果として、外部の犯行あるいは、家出である可能性が強まった。
「特に父親は強固な反対を示していますよ。公にせず、なるべく穏便に捜査してほしいという強い意向があったみたいで、母親もそれに習った。というのが正しいですか。外資系のコンサルティング企業に勤めている身として、変な弱みを見せるわけにはいかなかった、という見立てもできますが。あまり良い印象はもてないというのが、私個人の評価ですかね」
依頼の関係を鑑みるに、父親を害する人物の洗い出し、出来うるならば計画の阻止といったところだろうと当たりを付けて、ニュースでいくつか類似するやもしれない時事を思い起こさせ、すぐに関係ない話だと興味をなくした。
「警察としても住良木家の潤沢な資金を調べれば、誘拐目的を捨てて捜査するのはあまりにもリスキーですから、両者の合意のもとで今のところ公表はされてません」
問題は住良木真琴が学生であるということだった。そして、彼女は学校では有名人だった。いや、正確に言うならば、住良木姉弟というセット、である。
「アキさんなら、わかるでしょう」
そういって苦笑するマスターに、肩を竦めてみせる。口を開けば、恥を上塗りするだけだった。何を言ったところで、しようもない言い訳のように聞こえてしまうだろう。
公にはなっていないが、どう足掻いたところで春休みが終わり学校が始まってしまえばウワサは広がる。学校に在籍するすべての学生の口をつぐませることは不可能に近い。押さえつけてしまえば余計に話してしまいたくなるくらいにはウワサが大好物な生き物なので、あえてウワサを広げてしまえばいい。
ですがね、とマスターは続けた。
「実際のところ、警察の捜査は何ら進展を果たしていません。その場に、バッグやら、血痕だかは確かに残っていました。それに、引きずられたような痕跡もはっきりとあった」
「なのに、進展がない?」
「判っていることは、ですよ。ぱったりと、そう、あるところを境に綺麗さっぱり、痕跡が消えていたということ」
「……消える。それは、何か別の、たとえば車両などに乗せてしまえば、そういった引きずられたとか歩く跡とか、」
「えぇ、それはもちろん考えられているようですよ。私は現場を見たわけではありませんし専門家でもないので深くは意見できません。ですが、車なら移動した、あるいはそこに存在した痕跡が残るものでしょう。なにせ現場には血が散見していたそうですからね、致死量ってほどではなかったようですが、血を流していたのならば余計に痕跡を残す可能性はあって当然でしょう。それなのに、どういうわけかふき取ったような跡もない。それに、自動車にとって現場は隘路、進入禁止の標識はないのですがね、軽自動車がなんとか一台入れる程度、でしょうか。バイク、あるいは自転車という線もありますが」
「浚うならば車が一番スマートだ。二輪車じゃ、浚うまで時間が掛かるうえに、目立ってしまう。たとえバッグなどに詰め込んだところで、抜き身の荷物を載せている二輪車がいたら、とりあえず目を向けるものだ」
「えぇ、ですから別件の二つ目を受けて、私は人探しを依頼しました。裏専門の、荒事大歓迎の探偵さんにね」
「なるほど。しかし、結果は出なかったと」
「はい。犯人につかながる痕跡の一切がないのです。頼みである警察も、誘拐の目的は金銭だというのが動きを縛っています。身代金の要求は今のところありません。けれどもそれ以外には中々、見えてこないのですよ。怨恨の線も洗っているそうですが、そもそもとして女子高生への怨恨とは想像が難しい、よくある話ならば、それはやはり痴情の縺れでしょうけれども、真琴さんには男の影もなかったですし、不審な付き纏いもなかった。となれば、突発的な、それこそ通り魔的な犯行が浮かび上がってしまう。事実として、犯行現場というべきその辻の血痕はそれなりの量でした。つまりは、刺された可能性も除外できないのですよ。そうなってしまえば少なくとも危害を加えられてしまったことは事実ですから、変質者による犯行もゼロではありません……」
「突発、衝動的。にも拘らず、手際が綺麗。不可解とはまさにこのことか」
「正直、お手上げでして。違約金もっすでに支払い済みですよ。ただ、いまだ公開捜査には踏み切っていませんね。さすがに、内部深くを見通す力はありませんので詳しくは知りえませんが、何かしらのアクションがあった、という話は耳に入れていますよ。それによって、どういうわけか公開捜査は見送られている、という具合です。ご家族の方にもある程度の情報は入っているでしょうけれど、おそらくはもう死亡していると判断してやもしれません。近いうちに、つじつま合わせをするためのウワサを流すことになるでしょうか。失踪事件もそれなりの件数に上っていますが、共通点が突然の失踪、痕跡の一切がないというだけですから、関連を認めるのも困難ですな」
永眠で大往生だと納得して、それは時に自愛の笑みすら浮かべてしまえるような安らかな死を迎えたわけではない。事故のような突発的、悲劇的な別れでもない。ただ、消えた。消えて、残された状況証拠から、死んでいるかもしれない可能性を突きつけられているだけ――。
心情を理解することは難しい。ただ、焦燥と諦観に苛まれ、気が狂ってしまいそうになるのではないか。つまりは、ここで彼は納得を覚えた。なるほどそういうことなのかと、そうであるならば、不憫であり、同情だって当然のようにしてしまう。それが悪いと解っていようとも、見下してしまう。見下ろしてしまう。もはや、住良木秋人を対等に接することは不可能なのだ。
「彼女の周囲における変貌は、想像に難くありません」
周りの人間からの圧力、無自覚で、無遠慮な善意が注がれるのだ。体に良いものでも食べ過ぎてしまえば毒になる。善意も行過ぎれば、迷惑であり、悪意を伴い悪行となる。ましてや、姉弟は仲が良くいつも一緒に居た。
「秋人くんはとても、それはもう、どうしようもないほどにお姉さんのことが大好きだったみたいですよ。何よりもお姉さんが太陽みたいだって、自分を温かく、それでいてたまらなく明るく照らしてくれる、大切で、なくてならない存在だって言っていたようです。そんな存在が忽然と消えたとなれば、どうでしょうかね。子供はとても依存しやすいものですから、高校生とはいえ、耐え難い精神的ストレスを抱えてしまえば、それはもう、容易く壊れてしまうのは至極、当たり前の、それは防衛手段というのではないでしょうか、ね」