発見
維心は、五代目龍王として君臨し、世を平定していた。維心に逆らえる者など誰一人居らず、何事も思いのままであったが、維心は特に望むものなどなかった。
退屈に暮らしていた維心が、ある日を境に穏やかに暮らすことが出来なくなった。ただ一人、そのものだけには平静で居られず、そして逆らうことが出来なかったのだ。
「もう、よろしいですわ!」
「維月!待たぬか!」
…この、唯一の妃、維月だった。
今日も、些細な事から行き違いがあって、維月は怒って維心の制止も聞かずに居間を飛び出して行った。
何事も思うようになり、それは妃すらも同じのはずの維心が、たった一人だけ望んだ妃が元は人であったあの気の強い維月で、それは好ましくもあり、悩みの種でもあった。普段は自分を助け、自分に寄り添い、それは幸せであるのだが、神の世で長く王として君臨して来た維心と、人の世で一般人として、月に見守られながら育った維月とは、大きな考え方の違いがあった。お互いに歩み寄ろうと努力はしていたが、それでも埋めきれない考え方の違いから、時に諍いを起こした。維心はその度に心を痛めた。理解したいと思うのに。維月はああして離れて行って、怒ると一人にしろと言う…。
「父上?」入って来た、長男の皇子将維が、回廊を急ぐ維心に声を掛けた。「あの、定期報告に参ったのですが…。」
維心は立ち止まった。
「後にせよ。母がここを通らなんだか。」
将維は首を傾げた。
「母上ですか?いえ、見ませんでしたが…。」
維心は、宮の中を探った。維月は、月なので特に人の体を捨ててエネルギー体になった今は、かなりのスピードで移動する。神の世最強の維心でも、本気の維月を追うのは難しかった。
気を探って行くと、維月は書庫へ篭ったようだ。維心はホッとした。書庫なら、宮の奥深くにあるし、それに山のような書籍がある。維月は書見が好きだ。ならば回りの書を読んでいるうちに、恐らく気もまぎれて話し合う気持ちにもなるだろう。
維心はため息を付くと、将維を見た。
「居間へ。報告を聞こうぞ。」
将維は戸惑った顔をした。
「母上は、よろしいのですか?書庫に居られるようでありまするが…。」
将維も気を探ったらしい。維心は頷いた。
「良い。あそこなら心配ないゆえの。」
維心は、将維を連れて居間へと戻って行った。
夕刻になり、維心は落ち着かずに空を見上げた。もう、あれから数時間。まさか、今夜は戻って来るつもりはないのか。
維心は、書庫を気で探った。まだ、維月の気はそこにあった。しかも、結構奥の方まで入り込んでいる…別に迷宮になっている訳でもないし、迷うことはないだろうが、それでもかなり広い書庫に、維心は気になって仕方がなかった。なので、もしかしてまだ怒っているかもと思いながらも、居間を出て書庫へと向かった。
そっと書庫を覗くと、ぼうっとした光の中、奥へと通路が伸びている。維心は、維月の気を追って、奥まで急ぎ足で歩いて行った。かなり奥、ほとんどの者がそこまで行かないようなずっと奥の方まで行くと、ひと際明るい光りが見えて来た。そこでは維月が、光の玉を浮かせながら、回りの書を開いて首を傾げていた。
維心は、恐る恐る維月に声を掛けた。
「維月?」
維月は、ハッとしたように振り返った。
「維心様…。」
維月は、さっきの諍いを思い出したようで、少し硬い表情をした。維心は、それを感じて心が痛んだ。しかし、維心は、気付かぬように言った。
「帰りが遅いので、迎えに参った。書庫の、これほどに奥まで入り込んで…ここまで来る者は、滅多に居らぬ。何を探しておった?」
維月は、下を向いて答えた。
「あの…書を見ておるうちに、この宮の始めの頃はどうだったのかと思ったのですわ。それで、書庫の一番奥へと思って…。」
維心は、頷いて維月が手に取っている、今にも崩れそうな木の皮の書を見た。
「…そう、確かに、それは太古のものであるな。初代龍王、維翔の頃のものだ。その頃はまだ、紙がなかった。人の言うところ、紀元前3000年の頃であろうの。」
維月は、それをじっと見た。文字であろうものが書かれてあるが、読めない。今の文字とは、明らかに違っていた。維心が、それを横からそっと受け取ると、見た。
「…『我が宮の始まり、その変遷をここに記録させる。後にこれを知りたいと望む者のため、我はこれを残す。』…間違いなく我の五代前の祖父、初代龍王の書だ。しかし…」維心は、それをめくった。他に、書はない。「せっかくの書であったが、失われたのであるの。ここには、これ以外何も残っておらぬ。」
維月は、戸惑ったように維心を見上げた。
「まあ…では、これは何でありましょうか。」
維月の手には、大きな人が占いに使う水晶玉のようなものが持たれていた。維心は、驚いてそれを見た。
「それは、どこで?」
「そちらに。」維月は、奥を示した。「そこの、奥の石の棚の背板が外れたのですわ。それで、何があるのかと手を突っ込みましたら、その書と、これが。」
維心は、仰天してそれを見た。つまり、これは初代龍王が遺した、宮の始まりの記録。書ではなく、術を使って色々な記憶を集め、一つにまとめたもの…だからこそ、これほどの大きさなのだ。維心は、維月の手からそれを受け取った。
