退屈
維翔は、つまらなかった。
毎日毎日、根城にしている大きな洞穴の奥、自分に忠誠を誓わせた龍達にかしずかれて、ただ酒を飲んでは出掛けて行って、刃向う神達を斬り捨てては戦利品を持ち帰る暮らしを続けていた…今の世は、全てこんな感じだった。龍という種族は、他の神に比べて気が大きく体も大きくて優秀で、そして、獰猛だった。他の集落の龍も、あちらこちらに出掛けて行っては他の種族を討ち、略奪し、ただ恐れられる存在だった。どこの神も、龍の気配を感じると身を潜め、必死に逃げた。抵抗しても無駄であるのは、分かっていたからだった。
なので最近では、龍の中で諍いが絶えなかった。他の神では手ごたえがないと、龍は龍を標的に略奪の限りを尽くすようになっていた。そんな中、維翔の集落へ攻め入って来る龍は居なかった。維翔が誰よりも大きな気と力、そして技術を持っているのを知っていたからだった。
今日も、維翔は持ち帰った戦利品を取り合う部下達を見て、酒を煽っていた。
「維翔様、どれか維翔様は要りませぬか。」
部下の一人が、維翔の視線に気付いて言う。しかし、維翔は気だるげに横を向いた。
「そんなもの、我は要らぬわ。主らで好きにせよ。」
維翔は興味なさげに言うと、大きな欠伸をして、立ち上がった。皆が、ビクッと立ち上がる。維翔は手を振った。
「少し夜風に当たって来るわ。主らは続けよ。」
皆は、ためらいがちにしていたが、また酒を煽り始める。維翔は、そこを出て夜空を飛んだ。
毎日が、面白くない。何がというのではないが、本当に面白くない。酒が好きな訳でも、女が好きな訳でもない…ただ戦って、手ごたえのない相手を倒し、そして持ち帰って皆に分け与える…それだけの毎日に、嫌気が差して来ていたのだ。自分がしたい事とは、こんなことではなかったはず。だが、何が出来るというのか。何をしたいと言うのか…。
維翔にしては珍しく、ぼんやりと空に浮いていると、小さなひそひそ声が聞こえて来た。女…?
維翔は、目を凝らした。
良く見ると、眼下の森の中、数人の女が固まって小さな天幕を張り、身を寄せ合っていた。この辺りは、確か数日前に我が面倒な奴らを一掃した所…。
維翔は、暇つぶしだとそっとそこへ降りて行った。
「出海様」その声は言った。「本当にこの辺りは大丈夫なのでしょうか…。心細うございます。」
女が言う。相手の女は答えた。
「大丈夫よ。この辺りは、この間龍達の諍いがあったばかりで、綺麗に誰も居ないから。道に迷ってしまわねば、こんな所で夜を明かすこともなかったのに。ごめんなさいね、桐、美利。日が昇り始めたら、すぐに皆の所へ帰れるから。我慢して。」
気の強そうなその声に、維翔は興味が湧いた。女が、小賢しい。どんな女か見てやるか。
維翔がそう思って手を翳すと、一瞬にして天幕は空へと巻き上げられ、中に居た三人の女が驚いたようにこちらを見た。そして、その中の一人がすっくと立ち上がると、他の二人を庇うように前に出て維翔を睨み付けた。維翔は、その目を見て体が痺れたように動かなかった。なんだ…この女は?
「…維、」じっと映像を見ていた維心が思わず呟いた。「維月…。」
そう、その女は、維月に良く似ていた。動きや仕草まで、まるで写しとったかのようだった。映像を見ていた皆がそう思ったが、維心から私語を禁じられているので、皆黙ってその映像を見ていた。維月は、自分でも思った。あれは、私だ。きっと私だ。そんな気がする…共鳴しているような感じがする…。
映像の中の、維翔が言った。
「…主らは、何か?」
維翔を睨んでいた女が言った。
「何か、ですって?突然にこのようなことをして、失礼でありましょう。詫びを申してくださいませ。さすれば、答えましょうほどに。」
維翔は仰天した。今まで、自分の前に出た女は、皆命乞いばかりしていて、こんなことを言ったものは居なかった。男ですら、我の前にはひれ伏すのに。
「詫びよと申すか?我に?」
女は頷いた。
「そうですわ。そんな風だから、龍は粗暴だの言われるのですわ。少しは礼儀もわきまえられませ。」
維翔はムッとしたが、女相手に何を憤っていると思い直して、言った。
「そうか。ならば詫びようほどに。しかし、主らはどうか?」維翔は地を指した。「ここは数日前に我が一掃した場所。つまりは、我の場よ。勝手に入って来ておったのは、主らであろうが。」
女は、さすがに罰の悪そうな顔をした。そして、言った。
「それは謝りまするわ。道に迷うてしまったのです。我らは、我らの場へ戻る最中でした。しかし、日が暮れてしまって…。」
維翔は、フフンと笑った。
「ならば我が詫びる必要はない。我は、侵入者を追い払おうとここへ参ったのであるからな。」
維翔は、こう言えばなんと答えるかと興味深くその女を見た。すると、女は困ったように下を向いたが、不意に顔を上げた。
「わかりましたわ。ならば、あなたが我らを我らの地へお連れくださいませ。さすれば、ここでお邪魔することもありませぬし。」
維翔は仰天した。我に、送れと申すか!
