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雨花の花嫁  作者: 蜃
第十話
53/64

【53 夢ではないと】

 ロレンツィオを解放してから三日後。


 私は雨のあがる頃合いを見計らって外に出た。時刻はまだ朝だ。雨滴が近くの木々からしたたり、足もとはぬかるんで、空気はたっぷりとした水気を含んでいる。ここしばらく降り続いた雨により、魔界は驚くべき変化をしていた。


 ジェズアルドの言葉を疑っていたわけではないが、実際に目にするまで、あの赤茶けた荒野が緑の広がる美しい場所に戻るとは到底信じられなかったのだ。だけど、私の目の前ではすごい勢いで草が芽吹き、枯れていたかに見えた木々も、ゆっくりとだが葉をひろげていった。


 あまりの早さに何ごとかと思ったくらいだ。どうしても直に見てみたくて、私は外へ出てきたのだ。


 珍しく私の側には誰もいない。ガーグもマッシモもまだ眠っているし、バルトはいつも見まわりをしている時間だ。マーラも朝の仕事で忙しいのだろう。


 遠くを見やれば、ここへ来た時に見た火山は相変わらず火をふいている。赤茶色に染まっていた空はじょじょに青みを帯びるようになり、ジェズアルドの言っていた通り、私が暮らしていた日本と大差ない景色が展開されている。――上空を恐竜みたいな生きものが飛んでいることは除くけど。


 湿った土を踏みしめて、私は歩く。自室以外でひとりきりなのは本当に久しぶりで、少しだけ心が浮き立っていた。


「なんだかうそみたいよね」


 ここへ落とされて、もう三カ月以上はたった。失恋してすぐにここへ連れて来られて、いきなり妃になれと言われたときはどうしようかと思ったものだ。その後、私の失敗で小瓶の魔物を解放してしまい、めまぐるしい毎日が始まった。突っ込みどころだらけの日々だったけれど、ものすごく楽しかった。そのうち、本当にここにいていいのだろうかと不安を感じたが、それはつい先ごろに解消された。


 ずっと、愛し愛されたいと望んでいた。いつも、好きになった人には思いを告げられず、告げようとしてもすでに誰かが側にいて、私などの入り込む余地はなかった。私は、誰にも必要とされないのだろうかと考えてしまった夜は何度もあった。


 やがて、心の中に小さなわがままが巣食った。愛した人に、愛して欲しい。無理かもしれないと思いながら、望みつづけた。それがついに叶ったのだ。


「夢みたい……夢じゃないよね」


 つぶやいて、思い返す。聞いている方が恥ずかしくなるようなセリフをくり返しながら、注がれる眼差しにこもった微かな不安のゆらぎ。鋭い赤の虹彩に、私の抱くものと良く似た諦めの感情がただようのを見た。それなのに、ジェズアルドは優しいままだった。私だったら、いじわるのひとつも言っていたかもしれないのに。


 傷つくのが嫌で、自分からは言いだせないのに関わりたくて、側にいたくて、傷つく。


 ジェズアルドも痛い思いをしてきたと言っていた。その痛みは知らず知らずのうちに私の心に入り込み、気づいた時にはずっとこのひとの側にいたいと願うようになっていた。


 思いを返してもらえない痛みをわかちあえる友として、温もりを与えあう恋人として、魔王としての彼を支える妃として……。後悔はまったくしていない。


 しばらく歩いていると、あの南の庭に出た。立ち止まって濡れた地面を眺めていると、その時のことを思い出して顔が自然とほてってしまう。とにかく話をしようと必死だったので、冷静になってみるとずいぶんと恥ずかしいことを言っていたように思える。


 すると、後ろから小さな足音がした。


「なんだ、お前も散歩していたのか……?」


 地面をとっくりと眺めていた私は、思わずびくっと体を震わせて振り向く。わかってはいたが、ジェズアルドが立っていた。一気に鼓動が激しくなる。最初に見た時と寸分たがわぬ整った顔立ちや、細いのにしっかりとした体つきなどを見ると、否応なく意識してしまうのだ。


