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 応対に出てきたやたら若い女性を、住良木姉弟の母親であるということに気づくのはいささかの苦慮を得てしまった。しかしながら、ここで躓くほどに場慣れしていないわけではない。すぐさまに営業スマイルを取り繕って用件を突き立てる。

 つまりは、今回の仕事を正直に告げることでいらぬ警戒心をそぎ落とし、その逆にいらない信用すらも勝ち取ってしまったのである。

 世間体を気にしているのか、住良木家の母親はすんなりと家の中に案内しようと、来客用のスリッパを用意した。さすがに、一言ながら断りをいれる。社交辞令という儀式であって、見ず知らずの男をそこまで一方的に信用して家の中にあげてしまうのは、結婚していようとも妙齢の女性としてはいささか無用心すぎる、是非とも旦那さんに一報を入れて、改めて対話を持ちたい。

 申し訳なさそうに告げてみると、今気づいたといわんばかりにはにかむものだから、心が余計にざわついてしまった。二児の母と事前に知らなければ、気づかないであろう容姿から繰り出される憂い、そして疲労を醸す陰影が儚くも可憐さを際立たせている。旦那に対する敵対心がふつふつと湧いたのも男として嫉妬するという行為であって、しかし、この場合において正当防衛のようなものである。

 容姿は好印象であったところで内面としては低評価を下すしかないが、情報を吸い取るのならば、好人物であることは正しくもあり難くはあるものの、だからといって、お近づきになりたいとは思えない。あやうい家族関係であることは一目瞭然だった。出来ることならば関わり合いになることすら避けるだろうが、美人を見るに至って眼福と言えなくもない。

 旦那から理解を得たという言葉を皮切りに、それでは、とへりくだってお邪魔することになった。

 旦那はすぐに帰ってくると告げられる。時間は十六時手前のことであって、勤め人が帰宅するには早い。それだけ、重要な案件だと判断してもらったということになる。別段やましいことを画策しているわけではないので、むしろ話を一日で聞き終えることもできるのだから、好都合であった。

 一階のリビングに通された。ここにきて探偵を名乗るだけの見知らぬ男に対するこの警戒心の無さが、逆説的に薄ら寒い、狂気じみた環境であることを知らしめてくるかのように、空間を圧迫させる。ソファに腰を下ろし、一息ついた。お茶を頂き、謝辞を述べてから、少しずつ話を投下する。

 経緯を話す。こちらから開示できる情報は際限なく、かといって濁流のように垂れ流すことはせず、相手の理解を待って、あるいはこちらが噛み砕いて判りやすく、それこそゆっくりと散歩でもするかのように他愛も無く、だらだらと時を消費しつつ、たっぷり三十分はくだらない自己紹介や、探偵業の説明、マスターのやっている喫茶店の売り込みなどを経て、ようやくに、依頼人とであった経緯、そして、依頼の内容を話すに至った。

 赤裸々、とまではいかないまでも、見知らぬ男の話をウソかどうかも判断できない中で、母親は鵜呑みした。事実であるから、それは正しい選択であって人という枠で考えるならば善人だと賞賛されるべき人物だといえる。それkら、どんな姉弟であったか、を回りくどく、しかしながら相手の自尊心をくすぐりながらも丁寧にかつ自発的に促した。愚痴でも吐き出してもらっても一向に構わないという気概を持って、ひたすらな聞き手に徹し、辛抱強い気持ちと、住良木家に対する同情と、母親に向ける上っ面な尊敬を相槌に乗せることで、すらすらと軽妙なリズムを持ってして、いつからか母親の口からは情報が漏れてきていた。

 吐くことすべてが有用ならば、その情報量の多さに溺れるだろうが、今行うべき作業は川に入って砂金をとるように、取捨選択を行うものであった。それでも、母親は存外と、いや、両親としては至極当たり前のことなのかもしれないと思うくらいには不安を顔に見せず、苦慮して吐き出した印象も受けないままに、姉弟は本当に仲が良かっただとか、反抗期が無くて手のかからない、それでいて勉強熱心で優秀な成績を残し、姉の真琴は運動が大好きで、弟の秋人はいつか自分もそうなりたいと夢を語り、自分たちはやさしく、自愛に満ちて二人を導いていた。と、はるか遠い昔話でも語るかのような勢いだった。

