ETERNAL
…………例え愛する人の為なら、
命を投げ打ってもいい。
昔の人は詠みました。
「君がため惜しからざりし命……」と。
あなたは、
本当にそう思えますか。
真っ黒なコートと真っ赤なコートが、闇にはためいている。
少年が少女を初めて見かけたその日、
暗いその街には冷たい風が立ち込めていた。
鋭く尖った爪で引き裂かぬよう、漆黒のコートを丁寧に手で押さえる少年。
彼は、鬼。
人々に不幸を与える、天上の存在だ。
そして向こうに佇む少女の肩には、緋色のコート。
それは死神──死を与える神たる存在であることを示している。
少女は、泣いていた。
血の滴る鎌を力の籠っていない手で握りながら、真紅の液体に染まったヒトの亡骸に、自らが殺めたその脱け殻に、涙の滴を落としていた。
また、一つの生命が消えた。
この穢れた鎌のために。
死を与えるたび際限もなく流してきた涙 が、ここでもまた流れていく。
鎌に刻まれた金色の千寿菊が、濡れて不気味に輝いた。
少年には、分からなかった。
なぜ、泣いているのか。
なぜ、目から水が零れているのか。
鬼は元来、感情を持たない。持つ必然性が無かったからだ。苦しみを与える役目に、感情など邪魔なだけだったから。
訳がわからなくて、でも何となく居心地が悪くって。
少年は、泣きじゃくる少女の手を取った。
取って、尋ねる。
「なぜ、泣いている」
悲嘆に暮れる少女は、消え入りそうな声で 言った。
「また、取り返しのつかない事をしちゃった…………二度と戻らない生命を、奪ってしまった…………!」
元、恋情神。
かつて少女は、天上で禁忌を犯してしまった。
死を願っていた一人の鬼を、言われるがまま射抜いてしまったのだ。
鬼と神々は、互いに干渉しない。そんな暗黙の了解を破ってしまった少女に、大神は死神への一年間の転落を命じ、鎌を与えたのだった。
恋情神は、幸せを与える神。対して死神は、死──究極の苦しみを与える神だ。
鎌の先で血が迸り、罪もなき人々が命を落とすたび、少女は泣き続けた。
涙を流しながら、それでも再び赦される日を願って人々を殺し続けたのだった。
全てを聞き終わった時、少年の心には無自覚のうちに、不思議な闇が広がり始めていた。
泣き止まない少女に、少年は言った。
「そんなにヒトを殺したくないなら、オレが代わりに殺ってやる」
少女は必死で首を振る。
「あなたが殺してはいけない。あなたは死神じゃない。あなたが殺したとばれたら、あなたが命を落としてしまう」
少女はもう、自分のせいで犠牲を増やしたくなかったのだ。
だが、少年は畳み掛ける。
「ばれなければいい。そんなに殺すのが嫌なら、オレにやらせてみろ」
と。
少年の心に芽生えた、不思議な感触。
それを人は、「慈しみ」と呼ぶ。だが感情を持たなかった少年は、そんなことなど知る由もなかった。
その日から、少年と少女は一緒に行動するようになった。
毎日、どこの誰を殺せと命令が下る。
それを知るや、二人は直ぐ様その人の元へと飛んで行き、その命を摘んだ。
少年は、決して少女の鎌を使おうとはしな かった。代わりに自らが持ち歩いていた、獅子のエンブレムの施された短剣を用いて、人々をあの世へと送った。
自分の道具でないと、何だか不安だった。
そんな姿を、少女はいつも横で手を合わせながら見つめていた。
初めのうちこそ、少年が血の華を咲かせる度に目を背けて嗚咽を漏らしていた彼女も、やがて少しずつ慣れてきたようだった。もうあの日のように、泣きじゃくる事はない。
少年はその時初めて、安らぎというキモチを覚えた。
時が経つにつれ、少女と少年は惹かれあうようになった。
悲しそうにしていると、いつも必ず助けてくれる。そんな少年の優しさに、少女は魂を救われた。
その力は少女に、
「あなたが、好きです」
と言わせるには十分だった。
鬼であるが故に、感情を持つことのできなかった少年。
彼に、もっともっと広い世界を見せてあげたい。こんな明るい世界もあるんだよって、教えてあげたい。彼女はただ純粋に、そう願った。
もとより恋情神の彼女のこと、魅力は十二分に備えている。
少年はその時生まれて初めて、『好き』というキモチを覚えた。
(どんどん、心が広がって行くような気がする)
毎晩、少年は真っ暗な都会の空を見上げながら、思う。
(どうして、あいつを守りたいと思ってしまうんだろう。どうして、あいつと一緒にいたいと思ってしまうんだろう)
分からない、のコトバがぐるぐると回り続ける。
でも何だか、温かかった。
少年は、少女に恋した。
そのキモチを精一杯伝えたくて、ある日少年は少女の手を取った。
そして、言った。
「大好きだよ」
