【38 ロレンツィオとの交渉】
バルトが来るのを待ちながら、私はついジェズアルドのことに思いをはせてしまう。
本音を言うと、ちょっと落ち込んでいた。
ジェズアルドは、向き合って話すことがそんなに怖いのだろうか。きっとそうなのだろう。何しろ、私を見るなりすぐに移動魔法を使って消えたくらいだ。
「はあ……せめて人海戦術みたいなのが使えればなあ」
私はぼやいた。夕食も済んだし、後はバルトが迎えに来るのを待つだけだ。
ベッドの上に腰かけて、室内を見渡す。いつ見ても広い部屋だと思う。落ち着かないので、寝室だけ個人部屋みたいにして使っているけれど、それでも広い。壁は石壁で、窓は大きくて不思議なことに冷たくないガラスがはまっている。足元には絨毯が敷かれていて、最初は踏むのに抵抗があった。
寝室には、天蓋がついたベッド以外に、箪笥と小物を置くための棚、鏡台、デスクとチェア何かが置いてある。一部をのぞいてこの城の物置きから持ってきたもので、高級感があって落ち着く。
普通に働いていたら一生見るだけだっただろう家具と調度。こんな物に囲まれて生活することになるなんて、本当に思わなかった。最初はこんなすごいもの私には似合わない、とか言っていたものの、マーラさんに使わないものは死ぬだけですから、と言われて納得したので、今ではきちんと手入れしながら、大切に使うことに決めている。
その小物を置く棚に、あの小瓶が三つ並んでいた。赤、青、黄色。うち二本は空なのだが――。
『水紀……いい加減に僕を出してくれないか。いつまでこうして封じておく気なんだ。マッシモはすぐに出してやったというじゃないか、この扱いの差は何なのさ。あんな馬鹿牛は良くて、どうしてこの紳士の鑑たる僕は出してくれないんだい? ねぇ、出してくれたらいいことを教えてあげるよ。だから、お願いだ、出してよ』
赤い小瓶がぼんやりと輝きを放つと同時に、いつものやや哀れっぽい声が聞こえ始める。
「ああ……またうるさいのが」
時刻は夕方。そろそろ吸血鬼が活動を始める時間帯である。あれ以来、ロレンツィオは毎日のように瓶から出せ出せと連呼するようになった。あんまりうるさいので別の部屋に置いたりしたのだが、彼を封じた赤の小瓶は、どういう訳かしばらくすると同じ場所に戻っているのだ。
おかげで、眠る前には必ず別の場所へ移動させるのが日課となっている。
『うるさいとは失礼だなあ。僕の美声を聞けて嬉しくないのかい?』
「睡眠妨害になるほど聞かされたらどんな美声だって騒音でしかありません」
私はしごく真っ当な答えを返す。
「それに、いいことだなんて私は信じない。だって、口がものすごくうまそうなんだもの」
『ふむ、それについては否定しないよ。でも、僕の口のうまさが発揮されるのは美しい女性の目を僕だけに向けさせるときだけさ、水紀、君のようなね』
「……さて、今日も物置に置いてこようかなっと。それとも別の場所がいいかな」
私はベッドに下ろしていた腰を上げ、ネックレスをつまむ。一瞬で地下まで移動できるというのは本当に便利だ。
『ま、待て待て待ってくれ! なんで褒めているのに君はいつもそんなにつれないんだ』
「美しい女性という言葉を別の言葉に変換して聞いてるからです」
律儀に答えつつ、私は棚の瓶をつまみあげる。擦りガラスのような曇った表面の中で、光が慌てたように点滅をくり返すのを見ながら、呪文を唱えようと口を開く。
『待ってくれ、何に変換しているんだ?』
「餌、もしくは食べもの」
『……それは、否定できないけど。でも、いいことって言うのはジェズアルドに関することだよ。それでも聞かなくていいのかな? 君、彼と話をしたいのに出来ないんだろう。僕は彼の弱点を知ってるからね、捕まえて話をさせるなんて余裕で出来るよ!』
「……く」
私は思わずうめいた。こんなタイミングでそんなうまい話を持ち出されるとは思わなかった。だけど、簡単に出すわけにはいかない。ロレンツィオはうそをついているかもしれないし、何より、まだハリセン、じゃなくて封魔扇が戻ってきていないのだ。
黒い灰になってしまった封魔扇は、現在修理中だ。床に散らばった粉を丁寧に集めて、魔界一の細工師とやらのもとへとガーグが届けてくれたのだ。細工師は笑いながら「なんとかする、いやむしろもっと愉快なものにしてあげるよ」と言ったそうなので、直ることは直るらしい。
だが、時間がかかるとも言っていた。
別に愉快なモノにしてくれなくていいので、あのシー・サーペントが見つかるまでには直って欲しいと思っている。けれども、一番困るのはアレがないとマッシモやロレンツィオを再び瓶に封じることが出来ないということだ。
ただ、マッシモについてはもう封印する気はない。彼はすっかり城の生活にもなじみ、一員としてなじんでいる。今でもときどきジェズアルドに勝負を持ちかけているらしいが、対戦方法が魔法合戦からカードゲームだの、早食いだのチェスだの囲碁だの将棋だのといった平和すぎるものに変わっているし、何よりもマッシモ自身が、特に魔王の地位を望んでいないということがわかっているからだ。
彼は単に、それがどのような内容であれ、勝負事でジェズアルドを負かすことが出来れば満足らしい。そのため、今では自称魔王のライバルとして城の魔物たちに認識されている。微笑ましい目で見られていることを本人が知ったら激怒しそうだが、そんな訳で彼については除外。
だが、ロレンツィオは別だ。ビビアーナを使って私やジェズアルドに罠をかけ、身動きをとれないようにしてから精神的に攻めてきたことから考えてみても、腹の底で何を考えているのか読めない部分がある。本当の目的もまだよくわからない。
「……そんなうまいこと言って、何を企んでるのよ?」
『企む? 人聞きの悪いこと言わないでよ。僕はただ、ここから出してもらうために、君に有益な情報をあげようって言ってるだけだよ?』
「じゃあ、出たらどうするつもりよ。あなたは魔王の座を狙ってるの?」
『魔王の座? そんなものはいらないよ、今僕が欲しいのは自由さ』
「今だけでしょ? 出たらまた私たちに何か仕掛けるかもしれないわよね。魔力が半減したって言っても、からめ手使えばどうにでもなるもの。だから出せない。あなたの言うことは信用できない」
『わかった。じゃあ、僕が教える魔王の弱点が本当だったら信用するかい?』
ロレンツィオは切り札を提示してきた。私は少し返答に困った。今は、どんなささいな情報でも欲しい。だけど、約束してしまえば出さない訳にはいかない。私はうそをつくのは嫌いだ。
悩んだ挙句、私は結論を口にした。