【8 魔界の朝】
「わお、夢じゃなかった」
目覚めてすぐの第一声。みなさま、おはようございます。私は今日もゆううつです。
「おはようございますッスー!」
上半身を起こしてぼんやりしていると、扉が勢いよく開いてガーグが入ってきた。私が頼みこんだことを聞いてくれているのか、すでに人間の姿だ。だが、いきなりの大声に心臓が早鐘を打っている。
「お、おはよう」
まだ寝ぼけたまま、私は言う。ガーグは、ふたたびいそいそと箪笥をあさりながら言った。
「今日は何着ますかお妃さま!」
彼の手により、着るのが恥ずかしいドレスたちが絨毯の上に次々と並べられていく。それを見ながら、私はどうしたものか、と考えた。もう一度、魔王に会って説得するべきなのはわかっているのだが、どうにも近寄りがたい。
出来れば明日までには戻りたいのだが、それが出来るかどうかは怪しいところだ。会社のひとが何て思うか考えただけで気分が落ち込むが、私はその思いを振り払って、ベッドから出る。
特に暑すぎも寒すぎもしない。初夏の天気の良い日くらいの気温だと思う。そもそも、魔界に季節があるかが不明ではあるのだが、天気の違いはありそうだ。なにしろ、雨が降って欲しいから雨女の私を呼んだということじたいが、ここにも雨が降るという証明になる。
「あの、私が昨日着てきた服はどうしたの?」
毛足の長い、もふもふする絨毯の上を歩きながら訊ねる。
「あれはバステトたちが洗濯したっス。まだ乾いてないと思いますし、魔王様はドレス姿のお妃さまを見たいと思ってるはずっスよ」
「バステト?」
「猫の頭をした侍女たちがいたでしょ? 彼女たちはバステトという種族なんスよ、オレがガーゴイルなのと同じっスね」
「そっか~、バステトっていうんだ。それで、今日もその中から何か選ばないといけないのね」
私はおとぎ話の中のプリンセスたちが着ているようなドレスをながめて言った。仕方がない。着るものがないよりはマシだと諦め、一番シンプルなドレスを選ぼうとしていると、例によってバステトたちがなだれこんできた。
「おはようございますお妃さま。本日もわたくしたちがお世話させていただきます」
私が動悸を感じて呆気にとられている側から、彼女たちは世話を焼き始める。
「あ、あの、自分で出来ることはしますので!」
「そういう訳には参りません。魔王様より、決して不自由はさせるなと言われております。さあ! まずは身だしなみを整えますよ!」
中でも最も偉いらしいバステトが、毛皮に覆われているところさえ別にすれば、人間と変わりない形の手を叩いて言った。私は、もう嫌だ、と思いながらも彼女たちに逆らう勇気はなく、そのまま囲まれて昨日と同じように強制身づくろいをさせられた。
お願いだから、もう少し羞恥心というものを理解してほしい。
私は涙目でそう思った。
◆◆◆
「おお、おはようございます。今日も魔界は良い天気ですぞ!」
部屋を出て、魔王を訪ねようとして通路に向かった私は、こちらへ来る途中だったらしいバルトに行き当たった。
ちなみに、朝食は部屋で食べた。昨夜のように、出前でもとったのだろうかという形でバステトのひとりが運んできたのは、朝にはあまり食べないうどんだった。それも、あたたかいやつで、具はわかめとねぎ。超のつくうどん好きさんや、讃岐地方のひとはどうだか知らないが、朝にうどんは初体験だ。味はふつうにおいしかった。
「は、はあ」
天気が良いと言われても、昨日とまったく変わり映えしない赤茶色ばかりの風景だ。
起きてすぐこれじゃ、なんだか気が滅入る。
そもそも、空はどんよりとした赤黒いガスがたちこめてる感じだし、太陽が見えないのに薄っすら明るいのがふしぎでたまらない。なにより、魔界というのは私のいたところから見るとどういう場所なのだろう。風の吹きつける通路手前で、私はひとり首をひねった。
「今日のお召しものもなかなかですな。昨夜は可愛らしかったが、今日はとてもセクシーです。魔王様もお喜びになられるでしょう」
バルトの言葉に、私は微妙な気分になる。今私が着ているのは、白い生地で、細かい金糸のレース飾りが胸元と袖口についているゆったりしたドレスなのだが、一番シンプルで飾りの少ないものを選んだら、やたら胸元と背中があいているつくりだったのだ。
正直、洗濯板にはかなりつらいドレスである。私はその話題をさけるように訊ねた。
「そ、そうですか。それで、魔王様はどこにいらっしゃるんですか?」
「いつもの広間ですぞ。ご案内してさしあげましょう。昨日の今日で、この巨大な魔王城ガズルラーヴの通路を覚えるのは大変ですからな」
「そうですね。じゃあ、お願いします」
私が言うと、隣のガーグがふくれた。ああ、その姿でそういう顔しないで。かわいいんだよ。なんでその正体はあんなに気持ち悪いんだろう。そうでなければ、ぎゅっと抱きしめてしまいたい。
「別にバルト様がおいでにならなくても、オレがちゃんと連れてくつもりだったっス!」
「はっはっは、それはわかっておるよ。しかし、我とてお妃さまとお近づきになりたいのだ。ともに行けば良いではないか、な?」
さとすように言うバルト。なんだかじいさんと孫みたいだ。私は思わずほほえんだ。
「わかったっス、オレがお妃さまをひとり占めしちゃダメってことっスね。じゃあ行くっス!」
「よしよし、行こう行こう。さあ、今日はひときわ風が強いので、お手を。吹き飛ばされでもしたら、我らが魔王様に殺されてしまいます」
「わ、わかりました」
バルトの言葉にやっぱりぞっとしながら、私はその手をつかんで、魔王のもとへと向かった。




