選手交代
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。
うねうねと触手をくねらせて木々を渡る悪の魔眼球の、ぬめっとした湿り気のある音と風だけが周囲に静かに流れる。
意思疎通手段にも【幻惑魔法】を使う悪の魔眼球たちは非常に静かな魔法士でもあった。
また、フィリカが構築した『逸らすこと』に特化する《精風壁》は、その性質から外部へ漏れ出る音ですらも遮断する。
故にいくら上空が騒がしかろうと地上には届かず、樹上の悪の魔眼球がネーブル達に気付くことはない。
それにしても。
悪の魔眼球が集まる林の直径は約20m程。
その林を中心とした外周300mが焦土と化しており、さらに外側は大木が外周へ向けてへし折れている。
森を焼却した熱量に加え、基本的に威力が小さいはずの風属性の暴虐は、一体どれだけの威力が込められていたのか…。
世界の法則を一時的に捻じ曲げる魔法技術の上位互換のような【幻惑魔法】が作り出した光景は、上空に陣取る一陣に動揺を走らせるに余りあった。
いくら理熾の処理能力や装備特性が一流をぶっちぎっていようとも、ただの個人が一瞬であの攻撃の効果範囲外に逃れるのは不可能事だ。
しかしそうした威力を証明する光景を前に、誰もが『あの理熾が…』から先の言葉を紡げない。
口にしてしまえば生存の見込みすら断ってしまいかねない脅迫観念に囚われてしまうからだろう。
いや、事実この状況下ではいかに神持ちといえどもただでは済まず、現に神を冠する幼馴染二人は叫び、ネーブルですらも口を開けていた。
むしろこの惨状を前に無事でいる方が難しく、少しでも傷を負ってしまえば悪の魔眼球の格好の的になる。
味方が居なくては挽回も望めず、居たなら居たで巻き添えを食らって一網打尽に遭っていただろう。
だから理熾だけの被害で終えたのは、パーティの枠で考えるのならば僥倖と言える。
感情を排せば、という注釈は付き纏うが。
「……シオリ、ホナミ、いけるか?」
「当然」「待ちすぎたぐらいだよ」
殺意剥き出しで短く答えたのが詩織、感情を抑えるために少し長く返したのが穂波だ。
後衛の詩織の方が喧嘩っ早い印象が強いのは意外だが、それ以上にこの場で落ち着く行為を挟んだ穂波にネーブルは賞賛を送りたい気分だった。
彼も指揮官の立場でなければ、怒鳴り散らしていただろうから。
許可を得た二人は、我が身を守る《精風壁》を早く解け、と視線を送るが、フィリカは目もくれずに眼下を睨む。
感情が爆発しそうな二人から、罵声が口を突いて出そうなところで
「―――待て」
と一言フィリカが言葉を結ぶ。
冷や水を浴びせられた錯覚をするほどの真剣な眼差しに一瞬の静止が挟まる。
すぐに全員が釣られるように眼下の様子を見直した。
「あれは…?」
「リオ君だな。どうやら地中に逃れたらしい」
「地面の中?!」「どうやって?!」
フィリカが睨む、煙か湯気か分からないものが立ち上る焦土へと姿を変えた地面から、もそもそと盛り上がる土塊。
どんな状況下でも『理熾の生還は揺るがない』と誰もが願っていても、この惨状では安堵の声が上がるのは仕方なかった。
【魔女の一撃】も持っていたことだし、時間があれば物理でも土を掘り起こすことは可能だろう。
ただ、悠長に土豪を作る暇もなかったことだし、おそらく魔法を行使したはずだ。
あの濃い魔力圏の中だということを思えば、随分と無理をしたのは間違いない。
「うるさいな二人とも。
それより無事が確認されたんだ、もっと喜べ」
「でもフィリカさん、そんなのでアレから逃げれるの?」
「うん、いくらCランクでも三十体分の魔法束ねられたら…」
効果はご覧の通りで、大魔法が目じゃないほどの威力を発揮している。
あれだけの規模ともなれば連発はできないだろうが、それでも一撃発動すれば壊滅は必至。
むしろ回避し切った理熾にこそ称賛を送るべきである。
フィリカたちが居る離れた空からは平らに見える地面も、地上に降りれば随分と凹凸がある。
それは元の地形に、吹き散らされなかった燃え焦げた木々や動物の残骸が積もっているからだ。
理熾が埋まっているであろう地面がごそごそ動いている場所も、悪の魔眼球との間に小さな出っ張りが存在しているため、今のところ見落とされている。
とはいえ、それがいつまでかもわからない中では、随分と危機的状況でもあった。
そして
――生きているならなおさら助けねば
誰もが思う感情だったが、地面から突き出て来た手甲を眺めるフィリカの視線だけは緩まない。