「これは、様々な神の記憶を編集してまとめた記憶の玉ぞ。」
維月は目を丸くした。
「記憶の玉?!こんな大きな…」
維心は、じっとそれを見つめた。
「恐らく、たくさんの記憶を、集めて複製し、ここへ封じたのであろう。書では、正確に伝えられぬと思うて…」維心は、維月を見た。「これは、宮の者なら誰もが知りたいと思うておったこと。特に我は、五代前の祖父のことであるから。手柄であるの、維月。よう見つけたもの。」
維月は、居心地悪げだった。
「ただ、神のことを、ここの宮の始まりを知りたいと願って、こちらへ参っただけでありまする。そうしたら、奥が光って見えて…手を触れたら、簡単にあの石が外れて。見つけたのでありまする。」
維心は、手を差し出した。
「維月、これを共に見ようぞ。我も、初めて見るものぞ。憤っていたゆえ複雑であろうが、話し合うのは、これを見てからで良いであろうが。主も見たいであろう?」
維月は迷っているようだったが、一つ頷くと、維心の手を取った。維心はホッとして、その玉と書を携えて、王の居間へと戻ったのだった。
維心は、居間へ重臣筆頭の洪、兆加、筆頭軍神の義心、宮に居る皇子の将維と亮維を呼び、居間の白い壁に向けて投影し、皆に見せようと準備をした。維月はそれを見て、本当にこれが大変に貴重な発見だったことを知った。皆が、一様に待ち遠しいような表情をしていたからだ。
維心は、維月を自分の椅子の横へ引き寄せ、他の者達を見て言った。
「あちらの壁に投影する。これは恐らく、見る者の心に働き掛けて言葉も理解できるように、各々の中で解釈できるようになっておろう…紀元前3000年は、言葉も今と違った可能性もある。たくさんの神の記憶を集めておるゆえ、主観的ではなかろうが、その場面場面での神々の心情は、記憶であるから読み取れようほどに。この宮の始まりを、皆で知って、洪、主らが改めて書にしておくが良いぞ。」
洪は、頭を下げた。
「は、仰せの通りに、心して拝見致しまする。」
維心は頷き、居間の灯りを落とした。既に外が暗くなっているので、必然的に部屋は月明かりだけになる。維心はその玉を自分の前に浮かべ、念じた。その玉が光り輝いて、一筋の光を皆が見ている壁へと注いだ。
そこには、壁いっぱいの大きさの森が映し出された。維月が、つぶやいた。
「すごいわ…まるで映画館のよう。こんなに大きな映像なんて。」
維心が頷いた。
「細部まで分かるようにと思うたのであろうの。」と、映像に目を移した。「…なんと懐かしい。まだ、あの杉が残っておるわ。滝があのように小さく、あちら側にあるの。我が子供の頃は、もうかなり後ろへと来ておったが…。」
洪が、頷いた。
「はい。今より5000年以上前でありましょうから。恐らく王がお生まれの頃には、浸食されてもっと後ろへ来ておりましたでしょう。我も話しに聞いておりました杉、あのように大きなものであったとは。」
維心は目を細めた。
「…そうよの。我が50歳にも満たない時、あれが足元から崩れ始めて…崩落してはと、先に義明達軍神によって斬り倒された。」と、維心は、庭を指した。「その時切られた杉を使って、庭の別宮を作らせたのだ。あれは今も健在であろう?」
皆は、一様に庭の方を見た。あれが、あの杉なのだ。
上空から見ていたその風景が、ぐんぐんとその森へと降下する。誰かが飛んでいた記憶の映像なのだと皆が思った。
そして、突然に、目の前に現れた獣の皮で作った着物を身に付けた神達と、その記憶の主は戦い始めた。見る間にバタバタと神達は倒れて行く。かなりの手練れ…。それを見ていた義心は思った。
「維翔様!」誰かの声に、その神は振り返った。「いつもながら、我らの出番がないようですな。」
そう声を掛けた相手の顔は、義心に似ていた。まだ200歳ぐらいだろうか。とても若い神だった。襲って来た相手と同じように、獣の皮を薄くなめしたものを着ていた。
ふと、記憶の主が変わったようで、今度は維心に良く似た神の姿が見えた。維心を野性的にしたような外見で、目は維心よりさらに鋭く、そして、間違いなく深い青い色だった。
「まあ…!」
維月が、袖を口にあてて思わず息をついた。5000年前の神とは思えないほど美しい顔立ちで、維心に良く似ていたのであまりにも維月の好みのツボだったのだ。維心が眉を寄せた。
「維月。我の五代前の祖父ぞ。もうとっくに居らぬ。」
維月は、まだその維翔の姿に見とれていたが、慌てて頷いた。だが、心の中で思っていた…維心様をワイルドにして髪型をああしたらきっとそっくりよね。
その、維翔は言った。
「つまらぬの。我に敵う者が居らぬかとこうして狩り歩いておるのに、話しにもならぬわ。」ふと、傍で震える姿を見つけた。維翔は、それを顎で示した。「あやつらに土産ぞ。連れて行かせよ、義烙。」
それは、今維翔が切り殺した神達が連れていた女達だった。当然のように頷いた義烙は、他に連れていた部下らしい男達に命じてそれらを担ぎ上げさせ、引き上げて行った。
それを見た維月は、悲しげな顔をした…そうか、今でさえ略奪の世であるのに、この時代は、女は本当に物みたいに扱われていたのね…。
維心は、皆に告げた。
「これよりは、私語は慎むように。」
皆は頷き、食い入るように映像に見入った。