兄、参上(前編)
「ここですか」
「はい、間違いありません」
ボロいアパートの前で住所を確認するのは、黒髪黒目というこの国ではもっとも多い、スーツ姿の普通の人族男性。すこし目が釣りあがっており、きつそうな顔をしている。
それに頷くのは、黒髪黒目は同じだが、かもし出す雰囲気がまったく違う眉目秀麗な青年。
「では参りましょう」
錆た階段を軋ませながら昇り、いまどき見ないような呼び鈴を押し、出てきたジャージ姿の女性に尋ねる。
「黒岩累子さんはご在宅でしょうか?」
「私ですけど……なにか?」
「私は37代目筆頭勇者、天王経盟と申します。突然の訪問、無礼ではあり」
「人違いです」
口上途中でドアが閉められた。
「………」
「………」
「ふむ、人違いでしたか」
「違ってません、『くろいわ るいこ』とあります。殿下のお話を遮るとは、なんという無礼な振る舞いでしょうか!」
スーツ従者は更に「殿下の訪問を断るとは許せません!」と呼び鈴を連打し始める。
呼び鈴が身悶えるようにジィジィジィジィジーと、かすれた電子音を鳴らす。
筆頭勇者と名乗った経盟が「失礼ですよ」と止めようとする前に、扉が勢い良く開かれた。
「もっと早く出てきたまえ。畏れ多くも」
細腕が従者を殴り飛ばした。
またしても口上途中だった。
「ぷぎゃらっ?」
細腕といっても、トラックを持ち上げれる細腕である。
従者は二回転しながら柵を飛び越え、自転車置き場の屋根に激突した。
「うーるーさーいー」
軽くウェーブがかった赤髪ごと頭をかきながら、アパートの通路に出てきた累子は、経盟に視線をやると表札の下を指差した。
そこには墨痕淋漓と「勇者お断り!」の但し書きが合った。
「これ見えないのー? 盲目なのー?」
今日は機嫌が悪いらしい。目が据わっている。
目の下に隈が出来ている、どうやら寝不足のようだ。
「見えておりますが、今日は維委の兄として来ましたので。御寛恕願います」
「……なら、勇者うんぬん言うべきじゃないよねー」
「嘘は論外としても、真実を語らないのは不誠実だと思いませんか」
経盟はさわやかな笑顔でいいきった。
累子の不機嫌オーラも、彼には通用しないらしい。
「まあいいわ。玄関先での立ち話もなんだし、はいりなさいな」
「はい。ありがたくお邪魔させていただきます」
階下でのびているスーツ従者に「あんたはそこで正座ね」と言い捨てた累子に続いて、経盟も部屋に入る。
一礼してから入室し、靴もしっかりと並べる。
動作の一つ一つが洗練されている、まさしく王子様といった感がある。
「改めて自己紹介させていただきます。天王家次期当主37代目筆頭勇者にして、維委の兄の天王経盟です。いつも妹がお世話になっております」
「魔王とか色々やってる黒岩累子よ。維委ちゃんとは友達だから、気にしなくてもいいわよ」
累子は応えながら、ちゃぶ台前で正座している経盟の前にグラスを置く。中身はただの水道水。
経盟は笑顔で「いただきます」と口をつけた。
女性向け雑誌の表紙を飾ったこともあるさわやかな笑顔は、それでも崩れなかった。
内心はわからないが、それを表に出さないだけの技量はあるらしい。
「で、今日は何用かしら?」
「お礼と、幾つか御教授願いたいことがございます」
「教授っつったて、私は先生でもなんでもないけどね」
「あと。詰まらないものですが」
後ろ手から紙袋を取り出す。それはいつぞやの、維委が手土産として持ってきた焼き菓子だった。
「妹からこれが好きだと聞きまして、用意させていただきました」
「なんでも聞いて頂戴」
あっさり買収された。
「それでは遠慮なく」
はりついた笑顔はそのままで、経盟は担当直入に切り出した。
「何故に勇者をそのままにしているのですか?」
口元に白い歯をみせた、さわやかな笑顔。
しかし、その目には殺気とも言うべきものが宿っていた。
累子はそういったものに一切反応せず、頭をかいた。
「……筆頭勇者ってーことは、鏡を継いでるのよねー?」
「はい、忌まわしいことながら」
「なら、鏡に聞きなさいよ。知っているんでしょう、それが勇者の一部だって」
長くなったので、前後編に
後編も近いうちにアップします
天王経盟は てんのう けいめい です
名前付けセンス? ありませんよ、そんなもの