「…どれほどに厚かましいのよ。我は集落をまとめておる神であるぞ。」
相手は、先ほどの維翔と同じようにフフンと笑った。
「まあ、偶然ですこと。私もですの。」と、後ろの二人を振り返った。「さ、参りましょう。良かったこと、これで戻れるわよ。」
そうして、さっさと荷物をまとめている。維翔は呆れた。が、放り出してしまう気持ちにもなれなかった。
「…ふん、しようのない。貸せ。」維翔は、その女が持った大きな袋を担いだ。「どこから来た。」
相手は、嬉しそうに微笑んで指差した。
「星を読んで分かり申したの。あちらですわ。」
維翔とその女は、低く並んで飛んだ。後ろから、二人の女も付いて来る。維翔は言った。
「ところで、主の名は?」
女は答えた。
「出海です。海で拾われたのですわ。あなた様は?」
「維翔。」
出海は頷いた。
「聞いたことがありまする。あちこちで、部族を制覇して回っておるって…。」
維翔は、黙って頷いた。それが、何だと言うのだろう。もっと、別のことで知れ渡っておればよかった。
なぜか、そう思った。しかし、出海は言った。
「でも、思うたより恐ろしいかたではありませぬのね。こうして送ってくださるなんて…女だけでは、日が暮れたら飛ぶことも出来ませぬから。噂ほど、宛てにならぬものはありませぬわ。」
そう言って微笑む出海に、維翔はなぜか胸が高鳴った。どうしたというのだ…女相手に、まともに話しておるなんて。
しかし、そんな維翔の気持ちも知らず、出海は自分の集落に着くまでずっと維翔に話し掛けていた。
そこは、維翔が制覇した場所からさらに東にある、森の外れの崖の下に、隠れるようにひっそりとあった。木を組んで小さな家をいくつか建ててあって、維翔達四人が近付いて行くと、数人の神々が心配そうに顔をしかめながら慌てて出て来た。
「ああ出海様!よくご無事で…案じておりましたの。」
初老の品の良い女が出海に駆け寄って来る。出海は微笑んだ。
「心配掛けてごめんなさいね、瑠依。こちらは、向こうの龍の部族の長であられる維翔様。野宿するしかないと思っていたら、ここまで送ってくださったのよ。」
瑠依は驚いたような顔をしたが、深々と頭を下げた。
「これはこれは維翔様、ありがとうございました。どうぞ、中へ。ごゆっくりなさってくださいませ。」
維翔は、どうしようか迷ったが、頷いた。どうせ戻っても退屈なだけ。ならば、ここを見て帰るのも良い。
その木の家の中へ入ると、変わった色の物が敷き詰められてあった。座るように促されて、そこへ座ると、維翔はその敷物に触れた。これはなんだ…獣の皮でもないし、木は草でもない。
それに気付いた出海が、ふふと笑った。
「それがお珍しいですか?」と、傍の動物の毛皮を指した。「これから、作りまするのよ。見ていてくださいませ。」
出海は、手を上げると器用にその毛皮の毛だけを術で綺麗に剥ぎ取り、そこから細い糸のような物を出した。良く見ると、それは毛から出来た一本の長い糸で、木の棒にくるくると巻きつけて行く。見る間に一つの毛皮が一巻の糸になる。出海は微笑んだ。
「これを、織りますの。すると、こんな一枚の布地になるのですわ。私が今着ておる着物も、これで作ってありまする。とても軽いし、暖かいの。」
瑠依が微笑んだ。
「草木の汁を絞って、その色を付けることも出来まする。糸を細くすれば、もっと薄い布地が出来ますの。出海様が考えられたのですよ。」
出海は、じっと見つめる維翔に、恥ずかしげにした。
「こんなことは、ご興味もないでしょうけれど。取り取りの色の着物を着ると、気持ちも華やぎまするから。でも、維翔様はお酒ですわね。瑠依、持って来て。」
瑠依は頭を下げた。
「はい。」
持って来られたその酒は、少し色が付いていて甘い香りがする。維翔は、こんな酒は飲んだことがなかったが、しかし毒ではないのは分かった。恐る恐る口を付けると、甘い果実の匂いがした。横で同じようにそれに口を付けながら、出海は微笑んだ。
「甘いので、私はこれが好きで。他の神が好むお酒は、とても強くて飲めませぬ。でも、これならここの女神達でも飲めまするから。」
その他、いろいろな物をそこで見た。皆、珍しい物ばかりだった。そして、それは生活をして行く為、どうすれば心地良いかと考えて作られたものばかりだった。出海は、同じ長でありながら、そんなことばかりを考えて、そして居心地のいい空間を作っているのか…。
戦うことしか考えていなかった維翔は、目を開かれる思いだった。
そして、次の日そこから自分の集落へ戻った後も、維翔は度々出海を訪ねてそこへ通ったのだった。