兄、参上(後編)
勇者、それは魔を打ち払い人々に希望をもたらすもの。
しかしその実態は、絶望の中で産み落とされた、希望という呪い。
まずそれは、人をやめることから始まる。
人は弱い。
牙もなく爪もない。
ちょっとした怪我や病気ですぐに死んでしまう。
だから、人と言えなくなるほどに強化する。
皮膚を丈夫にし、骨は硬く、血を濃くし、筋肉はより絞り込まれ、神経は空気の色が見えるほどに研ぎ澄まされる。
次は魔力だ。
魔王は真竜を超えるほどの魔力を持つ。それはそのまま放つだけでも、鉄壁の魔力障壁となる。
それを超えて魔王に術や剣を届かせるためには、同様同質の魔力が必要となる。
人は小さい。
膨大な魔力に、人の小さい魂が耐え切れない。
ならば、と悪魔のような考えが採用された。
魂が耐え切れないのであれば、魂そのものを魔力に変換すればよいと。
最後が技だ。
知識は蓄積できる。だが技術はそうは行かない。
習得に10年かかる技術は、受け継ぐにもやはり10年の歳月を必要とする。
特にそれが個人の才能によるところが大きい、武術や魔術なら尚更である。
人は儚い。
経験、技術、そういった記憶。それらを魂ごと複写し次に渡す、転写する。
死してなお現世に留める魂の牢獄。
聡明な人なら判るだろう。
この勇者というシステムは、個人を対象としたものではない。
魔王は個人で国と戦える。百人いても万人いても敵わない。
しかし百代ならば?
先人が捨石となって、踏み台となって、歴代の勇者の屍を階段として、人が魔王に歩み寄るためのものだと。
これらの魔術、呪術を完成させ、発動させるための器具が作られた。
人の限界を超えるよう、根源から身体を作り変える剣。
魔王を超える魔術を行使できるよう、魔力を貯め続け、魂すらも魔力に変換する勾玉。
そして勇者という呪いの根幹を成す、擬似転生術、魂の記憶と転写を行う鏡。
これら三つの呪具を持ち、魔王と戦う者。
人族にのこされた最後の希望、最高戦力。
それが勇者。
勇者の一族。
「何が勇者ですか、こんな……呪いというにもおぞましすぎるシステムなんて」
血がにじむほどに唇をかみ締める。
「自ら選んだのであればまだ納得も出来ます。それが必要な世であれば、得心も出来ます。でも……維委も継命もただの女の子なんですよっ!」
心のうちを一気に吐き出す。
「たしかに立場もありますが、普通におしゃれして友達と遊びに言ってもいいはずなんです。なのに! なのに勇者の家系というだけで、こんな重荷を負わすなんて……。あの子には、いままで 友達がいなかったんですよ。軽く触れるだけでも、それだけで他人には耐えられない。小さいこの維委は、僕にすら触れようとしなかったんですよっ! 家族なのに、手をつなぐことも出来ないなんてっ!!」
軽く握るだけで鉄棒が曲がる、走れば音速を超える。どんな魔物でもそんな事は出来ない。人族の、それも子供ならなおさら不気味に映るだろう。
人は異質なものを鋭く嗅ぎ分ける、そして排除する。自分を、集団を護るために。
幼いころの維委は、自分でその異常さを理解してから、力を加減できるようになるまで、一切誰とも接触をとろうとしなかった。
人を傷つけるのがいやだったから。
「あの子は優しい子だから……いまでも、甘えようとしないんです。家族なのに……」
経盟の眦に光るものがあったが、それはそれ以上あふれることはなかった。
王族は泣くことを許されない。
誰かのために泣くということは、贔屓になるから。泣くのならば、全臣民のために泣かなければならない。
でもそれは不可能だ。誰とも知らない者のために泣くことなど出来やしない。
だから、涙を流さずに泣く術を身に着ける。
「何故に勇者を残すのですかっ!?」
彼は心の奥で泣いて、激高する。妹たちの未来を憂い、勇者という存在に怒りを覚えるから。
