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貴方が吐いた嘘の色

作者: 六条藍

勢いだけで書いた短編です。 暇つぶし程度にどうぞ。

「この馬鹿。 その脳みそは蟹味噌か?」

「はん、 だったらアンタの頭にはオカラでも詰まってるんじゃないの? てかそもそも蟹味噌は蟹の脳じゃなくて内臓ですー。」


 室内に怒号が響く。

 周囲は何時もの事と言わんばかりに、 軽い溜息を吐いたり、 手に負えないと言わんばかりに首を横に振っていたりするだけで、 私達の言い争いを止めることはしない。 止めようとしたところ止まらないし、 下手したら巻き込まれることを知っているからだ。

 ――この私に馬鹿というのはこの男ぐらいなものだ、 私は改めて思った。

 自分で言うのもなんだが、 私は何時も賢くて、 なんでも造作なくこなす優秀な女だと誰しもが思っている。 同期なんかは特にその傾向が強い。 私に聞けば何でも答えが返ってきて、 頼めば何でも手伝ってくれると思ってる。 皆が私を賢くて優秀だと言い、 私もその期待を決して裏切るような真似はしない。

 だってそれは間違いなく私が好きな私の姿だからだ。

 けれどこの男は、 決して私を賢いとは言わない。 優秀だと褒めない。 この男だけは、 絶対に私の姿を認めない。

 だから何時も彼は周囲に聞こえるように私を罵る。 まるで、 みんなが思っている私の姿を否定するかのように、 彼は私を虚仮こけ落とす。

 では私がそんな彼を嫌いかと言えば、 実はそうでもなかったりする。 それはこの男もまた、 誰からも優秀だと思われているぐらい有能な人間であるからだ。

 そしてだからこそ、 私も彼を馬鹿にする。 周囲が抱く彼の姿を打ち砕かんばかりに。


 私達がそんな風にしてお互いの傷を舐め合っていることは――二人だけの秘密なのだ。


*** 

 

 一目見た瞬間、 私はこの男が同類であることを悟った。

 多分、 この部署に移動してきた際の挨拶で上司が彼に冠した「優秀」 という言葉を、 謙遜するかのように否定した時に見せたその表情のせいだ。

 傍目からは日本人らしい謙虚さと人当たりの良さを前面に押し出したような笑みの、 その奥に、 どうしようもなく疲れ切った色を見出せたのは私だけだったと思う。

 被り続けている仮面を剥がしたいのに、 剥がせないプライドが自分自身を責め立てる。

 ――そんな気持ちを抱いているのは自分だけでないのだと知った。


 彼は確かに優秀だった。 仕事も驚くほど早くて、 他人からの相談も笑顔で解決してあげて。 有能な人間らしい余裕というのを周囲に見せつけた。

 対して私は仕事も早くて、 他人の相談事にも乗ってやる優秀さを見せながら、 常に気怠げな風に振る舞うことで、 まだまだ余力がある振りをし続けた。

 多少の方向性は違えど結局根本は同じなのだから、 同族嫌悪とも言うべき態度で私達は互いに貶し合って――けれどそれが実は憐憫であったことをお互いだけが知っていた。

 そんな風だから、 普段いがみ合っている割に、 私達が組むと驚くほど仕事は上手くいった。

 他の人間ならチェックしてくれない私の資料を彼は何時も読み込んで赤線を引いた。 本当は資料作りが苦手で、 提出する度に不安で堪らずにることに彼は気がついていたから。 必要な電話は何時も私がかけた。 彼は敬語が少し苦手で、 取引先と電話する度に緊張していることを私は知っていたから。 お互いにお前なんかに任せておけないと言わんばかりの態度で、 私達は実に上手くお互いを補った。


