【62 戦いの終わり~婚儀へ】
「さて、これで全て済んだな。ウロスの頭を柔らかくするには、アレグラとアントニオのようすをたっぷりと拝ませてやるのが一番か」
「そうだね」
ふたり揃って小刻みに揺れる小瓶を眺めつつ言うと、彼が沈痛な表情をしていた。
「確か、グランガチであったか。お前はどうする?」
「……軍を引きます。心から納得した訳ではありませんが、それでも、この目で見たあなたの妃は、思っていたよりも見込みがありそうです。ですから、私は遠くから見ていることにします。いつか、私の思いを裏切る日が来ないことを祈りましょう」
「……そうか」
彼――ジェズアルドはグランガチと呼んでいたが――は、体に力を込めて人間の姿から魔物の姿へと戻った。その姿は、まさにドラゴンに似ていた。だが、地を這うような動きから、一般的なドラゴンのイメージは浮かんでこない。とかげを巨大化したようなワニ、というのが一番しっくりくる姿だった。
彼は、集まった魔物たちに向かって啼いた。
すると、彼らは何かを感じ取ったのか、少しずつ、波が引くようにガズルラーヴ城の周辺から撤退して行く。グランガチもまた、彼らと共に姿を消す。私はガーグの近くに膝をついて、その体を支えてやりながら、彼らが去って行くのをジェズアルドと眺めた。
彼らにとって、私は歓迎されていない存在だ。けれど、グランガチが最後にくれた言葉は、とても嬉しかった。ほんの僅かでもわかりあえた瞬間は、やはりたまらなく嬉しいものだ。
全ての人に好かれることは不可能なように、全ての人に自分の思いが通じることも不可能だ。それでも、思いが通じるように努力を続けたいと思った。貫き通したい思いがあるなら、なおさらだ。
やがて、彼らの姿が完全に消えると、遠くから声が聞こえた。
「おや、どうやら戦いが終わったことを知ったらしいな……戻ってくるぞ」
ジェズアルドの言葉に、私は彼の視線の先を追う。そこには、アレグラとアントニオの姿があり、また、城からも見慣れた影がこちらを目指してくるのがわかった。
すると、腕の中のガーグが身じろぎした。
「あれ? オレ……確か矢を受けて……」
「もう終わったよ。私はちゃんと無事だったしウロスも封じたから、ガーグも大きな怪我じゃなくて良かった」
私は、申し訳なさそうな顔になったガーグに、先回りしてそう言った。また、自分を責め出されたらたまらない。あの時はどうしようもなかったのだから。
「ああ、全ては済んだ。面倒な奴も封じたことだし、これでようやく婚儀が上げられるな」
私は驚いて顔を上げた。ジェズアルドは嬉しそうに笑っている。いよいよ本当に妃になるのだな、と思うと胸がいっぱいになり、私は声が出せなくなってしまった。
「婚儀……じゃあようやく儀式が行えるようになったんスね!」
まだ青い顔で、それでも嬉しそうに言うガーグ。
少しすると、アレグラやアントニオ、バルトにマッシモやサイクロプス含めた側近たちがやってきて、騒がしくなった。
私は早速青の小瓶をアレグラに渡した。彼女が持っているのが一番良いと思ったからだ。アレグラは少し戸惑ったような表情でそれを受け取る。すると、アントニオが彼女の肩を抱いて言った。
「時間はかかるかもしれないが、ゆっくりと説得してみよう」
優しく発せられたその言葉に、アレグラは静かに頷いた。
そして、私たちは城へと戻った。
◆ ◆ ◆
城へ戻ると、ジェズアルドはすぐに地下へ向かうと告げた。大広間の玉座の後ろに入口があると言うので、そこで皆とは一旦別れる。何だか全員から向けられた祝福の視線がむず痒い。
「儀式って何をするの?」
薄暗く、木の根が密集したような壁と床が続く通路をジェズアルドについて歩きながら、私は訊ねた。
「この魔界の中心地点にある魔石に、誓いの言葉を述べるだけだ。それで、お前は正式に余の妻ということになる」
「そんなに簡単なんだ……でも、今まで儀式が行えなかったのってどうして?」
「魔石への通路は、ガズルラーヴの木が目覚めねば開かない。今、こうして通っているこの場所がそうだ。ここを通って良いのは魔王が認めた者だけ、そして、魔王の力が弱まった場合には木が眠りに入ると同時に閉じる仕組みになっている。
魔石との契約が、魔王になるために絶対に必要な条件だからな」
「つまり、魔石と契約しちゃえばもう魔王ってこと?」
「そういうことだ。だから、最も厳重に守られている、さあ、もう着くぞ」
ジェズアルドに言われ、私は視線を前へと移した。狭く細い通路の終わりが見え、広い空間がその先に広がっているのがわかる。ジェズアルドは不意に途中で立ち止まった。思わず背中にぶつかりそうになり、私は慌てて立ち止まる。
振り返った彼と見つめ合う形となった私は、不思議に思って訊ねた。
「どうしたの?」
「先に、確認しておく……本当に、余の妃になってくれるのだな?」
私は、何を今さらと言った風に笑った。不安げに揺れる赤の瞳をしっかりと見据えて、言う。
「ジェズアルドこそ、本当に私でいいの?」
すると、安堵したようなほほ笑みが返ってきた。彼は、私の手を取ると言った。
「お前が良いんだ……行こう」
私は小さく頷いて、手を引かれるままに魔石の元へと歩みを進めた。




