【47 どうしても……】
肉の焼ける匂いは、豚肉が焼けるのとあまり変わらない匂いがしたが、それよりもやや野性味を感じるような気がした。肉が焼けてくると、それを皿に取る。庭には、肉の焼けた匂いばかりが広がっていく。
全員が全員、息をひそめて辺りの様子をうかがう。はっきり言って、パーティをしている雰囲気ではない。けれど、特に何の反応もない。私はため息をつくと、お腹に手を当てて、言った。
「ジェズアルドが来るかどうかは賭けみたいなものだし、とりあえず、私たちも食事にしましょうか。お腹がすいちゃった」
「ああ、そうだな。じゃあそれ、その野菜焼いてくれ」
マッシモが早速食いついた。私も、食べられるものを串に刺して焼き始める。
しばらくの間は、みんなでのんびり食事をすることになった。近況やら何やら、たわいのないことを喋りながら時間が過ぎていく。やがて、食事も終わりにさしかかった頃だった。近くの茂みが、青白い色に輝いた。
真っ先に動いたのはガーグだった。
「誰か引っかかったッス! あっち!」
私はその言葉に、口の中のものを急いで飲み下すと、光った方向へ向かって走り、そこに佇む人影に向かって体当たりを食らわせる。電光石火の勢いだった。我ながら、ここまでの素早さで動けるとは思わなかったものの、とにもかくにも、手ごたえはありだ。
「なっ……ぐあっ!」
うめき声とともに、私の下敷きになったのはジェズアルド当人だった。なんというか、ずいぶんアッサリと引っかかったものだな、と私は呆れつつ、それでも逃がすまいとばかりに服にしがみつく。彼は驚きつつも、どこかばつの悪そうな顔をして私を見た後で、自分を取り囲むガーグ、マーラ、マッシモ、黒毬たちを見て、不機嫌そうな声を出す。
「お前たち、一体何をしているんだ。余にこんなことをして……」
「別にやりたくてやった訳ではございません魔王様。わたくしたちはただ、魔王様とお話がしたいというお妃さまの頼みを引き受けただけにございます。なぜ、そこまでお妃さまを避けていらっしゃるのですか?」
マーラが説明しながら問うと、ジェズアルドは微妙な顔をして、ため息をついた。
「そのためにわざわざ「プウペパプペ」をとってきたと言うのか……」
「そうよ。……ねえ、どうして避けてたか教えて。私が何かしたとか、良くないこと言ったとかだったら謝るし、言いたくない事情があるならそう言って……お願いだから、無視しないで」
私は真っ向からジェズアルドの目を見て言った。赤く、鋭い目。最初に見た時はとても怖かった。だけど、こうして見てみると、血の色というよりはルビーの色だ。その色に、微かな恐怖が浮かんだように思えた。だけど、私は目を反らすことはしなかった。
「お前は何もしていない。余の問題だ……それより、どいてくれないか?」
「逃げない? 本当に逃げない? 私、話があるの。ロレンツィオに私が捕まる前の晩に、聞いてきたでしょう。ちゃんと考えて答えを出したから、聞いて欲しいの……どうしても」
言いながら、目頭が熱くなってくるのを感じた。目の前の困惑した顔が、さらに困っていく。しばらくすると、それも歪んで見えなくなった。そこで、私はようやく気づいた。ずっと、避けられていたことが悲しかったのだと。
「あ~あ、泣かせたな」
呆れたようなマッシモの声がした。マーラが深いため息をつく。ジェズアルドからは、苦しげな呼吸音が聞こえてくる。私は必死に目をぬぐって、視界を取り戻して言う。けれど、涙声になってしまうのだけはどうにもならなかった。
「ごめん、泣くつもりはなくて……だけど」
「……いや、すまない。それでお前の気が済むなら、ちゃんと話を聞こう」
ジェズアルドはゆっくりと体を起こした。私はその前に座り込み、涙をぬぐう。泣くのは久しぶりだった。ずっと、誰にも弱みを見せたくなくて、こらえてきたからだ。なのに、こんなにもあふれてしまうのは、少しずつ少しずつ、ここが自分の居場所だと感じるようになってきていたからなのだろう。
「お前たち、面倒をかけたな……少し、ふたりきりにしてくれ」
ジェズアルドが言うと、皆は音もなくうなずいて立ち去った。マーラはきちんとコンロの処理をして、それから静かに立ち去る。座り込んでしまった私を、ジェズアルドはそっと抱きしめてくれた。
「頼むから、泣くな……悪いのは余だ」
私は必死に目をぬぐい、うなずきながら、何とか涙をとめようとする。触れる温かさが嬉しいせいか、なかなかとまらなくて、私は困った。やっと話を聞いてくれると言ってくれたのに。すると、穏やかな声が言う。
「ゆっくりでいい。時間はある……ただ、余が逃げていただけなんだ。また怖がられて嫌われたら、そう思うと、顔を見るのも怖くなってな」
「魔王なのに……?」
私が鼻声で言うと、ジェズアルドは苦笑した。
「誰であろうと、友好を結ぼうとした相手に嫌われたり、恐れられたり、距離を置かれればつらいだろう。余は、何度も何度もそれを経験した。花嫁の件も……臣下たちが頼むから受け入れたが、最初は、お前をここへ連れてくるつもりはなかったくらいだ。また同じ思いをすることになるのは、嫌だった」
私は、ゆっくりと涙がとまるのを感じながら、初めて聞く彼の話に耳を傾けた。
私の他の、九人の妃たち。
そのほとんどは、刺客だったり、スパイだったり、地位が目当てだった。それ以外のひとには、怖がられ、ひとりは死んだ。最初は、ひどくあっけらかんと語ってくれたので、もう過去の記憶になっているのだろう、と勝手に思ったけれど、違っていたのだ。
だから、私の言葉もすぐには信じられなかったのだろうと今ではわかる。
私は、改めてちゃんと言った。