地面から突き出た手甲が、すぐ傍の地面を掴み、今度こそ理熾が身体を引きずり出した。
「……残念だが無傷じゃないみたいだな」
「「えっ!?」」
ネーブルの指摘に、楽観的になっていた二人は慌てて眼下を覗き込み、凄惨な光景に絶句した。
抑えきれなかった熱波は、上半身の服を破壊し尽くし、べろりとめくれて腰に垂れ下がっていた。
手で庇ったのか、頭や顔は無事だったが、服が防ぎきれなかった分の威力が左半身を赤く黒く焼き焦がしている。
下半身に大きな怪我や火傷が見当たらないのは、手前の小さな出っ張りが少なからず威力を殺したためだろうか。
「「理熾君!?」」
「聞こえないぞ」
「だったら早く結界を解いて!」
「すぐに助けに行かないと!」
「……そういう意味で『聞こえない』んじゃない」
しかめっ面に変わったフィリカは、食って掛かってきていた二人に、淡々と言い聞かせるように「あれは理性を失っている」と苦々しく呟いた。
聞くや否やすぐに視線を切った二人は、眉間にしわを寄せるネーブルのすぐ横で足元の《障壁》に手を突いて目を凝らす。
焼けて熱い地面を気にすることなく、荒い息を吐いて転がる理熾の顔は、距離と髪に隠れてすべてを伺うことが難しい。
いや―――
理熾の口元が、わずかに歪む。
それは苦痛や怨嗟を訴えるような表情ではなく、むしろ狂気を孕んだ楽し気な貌。
「ご主人様が危ないです!」
即座に思い至ったのはスミレ。
背筋を這う冷たい予測に、焦る彼女は縋るように周囲を焚きつける。
過去に一度、あのコボルトキングとの死闘で浮かべ、彼女だけが知るあの貌をしていた。
だからこれから起こることを予想するのは容易い。
あの時と同じなら、きっと理熾は防御を捨てて攻撃だけで押し切ろうとする…。
文字通り危険を顧みず、命を懸けて殲滅に向かうはずだ。
前回と唯一違うのは、いくら強くとも一対一。
今回はそこそこ以上の戦力を持つ悪の魔眼球との多対一という数の戦い。
あれほど苦戦していたのだ、理性を吹き飛ばして勝つ見込みはほとんどないだろう。
「ネーブル、まずは悪の魔眼球の殲滅だが、レモンとホナミが適任だろう」
「なら補正はシオリに丸投げして二人に突っ込ませるか」
「作戦は簡単だ。
スミレの《転移門》を使って上空1kmからの強襲、後は各自の技量に任せる……以上だ」
「おまっ、ふざけんな!」
「そんなのを作戦とは言わないよ!?」
強引な案にレモンも穂波も悲鳴を上げる。
だが、ネーブルも口を挟まないところを見ると賛成で、理熾のことを出されれば穂波や詩織は黙るしかない。
そしてレモンは、ネーブルが不可能ごとを求めるほど馬鹿な指揮官ではないと理解しているので、できるできないの判断を今まで託してきている。
不平は口にしても命令されれば必ず遂行してきたレモンは、呆れながらどうやって着地を決めるかと想像をしていた。
「時間がない今は反論は許さん。
上から行く理由が欲しいならくれてやる。
一つは時間短縮、もう一つがリオ君の視界に入って刺激させないためだ。
今の彼は目に付くものを破壊しかねないくらい危うい状態だ、手早くやらねば三つ巴の混戦になりかねない」
フィリカは「さぁ行った行った」と手を振ってスミレに門の生成を促す。
この《精風壁》は確かに強固だが、魔力を通さない【魔断】の特性を兼ね備えているわけではない。
だからと言ってはなんだが、中に居る<空間使い>が外に出ることは容易い。
また、1kmも離れていれば悪の魔眼球の魔力圏など無視できるし、何より認識するには距離があり、落下すれば一瞬で接近できる。
悪の魔眼球の反撃を無視できるこの案は、短絡的でありながら十分に有効だった。
指示を受けたスミレが、二人の転落死を危惧しながらも展開した《転移門》が閉じる様を見送ったネーブルが口を出す。
「スミレ、【捕縛布】の在庫はあるか?」
「三枚なら!」
「他は?」
「血魔石屑が付いていないのなら十枚」
「なら私のも合わせてもたった五枚か…リオ君相手には心許ない数だな」
ネーブルも頭が痛むように頷き、黙考を挟む。
とはいえ、できることは限られている。
既に傷だらけの理熾を、これ以上の損傷なく回収したいとなれば【捕縛布】が不可欠だろう。
どうやって大人しくさせるのか…あの膂力を相手にするのはかなり厳しそうだった。
お読みくださりありがとうございます。
一ヵ月丸っと書かなかったのって初めてかもしれませんね…随分と長い間お待たせしました。
ようやく時間の目途が立ってきましたが、ペースを崩してしまったので書くの遅くなっちゃったんですよね…現在サクサク進める方法を模索中です。