 私達はどうしようもなく弱音を吐くのが下手くそで、 自分の弱い所など周囲には見せなかった。

 だからどちらかが辛くなると、 必ず二人で飲みにいった。

 職場から離れた小さなバー。

 私はマンハッタンで、 彼はエメラルド・ミスト――彼の手元で揺れる青い液体を見てからはずっと、 彼のイメージカラーは透き通るようなコバルトブルー。 それを彼に言うと、 「それじゃあお前はセピア色だな」 なんて私の手元を見て笑っていた。

 私達は何時も二、 三杯のお酒と共に長々と弱音を吐いて、 それでも満たされないときはどちらかの家で行為に及んだ。

 傷を舐め合うようなキスをして、 そうやってお互いの色が混ざり合って、 別のものになっていく感覚が堪らなく好きだった。


 だからといってその関係を甘ったるい恋愛に発展させようとはしなかった。 お互いにお互いを失うのが怖かったから。

 周囲を欺き続けている私達は当然恋愛など上手くいくはずもなく、 何時も傷つけて傷ついてばかりだったから、愛というものが賞味期限付きだと、 そう思っていたのだ。

 この感情を愛情と名付けてしまえば、 何時か居なくなってしまう。 だからそこに友情の名を付けて、 永遠を願った。

 そんな中、 彼に恋人が出来たのは出逢って一年後ぐらいのことだった。

 仕事の出来る男はモテる。 むしろ一年間作らなかったことの方が驚きなぐらい、 彼は色々な女性に秋波を送られていた。

 その中で彼が選んだのは職場一可愛い女の子。 仕事は出来る方ではなかったが、 愛嬌があって、 優しくて、 包容力のある素敵な子。

 ああ彼女ならきっと彼の弱さも受け入れられる。 私は彼から報告を受けたとき、 純粋にそう思った。

 少しの嫉妬もなく、 ただ一抹の寂しさは沸き上がってきたけれど、 それすらも無視して 「じゃあもう二人で飲むのは止めだな」 と私は笑ってみせた。 どんなに事情があっても浮気と取られかねないような行為をするのは私の信条に反した。


 そこで私も恋人が出来れば丁度良かったのだろうが、 仕事の出来る女はモテないのだから仕方がない。 そういうところで女は損だ。

 しかしまあ世の中には物好きというものがいて、 それから半年後ぐらいに恋人が出来た。 こっそり徹夜で仕事をしていた私に、 缶コーヒーを差し入れてくれた人だった。

 恋人は私が強がっていることを知っていて、 そんなところが好きなんだとベッドの中で笑っていた。

 恋人は要領の悪い、 全く好みから外れたタイプの男であったが、私を分かってくれている一点だけで私は恋人に惚れ込んだ。

 付き合っている間、 私は恋人に甘えっぱなしで、 恋人もそんな普段とのギャップを喜んだ。

 ――けれど愛情は賞味期限付きなのだ。 それを過ぎれば愛情は惰性に成り代わり、 やがて去っていく。

 その恋の終焉は、恋人の浮気だった。 私は思いっきり泣いて、 縋った。 恋人はそんな私に驚いた風だった。 俺の知っているお前はもっと強い人間だった、 そんなみっともない人間じゃなかったと言われて、 やっぱりこの恋人も私を分かっていなかったと悟った。


