【55 城の外へ】
「ウロスのように余に個人的に恨みがあるならともかく、他の魔物たちまで、しかもこれほど大勢がこのガズルラーヴを目指してやってくるということは、皆、余の力の弱まりを感じているのだろう。魔王が代替わりする可能性があると踏んだのだと思う。そして、魔王が代替わりをする場合は、側近すべてが入れかわる……うまくすれば、次代の魔王の側近になり、高い地位と権力が手に入ると思っている輩も多いようだ。
それだけでなく、この魔界がバランスを崩していることを危惧するあまり、代替わりを望むものも混じっているかもしれない。だからこそ、余の力が戻ったということを知らしめる必要があるのだ。
彼らはなぜ余が魔王の座を譲られたのか、歴代の中で最も長く魔界を治めていられたのか、どうやら忘れているようだ」
ゆったりとした口調で語ってから、ジェズアルドは低い声で微かに笑った。
いっそ穏やかですらある語り口であったというのに、その場の魔物たち全てが息を飲む。私は「なぜジェズアルドが魔王になったのか」といういきさつは知らないけれど、今まで一度も見たことのない彼の冷酷な顔に、魔物たちと同じく息を飲んだ。
今さらだけど、本当に〝魔王〟なんだなと実感する。私に向けられる感情は穏やかなものばかりなので、感覚としてわかっていなかった。これが、彼の〝魔王〟としての顔なのだ。
「今回のことは余が魔王であるということを再び彼らに知らしめる良い機会となるだろう。さて、それでもまだ反対するか?」
「……いいえ。納得致しました、では我々は全力でこの城を守りましょう。して、いつ行かれるのですか?」
サイクロプスが問うと、ジェズアルドは静かな眼差しで外を見やってから言った。
「これからすぐ、用意が整い次第行く。行くのは余と水紀とガーグ、アレグラ……アントニオも来たいのなら来るがいい。他の者は城の守りに専念しろ」
『はっ』
サイクロプスとバルトを含めた全員が深く首をたれ、すぐさま移動魔法を使ってここから別の場所へと去って行った。ジェズアルドは全員が退出してから、私に訊ねてきた。
「と言う訳だが、すぐに行っても平気か?」
「もちろん」
私は真っ直ぐにジェズアルドの目を見てうなずいた。その後で、アレグラを見やる。行くということは、ウロスを封印しに行くということだ。そして、ウロスは彼女の父親だという。娘の目の前で父親を叩いたりして良いものだろうか……。
すると、彼女は私の視線を感じたのか、奇妙に引きつった笑顔を浮かべて言った。
「お妃さま、私に遠慮はなさならくて結構ですよ。どうぞ、父を封じてくださいませ」
「あ、え? ええっと、わかった。じゃあそうするね」
思っていたことがそのまま顔に出てしまっていたらしい。私はややうろたえつつ答えた。これでお墨付きはもらったわけだけど、やっぱりやりにくいことには変わりない。とはいえ、こうなった以上は封じないと後々困るのだろうから、ここは事態の収拾を優先したほうがいいと私は思った。
「では、行こう」
ジェズアルドは私とアレグラのやり取りが終わるのを見てとると、城の外へ通じる移動魔法陣を出現させた。それと同時に、腰に腕が巻きつけられ、かなり強く抱き寄せられる。振り落とされないように配慮してくれているのはわかるが、やっぱり心臓に負担がかかるし、恥ずかしい。だが、彼の方はそんなことなど意に介さないようすで、陣のなかへと飛び込んだ。
視界がまわる。結局私はジェズアルドにしがみついてしまった。
――やっぱりこの移動方法は苦手だ。
私は城内の移動のときにはない圧を感じながら、久々にそう思ったのだった。
◆◆◆
ごくわずかの時間、気持ちの悪い浮遊感に耐えると、一気に視界がひらけた。
少し前までは、望んだところでムダだと思っていた青空がひろがり、太陽の光が魔界を照らしている。その太陽は、地球を照らしているあの太陽と全く同じものなのだそうだ。何でも、魔法を使って空間を地球とつなげることで、ここまで光が届くようにしているのだという。
これまでは魔王の力と魔界の力のバランスとれなくなっていたせいで、魔界にかけられたたくさんの魔法システムも発動しなくなってしまっていた。原因は、魔王の力が強くなりすぎたせい。そこへ私という要素が加わったことで、バランスが回復して、システムも正常に作動するようになったとか。
詳しいことはわからないけれど、魔界と魔王はつながっていて、どちらか一方がだめになれば相手に多大な影響が出る。そのせいで、ジェズアルドは弱体化してしまったということらしい。
今ではかなりの部分が復活していて、魔界の楽園という違和感のある名前で呼ばれていたこのガズルラーヴも、もとの美しさを取り戻しつつあるという。その証拠に、眼下には花畑が広がっている。
しかし、今その花畑の一部は城へ向かう魔物たちによって踏みつぶされてしまっていた。
「あ~あ、せっかく花が咲いたのに、これじゃ台無しっスね。もう少し落ち着いたら、ピクニックしようと思ってたッスのに」
すぐ横を飛んでいるガーグが残念そうに言った。
「本当ね」
私はすぐに同意の言葉を返した。その花畑は魔界で良く見るような食虫植物みたいなものではなく、地球にあるような可憐な花々たちが咲いている場所だった。ジェズアルド以前の魔王が人間の妃を迎える際に持ち込んだものだという。
「……これ以上荒らされる前に奴らを止めなければな」
ジェズアルドは苦い声で言うと、飛ぶスピードを上げた。
空中をたゆたうようにこちらへ進んでくるウロスへとどんどん近付いていく。私はふと後ろを振り返った。すると、ガズルラーヴ城が薄い紫色の被膜に包まれるのが見えた。
「あ、結界が作動したようッスね。これで遠くから魔法で攻撃されても城は大丈夫そうッス」
ガーグがつぶやくように言った。
私はその言葉のあとで、視線を下に向けた。こうして見ると、本当に包囲されているのがわかる。しかも、すでに魔法による攻撃が届くほど近くまで来ているのだ。私はようやく怖くなってきて、小さく身震いした。
「……怖いか。だが、大丈夫だ。お前は余が守る」
「うん、信じてるから平気よ」
耳元にささやかれた声にどきりとしつつも、私はそう答えた。ちゃんと本心だ。強がりを言っているわけではない。本当に、よくわからないけれど、大丈夫だという気がしていた。
けど、守るという言葉とささやかれた声に、私はついつい頬が火照ってしまう。嬉しい、ものすごく嬉しいけど、いたたまれなくて私はうつむいた。
そんな感じで内心葛藤していると、ジェズアルドが飛行を停止した。
顔をあげると、五メートルも離れていない場所にウロスの長く輝く体が見える。彼はうなり声をあげると、静かに、しかし怒りをこめた声で言った。
「来たか、魔王ジェズアルド」