気持ちの悪いものが、心の底に沈殿していく。
「……孝美が望んで、私が認めたからよ。勇者を残すって」
小さく弱く儚い人族の尖兵となって、魔王と魔族を滅ぼすよう願われた。
希望という願いの脅迫。
それを聞き入れた日出の国の女王。
初代勇者、天王孝美。
「あなたは憶えてないだろうけれど、私は言ったのよ、ちゃーんと。『世界の半分をあげるから、そんな呪いはすてちゃいなさい』って」
身の内にある熱く粘度の高いものを隠そうとしない経盟と違い、累子は実にあっさりとしている。
「ああそういえば、維委ちゃんはそっくりなのよね。あの子と。ちょっとドジなところとか」
「いえ、憶えていますよ。知っています」
確かに経盟は歴代の勇者の記憶を、全部ではないが引き継いでいる。鏡を継承している。
勇者という呪いが子々孫々まで絡みつく恐怖と、それでも決断せざるをえなかった記憶を。
母親としての愛と、女王としての義務。それらが混ざり合った苦い記憶を。
「あなたさえその気なら、いくらでも勇者なんて殺せるはずだ」
「勇者の血筋につながる者、全てを殺せって?」
累子の眉が、ピクリと動く。
「殺さなくても、三種の神器全てを壊すことぐらいたやすいでしょう。何故今まで放っておかれたんですか」
そういって経盟は、懐から少し大きめのお守りを取り出し、袋を開けた。
丸いそれは、神器という名から創造できないほど小さな鏡。
それをちゃぶ台に乗せる。
「今からでも遅くはありません。勇者という呪いを完膚なきまでに無くしてください。どうぞ亡くしてください」
失くしてください。
そういうと経盟は土下座した。
彼の立場では一生することはない、してはいけない行為。
動作の一つ一つが洗練されていた今までのとは違い、なんとも不器用で見苦しい土下座。
しかしだからこそ、本心からの嘆願だとわかる。
「何か勘違いしてない?」
「……何がでしょうか」
嘆息し、ほんの少しだけ姿勢を整える。
「あなた達一族が引き受けたことです、最後まで責任をとりなさい」
手を膝に置き、凛と背を伸ばす。
目は貫くように経盟を捕らえている。
「経盟。あなた個人の感傷は、先人達の願いを踏みにじる理由に足りません。孝美から続く、歴代の記憶があるのなら、わかるでしょう」
対する経盟は無言。
「憶えていませんか」
「……『日出の国に平穏と安寧を』」
「ならば勇者という呪いに屈するのではなく、それを利用することを考えなさい。その方法はあなたに継がれているはずです」
「……『勇者としての力を切り札として、見せ札として利用せよ』」
「孝美は私にこう言いました『みんなが笑顔で暮らせる国を作りたいです』と」
「『協力してくれませんか、魔王さん。私は息子の笑顔が大好物なんです』……でしたね」
累子はひとつため息をついたあと、ぼりぼりと軽くウェーブがかった赤髪ごと頭をかいた。
足を崩し「憶えてるじゃない」と呟く。
顔を上げた経盟は「はい」と返す。その顔は、またさわやかな笑顔に戻っていた。笑顔の中には、先ほどのドロドロとしたものは感じられなかった。
もしかして試された? 累子はそう思ったが、良しとした。
シリアスモードはしんどいのだ。
「みーんな私に、なんやかんやお願いしてくるけど、私は神さまじゃないのよー? ちょっと不老不死で最強なだけで」
「私達は小さく弱く儚く揺らぎやすいのです。巨木があれば、すがりたくなるのが人心です」
「めんどくさいわねー……。ま、困ったことができたら言いに来なさいな、愚痴ぐらい聞いてあげる」
「助言、助力はいただけないので?」
苦笑する経盟。彼は少し困った表情というのが良く似合う。
うすっぺらい笑顔よりよほど味がある。
「助言ねぇ」
玄関ドアが強く叩かれる。
「……助力なら、今、私が欲しいかも?」
初代勇者は、そのまま たかみ と読みます
天王孝美、モデルなし
上手くまとめる文才が欲しい