【59 窮地で叫ぶ】
私はどうすることも出来ず、ガーグにしがみついて体勢を入れ替え、まだ辛うじて残っていた結界部分が下に来るようにした。
それは功を奏した。ガラスが割れるような音とともに、私は地面に転がる。背中は少し打ったものの、怪我はしていない。残った結界部分が衝撃を緩和してくれたのだ。
すぐに、ぐったりとして動かないガーグの背中の羽根から毒矢を引き抜く。どうやら柄にまで塗られていたらしく、私のてのひらがややただれた。しかし、そんなことに構ってはいられない。私は小柄な少年の肩を支えて立ち上がると、周囲を見回した。
――早く、早く手当てをしなくちゃ……。
まわりは完全に魔物たちに取り囲まれている。小物もいれば大物もいた。彼らは手に持った槍をこちらに突きつけたまま動かない、言葉も発しない。私は腕と肩にかかる重みを感じながら、焦りと苛立ちに苛まれていた。
「退きなさいよ」
低い声で言うが、彼らは微動だにしない。やがて、魔物たちの群れが割れて、中から人の姿をした魔物が現れる。美中年という言葉の似合う姿だったが、私の目に強く映ったのは、彼の蔑みに満ちた黄色い目だった。完全に私を否定している目だ。思わず、心臓が鋭い針で刺されたように痛む。
それでも、怯んでいる暇はない。
「……そこを退いてくれる? ガーグを手当てしたいのよ」
「出来ませんな」
「どうして、どうしてこんなことをするの? ジェズアルドの何が不服なのよ!」
私は腹立ち紛れに叫ぶ。自分の命が危ないことは分かっていたが、怒りの感情と、ガーグを早く手当てしなければという思いで、そこにまで考えは至らなかった。
「魔王様には不服はありません。ただ、アレグラ様を妃として迎え、あなたには死んで頂きたいだけでございます。その者を助けたいと仰るのでしたら、ここで大人しく殺されて下されば良い」
穏やかに語られたその言葉に、私は殴られたような気がした。
ずっと、自分ではジェズアルドに相応しくないのではと思っていた。けれど、ここで過ごしているうちに、どうしても自分もここにいたくなってしまった。だから、その事から目を反らし、彼らの愛情に甘えることにしたのだ。
ジェズアルドの側近たちは何も言わないし、中には私が来てくれて良かったと言ってくれた者もあるから、安心していた。
――だけど……、魔物たちの中には、人間が妃であることを良く思っていない者がいることは知っていた。
私は守られていたから、そういう意見を持つ者と直接話す機会はなかった。だから、こうして真っ向から全てを否定されたのはショックだった。心の中にあった不安が、目の前の魔物の形をとって現れたみたいだった。
それなら、私はどうすれば良いのだろう。
「つまり、人間が妃であることが気に入らないという訳ね?」
「そうです。ひ弱で、魔力も持たず、なのにずる賢い……我々から地上の光を完全に奪った人間などが魔王様の妃? 到底受け入れることなど不可能です」
彼の放った言葉に含まれたトゲから、私はこの魔界が辿ってきた歴史を思い出していた。
まだ城から出してもらえなかった頃、私は良く暇つぶしに色々と話を聞いていたのだ。本もあったが、魔界の言語はわからない。なので、興味をひいたことなら何でも話してもらっていた。
それは、ジェズアルドに聞いた話。
魔界はそもそも、魔物たちが暮らす世界ではなく、人間たちの間に伝わる煉獄や地獄だったのだという。と言っても、昔話のような場所ではなく、ただの空間だった。そこには、時々地上を追われた魂や存在が迷い込み、少しずつ世界としての形を成して行ったそうだ。
やがて力のある存在、つまり神々がここを支配しはじめる。ジェズアルドはその時に生み出された純粋な魔界生まれの魔物なのだという。ちなみに、そういう出生を持つ魔物は希少だとか。
大半の魔物たちは地上から放逐された者たちであり、魔界は彼らの最後の住処として存在することとなった。
つまり、彼も地上には住めなくなってここへ来た魔物と言う訳だ。地上でも当初は人間の数が少なかったこともあり、魔物たちは好きに暮らしていた。しかし今、地球は完全に人間の星だ。しかも、彼らのほとんどは人の目に触れる場所では生きられないのだという。
結果として、彼らは魔界に暮らすしかなくなったのである。
だから、魔物たちの中には、人間に対する憎悪を抱く者がかなりいる。
「あなたも、元々は地上にいた訳か……」
呟きながら、心の中には怒りの感情が沸騰してくるのを感じ、私は彼を強く睨みつける。
彼らが地上を追われたことは確かに気の毒だ。けれど、だからといって「わかりました」などと言って素直に殺されてあげるほど、私は彼を可哀想だとは思わない。
「大人しく殺されてくれますかな?」
彼の言葉に、魔物たちがじりっと距離を詰めてくる。私は、上空で戦うジェズアルドに視線を送り、大きく息をついた。
「お断りします」
魔物たちの間からどよめきがあがる。
「そうですか……しかし、魔王様はまだウロス様と戦いの最中、あなたを救いに来る余裕はないでしょう。アレグラ様たちも、この数の前では来られませんでしょう、そしてあなたは非力な人間だ。どの道殺されるだけです、せめて楽に死にたいとは思いませんか?」
「ええ、確かに殺されるでしょうよ……けどその前に言っとくことがあるの。あんたたちには友だちとか家族とか、大切な存在っていないの?」
私の質問に訝しげな顔をする魔物たち。
「……おりますよ。妻と息子がね」
「そう、じゃああなたは、自分の妻があなたには相応しくないからと言って他の魔物に殺されたらどう思う? それだけじゃない、息子さんの相手が気に入らないだけじゃなく、別の相手と無理やりに添わせることについてどう思うの?」
「なるほど……しかし、魔王というのは特別な存在なのですよ。一介の魔物である私と比べられるものではありません」
返ってきた否定の言葉に、私は叫んだ。
「そんなこと言ってないでしょ! あんたたちは自分の大切な主の気持ちを踏みにじって平気なのかと聞いてるのよ! 私がジェズアルドの隣に相応しくないことなんかわかってる! あんたたちは確かに可哀想よ! だからと言って、あっさり殺されてやる訳にはいかないのよ! 私が好きだと言ってくれたジェズアルドやガーグたちのためにも……さあ、殺すなら殺しなさいよ、抵抗出来るだけしてから死んでやるからっ!」
のどが痛むほどの勢いで叫んで、私は風魔扇を広げた。
武器に出来るものなんてこれしかない。
私の怒声に、彼や魔物たちは唖然としていた。まさか怒鳴りつけられるとは思っていなかったらしい。正直、まだ叫び足りないくらいだ。だが、彼らが気を取り直す前に、遠くから凄まじい爆音が響き渡ってきた。




