勇者、魔王に追い返される
「ここですか」
「はい、間違いありません」
ボロいアパートの前で住所を確認するのは、白磁のような肌に黄金のような髪、そしてとがった耳を持った女性。
いわゆるエルフ。
その長寿と積み重ねてきた知識を持って賢者の一族と呼ばれた種族だが、色々あって、今は普通の人となっていた。
「では参りましょう」
錆た階段を軋ませながら昇るのは、華美な鎧姿に身を固めた、流れる黒髪をもつ女性。
いわゆる勇者。
人族の最高戦力として生み出された血族だが、今は色々あってお飾りの王族となっていた。
いまどき見ないような呼び鈴を押す。ジーという古臭い音のあとドアが開かれ、住民が顔をだした。
眠そうな住民に、勇者は畏怖堂々と宣言する。
「魔王よ、時が来ました。長年の決着を、今! ここでっ!」
「間に合ってます」
追い返された。
遠い遠い昔、世界は二つに別れていた。
人族と魔族。
それぞれの陣営につく種族。
血で血を洗い、地と地を取り合う悲惨な戦争。
生き残りをかけた壮絶な殲滅戦。
千年かけた大戦争は、人族の勝利で終わった。
肉体的に魔力的に優れていた魔族だったが、魔法によらない兵器、科学技術のまえに敗れ去った。
魔王は降伏し、魔族は講和し、魔物は消え去った。
だが、世界は平和にはならなかった。魔王を倒しても、人は人でしかなかった。
魔王の恐怖が支配していた時代は終わり、群雄割拠の時代が訪れた。
そして五百年がたった今。
複雑な経緯と単純な理由で、それなりに平和でそれなりに危険な感じで世界は安定していた。
「………」
「………」
目の前で閉じられたドアを前に立ち尽くす二人は、見合わせた後、もう一度呼び鈴を押した。
「さっきからなんですか、勇者なら間に合ってますよー」
再度でてきた住民は、勇者と違いジャージ姿だった。
ボロアパートには、勇者の鎧よりは似合っている。
軽くウェーブがかかった赤髪ごとぼりぼり頭をかきながら、心底めんどくさそうな表情を浮かべる女性に、勇者はおずおずと問う。
「えっと、黒岩累子さんはご在宅でしょうか?」
「私ですけど……なにか?」
勇者は「パァァ」という擬音が付きそうな凄い笑顔で言い切った。
「私は37代目勇者、天王維委! 魔王よ、いざ尋常に、勝負っ!」
「人違いです」
ドアが閉められた。
「………」
「………」
「ふむ、人違いでしたか」
「いえ、あってます。表札にもちゃんと『くろいわ るいこ』とあります」
しかもひらがなで。郵便屋さんも間違えようがない。
「……私は、なにか失礼なことをしたのでしょうか? それで魔王さんが気分を害した……とか」
「気分どころか命を害しようとしている立場ですけど、私たちは」
「………」
「今日は帰りましょう」
「……うん」
魔王と勇者の、歴史的でも劇的でもない日常は、こうして始まった。
「次は手土産でももってきましょう。お菓子とか」
「そうね。日持ちするので、あまり気を使わせないようなのにしましょう」
魔王の名前 黒岩 累子は「くろいわ るいこ」と読みます
勇者の 天王 維委は「てんのう いい」です