 ヒビが一つ、亀裂として走ってしまえば、それからはとめどないものだから、それでも、顔をしかめず、相槌は最小にして、けれども目線を強く合わせることはせず、あくまでも置物然、一人ごちる、という環境を用意することによって不用意な感情の発散を抑えつつも、朗々と垂れ流されるノイズをひたすらに聞き流すことに専念するはめになった。それから、お茶のお代わりを、それこそ、飲む動作を仰々しくも執り行って、中身がないことをさも驚いてみせて、間を作った。母親は照れ隠しでもするかのようにそそくさとキッチンへ戻った。

 その間、背もたれに体を預け、何故、こんなことをしているのだろうかという無常なる人生について哲学的な境地に立っているものとする陶酔に浸かることによって、疲労感を紛らわせ、演者としての建前を正すことにした。

 旦那が帰宅したのは、それからどういうわけか夫婦の馴れ初めにまで発展してしまい、そろそろ歯止めが利かないものだから強引にでも話を戻すべきかと冷や汗を隠しながらも模索している最中であった。

 肩の荷が降りたとばかりに住良木家の大黒柱である父親と対面した。

「初めまして」

 という一言から盛大な演技を伴って、救世主となった男に対して敬意と目上の立場であることをはっきりと示して見せた。

 父親は四十前後の年齢である。さきほどの世間話からおぼろげに想像したものであったが、外見は若々しく、努力が伺える外面だった。

 仕事を手早く切り上げてきてもらったことに対する謝辞を、いくつか打った。

 住良木秋人はまだ帰って来ない。

 父親は見るからに胡散臭そうである目線を向けていた。様子見を決め込んでいるようであって、上辺の言葉を受け流している。父親の職業は外資系企業という。分野は判らないが、サラリーマンそのものであるからして金融、とかなのか、しかし、だからなんだというべき問題ではある。ただ、父親に関しては世の中にはウソばかりが闊歩している、という事実を知っており、なおかつそれを利用している節が感じ取れた。言ってしまえば、同類のようであって、けれどもまったく別の生物――異様な存在。

 だからといって、父親が警戒心を持ち続けることはよろしくない。父親のそぶりに気を揉み、不審を抱かれては動きにくい。

 そこで役立つものがあった。

「警戒されるのも、もっともなことです。ですが、決して貴方の敵、と表現して差し支えない相手ではありません。むしろ、私は公平な立場に居るつもりです」

 訝しい顔をしているが、警戒を緩めた。すかさず、名刺を渡し、それからマスターからの情報を父親に向けてささやきかけてみる。与えた情報はえらく好評であり、納得をもって警戒を解かせるに至った。ここにきて、マスターの存在が予想以上に光洋町の根となっているようだ。

 ソファに腰掛け、今度も先ほどの工程を繰り返す。つまりは、再び無駄な話を聞くハメになったのだが、必要経費ということで甘んじることになった。

 興味を持ったのは不思議なことではない。話を聞くうちに、二人の共通点がわかったからだ。

 それは、住良木真琴が既に思い出である、ということだった。

 話はすべてが思い出であり、別段のところ間違いではない。けれども、二人は遠い目をする。まるであのころは楽しかったといわんばかりであって、これも悪い言い草ではない。だが、姉はともかくとして弟は存命である。奇行に走っているとはいえ、それでも懸命に生きているといえなくもない。

 そんな存在すらも、両親であるはずの男女が思い出として、ある意味ですでに蓋をして閉まっておきたいという意図すら浮き彫りにさせた。

 試しに、思い出話の腰を折らず、中々に遠回りをしながらも現在、弟であって姉でもある存在について話を持っていくと、表情は曇り、それからは重くなった。やがて、という表現すら生ぬるく鈍重な会話が盛り上がりを見せるわけでもないので、停滞しやがては沈黙が訪れた。

 失敗した、とは思わない。むしろ良い状況である。ここで無理やりに突破するというつもりはないが、しかし、それでも父親は探偵に何かを求めるそぶりを見せていると解釈できる気まずさを醸すに至った。

 相手は望んでいる。蓋を閉めておくにはまだ早い。一度すっきりと、それでもなければ、ある程度楽になっておきたいという苦悩。そこに付け込み、話を本丸に移し、攻め込むことになった。