 この症状は告白して以来ずっとつづいている。こんなとんでもない存在が、本当に自分の伴侶になるのかと思うと、細かい仕草までが気になって仕方ないのである。


「うん、すごいね……一気に緑になっちゃったから近くで見たくて出てきたの」


「そうか、ガーグたちはどうした? 結界の指輪があるとはいえ、ひとりで外に出るのはあまり良くないぞ。魔界には、余にとっては大丈夫なものでも、お前にとっては危険なものがかなりある」


 怒っているらしい。鋭い目がいつもよりさらに細まり、私はちょっと怖くなってすぐに謝った。


「ごめんなさい、ちょっとひとりで考えごとしたくて……」


「考えごと?」


「そう、色々とね……ここに来た時のこととか、来る前のこととか」


 そう言うと、ジェズアルドは少し表情を曇らせて訊ねてきた。


「戻りたいか? 今さらかと思われても仕方ないが、ちゃんと戻ってくるのなら少しの間戻してやることは出来るぞ。今までは逃げられるのが嫌でとどめ置いたが、儀式さえ終えればお前は正式に余の妃だ。そうなれば、こちらがお前の居場所となる」


 言いながらジェズアルドは私の近くへ歩み寄ってくると、おろしたままの髪をひと房つかむ。少し前までは栗色に染めていたのだが、魔界に落とされてからは面倒なので黒に戻した。もともとゆるく波打っている髪は、ジェズアルドの黒い手袋の中でさらりと音をたてる。


「そうなの。じゃあ、そのうちに戻ってみたいと思ったら言うね。今は特に行きたい場所もないし、ここにいたいから」


「……わかった。その時はそうしよう」


 ジェズアルドの表情に少しだけ柔らかなものが混じったので、私はほっとした。だが、何と言うか、先ほどから微妙に視線が絡みつくのは気のせいだろうか? いっこうに髪をはなしてくれないし、何か言いたげにしている気がする。


「あの、どうかしたの?」


 耐えられなくなって問うと、ジェズアルドは少し困ったように頬を染める。美形がそんなことをするととてつもなく心臓に悪い。私の心臓ファイト、がんばれ。


「いや、すまない。――水紀、少し、触れてもいいだろうか?」


「え? えーと、うん、どうぞ」


 とりあえずよくわからないのでうなずくと、手が伸びてきて頬に触れた。手はゆっくりと頬から首へ落ちる。指先が触れた箇所が何だか熱い、と思っていると、そっと抱き寄せられた。背が高いので、私の顔はジェズアルドの胸のあたりにおさまった。温かい。鼓動が耳に静かにひびく。私の方からも背中に手をまわすと、彼の身体が小さく震えるのがわかって、少しだけ笑みがこみあげた。


「ずっとお前に触れてみたいと思っていたのだが、良いのかどうかわからなくてな。余は、あまり女に触れたことがないから、どうしたら嫌がられないかと考えたのだが……」


 黙り込むジェズアルド。どうやら答えは出なかったらしい。と言っても、私だってわからない。本当の夫婦になれば色々とするのだろうが、知識はあっても経験はないので、正解を言うことはできない。


「大丈夫、私もわからないもの、だから、お互いにこれなら良いとか悪いとか訊ねあえばいいんじゃないかな」


「なるほど、それが一番か」


 温かな笑い声とともに言うと、ジェズアルドは体を離してから、顔を近づけてきた。キスされるのだろうか思って身構えたとき、少し離れた場所からがしゃがしゃと騒々しい音が聞こえた。その金属音に混じり、大きな声があがるのが聞こえると、思わず私とジェズアルドはぱっ、と身を離す。


 やがて姿を現したのはバルトだった。何やら慌てた様子で首を逆さまに持った状態でこちらへ走って来る。首の目線はあんまり関係ないのかなと思っていると、いつもの大声で彼は叫んだ。


「魔王様ー! 大変ですぞぉぉおっ!」


「何なのだ騒々しい……何かあったのか?」


 明らかに不機嫌丸出しの尖った声で問うジェズアルドだったが、バルトはそれどころではないといった様子でさらに叫んだ。


「ウロスめが、魔物の軍勢を引きつれてこの城を包囲しておるのです!」


「何だと……?」


 バルトの言葉に、ジェズアルドの表情が一変した。



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