 それから私は、 彼に電話した。

 彼は私に何も言わなかったけれど、 彼が恋人と別れていたことを私は知っていた。 何せ彼の元恋人が、私の元恋人の浮気相手だったから。

 彼はワンコールで出て、 直ぐに私の家に来た。 泣いて泣いて泣きまくっていた私に 「不細工」 と笑って、 黙って抱きしめて、 そのまま抱いた。

 久々に私に混じってきた彼の色は、 相変わらず心地良かった。


「――私はね、 強い女じゃないんだよ」


 ベッドの中で私がぽつりと零すと、 彼は 「知ってる」 と小さく呟いた。


「俺も、強い男じゃないんだけどな」


 彼が同じように呟いたのに、 私も 「知ってるよ」 と返した。

 お互いに揃いの煙草を吹かしながら、 煙と共に弱さを吐き出した。

 彼は恋人にまで強がっていたらしいということが、 そこで知れた。

「馬鹿だね」と笑うと、「うるせぇ」 と罵倒が返った来た。


「好きな奴には、 格好付けたいだろ」

「好きな人にこそ、 私は甘えたいけど」


 恐らくそれが男女の差なのだろうか。 そういう面では男が損だな、 と私は白く消える煙草の煙を目で追った。


***


 それからまた以前のような生活が始まって、 暫く経った頃。 彼にまた恋人が出来た。

 職場で世間話の延長として報告された前回と違って、 何故かその時は行き着けのバーに呼び出された。


「恋人が出来た」


 そう告げる彼は何時もとは違うギムレットを飲んでいて、 何となく感じていた違和感が的中した瞬間だった。

 私は前と同じようなことを彼に言って、 けれどなぜだか以前のように心穏やかではいられなかった。

 コバルトブルーは消え去って、 透明になった彼の色が厭だったのかもしれない。

 前回には感じなかった危機感が私を呵んだせいなのかもしれない。

 けれど私は敢えて気がつかないふりをした。

 この感情の命名が間違っていることを悟っていたけれど、 だからといってレッテルを貼り直す行為は永遠に彼を失うことと同義だったから、 目を逸らし続けた。


 前回とは違って、 私にはその後も恋人が出来なかった。

 それから何時まで経っても彼が別れたという話は聞かず、 また一年が経った。 彼もいい年だったので 「結婚するの?」 となんともなしに聞いたら、 彼は少しだけ視線を落として笑ったまま何も答えなかった。


 ――それから今度は私が異動になって、 彼とはそれきりになった。


***


 長らく来ていなかった私と彼の隠れ家に行ってみようと思ったのは、 一度手に入れて失ってしまった安寧の痕跡を求めてのことだった。

 新しい職場でも私は優秀で有能を装って、 それはもう呼吸の如く自然なことだったのに、 以前よりもずっと辛くなっていた。


 地下への階段を下りて、重い木製の扉を開くとよく知る煙草の香りがした。 あまり吸っている人間の多い煙草ではなかったから珍しいな、 と思いながら店内にはいると私達の定位置に何故だから彼が座っていた。

 その時、 私は初めて 「息を呑む」 という言葉の意味を実感した。


「よお」


 と、 彼は少し疲れた表情で片手を上げた。


 職場を異動になってからというもの、 彼自身と仕事を共にすることもなく、 ましてや彼には恋人がいるのだからわざわざ連絡するのも気が引けて、 ずっと彼の存在を無きものとして扱っていたのに。

