表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雨花の花嫁  作者: 蜃
第八話
49/64

【49 憂いは消えた】

 遠くで、雷鳴がとどろく。強い風が吹きつけ、私はジェズアルドにつかまった。ざわざわと木々が揺れて、風に水気が混ざりはじめる。嵐の予感。私は、声を出すのも忘れて、空を見た。


 やがて、ぽつりと私の鼻先に水滴が落ちる。


「……降っ……た」


「ああ、やっとだな……これで、余の力も戻るのが早くなるだろう」


 見上げたジェズアルドの顔は、嬉しそうだった。私も、心から嬉しい。これで、側にいられる。側にいる理由が出来たのだ。


「良かった。ずっとずっ不安だったの……水属性だ、雨を降らせるために呼んだんだって言われたのに、全然降らなくて、もしかしたら追い返されるんじゃないかって思って」


 口もとに手を当てて、目を細めて雨滴を感じながら私は言った。心にかかっていた黒いもやが、きれいになくなったように清々しい。すると、ジェズアルドは手をのばして、私の頬に触れた。手袋に包まれた指が目もとにのびてきて、涙を軽くぬぐってくれる。


「そんなことを気にしていたのか? 余は言ったはずだぞ。ここから帰すつもりはない、と。例え雨が降らなくとも、お前が側にいれば少しずつ魔力のバランスは改善していくのだ。マッシモと戦ったときより、余は遥かに元の力を取り戻している。今なら、魔界のどの魔物も余に手出し出来ぬさ」


 頬に置かれた手がうなじにまわり、また抱き寄せられた。私は、ジェズアルドの背中に手をまわして、そっとうなずいた。


 信じていなかった訳ではない。ただ、やはり理由があれば安心感が違うのだ。私は、さらさらと降りだした霧のような雨の中で、言った。


「うん、あのね、すぐじゃなくていいから、いつかきっと、本当の姿を見せて。私、それでも逃げないから。だって、姿かたちは違っても、ジェズアルドはジェズアルドでしょう?」


「……ああ、わかった」


 声には苦痛がひそんでいた。それでも、私は「良かった」と答えて、体を離した。


「城の中に戻りましょう? 風邪ひきたくないし……そうだ、これどうしようかな。せっかくとってきたんだし、良ければ食べて。夕飯、まだでしょ?」


 私は立ち上がると、上に布がかけられたコンロを見やり、テーブルの上の「プウペパプペ」を手にとると訊ねた。すると、ジェズアルドはちょっと困ったような顔をした。


「食べたいのは山々だが、それを食べるには本性に戻らなければならぬ。その、置いておいてくれ、後でもらうことに」


 その言葉は最後まで続かなかった。


 なぜなら、私の持った袋から「プウペパプペ」が飛び出したのだ。


 ――そういえばこの肉のかたまり、動くんだった。


 呆気にとられた私は、目が釘付けになったジェズアルドに気づいた。そのお腹が、きゅるきゅると鳴る。良く考えてみれば、彼はまだ夕食にありつけていなかった。


「あの、さっき言ってすぐだけど、私は大丈夫だから、食べて?」


「しかし……」


「いいから! ううん、むしろいい機会よ、早くしないと逃げちゃう! ねえ、私を信じられないの? せっかくあなたのためにとって来たのに……」


 そう言ってあおっている間にも、「プウペパプペ」はもりもりと大きくなり、人形(ヒトガタ)になって、のそのそと歩きはじめる。ジェズアルドは、私と「プウペパプペ」を交互に見やり、腹に手を当てたあと、真剣な表情で言った。


「わかった、水紀……お前を信じることにしよう」


 そう言うと、彼の身体を妖しいが美しい、紫の霧が包みはじめる。その霧は、きらきらと輝く光の粒をまき散らしながら、一気にふくれあがった。ジェズアルドの身長の三倍ほどまでになる。

 その中から、ぐるるという唸り声がした。


 私は、口を大きく開けて、やや間抜けな顔になった。


 現れた獣は、想像通りのもので、背すじを悪寒が走り抜けた。今すぐ、ここからまわれ右して逃げたい欲求に駆られる。それは本能的な恐怖だった。私は、自分の心と戦った。逃げちゃだめ、と自分に言い聞かせて、足から力が抜けそうになるのを抑える。


 それから、じっと眼を見た。


 六対の、赤い深紅の(まなこ)


 血の色に思えたが、やがて、その瞳が優しく、不安にかげっているのに気づいた。


 歩くと地面が揺れる。彼は、ゆっくりと三つの首をめぐらせて、植物の茂るなかに姿を消しかけていた「プウペパプペ」を頭からがぶり、とかじった。かなり衝撃的な光景だった。私は、ようやくそれを見て、ミレーヌの見た光景が何なのか、はっきりと理解した。


 何となくわかってはいたが、こうして目の前で見ると、彼女の恐怖が理解できる。


 彼は、肉を前足で押さえて引きちぎり、食べる。嫌悪感は感じない。血は出ないし、内臓もないし、何しろただの肉のかたまりで、動物の姿もしていない。なので、テレビで見る、肉食獣のお食事のような感覚はない。私は、少し離れた場所から観察する。


 前足で「プウペパプペ」をはさみこみ、座り込んで肉を噛み始めた彼が、満足そうに目を細めるのを見て、自然とほほ笑みがもれる。美味しいのだろう。ロレンツィオの言っていたことは嘘ではなかった。


 私は、そっと足を踏み出した。食事をしているジェズアルドに近づき、首のひとつに手を伸ばす。彼は身じろぎひとつしない。触れると、なめらかな毛の感触が心地よい。そのまま、頭をなでつづけて、しまいには抱きついた。ジェズアルドの体が、びくりと反応した。けれど、私が動かないでいると、体の震えがおさまってくる。


 ケルベロス姿の彼は、想像よりも遥かに綺麗だった。見た目は、確かに怖い。真っ黒の毛皮に、炯々と光る紅の目。しなやかな体つき。首が三つあり、口からは火が吐き出せるらしく、肉の焦げた匂いがただよいはじめる。私は、毛に顔をうずめたまま、言った。


「ね、怖がらなかったでしょう?」


『ああ……そのようだな……これで、余の憂いは全て晴れた。水紀……愛しているぞ。それから、肉をありがとう。久しぶりに、生の肉を食べられた……』


 人の姿のときとは違う、重々しくくぐもった声が、脳に直接響く。これが、こちらの姿のときの彼の声なのだ。初めて聞いたその声も、私にはとても心地よかった。


「……私も、愛してる。ゆっくり食べてね」


 そう答えると、彼は満足そうに食事をつづけた。雨はまだ降っている。けれど、毛皮は雨を弾くらしく、ジェズアルドの側にいるとあまり濡れなかった。しばらくそうしていると、魔物たちが外に出てきた。彼らは口々に雨を喜び、私とジェズアルドの姿を見つけると、驚いたような声をあげた。


「おお、あの娘、魔王様が本性を出しても恐れないようだぞ、これはめでたい!」


「まさに。これで魔界もうるおうことだし、今夜は飲みあかそうぞ」


 魔物たちはそう言いながら、雨を喜び、城の中から漏れでる明かりがいっそう強くなる。鬼火たちは、頼まれるとその体を大きく出来るのだ。


 他にも雨に気づいた者たちが現れて、歓声がわく。


 私は城から奏でられるその声や音を聞きながら、ジェズアルドが食事を終えるまで、黙って彼の側にい続けた。幸福感で、心のなかがいっぱいだった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