って。
少女は、泣いた。
嬉しかった。絶望的だった日々に差し込んだ光が、どんどんと闇を押し潰して行く。その強大な力が放つ息吹が、聴こえたみたいだった。
出会ったあの日以来、少女が初めて少年の目の前で見せた、“涙”だった。
二人は、初めて『キス』を交わした。
それは思っていたよりずっと甘く、熱く、 柔らかい。
どんなに冷たい風が吹き荒れても、もう寒くなんかない。互いの身体を強く抱きしめ、二人はそう確信していた。
幸福の日々は、続くかに見えた。
キスの三日後。 受け取った命令に、少女は絶句した。
「貴様の側にいる鬼を、殺せ」
と、書いてあったからだった。
なぜ、
なぜ、
なぜ。
「鬼の代表とも合意した。もし従わぬ場合は、死神の期限を無限に引き延ばす」
だめ押しの如く書き添えられた文面が、ぼやけていった。
分かっていた。
いつか、この時が来るのだと。
分かっていた。
神々と鬼とは、相互不干渉。
死神に落とされたとは言っても、自分はあくまで神々なのだ。これまでお咎めが無かったのが、不思議なくらいだったのだと。
少女はその日、少年を避け続けた。
日課の命摘みさえ放り出して、ただ、泣いた。
泣いた。
「なぜ、泣いている」
少年にはまだ、分からないキモチがある。
悲しみというキモチが。
けれど尋ねるたび、少女は千寿菊の鎌を手元に寄せて泣き崩れる。
どうしたらいいのか途方に暮れ、目を泳がせる少年に少女が差し出したのは、一枚の手紙だった。
それは、自分を殺せという使令。
少年は、頭がよかった。
その命令が、自分が死神に加担したのが原因だとすぐに分かってしまった。
自分の勝手な行動が、少女を追い詰めてしまった。
「まさか、これ――――」
そう言おうとした矢先。
ザシュッ。
鋭く鈍い音が、谷間に響いた。
振り向いた少年の目に映ったのは、あの鎌を胸に深々と突き刺した少女の姿。
「……私が死ねば、あなたは死なないで……いい。私も……あなたの中で、永遠 に…………」
言葉を発するたび、口からも傷からも血が跳ねた。
緋色のコートをさらに真っ赤に染めながら、
漆黒の空の下、少女は少年の腕の中で、事切れた。
恋情神として、そして死神として生きた短い生涯が、終わった。
その姿は光に包まれ、やがて白亜の十字架となる。光輝く千寿菊の花びらを、紙吹雪に……。
「────ぅぁああああああああああああ ああああああああああ──!!」
少年は叫んだ。
悲しみという、ヒトの心の中で最も美しく儚い感情。
少年は最後に、少女からそれを教わったのだ。
幸せを与えてきた少女にとって、死を与えるという業はどんなに恐ろしい事だったのだろう。
どんなに辛くて、どんなに悲しかったのだろう。
少年の存在は、彼女にとってどれほど大きかっただろう……。
少女の優しさは、そのまま鎌となって少年の心を打ち砕いた。
「戻ってこいよ…………」
涙に濡れた頬を空へ向け、少年は呻いた。
「戻ってきてくれよ………!」
今なら分かる、あの日の少女の涙の訳が。
今さら遅いことなんて、言われなくても分かっていた。ただ、伝えたくて。この思いを伝えたくて。
でも、もう遅い。
目の前にあるのは、大好きだった人がいなくなったという現実だけだ。
少女の遺していった千寿菊の鎌の上に、少年の獅子の短剣が落ちて乾いた音を立てた。
少年は狂ったように叫んだ。
知ってしまった、鬼として知ってはいけなかった、“感情”のために。
さながら本物の獅子の遠吠えのように、その声は無間世界へと響き渡ってゆく。
生まれて初めて流す涙を抑えることすらも、できなかった。
「…………どうして、泣いているの?」
顔を上げると、そこには純白のコートを纏った少女が立っていた。
その手には、艶やかな光を放つ弓矢──────
本作は、月別テーマ短編企画(二月テーマ:自殺)の参加作として書かれたものです。
自殺の要素は少ないです。ただ、過去に「冽空の刹那」と言う自殺がテーマの作品を書いており、他作品との重複の恐れを考えて、作者は敢えて自殺を主眼とはしませんでした。
本作のオリジナルテーマは、「永遠」です。永久に続く二人の愛、という意味もありますが、最後まで読んで下さったあなたならきっと分かったでしょう。この作品に潜む、もう一つの「永遠」を。
テーマソングは告知でも触れましたが、家入レオさんの「Lady Mary」。
2011年に亡くなられたイギリスの女優、エリザベス・テイラーへ捧げられた鎮魂歌です。
本作を以て、自殺の是非について問を与える意思は作者にはありません。
ただ、知って欲しいのです。
「温かい自殺も、あるんだよ。」
と。
ポイント評価、よろしくお願いします!