 目の前に置かれているグラスにはコバルトブルーが揺れていて、 私が知っている彼がそこに座っていることに、 私はどんな反応をすればいいのか分からなかった。

 少し悩んで彼の横に座り、 それからマンハッタンを頼んだ。

 私達は黙って酒を飲み、 それから彼が私を部屋に誘った。「恋人はどうしたの」 と尋ねると、 彼は少しだけ口ごもって、それから 「居なかった」 と呟いた。

 その言葉に、 違和感を感じた。

 彼の前では表情を隠さなかったから、 彼は私の感情を正しく読み取って、 それから気まずそうに視線を逸らして言った。


「恋人なんて、 最初から居なかった」


 ぽつりと零した言葉の意味が察しかねて、 私はきょとんとした表情を浮かべた。

 居なかったのに居ると言った意味が分からない。 他人の前ならいざ知らず、彼が私の前で虚勢を張る意味など何処にも無かったはずだ。


「言っただろう? 男は好きな女の前じゃ格好つけたいんだ」


 彼はそう頭を掻いたのに、 それでも私は訳が分からず不思議そうに首を傾げた。

 そんな様子を見て彼は「馬鹿」と短く私を罵倒した。


「お前の前で格好付けたくなったから」


 グラスを置いた彼が真っ正面から私を見据える。

 そこで私は彼の真意を悟り、 だからこそ至極焦った。

 私が目を逸らし続けてきたものに無理矢理向き合わされようとしている。

 彼の言葉は始まりであり、 終わりであることを彼が知らないはずがなかったのに。


「このままあの関係が続いたら、 俺はお前を何時か失うことになった」

「……だったらなんでそれを言うの」


 彼が何かを言う度に一歩一歩終焉に近づいているようで、 そう思うと自然に涙がこみ上げた来た。

 私は聞きたくないというように彼から顔を背けると、 彼は顎を掴んで強引で優しい手つきで私の目を覗き込んだ。


「現在進行形で俺はお前を失っているから」


 彼はそう言って笑うと、 泣きそうになっている私の頬を触った。

 バーテンダーは何時の間にか居なくなっていた。


「賞味期限つきじゃない愛情が欲しい」

「そんなもの、 ないよ」

「ないかもしれないけど、 あるかもしれない」

「今まで通りで、 なんで駄目なの? あんたに彼女が居ないなら、 私は前みたいな関係をあんたと持てる」

「それじゃあ俺は何時かお前を失うだろうが。 お前に恋人が出来て、 そしたらお前は俺の前から消える」

「それでも何時か別れて、 また元に戻るよ」

「俺は死ぬまで何度もお前を失った悲しみに絶えなければいけなくなる」

「それは私だって同じでしょ。 あんたにだって恋人は出来る」

「出来ないよ」


 もう出来ないよ、と彼はそう繰り返した。


「お前が居る限り、 俺には恋人は出来ない。 痛感した。 嘘を吐いてお前を突き放して、 そうすることでお前という何にも代え難い存在を失わないようにって予防線を張って――でも、 無理だ。 俺にはもう無理なんだ。 だから――お前が俺を失うことなんてもうないんだ」

「そんなの分からない」


 私がついに零した涙は、 彼の手を伝ってカウンターに落ちた。

 彼は何度も頬を撫でながら、 もう片方の手で私を引き寄せた。


「分かるよ。 本当はお前だって分かってる。 でもお前は俺を失いたくなくて、 俺はお前を失いたくなくてずっと目を背けてきた。 愛情を友情にすり替えて」

「その二つにどれぐらいの違いがあるっていうの。 友情が愛情に変わったら、 賞味期限がついちゃうだけじゃない」

「違うだろう。 友情だけなら俺達は互いを失い続ける」

「愛情なら何時か永遠に失うことになる」

「賞味期限付きならな」

「そうじゃない愛情なんてないよ」

「あるよ」


 彼はゆっくりと首を横に振る。


「お前も俺も不器用で、 強がりで、 どうしようもなく弱い人間だが――でもお互い、 優秀を装えるぐらいには優秀な人間だ。 俺はお前の全てを認めて、 お前も俺の全てを認めてる。 こんな俺達なら永遠の愛情ぐらい余裕で作り出せるよ。 俺とお前が組んだ仕事が上手くいかなかった試しがあるか?」


 だからさ、 と彼が私の唇にキスをする。

 そうやって彼の吐息が私に混じって、 コバルトブルーが徐々に私の脳内を侵していく感覚はやっぱり――何よりも心地良かった。

 深い口づけの合間、 私は彼に言った。


「――もうギムレットは飲まないで」


 あの無色は彼が吐いた嘘の色。

 自分の色を消して、 他人が思うままを演じて何色にも染まるクリアカラー。

 彼は私が言いたい本当のことを悟ったように優しく笑った。


「それでお前を失わずに済むなら」


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― 新着の感想 ―
[良い点] 作品から香りがします。飲み屋(バーって言えw)の扉を開けた瞬間にふわっと鼻腔を擽る酒と煙草の混じった香りみたいな。そんな感じです。アダルトな雰囲気をここまで丹念に……しかも勢いで書いたとか…
2014/12/20 01:48 退会済み
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[一言] 不器用な大人の恋ですね。お酒と言うアイテムがよく聞いていてほろ苦い感じともどかしさを感じました。ハッピーエンドでよかったです。
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