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雨花の花嫁  作者: 蜃
第十話
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【60 魔王の咆哮】

 ほどなくして、私の近くに大きな影が現れた。


 ふわり、とそよ風が頬を撫でたと思った次の瞬間、私はジェズアルドの腕の中に包まれていた。突然のことに驚いて固まる。見れば、足もとに人の姿に化けたウロスが横たわっている。かなり痛々しいようすだが、命に別状はなく、気を失っているだけのようだった。


 ジェズアルドはしばらくそうしていたが、ガーグが傷を負っていることに気づくと、私ごと抱きこんでいた少年の背中の傷に手を当てた。何かが蒸発していくような音がして、紫のまだらに染められていた部分が消え去って行く。羽根に開いた穴こそふさがらなかったものの、ガーグの表情が和らいだのを見て、私は毒が浄化されたことをさとった。


 それからジェズアルドは一旦私を離すと、ガーグをそっと地面の上に横たえる。


「これで大丈夫だ……すまなかったな、結界が脆くなっていたことに気づかなかった」


「ううん、いいの……私は大丈夫だったから。この傷、すぐに治るよね?」


 かがみこみ、そっと地面に横たえられたガーグの頬に手を触れて私は問う。これだけの期間一緒に過ごしていれば、魔物たちの驚異的な回復力を目の当たりにする機会はいくらでもあった。ガーグもよくかすり傷を作っていたが、大体数分後には治癒している。


「ああ、ガーグは強いからな。毒さえ抜ければ後は時間が治してくれるだろう」


「うん……」


 私は自分の不注意を後悔しながら、再び立ち上がると「彼」と向き合う。名前はわからないが、その顔はひどく引きつっていた。


「さて……お前たちはどうするつもりだ。このまま余に逆らって塵と消えるか?」


「いえ、我々はあなたに逆らいたかったのではない……ただ、理解して欲しかったのです! 我々を地上から追いやった人間、その人間を、我々が魔王様の妃として受け入れるなど不可能です。アレグラ様ではだめだと言うなら、そのままでいて下されば良かった! なのにあなたは人間を妃にするという。ならば我々は……こうしてウロス様に従うしかなかった!」


 血を吐くような言葉だった。しかし、私はすぐに彼が言外に告げたことについて憤った。


「何よそれ、それじゃあジェズアルドが死ねば良かったって言うの? 自分たちが気に入らないからって主に死ねだなんて……!」


 思わず語尾が震える。そのことを知ったときの驚きと悲しみを思い出すと、今でも辛いのだ。ジェズアルドがあっさりと自分の死について語る声を聞いて、どれほど胸が締め付けられたか。自分の命を軽んじながら、仲間の命は必死に守ろうとする。そんな彼だからこそ、側にいようと決めたのだ。自分が彼の命を繋ぎとめられるとしたら、それ以上の理由などいらなかった。


「水紀、良い……話は余がつける」


 涙ぐんだ私の肩を優しく叩いてから、ジェズアルドは彼に告げる。


「本当なら、余が魔王をやめれば良い話なのだが、この魔界に干渉出来る力を単体で持つのは、すでに余だけだ。神代の頃に生まれた魔物でなければ、当時に作られた術式を扱えないのでな。

 余が魔王の座を先代から与えられたのはそれが理由だ」


 彼はゆったりとした語り口で丁寧に言う。それについては私も初めて聞いた。内容からして、おいそれと言って良いことではないのはすぐにわかった。


「ゆえに、この地位から退く訳にはいかない。

 それに、魔王が複数いればそれだけ面倒ごとも増える。余はそれを望まない……それでもどうしてもと言うのであれば、余を消してお前たちが魔王の地位につけば良い、出来るのならばな。神代の頃の魔物たちの強さは知っているだろう?

 しかも、それぞれが特殊な能力を創造主である神々から与えられているからな」


 半ば脅すように、淡々と言葉を重ねるジェズアルド。すると、彼は唇を震わせて叫ぶように言った。


「私はそんなことを望んではおりません! 何故、何故その人間の娘でなければならぬのですか、貴方は我らの王なのですぞ!」


「では、お前は、いや、お前たちは自分の妻を義務で選んだのか?」


 静かな問いだった。だが、目の前で声を失ったように口をつぐむ魔物たち。


「余も同じだ……そして、添いたいと思った娘が彼女だっただけだ。アレグラにしても、アントニオと添いたいと願い、余はそれを認めただけだ。いくらお前たちが拒否したところで、心までは変えることは出来ない」


 魔物たちは押し黙ったまま、三者三様の表情を浮かべる。納得したもの、納得していないもの、まだ迷っているもの。先頭に立ってジェズアルドや私と向かい合う彼は、納得していないようだった。


「しかし、その娘は人間……あなた様の本性を知ればどう転ぶかわかりませんぞ?」


 彼の苦し紛れの言葉に、私とジェズアルドは思わず顔を見合わせて笑いあう。その問題についてはすでに解決済みだ。ジェズアルドは、「ふっ」と面白そうに笑うと、私に言った。


「いいだろう……水紀、本性に戻るから少し離れてくれ」


「わかった」


 私は彼の意図に気づくと、ガーグを起こして彼とともに距離をとる。ジェズアルドの周囲には例の紫色をした霧が渦巻きはじめる。魔物たちはその様子に驚き、戸惑い、中には逃げだそうとする者もいた。


 霧は濃くなり、完全に人としての彼の姿が包まれて見えなくなると、途端に霧が巨大にふくれあがる。そう何度も見た光景ではないが、やはり圧倒されるものがある。そして、霧の中から、獣の唸り声が響き始める。


 その時点で、私たちを取り巻いていた魔物たちのうち半数が本格的に逃げだし始めた。


 私はただ静かにあの姿が現れるのを待つ。最初に感じた恐怖は微塵も感じない。風が吹き、霧が吹き飛んでいく。まるでベールを剥ぐように、私たちの前に地獄の番犬「ケルベロス」が現れた。


 本性に戻ったジェズアルドは、三つある首を面倒そうにもたげると、大きく息を吸い込み、魔界全てに轟くのではないかと思われるほど凄まじい咆哮を上げた。



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