 その空気を読んだのか、母親が是非とも食事をしていってほしいと告げてきたものだから、ここで断るのはよろしくないので、仕方なしという内面を掃除し、快諾した。

 父親は、態度をさらに軟化させる。酒を用意させ、少しばかり口に含んだほどにリラックスしていた。下戸であり、これから運転する予定もあるということで飲酒は固辞したものの、口はなめらかとなった父親に対して興味のかけらもない話題を振って気を良くさせる行為に勤しんだ。その結果として、くだらない仕事の愚痴を散々と吐き出していくだけで、母親よりも有益な情報を汲み取ることすらできなかった。その段になって、ようやくに理解するに至った。否応なく、判らなければいけない場面となっていた。

 両親は姉の事を、住良木真琴のことを、心配していなかった。そして、弟のことを心配している、だけであって、吐き出される感情の発露は、うんざりと、または疎んでいる。

 実の子に対して、親の態度ではない。だからといってわざわざ刺激する必要もないので、平静を装って二人の部屋をみたいと言った。

 ジョージからの依頼の一件を済ませる必要もあった。部屋を物色する程度であれこれ咎められることもないはずだと、そもそも空き巣狙いの盗みをするわけではない。あくまでも情報の収集であるからして、髪の毛一本を偶然、ポケットにしまいこんでしまったところで、見咎められることもないだろうということで、部屋を見るという目的のために、あれやこれやとウソを考えてみたところだったが、あっさりと父親が承諾したものだから、早々にウソをゴミ箱に放り投げて、先導を自発的に行う酔っ払いの背中を追った。

 二階に上がる。廊下を挟み向かい合う二つの扉。

「お姉さんの部屋は?」

 という問いかけに対して、父親は無言で左側の扉を開けた。

「どうぞ」

 促されるままに入室する。父親は部屋に入ることはなかった。まるで、そこから先へ立ち入ること忌避しているようであって、違和を感じたが、だからといって他者のプライベートに突撃するほど無鉄砲ではないので、改めて部屋を観察することにした。

 そこは部屋であった。そして、寝るだけの部屋だという印象を持った。間違ってはいない。白い壁紙。水色の布団が載っているベッド。勉強机には鉛筆たてやら、教科書が置かれている。まばらな参考書類と漫画、小説が段ごとに区分けされている本棚が机の横にあって。最後にクローゼットが壁に埋め込まれてその口を閉ざしていた。

 フローリングを隠すように白いカーペット。そこにクッションやら、運動用のシューズ、ダンベル。用途のわからないチューブなど、スポーツ用品が散在している。

 多感な女子高生がここで寝泊りしているとは考えにくいが、父親がわざわざ部屋を取り違えて紹介するメリットがどうにも思い浮かばない。勉強机の前にたって、教科書などを見やると、律儀に名前が記載されていた。やはりここは住良木真琴の部屋であるという確信を持つに至る。だが、男部屋であるといわれたほうが納得できる様相である。

 特にかわったものがあるというわけではないが、色々と見て回る。体面は大事なことだ。

 写真があった、と思われる痕跡の残るコルクボードが壁にかかっていた。日焼けした後からして、年季の入った写真類の諸々が取り外されているようだった。

「ここにあった、その、写真ですか。それは仕舞われてしまったのですか?」

 父親は入ってくるそぶりすら見せず、少しばかり間をとって、今は弟の部屋にあるということを告げた。ここで、体の良い口実を作ることに成功した。そして、父親は弟のことを『真琴』と言ったこともポイントである。そこに含みを得たとばかりに、納得するかのような相槌を打った。そこで、父親もやはりというべきか、ここにきてようやくに心を落ち着かせた。

 だが、ここには用がない。髪の毛一本ほどが無造作に落ちていることもなかった。とにかくとして、弟の部屋も見たい旨を伝える。父親は予期していたかのように、しかし、だからといって即断するわけでもなく、顔をしかめて、それから言いよどむかのように口を開閉した後、

「こちらです」

 と扉から引いて、背後にあった扉を手で指した。

 向かう合う姉弟の部屋。父親の対応から、そして、弟自身の現状。部屋に入ることへの緊張感を纏うことは至極、当然のことであった。


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